その踊り子の公演には誰もが惹かれる。
彼女の優雅な身のこなしと、翻る衣装の煌びやかさは、まるで香りを放っているように、いつの間にか多くの客を集めている。蝶が花に誘われるようにして、不思議と誰しもを招き寄せてしまうのだ。
指先にかけてまで洗練されたその踊りは、見る者全ての心を奪い、魂すら惹きつけたように熱中させる。腕を振り上げ、胴を駆使して行う彼女の仕草は、一つ一つが何かを伝える描写となって、見る者の胸に訴えかける。
ニィロウという名の踊り子だった。
その観客達はみな身分が異なり、物知りな学者から戦いに身を置く傭兵まで、分野すらも様々である。
やがて評判は広まって、いつしかこう言われていた。
スメールで暮らしているなら、ニィロウの公演を見逃すわけにはいかない。
スメール人の誰もがニィロウをそのように認めている。
ニィロウが舞台に上がるたび、グランドバザールには人だかりができているのだ。
それほどに多くの心を奪えば、いつしか危うい人物さえも惹きつける。特に今日の公演では、一人の醜い肥満体が狂気じみた眼差しで、睨まんばかりにニィロウを凝視していた。客が踊り子に熱中するのは当然で、かつ誰もがニィロウのことしか見ていないので、危険な目つきの人物になど気づく者はいなかった。
だがそこには、確かな狂気が宿っていた。
その肥満男は女性にモテず、三十代の後半も迫っているのに、未だ誰一人との経験も持っていない。青春時代、意中の少女を誘い出すことすらしておらず、思い出のページの中には、綺麗なものがあまりにも少ない人物だ。
職場でもうだつが上がらず、周りからは疎まれる空気すらあり、居場所と言える居場所がない。強いていうなら、家で一人静かに過ごす時間こそ、人生でもっとも落ち着く時間なのだった。
そんな彼にとって、ニィロウの踊りは思ってもみない安らぎだった。
曲に合わせた彼女の踊りは、見ていて深い世界観を思わせる。指先や爪先にかけての細やかな挙動によって、絶えず何かを表現し続け、その一つ一つが世界を作る。物語を読んでいるわけでもないのに、仮想の世界に没入している気になった。
肥満男はすっかりニィロウの虜となった。
そして最初は単なるファンで、ただ人よりも熱意が溢れているだけだったが、彼は日に日に恋い焦がれ、少しずつおかしくなった。身の回りにいる女性は、肥満男のことなど眼中になく、誰かと添い遂げられる可能性などまずないために、だから余計にニィロウに熱を上げているうち、夢想が激しくなったのだ。
いつしかニィロウに自分の応援の声が届いて、微笑みを返してくれるに違いない。今まで応援してきた気持ちに応え、何か見返りを施してくれるはず。最初はただの妄想として、現実とは区別をつけつつ、一人の時間などにニヤニヤしていただけだったが、日を追うごとに思いは強まった。
妄想が現実になって欲しい。
願望が強まるあまり、何か現実にする方法はないだろうかと考え始め、いつしか彼の中ではだんだんと、タガが外れ始めていった。
計画すら立て始めていた。
彼女はいつも、公演が終わった後はどうしているのか。どこに暮らしていて、どこを行き来しているのか。何日も何日も、日常的にニィロウの動向を気にかけて、いつしか彼女が一人夜の森の小道を歩く時間に当たりをつけ、そこで待ち伏せていた。
やってしまえば簡単だった。
まさか襲われるとは夢にも思っていない彼女へと、背後から忍び寄り、突如として後ろから抱きつくのだ。睡眠薬を含んだ布で、力ずくで口を塞いで嗅がせることで、手際良く意識まで奪ったのだ。
そして彼は感動していた。
こんなにも物事を手際良く、的確にこなせたことがあっただろうか。
それもこれも、ニィロウがその魅力で自分を突き動かし、引き寄せてくれたからだと、狂った考えで感謝の念すら抱いていた。
「ありがとう……ありがとう……」
