第2話「風の屈辱」

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 そして、透が上がっていく時だ。
 三人は一斉に、それぞれのカメラを構えていた。
 撮影のため、絵作りのために視線やポーズの向きを制限して、盗撮をやりやすいようにコントロールする。津馬を上の階に先行させ、残る仲間で撮る作戦は、ものの見事に決まっていた。
 唯一の問題は、階段の幅の狭さだ。
 一人しか上り下りできないため、どちらかを先に行かせる必要があった。
 円香を先に行かせることに決め、円香が上がっている最中は生真面目な顔をする。腕を組み、仕事の様子を難しい顔でもしながら見守っていた。
 今ここで焦って盗撮を行えば、透に見咎められる。
 そこに目撃者が立っているのに、堂々と盗撮に走る者はいない。
 円香が上の階へ消え、透もまた後ろを振り向くことがない。そんな状況が出来上がるまで待ってから、三人はショーツを狙い始めた。
 前と後ろ、両方撮りたい。
 お尻は散々撮ってはあるが、せっかくの機会である。どんなに似たような写真が増えようと、撮れる分だけ撮っておきたいのが彼ら四人の心情だ。
 愛野だけが階段の真下に回り、二人は後ろから撮影する。
 果たして、ここからショーツは見えるか。
 見上げながら待ち構え、そして愛野は歓喜した。
 角度が絶妙だった。
 梯子のような構造の、板と板にある隙間から、ショーツはきちんと覗けて見えた。階段の傾斜といい、隙間の間隔といい、スカートの丈の長さといい、全てが絶妙に噛み合ったおかげで生まれる景色といってもいい。
 サックスブルーはきちんと見えた。階段を進む際、脚を上げる動作が行われる。そんな脚の上下に伴い、スカート丈が持ち上がった瞬間の中身がばっちり見えた。
 スマートフォンの動画撮影モードがそれを確かに捉えていた。
 サックスブルー――青の中に少々の灰色を足したような色合いの、白い刺繍の入ったショーツである。糸を使って線の中まで塗り潰した花びらは、よく見れば背景と同色の、青い糸で描くツタの曲線によって繋がっている。
 そうして見えたショーツは一度隠れる。
 階段の段に足を乗り、もう一方の足が動き出す。その動作に伴って、一旦は直立に近い形となって、そのまま左脚が持ち上がる。太ももがスカート丈の角度を変えるので、再びショーツは垣間見えていた。
 透の位置が上へ上へと進むほど、さすがに見えにくくなってくる。
 愛野のちょうど頭上を通る頃には、見上げたところで板の裏側しか見えなかったが、この上で後ろからも撮影している。前後のパンチラを撮れたことで、十分な成果を得られたわけだ。


 そして、透は視線を感じていた。
(なに……この感じ…………)
 下から覗いてくる愛野の視線に、明確には気づいていない。
 しかし、上から見下ろすテレビカメラに目線をやり、階段を上がっていく最中、何か粘つくようなものを感じたのだ。目には見えないねっとりとした塊が押しつけられ、実は塗りつけられているような、嫌な間隔が尻とアソコで同時にある。
 嫌な予感がした。
 もしかしたら、何か本当に最悪なことをされているかもしれない。
 どうしても気になった。
 目の前のカメラから視線を逸らし、撮影中に異なる方向を見るわけにはいかない。決まった絵を撮ろうとしているのに、それとは違う動きを見せにくい。
 それでも、気になったのだ。
 粘っこい何かがもわもわと漂って、尻の周りを漂っている。
 この嫌な感じが本当に気になって、本当に落ち着かない。体中がそわそわして、貧乏揺すりでもしたくなる。
 階段の最上段を踏んだ時、とうとう透は振り向いた。
 津馬がテレビカメラを下げ、撮影を区切ったことで、透の中にかかっていたストッパーが外れたのだ。視線を逸らすわけにはいかない理由がなくなり、透はその瞬間に振り向いた。
「……!?」
 そして、全身にぞわっと鳥肌が広がった。

