第3話 ローターデート

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 その数日後、健太は待ち合わせの場所に立つ。
 唯華と会うのが楽しみで、ウキウキとしながら広場の像を背にしつつ、さりげなくキョロキョロと周囲を見渡している。人々の行き交う雑踏から、今に唯華が現れて来ないかと、そわそわしつつある感覚は、傍から見れば思春期の少年そのものだろう。
 しかし、健太の抱く感情は、デートを前にドキドキしている純情な少年と評するには、実に歪なものを抱えている。
 奴隷の登場が楽しみなのだ。
 ペンでクマの絵を描かせ、わざと不合格を言い渡し、何度でもやり直させる快感を味わっていたように、今日の遊びが楽しみでならない気持ちによってこそ、健太はそわそわしているのだ。
 少しでも早く彼女に会いたい。
 そんなありふれたものではなく、命令通りの服装をした唯華の登場こそを待ち侘びている。

「……お待たせ」

 現れた唯華は、扇情的な服装をしていた。
 かといって、その露出度が常識を逸脱しているわけではなく、ヘソ出しのシャツは季節的にも涼しすぎることはない。胸元の開け具合で鎖骨こそ見せてはいるが、下着まで見えているわけでもない。
 丈の短めなスカートも、太ももを丸出しというよりは、あともう少しだけ丈を長くすることで、際どいながらもセクシーなファッションの範疇に収まっている。
 露出狂の格好をして来いとは言っていないが、セクシーな服装で来いとは言った健太にとって、実にちょうど良い具合の色気が出ているのだ。
「やっ、待ってたよ。お姉ちゃん」
「い、行こう。健太」
 顔を合わせるなり、早速のように二人一緒に歩き始める。
 傍目には姉弟に見えるだろうことを意識して、その時だけはそういう設定を装って、姉らしくタメ口を使ってもらっている。
 主従関係を表向きには隠しているのだ。
 脅しのような手口を使い、無理に従わせているなどと、わざわざ周りに知らしめたいはずもなく、もしも唯華といる最中にクラスメイトにでも会ったりしたら、その時のための説明も頭の中には用意していた。
 見知らぬ他人に対しては姉弟で通すとして、クラスメイトには後でバレかねない嘘は避け、半分以上は真実を語る。実際の姉に頼んでかつて唯華と会わせてもらい、バドミントンの教えを請うたのをきっかけに、さも姉弟のような仲になったと、脚色を織り交ぜるつもりでいた。
 遥か年下の奴隷となっている事実など、唯華としても知られたくはないだろう。そう言っておけば、唯華も勝手に合わせてくるはずだ。
 ともかく、今日の予定はデートである。
 ただのデートではなく、ご主人様が奴隷に面白いことをやらせて、それを楽しむ遊びを交えてのデートである。
「で、お姉ちゃん」
 駅近くの高層ビルへ向かう途中、その道のりで健太は尋ねる。
「どうしたの?」
「服、ちゃんとしてる? 中身とか」
「ああ、もちろん。でも、こんなところで確認なんてしないよね」
 そうされては困るかのように、チラチラとした視線で健太の顔色を窺ってくる。
「うーん。どうしよっかなー」
 ノーパン、ノーブラで来るように言い渡してあるのだ。
 その上でシャツも白を選んでもらい、透けやすい色を凝視さえしていれば、黒ずんだ乳首を確認できないこともない。微妙に厚めで、英字プリントの入ったものを着てくるなど、姑息な手段で隠そうとしているようだが、見たところプリントと乳首の位置は重なっていないため、だから乳輪の円が薄らとしたグレーとなって確認できる。
 唯華は周囲を気にしていた。
 いつ誰にバレないものかと、常に焦り続けているような、不安でならない面持ちで視線を泳がせ、ぎこちなく笑顔を装っている。あまり不自然だとかえって注目され、そのために気づかれかねないのは、頭ではわかっているのだろう。
 その気持ちは健太も同じだ。
(大丈夫だよな……)
 自分で命じておきつつだが、健太としてもいつバレないものかとドキドキしている。自分が悪いことをしているのでも、自分自身が似たような羞恥を味わっているわけでもないが、それでも周りの視線が気になっていた。
 唯華のノーブラが誰かにバレて、殊更に注目される状況を想像すると、怖いような見たいような、不安と欲望が表裏一体となった感情が浮かんでくる。
 バレて欲しいけれど、バレて欲しくない。
 どちらつかずというよりは、コインの表裏のようにして、それで一つの感情なのかもしれなかった。
 デートプランはいたってシンプルで、適当に店を見て回り、少し歩いたら休憩して、また次の場所へ向かってと、特に綿密にはしていない。その時、たまたま行きたい店を見かけたら、予定になくても行ってみるようなつもりで、あえて大雑把に考えていた。
 書店を巡り、一緒に眺める。
 雑貨を、洋服を、様々なものを眺め歩いて、買ってみるでもなく次の店へと移っていく。そのうち、ベンチを見つけて腰を休めて、隣同士で座って過ごすあいだにあるものは、決して仲良しらしい空気感ではなかった。
 当たり前といえば当たり前だが、親しい間柄の感覚で会話が弾み、盛り上がるといったことはない。
(ま、知り合いなんて意外と会うことはないし)
 だから、そう深くは気にしていないが、クラスメイトに会った際の誤魔化しに支障は出ないかという気持ちがありはした。
(おっと、そろそろいっちゃおっか)
「お姉ちゃん」
 満面の笑みで、健太は告げる。