何度もお礼の言葉を口走り、しかし顔には欲望を滲ませながら、彼はニィロウを小屋の中へと運ぶ込むのだった。
*
目が覚めた時、自分は一体どこにいるのだろうと、ニィロウはまず不思議に思った。
どうやら絨毯で寝ていたようで、ひとまずは身を起こすと、まず気づくのは手首や足首にある感覚だ。
「え?」
ニィロウは戦慄した。
片方の足首には縄が巻かれて、逃げられないように柱に括り付けられている。家畜やペットを逃がさないためであるように繋がれているのだ。
そして手首も腰の後ろで縛られて、後ろ手の拘束で腕が自由にならなかった。
「え、なにこれ……」
心が冷え切っていた。
彼女は人のこんな悪意を知らない。誰からも大切にされ、愛されてきたニィロウにとって、自分の身に起きた出来事はあまりにも理解から遠く、頭の処理が追いつかないものだった。何が起きているかを受け止めきれず、ただただ疑問と困惑だけが膨らんで、いつしか恐怖が置き去りになっていた。
「一体……私、どうしてこんな……」
気を失う前後の記憶がはっきりしない。
確か公演と打ち上げが終わり、その帰り道にいたはずだが、途中で何かあっただろうか。上手く思い出せないニィロウの、すぐ真後ろにいる一人の影が、じっと彼女のことを見下ろしていた。
「えーっと、うーんと、思い出せそうな……出せないような……」
ニィロウは気づかない。
「…………」
無言で、じっと見下ろす視線を感じることなく、ひたすらに思い出そうとばかりしているうちに、やっとのことで表情を凍りつかせる。
息遣いが聞こえたのだ。
興奮気味に荒っぽく、激しくなった呼吸音に、ニィロウは引き攣った表情のまま固まっていた。それは人間の息遣いだが、心なしか獲物を前にした猛獣の、少しばかり獰猛なものに聞こえたのだ。
「……だ、誰かいるの?」
恐る恐る訪ねていた。
「いるよ? ニィロウちゃん」
そして返事の声は、聞くだけで鼓膜に粘液でもへばりつき、耳を汚染してくるような、やけにねっとりとした怪しい声だった。
怖気が走る。
人の声を聞くという、たったそれだけのことで恐怖や嫌悪感を覚えるなど、ニィロウにとって生まれて初めての体験だった。
「あ、あのね。私、どうして自分がここにいるのかわからなくて、それにこの縄も、一体どういうことなのかな……」
もっと疑うことを知っていたなら、自分のことを拘束して、監禁している犯人は、この真後ろの男に違いないと、真っ先に感じたことだろう。良くも悪しくも純粋なニィロウは、助けてもらうことを期待していた。
声には恐怖を感じるが、きっと今から縄をほどいて、ニィロウのことを解放してくれると、あまりにも疑いなく信じていた。声の質感など、その人の中身には関係がないかのように捉えていた。
「覚えてないんだね」
「そうなの。いつもみたいに、帰り道を歩いていたはずなんだけど、目が覚めたらこんなところにいて、どうして私は縛られてるのかな」
「…………」
「とにかく、ほどいて欲しいな」
「…………」
「あれ? 聞いてる、かな……」
「…………」
後ろの男は、やけに無言が多かった。
そして黙っているあいだ、聞こえてくるのは荒っぽい息遣いだ。鼻息のあらい呼吸と共に、乱れた呼吸の吐き出される音だけが、ニィロウの耳には伝わってきた。
「あの……ねえ、ってば…………」
「……ニィロウちゃん」
気配が動く。
身動きの際にある衣擦れの音と、呼吸音の位置の変化から、男がしゃがんだのだとわかる。呼吸は後頭部のすぐ真後ろから聞こえるようになり、一方で手の平に髪の一房を掬い取られていることには気づかない。
「はぁ……はぁ……! ああ、ニィロウちゃん……!」
呼吸がより荒っぽいものとなり、ニィロウの背筋には寒気が走る。
「……ねえ、ほどいてってば」
ニィロウは改めて頼んでみるが、男がそうしてくれる気配はない。
