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 視触診を開始する。
 見た目には炎症の気配がなく、ニキビのようなものも出ていない。仮にも医師免許を持つ以上、その目でじっくり観察すれば、症状の有無に判別をつける基本的な観察眼は身についている。その観点からいって、まず何もなさそうに見えた。
(ってことは、不安がっちゃっただけかな?)
 というケースはそこそこある。
 メディアがウイルスの恐ろしさを煽るので、もしかしたらこうなるかも――と、不安なあまり、本当は必要もないのに病院に来てしまう。恥ずかしいけど仕方なく胸を出し、一時的な羞恥心よりも、安心の方を買おうとする。
 この士堂瑠璃の場合もそれではないかと、信夫は思ったわけだった。
(ま、見るだけじゃわからないよね。見るだけじゃ――)
 信夫は前のめりになっていた。
 乳房を視診するために、至近距離から視線を注ぎ、美巨乳のフォルムを焼き付ける。目で記憶するのは当然だが、盗撮もしている信夫なので、さりげなくカメラ映えも気にしていた。胸ポケットに差したペン型カメラで、きちんといい感じに撮れるように意識して、何度か指で胸元に触れもしていた。
 信夫はさらに、外側からも観察する。
 顔を右に回り込ませて、乳房の側面に視線を走らせる。左側にも回り込ませて、そちらの面も観察する。そうやって表皮に視線を走らせ尽くし、もうとっくに視診を終えてもなお、信夫はまだ観察を続けていた。
 それが信夫なりの手口の一つだ。
 真面目な視診から入ってみせ、それを入口として、やがて単なる視姦を開始する。無駄に時間をかけすぎれば、一〇分も二〇分もかければ、いくらなんでも患者は怪しんでくるだろうが、数分間の観察ならば何とかなる。
 疑念を持たれることはあっても、それが口から出て来る前に切り上げることになる。
 信夫はまさに、その数分間の視姦を終え、前のめりだった身体を真っ直ぐに立て直すと、改めて瑠璃の表情に目をやった。
(可愛いねぇ?)
 染まった頬は初々しく、恥じらいの宿った目つきは思春期の乙女らしい。
「ちょっとね。視診だけではわからないから、触診もさせてもらうよ?」
「そ、そうですよね。それなりに覚悟はしておりますので、こんな胸ですが……」
(こんな乳房なんてとんでもない)
 信夫の前で、瑠璃は生真面目にも背筋を伸ばした。
 太ももに置いた手の平から、肘が伸びるほどに背中を伸ばし、ピンと背骨を真っ直ぐにした綺麗な姿勢は、まさしく乳房を差し出すものだ。どうぞ、お好きにして下さいと、本人は診察のためにしているだけなのだろうが、そうとわかっていても信夫には興奮ものだ。
 緊張気味に強張って、眼鏡レンズの奥にある眼差しも、目尻に力が入っている。
 これからオッパイを揉まれると、覚悟した表情というわけだ。
(これは遠慮なく触ってあげないとね?)
 信夫はすぐに手を伸ばす。
 待ちに待った感触を味わうため、下から掬い上げようとするように、両手を南半球の真下に近づける。指を伸ばして、四指によって持ち上げて、重量を感じてみるため、信夫は表皮に接触を果たしていた。
(おおっ)
 指先が重量感を捉えた。カーブに合わせて無意識に指の形をフィットさせ、微妙に折り曲げた直後、信夫が気づくのはやはり山の高さである。こちらに向かって飛び出る乳山は、指先から根元にかけて触れ合っている。指に乗っかってくる量が、根元の関節にまで及んでいる。
 そこまで高さのある胸は、では乳首の先まで合わせたら、一体どれほど長いだろう。手の平のかかと部分か、少なくとも中央までは至っていそうだ。
 信夫は下からぷるぷる揺らす。
 軽い力で打ち上げようとしてみると、弱すぎる力では打ち出せず、ただ指の動きに合わせて持ち上がるだけだった。もう少しだけ勢いをつけ、今度はきちんと弾ませると、一瞬だけ指を離れた重量は、直ちに指に広がり直した。
(いいねぇ、この景色。きちんと撮ってあげてるからね?)
 信夫は指を動かし続けた。
 レバーを上下させ続けるような動きを繰り返し、延々と乳房を弾ませると、瑞々しい小刻みなバウンドで、落下のたびにそこそこの負荷をかけてくる。弾み上がったものの落下を受け止めれば、最初に持ち上げた以上の重量感が伝わって、このまま続けていれば指が疲労を溜め込むのは明らかだった。

 ぷるっ、ぷるっ、ぷるっ、

 と、乳房は踊っている。
 その動きだけを言うのなら、喜びを表現しようと弾んでみせる光景に近いが、もちろん瑠璃もその胸も、歓喜などしてはいない。どちらかといえば、むしろ信夫の方が喜んでいるわけだった。

 ぷるっ、ぷるっ、ぷるっ、

 乳房は弾む。
 その上下運動をすることで、乳房ウイルスがもたらす症状を確認できる。内部に症状がある場合、これによって違和感や痛みが発生するため、診察法の一種として、立派に取り入れられている。
 しかし、信夫が真面目な気持ちでやっているかといえば、まさかそんなはずはない。
(エロいねぇ? 士堂瑠璃ちゃん。君、過去最高のオッパイだよ)
 心の中には、下品な興奮しかないのであった。

