第8話 傷心のクロエ

 まだ余韻が残っている。
 壁から生える六本ものペニスを収めた昨日、その一本一本を言い当てることの苦痛といったらなかった。ケンやその父親との思い出が蘇り、精神的な苦痛まで胸中に復活して、まるで当時の感情がそのままフラッシュバックを起こしていた。
 そればかりか、五本目のペニスは妙にやたらと快楽魔法を強くかけ、必要以上に感じやすく調整されていた。おかげでまともな動きが取れず、あれほど慎重に腰を動かしたペニスは他になかった。
 そして六本目のペニスは、もしやユウキのものではないかと予感した。別に彼のものは見たことがない。見るような関係ではないのだが、他のものより優しげというべきか、悪く言うならナヨナヨとして見える雰囲気がユウキと被った。
 予感した顔で答えてみれば、本当にそれが正解だった。
 よりにもよって、彼のペニスまで利用され、この場に現れていたわけだ。
 親しい人物の肉棒をコピーして、それを詰め込むことを余儀なくされる。その運命がいかに苦痛か。もしもユウキのものを受け入れるなら、作り物を相手にあんな形ではなく、もっとそれらしい形であって欲しかった。
 自分の何もかもが踏みつけられ、挙げ句の果てにはご褒美と称した七本目のペニスである。
 実物は段違いだった。
 四つん這いでのバックを求められ、後ろから腰を振られた時に流れたのは、想像を絶する快感だった。あまりにも強烈な電流が流れることで、皮膚の内側がずたずたに引き裂けるかと思ったほどだ。
 気持ち良さが途方もないことで、かえってグロテスクな想像が脳裏を掠めたのだ。
 形といい、大きさといい、基本的な感触そのものは、壁から生えた五本目と変わらない。実物をコピーしたものなのだから、ほとんど同一なのは当然だが、ただ快楽魔法の度合いだけは桁が一つ違っていた。
 壁のペニス六本の中でも、五本目への快楽魔法はそれでなくとも強烈だったが、男自身にペニスにはより強い快楽魔法が使われていた。
 気持ちいいという理由一つで、簡単に気絶しそうになった。セックスで気を失うなど、それまで考えたこともなかった。
 惨めにイキ散らした。
 イカされた挙げ句に失禁した。感じている最中の表情も滑稽で、映写魔法で撮ったその写真がクロエ自身に突きつけられた。失禁した姿も含め、お前はこんなにも惨めで情けないのだと教え込まれて泣きたくなった。
 コメントも見せつけられた。
『ウケるwwwwwwwwww』
『wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww』
『お漏らしとかいくつだよ』
『イキ顔じゃなくて、もはやギャグ顔だったな』
『腹がwww捩れるwwwww』
 笑いものにされていた。
 クロエをからかうコメントはこんなものではなく、もっと数え切れない量が溢れていた。
 惨めな思いを味わわされ、笑われて、傷心しきったクロエはとうとうこの日、無断で学校を休んでいた。

「……ったく、何してんだかうちは」

 学校の時間のはずである真っ昼間にふらふらと出歩いて、このまま遠くへ行きたいと思っている自分がいる。
「どこってわけでもないけど」
 もう二度と配信に出なくて済むどこか、それがいい。
「それがどこだって話よ」
 この町を離れたいのか、どうしたいのか。行き先も何もわからず、何の計画もなく、クロエはただ無意味にふらふらと彷徨い歩いていた。
 昼が近づく。
 そういえばお腹が空いたので、どこか適当な店に入って食事をすることにした。
 その後も、やはり当てもなくふらふらと、自分ても目的がわからず歩いている。
 夕方になった。
 何がしたかったわけでも、どこへ行きたかったわけでもない。いや、配信活動をやめたい思いはいっぱいに溢れているが、もう今更何をどうしたらいいことか。

