第3話 ナーファ

 クロエは町を歩いていた。
 渡された手描きの地図を片手にして、目的地に向かって進むクロエの行き先は、とある人物が暮らす家らしい。
 あれから、スポンサーの男は約束通り記憶を消し、レイプも放尿もなかったものとなっている。だが男は快楽を堪能したわけであり、クロエの記憶さえもが消えているわけではない。消えたからそれで良し、といった気持ちにはなれず、本当はもっとそれなりの制裁を受けて欲しいのが本音である。
 巻物の効果で生じるストッパーが強力なので、実際には反乱の計画さえ立てられない。配信を何度も繰り返す羽目になり、そのいらぬ実績のおかげでスポンサーがつくだのと、事態は悪化していく一方だ。
 ともかく、あれで契約手続きは完了になったらしい。
 屈辱を与えて満足するなど、手続きというより儀式だが、男と痴漢グループの間には、無事に契約関係が結ばれた。今頃それをリーダーは喜んでいるのだろうが、クロエとしては何ら歓迎できるものではない。
 スポンサーが付いたことにより、今までは出来なかったアダルト配信が可能となり、クロエは今後より新しいアイディアに付き合わされる。辟易することはあっても喜ぶことはまずありえなかった。
「えーっと、ここか」
 住宅地のとある民家を前にして、クロエは握った地図を確かめる。住所もメモとして書かれており、民家と住所も確かめて、ここで間違いないとわかるや否やノックを行う。
 しかし、返事がない。
「留守っすか」
 クロエはため息をつく。
「だっる」
 契約を結んだことで、リーダーが大喜びで考えたのは、他のチャンネル出演者と共演して、一緒にエロ企画をこなさせることである。
 なるほど、女の子が同時に二人もエッチなことをして、チャンネル登録者はさぞかし大喜びなのだろう。
 では誰と共演するのか。
 リーダーが挙げた名前は、アダルト配信において不動の一位であり続ける人気配信者のものだった。同じアダルト配信を行う者同士、手を組んで一緒に動画に出ろ、というわけだ。
 名前はナーファらしい。
 彼女について、リーダーはこう言っていた。
「あの子はね? とっても手強いのよ?」
 痴漢グループの頭として、彼女のことは何度も狙い続けてきたが、そのたびに逃げられたり、手首を捻られ捕まりかけたり、果てはメンバーの一人が武器で脅され、泣かされまでしているらしい。
 その話を聞いたクロエは率直にこう思った。
(とんだメーワクだなオイ)
 集団痴漢を行うグループに繰り返し狙われては、前世で何か悪いことでもしただろうか、こんな目に遭わなくてはいけない理由でもあるのだろうかと、だんだん悩みたくなりそうなものである。
 だいたい、出歩くたびに痴漢に狙われては、引きこもりたくなる子だって多いだろう。
 もっとも、手強いと言わしめて、今まで一度も痴漢には成功していないと語るからには、ナーファという子は精神的にも大したものなのだろう。
 メンバーが泣かされたらしいついでに、その時にグループが壊滅していれば良かったのに、などと思うクロエであった。
(んで、そのナーファさん? 留守なん?)
 もう一度ノックをしてみる。
 だが、出ない。
(いなくね?)
 さらに三回目のノックをしてみるが、やはり何の反応も返ってこない。
(えっと、連絡とかどうなってん?)
 クロエは眉をハの字にした。
 ナーファを尋ねるように言われた時、事前に連絡はつけてあると聞かされている。ノックをしたら返事があってもいいはずで、なのに留守らしき様子である。
(連絡不備? とにかく面倒だわ)
 クロエはリーダーの少女から、顔を合わせるどころか連れて来るようにまで言われている。手ぶらで帰れば、一体どんな文句を言われることか。
(っても、出ないもんは出ないってことで、マジで帰っちゃいたい系なんすけど?)
 四度目のノックをする。
 だが、やはり出ない。
 結構、思いっきり叩いてみているので、さすがに聞こえないということはないだろう。
(どうすっかな)
 これは少々憚られるが、ドアノブを握ってみる。
(開いてるわ)
 鍵はかかっていないらしい。
 勝手に入るような真似はしないで、やはり手ぶらで帰ってしまいたい気もするが、それをやったら、またぞろ裁判ごっこが始まりかねない。
 あなたはスポンサー契約にも関わらず、その仕事を無視して損害をもたらしました。これは立派な罪ではないでしょうか。などと、裁判長を気取るリーダーの姿が目に浮かぶ。
(しゃーない)
 侵入行為に抵抗は感じつつ、クロエは家に上がることにした。これでも本当に留守のようなら、さすがに手ぶらで帰らざるを得ない――というより、連絡の不備を疑うしかない。
 クロエは家の中へと入って行った。
 数歩進んで、ドアを背にした。
「お邪魔しま――――」
 そして、無断というわけにはいかないので、家の主に声をかけようと、大きな声を出そうとしたが、その言葉は途中で遮られているのだった。