     *

 士堂瑠璃は恥じらっていた。
 いつもより、そのあたりの情動はある方だった。
 闇狩人として危険な世界に身を投じ、時には命の危機を感じながら生きる瑠璃にとって、何でもない平和な日常は気が抜ける瞬間である。警戒心が緩むだけ緩み、クラスの男子にパンツを覗かれようとも、あまり真面目な反応はできなかった。
 もっと羞恥心を持てと、友達に注意される始末である。
 しかし、乳房を出し切っているとなると、さしもの瑠璃も恥じらいを思い出し、頬を存分に染め上げていた。

 じぃぃ……。

 と、前のめりになる医師は、まじまじと観察してくる。
 瑠璃から見て、そこにいやらしい意図は感じられずに、本当にただの視診といった風には見えるのだが、息がかかってくるほどの距離から見られては、さすがに緊張で固くなる。背中を強張らせた状態で、瑠璃は医師の動きを見守っていた。
 この男こそ、依頼の悪徳医師――かもしれない。
 容疑者として、かなり怪しいところまで来ているが、まだ完全には確定もしていない。黒に近いグレーといった存在で、ならばこうしている今にも盗撮されている恐れがあり、自分の乳房が記録されてはいるはずだ。
 ただでさえ、凝視されてはそわそわする。
 乳房に顔を埋めてくる気かと思うほど、ぐっと迫っている医師の顔は、右の乳房を集中的に眺めたり、左の方を眺めたりと、何度か左右に動いている。腕がたまに胸元へ、胸ポケットのペンへ動いているので、瑠璃はその点も気にかけていた。
 ペン型カメラがあることくらい知っている。
 しかし、手に取りでもしなければ、どうにも見分けはつかないので、それで撮られているかどうかはわからない。ただ、この男がクロであれば、カメラの存在自体は間違いないのだ。
 そして、盗撮動画はネット上にアップロードされるかもしれない。
 そうなれば、それを秋月も確認することになっているので、身内に裸を見られる未来さえ想像して、いつもは感じることのない羞恥心が膨らんでいく。
 最初のうちはまだ良かった。
 ブラジャーを見せるくらいなら、まだ何も感じることはなかったが――いや、やはり少しは恥ずかしく、いつもよりは羞恥心が働いていたのだが、見たいなら見ればいいと、どちらかといえばあっさりと、下着姿にまでなっていた。
 しかし、ブラジャーまで外したところで、さすがに心許なくなっていた。
 限りなくクロに近い相手の前で、みすみす下着一枚になっている。そこに狼がいるとわかっていながら、何の護身手段も備えずに、丸腰で来てしまったような不安が広がり、瑠璃は両膝に置いた拳を硬くする。

 ふー……ふ……

 と、呼吸の音が聞こえてくる。
 病院内は物静かで、他に誰の姿もない。表の道路には車両の行き来があるものの、その走行音は診察室には届いてこない。瑠璃や医師が立てる以外、他に物音が存在しない空間で、静寂であればあるほど、ただの呼吸音に意識は及ぶ。
 息は微妙にかかっていた。
 医師は側面を観察しようと、体ごと左に倒してくる。瑠璃から見た左側、向こうからすれば右側の視診が始まり、その時にもう少しだけ距離が縮んでか、生温かいものは皮膚に触れてきていた。

 ふー……ふ……

 吐き出される息遣い。
 僅かな熱気を帯びた微妙な風が、乳房の表面には当たっている。

 ふー……ふ……

 呼吸が当たってくることの、不快感といったらない。
 瑠璃はまだまだ、淡泊な顔こそ保っているが、先ほどまでに比べてば、明らかに赤らみは広がっている。もう片方の乳房に顔が来て、今度は右側を視診されるが、そちらにも生温かい微風が何度も当たり、瑠璃は膝に置いた拳を強張らせた。
 ゴキブリやナメクジに例えるのは、まだ大袈裟なようでいて、種類としてはそれに近い不快感が肌にはある。微風に皮膚をやられることで、気持ち悪いものと接触したような感覚が皮膚細胞を汚染してくる。
 そんな視診の顔が遠のいて、その不快感からは解放されるも、今度は触診が始まった。

 ぷるっ、ぷるっ、ぷるっ、

 と、下から指で弾まされ、乳揺れを起こされていた。
 真面目な顔で、真剣に観察してくる医師の目は、しかし乳揺れに注がれていた。

 ぷるっ、ぷるっ、ぷるっ、

 これも診察法の一つだと、知識的には知っている。
「痛みや違和感は?」
「なんていうか、ないみたいで……」
「うーん。何も無しってことは、病気が不安になっちゃっただけかな?」
「たぶん、もしかしたら……」
「まあ、せっかく来たんだ。もう少し詳しく調べようね」
 と言って、医師はしばらく乳揺らしを続行する。
 微妙に俯くと、揺れ続ける自分自身の乳房が視界に入る。ぷるん、ぷるんと、上下運動を繰り返しての乳房の踊りで、視界の下部に影がチラつき続けている。

 ぷるっ、ぷるんっ、ぷるんっ、

 それを一体、いつまでやるのか。
 しだいしだいに、ただ遊ばれているような気持ちになり、それもあり得ることに瑠璃は気づいた。容疑の固い悪徳医師なら、本来必要のない行為も、平気でやってくるだろう。本当は症状の有無に判別はついていて、せっかくだから余計な時間をかけているのではないか、そう思ったら体中が落ち着かない。
 エサを与えれば喜ぶ存在に、そのエサを与えてやってしまっている。
 相手の邪悪な気持ちを満たし、楽しませてしまっている感覚でならなかった。



 
 
 

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