 明らかに覗いていた。

 土良井と火亜の二人が腰を屈めて、カメラやスマートフォンまで手にしながら、どう考えてもスカートの中身を覗こうとしていた。
(気持ち悪い!)
 透は本気で引いていた。
 彼ら二人は反射的に姿勢を正し、カメラも下げて誤魔化していた。さも何もしていなかった風を装っているが、その下手な誤魔化しこそ、今の今まで取っていた行動をかえって証明していた。
 気づけばスカートを両手で押さえていた。
(ない! 本当にありえない!)
 見えていたのか、いないのか。
 撮られてしまったのか、どうなのか。
 それは大きな問題だが、たとえ見えなかったとしても、撮れなかったとしても関係ない。そんな行動に走っていたという一点だけで、もう十分に気持ち悪い。全身から拒否反応が生み出され、それが信号として全身を駆け巡り。
(もう帰りたい!)
 心が本気で叫んでいた。
 ふつふつと毛穴が開き、全身が何かに包み込まれていく。夏の不快な湿気でもわもわとするような、嫌な大気の塊の中にでも立っているように、全身に不快感が行き渡る。
 階段を上がりきった先、待っていた円香が首を傾げる。
「……浅倉?」
 そして、そんな円香にどんな言葉を返すまでもなく、ただ透の表情を見ただけで、すぐさま何かを察したらしい。ムっとして、何かを言わずにはいられない様子で、ずかずかと早足で透の隣まで歩んで来るなり、階段の下を見下ろしていた。
「浅倉に何かしてました?」
 極めて直接的だった。
 パンツを撮ろうとした、覗こうとした。そういった疑いこそ具体的には述べていないが、そうであっても直接的で、疑念を隠しすらしていない。
「いやいや! 何も?」
「なんでだ?」
 土良井と火亜は、当然のようにそう答える。
 それはそうだろう。
 あなたは悪事を働いていましたか、などと尋ねたところで、簡単に白状する者はいない。誤魔化すに決まっている。もっと厳しく問い詰めなければ白状するはずがない。
 だが、円香は確信しきっているらしい。
 透も同じだ。
 この四人は本当に盗撮を狙ってくる。

     *

 最悪すぎる。
 本当に最悪すぎる。
 水着の強要で大きく信用を損なって、その不信感を引きずっているから、防犯カメラに何も映っていないにも関わらず、四人に対する疑念を抱いてしまう。
 性犯罪者――かもしれない、そんな人達と一緒に過ごす気分の悪さは始終あったが、疑念は確信に変わってしまった。
 下着とスパッツが消えたのはともかく、彼らは盗撮や覗きをやる。
 何となくそうかもしれない、だから気持ち悪い――ような気がする感覚から、より確かな嫌悪感が膨れ上がった。
 同じ空間にいるだけで、全身がぞわっとする。
「浅倉、先に上がって」
 円香がそう言ったのは、階段を上がるシーンをもうワンシーンずつ撮ると言われたからだ。
「え、でも……」
「いいから、先行きなよ」
 円香は思ったのだ。
 階段は幅が狭く、一人ずつしか上がれない。
 円香と透、どちらかの目が上に消え、見張る人間がいない時こそ、階段を利用して覗くチャンスである。
 そんなことはさせられない。
 まずは透の背中を見送った。
 階段先で控えるテレビカメラに向かって視線を合わせ。滞りなく撮影が済んだ所で、次は円香の番となる。
 その時にこそ円香は告げた。
「先に行ってくれませんか?」
 愛野、火亜、土良井に対して、円香ははっきりと申し出た。
「ええ!? なんでかなぁ?」
 愛野は大袈裟に驚いてくる。
「階段の傾斜があるので、男の人が下にいない方が落ち着きます」
「まさか! そんなことするとでも?」
「関係ありません。その方が安心して仕事ができるって言いたいんです」
 あなたを疑っていますとは、はっきりとは名言しない。
 ただ、見える可能性があるので気を遣って欲しい。その方が気にせず安心して仕事に集中できる。そういう建前で先に上がってもらおうとした。
「こっちは後ろ姿を撮るんだ」
 と、火亜は言い出す。
「聞いてませんけど」
「今決めた。大丈夫、気にするな。撮るのは背中だし、当たり前だがカメラの角度には気をつける。君が先に上がるんだ」
(……信じるわけないでしょ)
 円香は訝しげになる。
「どうした? 仕事はきちんとしてくれるんだろ?」
 火亜は譲らない態度である。
「前からだけでいいじゃないですか」
「おい、いつまで時間を使わせる気だ? この場所はな、限られた時間の中で撮影許可を貰ってるんだ。こうしている一分一秒だって惜しいんだが?」
 声が一気に低くなっていた。
 円香は内心、萎縮する。
「だったら早く先に行って下さいよ」
 表面の態度は変えないが、火亜は見た目がヤクザなのだ。強面で筋肉も逞しく、いつ怒鳴ったり暴力を振るってくるか、わかったものではない外見である。おまけに声もドスが効いていて、人を怖がらせるには十分な威力があった。
 だが、火亜だけではない。
 愛野が、土良井が、あからさまに苛立っている。
 さっさとしろ、我が儘言うな。
 声に出していないだけで、そう言わんばかりの態度が全身から溢れ出ている。大人が三人がかりになって、高校生の女の子をあくまで先に上がらせようとしているのだ。
 少女の身では、無意識や本能で恐れてしまう。
 今ここに人目はなく、グルの四人相手にこちらは二人しかいない。力ずくの暴力に走られれば、不利なのは自分達の方だ。
 従った方が身のためだという計算は、心のどこかで働いている。
 円香は火亜を相手に押し問答を繰り返し、どうにか先に上がらせようとはしたのだが、そのうちに愛野も口を挟んでくる。土良井も口を挟んでくる。円香がいかに我が儘を言っていて、子供が大人を困らせようとしているか、仕事に支障が出るかといったことまで説き始め、何故だか円香の方が怒られる立場になっていく。
 どちらが正しく、どちらが間違っているかなど関係無い。
 たとえ円香が正しくても、数の揃った大人が一人の高校生を相手に圧をかけ、凄んだり苛立ったり、ドスの効いた声を駆使して従わせようとしてきている。
 それが逆らう気持ちを削り落とした。
「…………わかりました」
 とうとう円香の方が折れ、三人の男達は内心でほくそ笑む。
(なんなの……こいつら…………)
 大きな不満を抱きながらも、円香は階段に足をかけ、登り始めた。
 視線は上、カメラに合わせる。
 カメラの向こう側にいる視聴者に向けての表情を作り、ファンに見てもらう前提の絵作りを開始する。人に見せるための映像なのだから、執拗にスカートを気にしたり、覗きや盗撮を警戒した様子を撮らせるわけにはいかなくなる。
 そして、背後から視線を感じた。