「次、アダルトショップ――」

     *

 志波姫唯華は足を竦ませ、今にも逃げ帰りたい思いに駆られていた。
 ビルを出て、町中をしばらく歩いたところにあるのは、大きく『18禁』と書かれた紙を貼りつけて、年齢制限をアピールしている店だった。ネット検索で見つけた地元の店は、避妊具は言うまでもなく、ピンクローターやディルドから、首輪や鞭といったSMグッズにコスプレ用の衣装まで、プレイに使うものなら何でも揃えた店だ。
 AVなども扱っている。
 店の利用者の目当てなど、言うまでもない空間がそこにある。
 肩越しに振り向けば、健太は電柱の近くでスマートフォンの画面を眺め、SNSか何かをやっているフリをしていた。スマートフォンを高い位置に握り締め、画面を見るフリをしながら、そのまま唯華の様子を見守ることが可能な角度で、きちんと店に入るかどうかを監視していた。
 目が合うと、顔で告げてくる。
「さっさと行けよ」
 と、声にこそ出てこなくても、そういう意図がはっきりと伝わって来る。
 唯華は店の入り口に向き直り、いざ一歩前へ出た瞬間、まるで先回りするようなタイミングで、一人の中年が入って行くのを見てしまった。さらにはそれと入れ替わりに青年が店から出て来て、唯華にチラっとした視線を送りつつ、どこかへと歩み去っていた。
 そのチラっとした視線には、どうして女がこんな店の前にいるのかと、不思議がる目つきに感じられた。
(あんまり、普通ではないんだね……)
 やはり、入りにくい。
 アダルトショップである以上、そういうことを考える男が出入りしている。そこに女が入り込めば、一体どんな目で見られるか。意外と気にせずにいてくれる男も多いだろうが、そうではない、痴漢やらセクハラ、ナンパをする男がその場にいたら、良いことは起こらないはずなのだ。
 そこの姉ちゃん、興味あるわけ?
 といった具合にニヤニヤと、好奇心たっぷりの眼差しで、性的な言葉を投げかけてくるかもしれない。道端の女性に急に抱きつくとったニュースを一度は見たことがある中で、それらしいことの起きやすい空間へと、わざわざ自分から踏み込むのだ。
 その気持ちは決して穏やかなものではない。
 自然と表情は暗くなり、いかにも惨めな気持ちで唯華は進む。
 出入り口に近づくことで、陳列棚に飾られたポスターやアダルトグッズが目に入り、かつてレンタルショップのアダルトコーナーでAVの物色をした思い出が蘇る。境界線の向こうには別世界が広がっていて、未知の空間に踏み込むことを躊躇うような、恐れに近い感情で、進んで行く足の動きは明らかに鈍っていた。
 しかし、どんなに躊躇いに満ちた足取りで、重々しく歩いていようと、進んでいる以上は必ず辿り着いてしまう。元々、そう何歩もない距離に立っていたために、唯華の足はあっさりと境界線に辿り着き、そしてアダルトの空間へと入り込む。
(また……来ちゃった……)
 唯華はみるみるうちに赤らんで、耳を染めつつも俯いていた。
(注目されないといいけど……)
 その願いは実に切実だった。
 特別な注目はされたくない、目立つことなく空気のように扱って欲しい。その願望が巨大なまでに膨らむ理由は、単に女の身でアダルトショップにいるからという、それだけの理由ではなかった。
 ノーパン、ノーブラという理由もある。
 白いシャツから黒ずんだ乳首が透け、目を凝らせばブラジャー無しとわかる態も、人の視線を少しでも避けたい心理を加速している。
 だが、下着を身に着けていない状態は、家を出たその時からだ。乳首に人の視線が来たらどうしようと、気が気でないのは最初からだ。もちろん、その上でアダルトショップに入るのは、羞恥心の増幅に大きく関わっているものの、まだ他にも理由はあった。
 人の視線を浴びたくない、より巨大な理由が今の唯華にはあった。