ぺたりと、肩に手が置かれた。
身体に触られて、全身が凍りついてしまったように固まって、ニィロウは指先一つ動かすことがなくなった。引き攣った表情のまま固まって、ありありと浮かんだ緊張の肌には、しだいに脂汗が滲み出ていた。
「ニィロウちゃん!」
次の瞬間だった。
背後の男は抱きついてきた。
それでなくとも間近にあった男の気配は、密着するまでに迫ってきて、ニィロウの背中全体には、シャツ越しの胸や腹が押しつけられる。脂肪の柔らかさが潰れてきて、相手が肥満であることに初めて気づいていた。
胴へ巻きつき、力を込めてぎゅっと抱きついてくる腕に、髪を掻き分け耳の裏側へ迫らんばかりの鼻先に、全身が拒否反応の悲鳴を上げる。すーっと、吸い上げる音が具体的に聞こえて来て、みるみるうちに鳥肌が広がっていた。
ぺろりと、耳裏に舌先が触れてきて、少しばかりの唾液が付着した瞬間、あまりの気持ち悪さに涙さえ溢れていた。
しばらく、声が出なかった。
恐怖で、嫌悪感で、体中が強張って、喉から何も絞り出せない。声も出ないまま全身を震わせて、鳥肌だけを広げていった。もう片方の耳裏まで舐められて、ぞわぞわとした感覚は余計に広がり、まるで肌が泡立つようだった。
「やめて…………」
やっと出てきた声はそれだった。
「ん? どうしたの?」
「やめて……お願い…………」
「どうして、そんなことを言うのかな?」
「だって……い、嫌……だから…………」
その瞬間、空気が止まった。
急に呼吸の音も聞こえず、しんと静寂が広がっていた。背中に当たる感触の、肺が膨らむことでの密着度合いの変化だけが、男の呼吸を唯一感じさせてくる。
空気が冷たい。
寒いはずなどない気温で、それなのに急激に冷え込んできたような、氷結の空気に体の芯まで冷え込んでいく。視線が鋭く突き刺さり、何か針でも当たっていて、うなじが痛いような気にさえなっていた。
沈黙が続く。
「…………」
「…………」
お互いがお互いに、じっと口を閉ざしている。
いつまで続くとも知れない静寂で、ニィロウは肩を小さく縮めていた。肌寒さと緊張だけを感じて、時間でも止まったような空気の中で、この時だけは恐怖も何もかも、全ての感情を忘れていた。
ただ縮まり、固まっていた。
その時である。
「ニィロウちゃん!」
男は急にニィロウのことを押し倒した。
「いっ……!」
その激しさに背中と頭を床にぶつけて、一瞬の痛みに呻くが、そんな痛みなど直後にはどうでもよくなっていた。自分のことを押し倒し、覆い被さってくる男の、あまりにも醜い相貌を目にした時、呼吸すら忘れそうな恐怖に囚われていた。
おぞましい顔だった。
顔の良し悪しという話では済まない、ただでさえ脂肪をたっぷりと含んだふくよかな頬の、荒れきった肌を歪めて、唇からヨダレをたっぷりと垂らしている。滲み出る唾液が唇に光沢を与え、端まで光らせ、あまつさえぽたりと一滴、ニィロウの頬へと垂れてくるのだ。
「やだ……」
自然と出て来る一声は、つい先ほどの『嫌』とは異なっていた。気持ち悪く感じたことは同じでも、先ほどはやめて欲しい行為に対して嫌だと言った。その行為さえやめてくれれば、その時は良かったのだが、今ここで出て来た『やだ』は、目の前の人物そのものへの、人に対する拒絶感だった。
生まれて初めてである。
他人に対する大きな拒否感で、体中が凍りついたり、鳥肌が立ったり、怖気の走るような体験をして、さらには拒否反応までしてくるなど、ニィロウにとってはかつてない経験だ。自分が人に対してこんな感情を抱くのかと、そこに驚く気持ちをほんの僅かに、そしてそれ以上の戦慄や嫌悪感を表情に浮かべていた。
「やだ……やだ…………」
肌に何か、ぶつぶつしたものは吹き出ている。脂汗が滲み出て、清潔感がほとんどない。人を視姦しているいやらしい目つきに、目の前の人物そのものを嫌がる気持ちでいっぱいになっていた。