「…………見つけましたよ」

 背後から、声が聞こえた。
「あー……。えっと、なに、探してたん?」
 振り向かないまま、後ろに向かってクロエは話す。
「今日は配信の予定でしたよね」
「そだっけ」
「すっぽかしましたなぁ?」
「んなこと言われたって、あんなん……もう…………」
 二度と出たくない。
 なのにナーファは律儀なものだ。自分だって好きで出演しているわけではないだろうに、こんな風にクロエのことを探しに来て、連れ戻すつもりだろうか。そして無理にでも次の企画に出演させ、クロエはその内容に沿った辱めを受けるというわけだ。
 ……冗談じゃない。
「うちとて、気持ちは同じと思いますわ」
「へえ」
「信じとらんね?」
「信じるほどの仲じゃなくね?」
 初めて会ってから今日で三日目。
 ナーファのことはほとんど何も知らない。あちらとて、クロエのことは何も知りもしないだろう。
「信じる信じないじゃないんですわ。あんたに来てもらわんと、うちが困るんですわ」
「あそう。そういう系? ああ、そっすか。ちょっとでも感動系のノリを期待したうちが馬鹿だったカンジ、あっそう」
「ペラペラ喋るのはこのくらいにしときましょうか」
 その瞬間、殺気を感じた。
 強烈なまでに死を予感させ、うなじが凍りつくほどの殺気に身震いしかけ、しかしクロエは咄嗟に地面を蹴る。
 もし、今の恐怖で凍りつき、身動きが取れなくなっていたら、次の瞬間には首が転がっていてもおかしくない。
 ナーファが短剣を抜いていた。
 随分と容赦なく首を狙い、切り落とそうとしてきた刃の、その切っ先がクロエの薄皮を引き裂いていた。少しでも飛び退くことが遅れていれば、どこまで深くやられていたか。
(――速っ)
 一度かわしただけでは安心できない。
 次は一体、どう来るか。
 相手の動きを見極めるため、クロエはナーファの背中を目で追った。首を切り裂くはずだった彼女の、突風のような勢いは、その速度のあまり向こうへと突き進み、一瞬で距離を詰め切った次には逆に離れているのだった。
 が、ナーファはかかとを地面に埋める。
 足をつっかえ棒のように突き立てて、無理にでも自身の体を停止させていた。それでも多少は突き進み、かかとが地面に直線を引くことで、足元には土煙が漂っていた。
 クロエはその背中に向かって駆ける。
 距離を詰め切ったその瞬間、ナーファは振り向いた。その振り向くという動作、体を回転させる勢いが、そのまま刃による攻撃だった。体と共に短剣もまた旋転して、クロエの脇腹へと迫っていた。
 だが、クロエはそれを読んでいる。
 あえて前に出ることで刃をかわした。距離をより深く詰めてしまえば、胴にぶつかってくるものは、刃でなくその握っている右手になる。柄を握った拳こそが脇腹を打つこととなり、クロエはその衝突に合わせて手首を掴んだ。
 直後、膝蹴り――ぎゅっと握力を込めながら、力強く膝で打ち上げ手首を打つ。脚だけではない、手で地面に叩きつけようとする力もかけ、腕力と脚力のサンドイッチでナーファの手首を痛めてやった。
 ナーファの握力が緩み、その手から短剣がこぼれ落ちる。
「もらっとくわ」
 クロエはその短剣をキャッチした。こぼれた直後を即座に捉えて握り締め、今度はクロエの剣閃こそがナーファに迫る。
「届きませんって」
 だが、ナーファはいつの間に、二本目の短剣を握っていた。いつどのタイミングで、どこから抜いていたのかもわからない。とにかく首を狙った一撃は、刀身が盾となって受け止めていた。
「秒じゃ黙ってくれないっすか」
「黙るのはクロエさん? あんたですわ」
 胸に鈍い衝撃が走っていた。
 次の瞬間、クロエは赤焼けの空を見ていた。どうやら柔軟性に満ちた足で蹴り上げられ、仰向けに倒されてしまったらしい。おまけに胴へ馬乗りに、ナーファは短剣の切っ先を喉に向けてきているのだった。
「……で、どうすんの」
 クロエは問う。
「一週間後、とある闘技大会があるそうですわ」
「へえ、んで?」
「そこの優勝者は、負かした相手にどんな言うことを聞かせても構わんらしいわ。これって、何かに利用できる気がしません? 例えばほら、チャンネルを停止して二度と配信するなとか、そんな言うことを聞かせてライバルを潰すとか、いいアイディアとは思いません?」
「あー……。いいアイディアだわ。けど、その通りでいくとして、負けた方が得して勝った方には何のメリットもないっぽいけど」
「うちが勝ちますわ」
「なんで?」
「うちはそのうち、あの男を始末します。元凶は必ずいつかいなくなる。あの男は裏社会的なノリのめっちゃ悪いやつなんで、余計な罪悪感とかいらんのよ」
「そりゃまあ、やりやすそうで」
「けどそっちの元凶は、うちのやり方でいったら大量殺人鬼決定ですわね」
「……っすね、そりゃ」
「そんで、返事は?」
 問われ、クロエは迷う。
 ナーファは果たして本気だろうか。本当にただただ親切で、クロエを解放しようとしてくれているのだろうか。どこまで信じていいかがわからない。
 もし信用できるのなら、今度はそんな親切な相手を残し、自分一人が逃げ切ることになる。
 それでいいのだろうか。
 あらゆる疑問が脳裏を渦巻く。
「はよ、決めましょうか」
「…………」
「それとも、本当に惨めな子なんですかねぇ? 昨日の立派なご尊顔は確かに笑えましたわ。今日のクロエさんも、同じだけ笑える顔をしてくれるんですか?」
「いんや、ムカついた。大会じゃ、うちがアンタ倒すから」
「やれるもんならやって欲しいもんですな」
 ナーファが体の上からどく。
 そして、太もものホルスターに短剣をしまった直後、倒れたクロエに彼女は手を差し伸べてくるのであった。