第3話 監禁接吻

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 どうにか作戦ポイントまで誘い込み、仲間に狙撃させようとしているヴィーヴル女に対し、フィアメッタは柱という柱を撃ってくる。
 いたるところから破砕の煙が上がっていた。
 高台に上がっていた狙撃手は、柱が倒れきる前に、たまらず飛び降り逃げ出していく。裏側に隠れていた伏兵も、衝撃波を恐れて慌てふためき駆けていく。たった一人を相手にして、制圧ポイントに誘い込んだはずなのに、さながら無差別破壊でもしてくるような兵器の闊歩に誰もが気圧されている状況だった。
「ま、まずいわね……」
 ヴィーヴル女はフィアメッタから遠く離れ、気配を薄めるアーツで身を隠していた。見つからないように柱へ上り、周囲一帯を見渡せば、もう何本の柱が破壊され、倒れているかは数え切れない。
 ぽつりぽつりと、いたるところに粉塵が巻き上がっての煙があった。
「引くべきかしら」
 無線からの連絡では、今のところ負傷者は出ていない。
 まだ傷の浅いうちに撤退して、大人しく諦めた方が身のためではないかと本気で思い始めていたが、ヴィーヴル女はそこで自分の一番の取り柄を思い出す。
「そうよ。私が撃てばいいじゃない」
 以前は医者を目指していたが、街道で物資を奪う賊の行動に踏み切ってからは、ボウガンや銃器型のアーツユニットなどで、射撃の練習を重ねてきた。素人がどうにかものにした程度の、軍人やプロの狙撃手に比べれば遊びに過ぎない精度だが、距離さえ詰めれば当てることは容易である。
 何人かに囮をやらせ、隙を窺い狙い撃つ。
 成功すれば確実だが、失敗すれば仲間がやられる。
「元々、ただの欲望でしょう?」
 食料、衣料品、医薬品と違って、フィアメッタの身柄は生活には関わらない。むしろ、女を手に入れることにより、口減らしならぬ口増やしとなってしまう。
「まあ、でも。欲しいわよね」
 男の数を考えれば、女体もまた物資である。
 やはり、手に入れておきたい。
 ここまでやってきた以上、たとえ欲望のためであっても、今更引くよりリスクを取った。ヴィーヴル女は仲間に無線で連絡を入れ、何人かに囮役を命じつつ、自分は狙撃ポイントに向かって行く。
 その狙撃ポイントが次から次へと破壊されており、フィアメッタの周囲からは徐々に遮蔽物が減っている。高台が減っている。柱の倒れた残骸が積み上がり、煙で視界すら制約されている中、普通の狙撃よりもさらに接近が求められた。
 ふとした拍子に振り向かれ、自分のいる方向を撃たれては、もはや逃げられない。
 そのリスクに冷や汗を噴き出しつつ、フィアメッタの背後にまで回り込み、煙の中を進んで接近する。
 背中が見えた。
 それも、ちょうど良く囮に目を向け、そちらに銃口を向けようとしている最中の、隙だらけの後ろ姿だ。気配を薄めるアーツのおかげで、今のフィアメッタは後ろに人がいるなど夢にも思っていないはずだった。
 ここしかない。
 ヴィーヴル女は引き金を引き、その麻酔薬を命中させた。