「……なんで?」
そして肥満男は疑問を浮かべる。
「やだ……」
「なんで……ぼ、僕はね……ニィロウちゃんのファンで、だ、だ、大好きっ、だから……一緒にいたくて、それで……それでやったんだよ……?」
その言葉に、ニィロウはますます凍りついていた。
「もしかして……!」
ニィロウは今まで、疑いすらしていなかった。
そもそも、最初に人の気配に気づいた時は、自分がどうしてここにいるのか、疑問に答えてもらった上で、縄までほどいてもらおうと考えていた。男の存在を、たまたまその場に居合わせただけのように捉えていたのだ。
そのニィロウが今になって真相を悟った。こんなところで目を覚ましたのも、何かの方法で気を失わされたからだと確信していた。
「許せないな……」
「や……!」
両手に頬を包まれて、ニィロウは戦慄で固まった。
「許せない……こんなに応援してて、こんなに大好きなのに……だから一緒に過ごす時間を作ろうと努力したのに……!」
異常だった。
肥満男にしてみれば、さも自分の熱意を伝える努力をして、ファンとしてニィロウを喜ばせようとした行動なのだ。監禁などして、それを喜ぶ人間などいないはずだが、それを努力の証拠と思い込み、異常な正当化を行っていた。
どうしてわかってくれないのか。
そんな怒りが肥満男の顔に滲み出ている。
「でも、いいよ?」
ところが、怒っていたかと思いきや、突如として表情を切り替えて、ニコっと微笑みかけてくるのだ。
「え…………」
「ニィロウちゃんはとっても良い子だから、僕が一生懸命に愛してあげれば、きっとわかってもらえるんだよね。さあ、僕の愛情を受け取ってごらん?」
肥満男はニィロウの肌を舐め始めた。
「……ひっ! いや!」
汗ばんだ皮膚の味を確かめようと、頬に舌を走らせて、こぼれ出た涙を見れば、それもまた舐め取っていく。さらに首筋に吸いついて、ちゅーちゅーと歯を立てながら、皮膚に痕跡を残そうとまでしているのだ。
「やめて! やめてってば!」
ニィロウは叫んだ。
拒否反応はもはや頂点に達しており、腕さえ自由ならとっくに押し退けているはずだった。縄で後ろ手に縛られているせいで、自由にならない腕の代わりに、両足だけを使って暴れ回って、膝を何度も肥満男の脇腹にぶつけていた。
だが、彼は意に介さない。
「いいんだよ? 最初はわかってくれなくても、そのうちわかってもらえるんだもん」
肥満男は胸に手をつけ揉み始める。
「だ、だめ! 駄目だってば!」
「大丈夫だよ? 大丈夫」
乳房に触らないで欲しいという、あまりにも当然の主張もまた、彼の中では都合良く変換されている。ニィロウがこんな風に自分を拒むのは、まだ熱意を受け止める準備が出来ていないからであり、必ず気持ちをわかってもらえるように思い込んでいる。
ニィロウは先ほどから、その異常な思い込みをひしひしと感じていた。
「ち、違うよ? 私は本当に嫌だと思ってるんだよ? 今のうちにやめよう? これは悪いことだよ?」
実に必死であった。
それは命乞いの心境といえばその通りだが、この後に及んでもニィロウは、道徳的なことを説くことで、これはやってはいけないことだと、わかってもらおうとしているのだ。
届くはずもなく、肥満男は肌への陵辱を繰り返す。
首筋を吸うだけ吸って、皮膚に歯を押し当てた際にできる痕跡を残した後、もう片方の側にもまた吸いつく。同じく痕跡を残した後、それを癒やしでもするように、ベロベロと舐め回しては唾液を擦り込んでいた。
「やだ……やめてってば…………」
「はぁ……はぁ……ニィロウちゃん……!」
「どうしたらやめてくれるの? こんなの、悪いことだよ?」
「ニィロウちゃん。心配いらないよ? 僕の情熱は必ず君に伝わるんだから」
衣装の上から胸を揉む。