 じぃぃぃぃ…………。

 尻のあたりがムズムズする。
 見えない何かが這い回り、皮膚をくすぐり尽くしているような、奇妙な感覚が尻中を駆け巡る。いかにも覗かれているような感覚がして、どうしても落ち着かない。撮影中だから気を遣い、そういった様子を出さないようにはしているが、そうでなければ全身をそわそわさせることになるだろう。
 円香は後ろに手を回した。
(時間がどうこう言ったのは向こうの方だし)
 だから、手で軽く押さえるくらい、文句なら言わせない。
 絵作りに影響が出ない範囲を意識して、本当にさりげなく、別に何も警戒していない、単なる仕草の一環であるかのようにお尻に手を置いていた。スカートの揺れを防ぎ、覗きにくくすることで、少しでも心を落ち着けようとした。
 だが、ショーツは撮れていた。
 押さえるのが遅く、中身が少しは覗かれてしまっていた。


 しゃがんだ姿勢で見上げれば、前後に揺れるスカート丈から、円香のピンク色のお尻はチラチラと見え隠れを繰り返す。
 火亜と土良井で当然のようにカメラを向け、そのピンク色を映していたが、愛野も愛野で、前から映したショーツの映像を獲得していた。
 下地の上にもう一枚の布をかけ、フロントの三角形を薄ピンクに変えている。洗濯ネットや虫取り編みのような向こう側の透ける白布が重なって、そんな白布には刺繍による花びらの線画が施されている。
 それを愛野は覗き見ていた。
 撮影を行いながら、足の動きに伴いスカート丈が持ち上がり、見えて来る光景をしっかりと目に焼き付けていた。