 …………
 ……

 頭が痛い。
 いや、背中にも痛みがある。
 フィアメッタがまず感じたのは鈍痛だった。自分がどうしてここにいて、何故この場所で目覚めたのか。そういったことには、まだ意識がいくことはない。深いまどろみの中から覚醒しつつ、頭の中には重い何かが漂って、脳の働きが異常に鈍い。
 だから、しばらくは額に手を当て、フィアメッタはどんよりとした頭の重さと、そこに加えての鈍痛と戦っていた。
 自分がベッドで仰向けになり、見知らぬ部屋の中で目を覚ましたと、そんなことにさえようやく気づく。
「どこなの……?」
 フィアメッタはまず、思い出そうとした。
 ここで目を覚ます前、自分は一体どこで何をしていたか。思い出そうとしてみても、脳に絡みつく重くどんよりとした感覚で、上手く頭が回らない。ちょっとしたことを思い出すにも時間がかかり、フィアメッタはやっとのことで気を失う直前の記憶を取り戻す。
「そうだ……私は……!」
 あのヴィーヴル女を追いかけて、狙撃ポイントを潰すべくして周囲を破壊していた時、急に背中に痛みを感じたところで意識は途切れた。おそらく、あの時に誰かに撃たれ、気を失った後、ここに連れて来られたのだ。
「それでこの格好って……」
 寝ているあいだに、服を脱がされていたらしい。
 下着姿のフィアメッタは、手足が拘束されているわけではないと気づいて、ひとまず身体を起こしてみる。上半身を起こしただけで、頭に漂うどんよりとした重さが悪化して、くらっとする感覚に思わず倒れたくなってしまう。
「立たなきゃ……駄目よ……」
 自分に言い聞かせてみるものの、あまりにも体が怠い。
 ここが敵地であり、できれば脱出する必要があるとわかっていながら、それでもなお身動きを取りたくない。それほどまでに、体中を満たす怠さは酷い。
「おはよう」
「!」
 フィアメッタは大いに驚いていた。
 それはすぐ隣からの声であり、つまり自分は今の今まで、すぐそこに人がいることにさえ気づいていなかったのだ。
「だ、誰……」
 徐々に頭が晴れ始める。
 もう少し我慢していれば、立って歩く程度の元気は出るはずだ。
「私が誰だっていいでしょう? フィアメッタ」
 ヴィーヴル女に名前を呼ばれ、背筋に寒気が走った。
 見ればその容姿そのものは可憐であり、庇護良くさえもそそられる顔立ちで、上目遣いでも向けられれば、誰もが彼女を甘やかしたくなるだろう。
 だが、連れ去られている身としては、残念ながらそんな感情は湧いてこない。
「気持ち悪いわね。一方的に知られているなんて」
 それが今の率直な気持ちであった。
「私は何者でもないし、名前なんて意味がないわ。感染者には戸籍もなくて、いる人数が番号で管理されてるくらいだもの。だから私の名前は数字よ? まあ、何番かには興味ないけど」
「あなたの事情を聞かされても、私に解決なんで出来るわけないでしょう?」
「もちろん、そんな目的じゃないわ。協力者が欲しいなら、こんな方法は取らないもの」
「なら、どういうことよ」
「気づいているでしょう? 私があなたのお尻を触った犯人なの。で、痴漢の犯人が気に入った獲物を拉致して、ここまで連れてきたっていうわけだもの。おわかりでしょう?」
「気持ち悪いわね。そういう目的なの?」
「そうよ? 男連中もあなたのことを欲しがるけど、しばらくは手出しさせないわ。向こうしばらくは私が独占するから、そのつもりでいてね?」
「ますます気持ち悪いわ」
「そんなに言うなら、男の人に来てもらう? たぶん、複数人で穴という穴を使うだろうし、すぐに肛門までガバガバになると思うけど、私一人の相手をするのとどっちがいい?」
 あからさまな選択肢を突きつけられれば、嫌でもマシな方を取るしかない。
 下着姿のフィアメッタに、言うまでもなく武器などなく、鈍痛や体の怠さこそ晴れつつあるものの、手足には妙な違和感があった。腕を持ち上げたり、足を動かしたり、たったそれだけのことにいつもより労力がかかっているような、そんな違和感だった。
「……好きにしなさい」
 いかにも不満そうに、憤りを帯びた表情で、フィアメッタはべったりとベッドに倒れ込み、仰向けとなって天井を眺めていた。
 本当に、最悪だった。
 こんなヘマをするなどとは思っていなかった。
 今頃、爆発した車と、姿の見えない自分のことを思って、モスティマはどうしている頃だろう。爆発のあった場所が場所だけに、検問所から憲兵も飛び出て来ているはずなので、事件があったこと自体は既に知れているはずである。
 企業が招いた客人が行方不明。
 といったことになれば、国としては体面が悪い。
 捜索は行われるはずで、ならばいずれ助けがあることを信じて、今は待っているしかない。
(最悪……本当に最悪……)
 モスティマには迷惑をかけてしまった。
 だが、いくら後悔してみたところで、もう時間は戻せないのだ。