乳房を揉まれて、ニィロウはますますの嫌悪感に引き攣っていた。
「やっ、やだってば……」
「ニィロウちゃん……!」
さらには布をずらし上げていた。少しばかり露出度の高い、腰を出し切ったその衣装は、元より胸部しか覆っていない。それをずらせばすぐにぷるっと、瑞々しいお椀サイズの乳房があらわとなった。
「いや! いやいや!」
ニィロウは改めて暴れていた。
胸を見られてしまった羞恥心と、このままではどこまでされてしまうかもわからない危機感で、ニィロウは激しく体をくねり動かす。髪を一心不乱に振り乱し、脚も乱暴に暴れさせ、また膝が肥満男の胴に何度もぶつかっていた。
「駄目だよ? そんなに暴れたって、ニィロウちゃんは僕の思いを受け取るんだ」
肥満男は乳房を揉む。
今度は衣服の上からではない、肌に直接指の食い込む感触に、ニィロウの目尻は涙を大きく膨らませる。清らかな滴で筋を作って、訴えかけんばかりの目を向けても、肥満男はなお止まる様子がない。
「ちゅぱっ、ちゅぶりゅぅぅ――」
止まるどころか、乳房にまで吸いついていた。
「いやぁ……!」
唇が触れ、唾液が皮膚に染み込む感触が、今度は胸にまでやって来たのだ。肥満男は口内に先端を含んでチュパチュパと、吸引力で音を鳴らして、さらには舌先を振り動かす。乳首が嬲られ、こんな状況でも生まれる刺激に、しかし死に物狂いのニィロウは気づかない。
快楽など自覚する暇もなく、ニィロウはやはりジタバタと暴れていた。
たとえ後ろ手に縛られていようとも、できうる限りの暴れようで、せめてこの先のことだけはさせないように必死であった。人の悪意に無縁で生きて、純粋無垢に育ったニィロウでも、性的な知識は揃っており、このまま続けば処女すら奪われることへの危機感で、自由な両足だけでも暴れさせているのだった。
片方の足首だけを柱に繋いであるだけの、ほとんど自由な両足だけは、そうやって暴れることができるのだった。
そしていくら暴れても、肥満男は止まらなかった。
「大丈夫だよ? 大丈夫だからね?」
肥満男の優しい声は、怖がる子供を慰めて、落ち着かせようとするものと似ている。親が小さな子を愛するような、いかにも優しい眼差しの中に、下劣な欲望をそれでも宿し、肥満男はスカートの中へ手を入れる。
「だめ! それだけは!」
「大丈夫、大丈夫」
声はあくまで優しかった。
怖がらなくても大丈夫だと言い聞かせ、優しくしようとする声で、肥満男は下着を脱がそうとしているのだ。もうそこまでくれば、肉棒の挿入を狙っていることなど明白で、ニィロウの暴れようはますますのものとなっていた。
脱がされまいとするニィロウと、時間をかけてでも脱がそうとする肥満男の格闘が展開され、白い下着は徐々に股から遠ざかる。床と尻のあいだから引っ張り出され、ジタバタと暴れる脚の、脱がせにくくてたまらない太ももから、それでも少しずつ引き下げる。
いくら時間がかかっても、最後には脱がせきり、そして肥満男自身もズボンを脱ぎ散らかしていた。
「やぁぁ……!」
もちろん暴れ続けた。
一心不乱に脚を振り回し、無我夢中になるうちに、肥満男の身体を何度も蹴った。自分が何回相手を蹴っているかもわからずに、挿入だけは阻止したい一心で、下半身を暴走させていたと言ってもいい。
それだけの暴れようでも、肥満男は手こずっただけだった。
だけと言っても、それ相応の時間がかかることにはなるのだが、暴れる脚と格闘して、腕力の中に抑え込み、やっとのことで亀頭をワレメに押し当てる頃には、あとはそのまま腰を押し込むだけとなっていた。
ずにゅぅぅぅぅ………………。
そして、入った。
「そん……な…………」
ニィロウが絶望さえ浮かべる前で、逆に肥満男は希望に満ち溢れた顔をしていた。
「あぁ、なんて気持ちいいんだ!」
「なんで……なんでこんなこと……」