 首に刃物が添えられていた。

 いつの間に、何者かがクロエの背後を取っていた。
「あんらぁ? どちら様かと思いましたら、これはまためんこいお客様ですなぁ?」
 真後ろに立つその少女は、クロエの喉笛に短剣の刃を触れさせている。その切れ味が微かに、本当にささやかに食い込むことで、皮膚の薄皮分が痒かった。
(速すぎ――ってか、潜んでたやつかこれ。気配を感じさせない的なアレか?)
「今日こそはと思うたんですが、別人ならしゃーない」
 どうやら、誰かと勘違いをしたらしい。
 喉に触れていた刃の鋭さは、すっと遠退いていくのであった。もしも勘違いでなかったら、一体どうする気でいたのだろうか。
「えーっと、今日? ここに顔出す予定のもんなんすけど、なんも聞いてませんか」
「聞いてます聞いてます」
 声の主は背後から正面へと回り込む。
 彼女こそがナーファだ。
 配信で人気を取るからには、容姿が整っているのはわかっていたが、予想以上に綺麗な子だ。さらさらとした黒髪を伸ばした彼女は、切り揃えた前髪の下で眼差しを微笑ませ、口角も薄らと釣り上げている。
 どことなく、仮面めいた笑顔であった。
 この笑顔は作り物です。
 と、まるで顔にそのまま文字でも書かれているようだ。
「んじゃ、ナーファさんで間違いないっすか」
「ええ、間違いなくうちがナーファですわ。クロエさん」
「えっと、ども」
「さっきの無礼は許してな。あんたもうちも、きっと似たような境遇なもんで、つまりうちのことを辱めて、無理矢理に出演させてるんがチャンネルの持ち主なんです」
「マジっすか」
 思いがけず、仲間と出会ってしまった。似たような境遇同士なら、その状況から脱出するために、手を組むことだって出来るのではないだろうか。
「んで、うちのスポンサーというか、持ち主さん? クロエさんのとこについたのと同一の方なんですが、まあ率直に言うと、人生の邪魔者には消えてもらおうと思って、さっきはああしたってことなんです」
「なに? うち、命狙われたん?」
「いやぁ、よかったよかった。人違いで命なんか取ったら、いくらなんでも後悔してもしきれんですから」
「そりゃそうっつか、すげー大胆な発想っすね」
 なるほど、始末か。
 確かに集団痴漢グループの少女達を全員始末してしまえば、解放されるといえばされるのだが、クロエとしてはそんな手を使う気にはなれない。もし実行に移したら、猟奇殺人鬼による連続殺人が発生したと、町中で騒ぎになりそうだ。
「しかしまあ、性別も体格もちゃうのもそうですけど、あの人はそう簡単には後ろなんか取らせてくれんのです。それがこんなあっさり、うちの獲物が喉笛掻き切ったらおかしいなって」
「え、うん? さりげなくディスってね」
 気づいてみれば、ナーファは着物姿をしているが、その丈は普通よりも身近なもので、太ももをちらつかせるスリットまで入っている。
 武器はそこに隠しているのだろうか。
「いんや? ディスらんディスらん。うちとやり合える同い年の女の子なんて、そうおらんですから。プロに勝てんアマチュアをディスるのは大人げないのですわ」
「いやディスられてるわこれ。遠回しに雑魚キャラ呼ばわりされてんだけど」
「おやまあ、もしやクロエさん、実力を隠すんが上手いんですかなあ? 確かにさっきのは、ただのそこらの子と同じやと思いましたもん」
「うわぁ、褒めてきたんだけど。褒める風に上手いことディスってきてるんだけど。どこの方言っすかそれ。なに、ナントカ弁てきな喋り方っすか」
「まあ、挨拶はこれくらいにして」
「話題変えやがったわ」
「そろそろ本題といきましょか」
「まあ、いいけど。本題な、本題。あんまり入りたくないんだけど、入らざるを得ないっていうか。ナーファさんのこと、連れて来るよう言われてるんで」
「ええ、うちも今日は他の配信者と共演って聞かされてたんで、承知してますわ」
「んじゃ、とりあえず来てもらっても」
「もちろんですわ。行きましょう行きましょう」
 ナーファとは無事に合流して、これから向かう先では早速配信の予定が待っている。つまり、あまり歓迎できない時間を、今度は共演者と共に迎えるのだ。

     *

 ナーファは元々アイドルギルドのリーダーだった。
 人気チームとして注目を浴び、それまで順調にやってきたはいいものの、ある日突然のように男は現れた。
 トイレに行くと楽屋に行き、便が少し長引いて、戻るのが遅くなった時、ドアを開ければ信じられない光景がナーファを待ち受けていた。
 仲間が犯されていた。
 一人の男に陵辱され、全裸で精液にまみれた二人の仲間は、どちらも目をうつろにしていた。突然の暴力により、大切なメンバーであり、仲間である二人の少女が心を壊された。
 そして、男は言ったのだ。

 ――記憶を封印してやっても構わない。

 それは人質交渉の一種であった。
 魔法で記憶を消し去って、性暴力をなかったことにしてしまえば、確かに壊れた心は元通りだ。

 ――封印、だ。消すわけではない。

 男の言いたいことは、それだけで理解した。
 要するに記憶を復活させるためのトリガーを設定して、いつでもフラッシュバックを起こせる形を取ったのだ。もしもナーファが逆らえば、男はいつでも二人の元に顔を出し、封印した記憶を復活させる。
 仲間の心を壊されたくなくば、言うことを聞けというわけだ。
 そんなやり方で従わされ、アダルト配信のチャンネルに出演させられるようになって以来、処女は奪われ、手や口を使った経験をさせられた。ありとあらゆる方法で辱められ、屈辱にまみれる生活を送り始めて、元凶の男を恨まないはずがない。
 隙さえあれば命を取る。
 そのつもりで、ナーファはいつでも男の様子を窺ったり、彼の訪問してくる予定があらば、必ず武器の手入れをする。だが男は想像以上の手練れなので、一度も成功したことはなく、先ほどクロエの喉に刃を触れさせた時などは、むしろ上手くいきすぎて本当におかしいと思ったほどだ。
(にしてもまあ、同じ境遇ねぇ……)
 クロエとは協力できるだろうか。
 いや、あの男のことである。
 二人が手を組む可能性など、きっと想定しているだろう。ここは下手に手は組まず、しばらく様子を見た方が良さそうだ。