     *

 嬉しそうにベッドへ上がり、上からフィアメッタのことを見下ろしてくるヴィーヴル女は、自身も下着姿となっていた。
「綺麗ね……」
 人の顔に見惚れてくる。
「そう」
 そんなヴィーヴル女に対して、フィアメッタはそっけなく目を背ける。
「どうしてあなたをこうしようと思ったか、わかる?」
 愛おしいものに触れ、優しく扱おうとしてくるように、ヴィーヴル女は頬に手を伸ばしてくる。細く柔らかい指に触れられて、しかし心地良さなど感じない。フィアメッタが感じているのは、せいぜい不快感だけだった。
「知るわけがないでしょう?」
「あなたの銃捌き、見ていて惚れ惚れしたわ? 最初はたった一台の車と思って、奪えて当然と思って襲撃を命令したけど、あんな大損失は想像もしなかったわ」
「仕返しのつもり?」
「あなたにね、惚れちゃったの。強くて格好いい女の人を見るとね? 憧れちゃうの。憧れて憧れて――それで、辱めてあげたくなるの」
 ニッ、と。
 ヴィーヴル女は笑っていた。
「気持ち悪いわよ? 本当に」
 フィアメッタはきっぱりと、真っ直ぐにその目を見ながら言ってやるが、ヴィーヴル女は意にも介さなかった。
「ざーんねん。それくらい、言われ慣れてるのよね」
 そう言って、ヴィーヴル女は急に唇を重ねてきた。
「……!」
 突然のことに、フィアメッタは目を見開いていた。
 二人きりの世界にでも浸ろうと、そっと目を閉じているヴィーヴル女に対して、フィアメッタは額に汗を噴き出していた。重なってくる唇の、その感触そのものは柔らかく、ふわっとしたものとの触れ合いは、好き合ってさえいれば心が溶けそうだと思わされる。
 しかし、好き合っていないのだ。
 好くどころか、自分達に襲撃を仕掛けたり、人の尻を触ってきた輩である。
 その唇が重なっている上に、ブラジャーを介してお互いの乳房が押し合って、潰し合っていた。彼女の微妙にくねくねと、やけに身じろぎしする挙動によって、擦りつけられているようでもあった。
 どれだけ長く、唇で触れ合っていたことだろう。
 手で押し退けてやりたいと、腕の力を意識するが、ヴィーヴィル女の肩に手を当てた途端、手首を掴まれ押さえ込まれる。反射的に力を加えて抗うも、フィアメッタの押し返そうとする力は、まるで彼女には通じていない。
 両方の手首がベッドシーツに押しつけられ、そのまま決して動かなかった。
 ヴィーヴルの身体能力だけでは説明がつかない。
 そもそも、腕力があまり発揮できていない。
「筋力抑制剤」
 やっと唇が離れた時、今度はその唇が耳に触れ、耳の穴へと呼吸が吹き込んできた。
 上半身を起こすことはできた。
 ならば、筋力抑制といっても、私生活すらままならないような、立って歩くことも出来ない状態にはならないのだろう。ただ抵抗力が奪われて、か弱い相手にも簡単に押し倒されてしまうほど、要は弱くされている。
「……他には?」
「アーツ阻害薬よ。武器は没収してあるけど、取り返してもしばらくは撃てないわよ?」
「そう。随分なものを持っていたものね」
「あとはね? これから飲んでもらうわ? 媚薬を」
「媚薬? そうとわかっていて、わざわざ飲むと思う?」
「飲むわよ? 飲まないと、ここに男を招くもの。ほら、そう言われたら飲まざるを得ない」
「あなたレズビアンでしょう? 媚薬を拒否したぐらいで男を入れたら、独占できなくなると思うけど」
「そうね。その通りだけど、いつかはあなたをお下がりにして、男達にも抱かせるわよ? それが今すぐに変わっても良いのなら、いくらでも拒否しなさい?」
「それで? その下らない薬って、どれくらい効くっていうの?」
「これからわかるわ」
 ヴィーヴル女は一度フィアメッタの上から離れ、ベッドを降りる。
 そして小瓶の蓋を開き、液役を口に含んでから、また改めて上がって来た。フィアメッタの手首を掴んで押さえ直して、抵抗をさせないようにしながら、だんだん唇を迫らせる。次は単なるキスでなく、ものを飲まされるとわかっての口づけには、先ほど以上の抵抗感が湧いてきて、フィアメッタは思わず顔を逸らしていた。
 顔を横向きに、頬をヴィーヴル女に向ける。
 しかし、すると両手がフィアメッタの顔へ移った。
 頬を両手で包む形で、力ずくでも前を向かされ、抗えないキスによって二度目の接触が果たされる。唇や顎の筋力さえも弱っているせいか、舌を差し込もうとしてくる力に抵抗できず、結んでいようとした唇に、あっさりとねじ込まれてしまっていた。
 舌が歯や歯茎を撫でてくる。
 そして、舌を伝って流れ込んで来る薬の味に、フィアメッタは大いに顔を顰めていた。目尻を硬くして、頬を強張らせ、引き攣りきった顔でその味を感じていた。苦味ある薬の、その味自体はどうでもいい。そこに唾液が混ざり、ヴィーヴル女の体液も含めて飲まされることが問題だった。
 舌と舌が口内で触れ合っている。
 ヴィーヴル女の舌を伝い流れる薬の味は、フィアメッタの舌へと流れ移って、表面から染み広がるように、根元にまで達していく。いよいよ喉の中にまで入ってしまい、フィアメッタは眉間に皺まで刻んでいた。
 途中までは唇を窄め、少しずつ流し込むようにしていたのだろう。
 しかし、突如として一気に流し込んできて、フィアメッタの口内には一気に水気が広がっていた。それと同時に密着感を強めてくるので、飲み干すまで決してキスをやめようとしない意思が感じられ、フィアメッタはやむなく媚薬を嚥下した。
 そんな効果が本当にあるというのか。
 不安ながらに体内に取り込んでいき、敵の用意した成分を吸収してしまったことに、不安感が強まっていた。