 ブィィィィィィ…………!

 リモコン式のローターが膣の中で振動している。
(やだ……音が……!)
 最悪なことに、静音式ではなかった。
 ここに来ると決まった時、入れておけと命じられ、手渡された卵形のアダルトグッズが膣内で震えている。音が漏れやすいおかげで、静かな店内では駆動音が響いており、他の客の姿が視界に入ってくるたびに、この音で振り向いたり、唯華に注目をしてこないかと、本当の本当に気が気でない。
 いかにも落ち着かない、全身がそわそわとした状態で、唯華は店内を歩いていた。
 ここで商品の購入を命じられているために、だから陳列棚から選ぶべきものを選び出し、それをレジに持っていかなくてはいけないのだ。
 健太が命じてきた内容はこうだった。
「コンドーム、買ってきてよ」
 避妊具を買うということは、まさかとは思うが、そういうことを考えているのではないか。不思議とそれはしてこなかった健太が、とうとう本番行為について考え始め、最後までしてやろうという目論見を抱き始めたのか。
 そんな恐れが胸に漂い、だから唯華は躊躇っていた。
(それを買っちゃうの? 自分の手で?)
 自分の処女を破るためのゴムを、わざわざこの手で買うというのだろうか。その迷いや葛藤がありながら、唯華はこうして店の中に入っているのだ。
 自分でもおかしいとは思いつつ、店内の陳列棚から目的の商品を探している。

 ブィィィィィィィ………………。

 駆動音を振りまきながら店内を歩くのさえ、唯華には恥ずかしくて辛すぎる。いつバレるとも知れない状況で、しかも避妊具をこの手で買うなど、一体どこまで貶められればいいのか、いよいよわからなくなってきた。
 ふざけた芸を散々やらされ、つい先日も肛門のペンでお絵かきなどという真似をして、それでもなお、まだ唯華の尊厳を削り取るためのネタが残しているのだ。
(本当に……いつまで、どこまで言うことなんか聞いて…………)
 従っている自分自身に対する馬鹿馬鹿しさについては、つくづく思っているものの、唯華はコンドームの棚を見つけると、そこに手を伸ばしてしまう。そういえばサイズが解らず、直径はどれがいいのか迷ったが、ゴムである以上は融通が利くはずと、無難にMサイズの箱を手に取った。
 成長期でこれから伸びる可能性はあれども、今のところの健太は唯華よりも背が低い。ならば肝心な部分の大きさも、平均的なサイズなど知りはしないが、まさか極太ということはないはずだ。
 レジへ向かって行く最中、一人の男とすれ違う。