     *

 樋口円香は顔を赤くしていた。
 透もだ。
 円香の場合、振り向くことはしなかったが、下着を覗かれたに違いないことはひしひしと感じている。その後、残る三人も階を上がって、全員が顔を突き合わせた時、男同士でニヤニヤと笑い合い、得なことをして喜び合う雰囲気に、きっとそうだと確信していた。
 手が自然とスカートへ動く。
 今は覗きも何もできるタイミングではない。そもそも、今になって隠したところで、既に見られてしまった事実を掻き消すことは出来ない。意味のない仕草であることはわかっているが、それでもスカートを押さえてしまう。
 透と二人して、両手で前後を押さえていた。
 見られていると確信しきり、赤らんだ顔で俯いていた。
(最悪……!)
 円香は歯軋りする。
 もう帰りたい。こんな人達と一緒に仕事などしたくない。
「次は最上階での撮影だからね」
 などと愛野は言う。
 彼らとの仕事が本当に嫌になってきて、その矢先にかけられる声としては残酷である。
 最上階へ上がってみると、外は風が強かった。
(無理でしょ。これは……)
 円香が心の底から思っていると、隣で透も似たような顔をしていた。
(……無理だね)
 かなりの強風だ。
 お城の外、ベランダやバルコニーに相当する手すり付きの屋外で、絶景を背にした撮影をするという。
 それはいい。
 景色と共に映るくらい、それ自体の問題は何もない。
(……下着、狙う気じゃないの?)
 円香はもうそのように見做していた。
 先ほどまではそうでもなかったのに、高度のせいだろうか。強風の音が中まで聞こえる。聞くにスパッツが恋しくなり、スカートを押さえる手には無意識のうちに力を込める。気づけば強い握力で丈を握って、拳の周りに皺を刻んでいた。
「どうしたの? ほらほら! 外だよ外!」
 二人して躊躇っていると、愛野が大声で急かしてくる。
「風、強いんですけど」
 険のある声で円香は言った。
「だから何? 仕事だよ? 仕事! さあ、早く出た出た!」
「私達がスカートなの、わかってますよね?」
 もはや責め立てる勢いだ。
 こんな強風の時に、スカートを穿く少女に撮影を強要するなど、大人として非常識であると糾弾していた。
「え? 何々? これって、きちんと契約にある内容なんだよね。水着の時は私が悪かったけどさぁ! 事務所に提出したスケジュールをね? 君達のプロデューサーに見てもらってね? きちんとOKもらるんだけど?」
 愛野も愛野で、それなのに拒もうとするお前達こそ悪者だと言わんばかりだ。
 またしても険悪なムードである。
 しかし、円香は構わない。
「だったら服装を変えてくるので――」
「ないよ! そんな時間! なんで最初から他の服も用意するとか、そういう準備がなかったわけ!? プロ意識が足りないんじゃない!?」
「…………」
 円香はただ睨む視線だけを向け、返す言葉もなく押し黙る。
 そもそも、近場に洋服屋もないだろう。
 強風現場での撮影があると、想定さえしていれば、もちろんズボン類も持って来た。
 だが、明らかにスカートが危ういはずだ。
 それでも撮影を強行しようとする彼らには、疑問しか湧いてこない。
「どうしてもやらせる気ですか?」
「私も、ちょっと……」
 透も一緒に難色を示す。
「あのね? 今度はこちらが事務所にクレームを入れるよ? 二人が契約内容にある撮影に従ってくれないってね! 今回ばっかりは、君達の方が事務所にも怒られるんじゃないかって、オジサンは思うなぁ!」
 愛野は凄んでくる。
 言葉こそ発さないが、他の三人も似たようなものだった。
 ここに味方はいない。
 二人のことを守ってくれるプロデューサーも、事務所のスタッフも誰もいない。泣く泣く撮影を受け入れるしかなく、二人は本当に躊躇いながら、スカートの前後を両手で押さえながら外へ出る。
「まずは昨日みたいに、景色を眺める横顔を撮りたいかな? ねえ?」
 愛野の言葉により、二人は両手を手すりに置き、景色の遥か先へと視線を送る形を取らされる。当然のようにスカートを押さえることはできなくなり、いつ強風が来るか、気が気でない。
 今は風がやんでいた。
 このまま無風でいてくれれば、一体どれほどいいことか。
 テレビカメラを構えた津馬が後ろに、ハンドカメラの土良井が右サイドに、一眼レフの火亜が左サイドに、三方向をカメラに囲まれる。過去の撮影の仕事では、こんないつ下着が見えるかもわからない、不快な緊張感を帯びた現場はなかった。
 しかし、今は落ち着かない。
 円香は山並みの景色に視線をやり、右肩の近くに通るの存在を感じ取る。透もまた、どことなくそわそわして、落ち着きのない様子を醸し出している。一緒に同じ気持ちを抱えたまま、この撮影は行われるわけだった。
 そして、その瞬間である。

 ビュゥゥ――

 急な風の音を聞き、円香はぎょっと目を見開きながら、素早く手すりから手を離し、浮かびかけたスカート丈を手で押さえる。きっと隠すのは間に合った――と、思いたい。いいや、間に合ったに違いない。
 隣を見れば、透もおそらく間に合わせたが、それでも落ち着きなく顔を赤らめ、二人して似たような表情を浮かべていた。
 見えなかった――はず。
 ガードが間に合った確証はなく、ただそう思いたいから思っている。自分で自分を誤魔化して、間に合ったことにしようとしている。
 しかし、ばっちりと映っていた。
 一瞬限りの三角形は、二人の両手が即座に動いたこともあり、先端が辛うじて見えた程度に過ぎない。小さな面積ではあるが、テレビカメラを担ぐ土良井と、その隣に控える愛野は、ピンクとブルーを目にして内心で歓喜していた。