「ありがとうニィロウちゃん!」
「なんで……!」
「やっとわかってくれたんだね? だから僕を気持ち良くしてくれるんだね?」
「ちがう! そんなのちがう! もうやめて!」
「今度は僕がニィロウちゃんを気持ち良くするからね?」
「いや……いやぁ……!」
全ての声が届いていない。
肥満男に見えているのは、きっと自分の妄想が生み出した世界観で、その瞳には都合の良い景色しか映っていない。声が耳には入っても、頭の中には届いていない。仮に頭が言葉を受け止めても、それは都合良く変換されるに過ぎなかった。
「いくよ? ニィロウちゃん」
ついに肥満男は動き出す。
弓なりに腰を引き、一瞬にして置くを貫くように押し込んで、また弓なりに引いていく。その打ち込みを延々と繰り返し、彼にとっては人生初となるピストンは、しだいしだいに熟れたものへと変化していく。
そして肥満男がいくら慣れても、初体験のニィロウにとって、初の性交は気持ちいいものになどならなかった。
「うっ、ぐぅ……ぐぅぅ…………」
苦しそうな声を出し、苦しそうな顔をする。
「あぁっ、感じてるんだね? 気持ちいいんだね?」
だが、肥満男に見えているのは、現実とはまるで異なる表情だ。彼の頭の中では、ニィロウが快楽に喘いでいることになっていた。
「んぅぐぅぅ……いやぁ…………」
どんなに苦しそうなはずの姿も、全てが都合良く変換されていた。
「はぁ……! ニィロウちゃん……! ニィロウちゃん!」
腰振りは激しくなる。
身体に揺さぶりをかけ、乳房を上下に揺らすピストンで、その柔らかな膨らみはぷるぷると瑞々しく弾んでいる。苦悶の表情で顔中に脂汗を噴き出しながら、髪を振り乱して喘いでいるが、肥満男が思い込んでいる通りの快楽など、そこに存在などしていない。
そんなニィロウに対して、肥満男は唇を奪った。
「ちゅー! チューしようね! チュー!」
そんなことを言って唇に食らいつき、頬張り始めた。
「んんんん!」
拒否感からの悲鳴も、他ならぬニィロウ自身が抑えている。キスを反射的に拒もうと、唇をぎゅっと閉じ合わせるので、その隙間から漏れ出る声しか上がっていない。そして肥満男はニィロウの拒絶など関係無しに、好き放題に舌と唾液を駆使して穢していた。
好きなように頬張って、舌でベロベロと唾液を塗りつける。ニィロウの唇は肥満男の汚い唾液で濡れていき、その一方で腰も動き続けているために、ニィロウの浮かべる表情はもはや壮絶なものですらあった。
やがて膣内に生温かいものが放出される。
「はぁ……出ちゃった……でも、いいよね……僕とニィロウちゃんの絆の結晶なら…………」
ニィロウの意識は暗く遠のく。
何故だか急に意識が混濁して、まぶたが落ちてしまうのは、最初に嗅がされた睡眠薬の成分が残っていて、その影響が出て来たせいだ。
眠ってしまう直前のニィロウは、死ぬわけでもないのに走馬灯を見た。
今までの、楽しく輝いていた日常がまぶたの内側を流れていって、そのあまりの懐かしさに涙をこぼす。
*
数日後、彼は捕まった。
スメール人なら誰もが知るような有名人が行方を眩まし、ステージに姿を見せることがなくなれば、当然のように騒ぎになる。行方不明であることなど、たちまち町中に広がって、大捜索まで始まっていた。
家に帰った様子がないせいで、もう翌朝には噂が流れ、昼頃には行方不明のニュースが広まるだけ広まりきり、捜索には関わりのない人々も、それぞれニィロウの安否を案じていた。
そして、ついに肥満男の姿が発見された時、彼が捕縛されたことなど言うまでもない。
男は捕まり、ニィロウは保護されて、行方不明に関しては解決するが、その最中に起こったことは、もう過去は取り消せない。見知らぬ男に犯されて、その恐怖で心も体も穢された彼女は、それから二度とステージに姿を見せることはないのだった。