 ブィィィィィィィ…………。

 きっと、駆動音に気づいたのだ。
「うん?」
 すれ違いざま、男は唯華に反応を示していた。
 それは単に女がいることを不思議がっているだけではない、もっと別の何かに対するものを含んだ――つまりは、何かの振動している音に気づいての、首を傾げた表情なのだった。
(バレ……た……?)
 心が冷える。
 男は何も言ってこない、して来ない。
 見知らぬ他人の事情には踏み込まない、しかし心の中では微妙に気にかけているという、いたって普通の反応を男はしているはずだった。その気づかれてしまった可能性に、ドキリとした感覚が胸に走って、心臓が今にも破裂しそうであった。
(大丈夫……大丈夫……)
 唯華は自分に言い聞かせる。
 こんなことが、一体なんだというのか。
 高校時代、過酷な練習で立つこともできないほどに疲れた時の方が、たかだか恥ずかしい秘密を知られたよりも辛かった。まして、本当に気づかれているとは限らない。唯華の思い過ごしであり、あくまで女の存在を珍しがっただけかもしれないのだ。
(気にしちゃ駄目……気にしちゃ駄目……)
 そんな風に心で唱え、気に病んでならない気持ちを精神の外へと締め出そうとしてみるも、それ自体がかえって気にしている証拠となる。気にしない、気にしないと、そういった意識を持てば持つほど、むしろそのことで頭で膨らみ、脳裏から離れなくなっていた。
 バレたかもしれない。
 気づかれた上、なんだこの変態女は、何かのプレイか、とでも思われたかもしれない。
 あらぬ想像すら浮かんでしまう、もうこうなったら「ぬがー!」と、大きな声で叫んで壁に頭でも打ちつけたい。
 そういった感情にさえ駆られながらも、唯華はレジへと辿り着く。

 ブィィィィィ…………。

 と、ローターが震えているせいで、その音が聞こえていないか不安でならないまま、唯華はレジにコンドームを置いていた。
(やだ……声、出ないように……)
 唯華は歯を食い縛る。
 店員の男は黙々とレジ打ちの作業を行い、そして唯華も現金での支払いを行って、おつりを受け取る。その一連の流れの中で、唯華は内股気味となり、太ももをきつく締め合わせたいかのようになっていた。
 ローターが気持ちいいのだ。
 愛液などとっくに分泌されており、ただ表皮が汗ばむような濡れ方で済んでいるから、言うなればオシッコが漏れそうな危機感といったものには駆られていない。人前で床を汚してしまう可能性についての心配こそしていないが、濡れていること自体はやはり気にして、唯華はついに太ももをぎゅっと擦り合わせる。
 我慢のため、そうすれば少しは音や振動を抑え、堪えやすくなるのではと思ったための行動だった。
 精算を済ませるあいだだけでいい。
 我慢を強めることで、店員とやり取りを行う一瞬だけでいいから、恥辱や快楽が表情に浮き出た状態を隠したかった。
 紙袋に入った箱を受け取り、唯華はすぐさま店員に背を向ける。
 その瞬間だった。

 ブィィィィィ!

 音が大きくなった。
「やっ…………」
 思わず悲鳴を上げそうになり、唯華は慌ててそれを噛み殺す。叫んだり、大きな声を出してしまえば、余計に目立つと即座に気づき、咄嗟の判断で歯を食い縛っていた。
 しかし、それでも音が大きければ、周りに必ず伝わってしまう。
「ローター……」
 後ろから、小さな呟きが届いて来た。
 小さな小さな、驚きのあまり無意識に呟いてしまっている声が、唯華の耳まで届いていた。
(バレた……!)
 もうたまらない。
 買い物を済ませた以上、もうここに用はないと、唯華は途端に足を早めた。小走り気味に出て行って、少しでも早く店員から離れようとしたものの、店を出たなら通行人が視界に飛び込む。
「やだ……外も……」
 当たり前の話であった。
 アソコから大きな駆動音を出した状態では、すぐ近くを通りかかった人達は、その音を気にしてチラリと唯華を向いてくる。ちょうど店を出た直後の、唯華の目の前を通り過ぎていった一人のサラリーマンは、微妙にぎょっとした顔をしていた。
 きっと、気づいたのだ。
 バレてしまった恥ずかしさで、休息に顔は赤らみ、そしてサラリーマンの通りすがった向こうから、電柱で待ち侘びていた健太の姿が目に入る。
 買い物は終わった。
 だが唯華には、まだデートの続きが残っているのだ。