検問に身分証を提示すると、ロドスによるアポイントもあり、モスティマとフィアメッタは速やかに町へ案内された。
国に入ると、レンガ造りの石畳が広がる景観の良い町並みが続いており、そして案内人によって提携予定の企業本社へ到着する。渡すべきものを渡して、滞りなく任務を終えると、あとはしばらく町を見て回り、その後はロドスに帰還することとなる。
「というわけで、町の名物でも見て回ろうか」
「そうね。そろそろ、お腹が空いたわ」
商店街を歩いていると、客引きのために炎を上げ、派手に肉を焼き上げるパフォーマンスをする出店があった。スパイスの利いたカレーの香りが漂うレストランに、コーヒーの美味しそうなカフェを見かけた。
どこも良さげな店ばかりで、なかなか決まらずにいたところ、急にフィアメッタが顔を顰めて、勢いよく振り向いていた。
「どうしたの? フィアメッタ」
「いいえ、何でもないわ」
そう答える声には憤りの震えが宿っている。
明らかに、今の一瞬で機嫌が悪くなっていた。
「スリにでも遭った?」
「そんなヘマはしないわ。何も盗られてないし、追いかけるのも馬鹿らしい」
「あー……。そうだね、早く気張らしを済ませよう」
モスティマには察しがついた。
これだけの人混みなら、不注意の人間がいくらぶつかりそうになってきても、そうおかしいことはない。だから真っ先に浮かんだのはスリという可能性だったのだが、盗られてもいないのに機嫌が悪いのは、誰かに尻でも触られたのだろう。
そして、犯人は早々のうちに人混みに紛れるので、見つけ出そうにも混雑が邪魔して追いかけにくい。
不機嫌ながらに、さっさと先を歩くフィアメッタの後ろ姿を見ていると、次は即座に手首を捻り上げ、憲兵に突き出してやろうとする思いがひしひしと伝わって来た。
「何がいいかなー」
機嫌を取り戻すだけの、美味しい店があったらいいが、どこもかしこも美味しそうで、本当にどこがいいやらわからない。
なかなか店が決まらずにいる時、またしてもフィアメッタは勢いよく振り向いた。
「うわっ」
あまりにもちょうどよく、その人を呪い殺さんばかりの激しい視線がモスティマに向いてくるので、思わず自分が睨まれた気になって、モスティマは微妙に引き攣っていた。
だが、今のはモスティマの目にも留まった。
フィアメッタの後ろに近づいた誰かが、急にその場で姿勢を低め、素早く人混みの隙間へ逃れていた。モスティマは可能な限り目で追うも、やはり簡単に見失う。これだけ人が多いので、最初の影からして、別の人間から辛うじてはみ出ていた程度だったのだ。
「見た?」
フィアメッタがずかずかと勢いよく迫って来る。
「いやぁ、はっきりとはわからなかったよ」
「ちっとも? まったく?」
「……まあ、角と尻尾からして、ヴィーヴルかなー?」
「そう。ヴィーヴルね」
「いや待って、見間違いかも」
「どっちなのよ。はっきりしなさい?」
「少なくとも、角と尻尾はあった。うん、それだけははっきりわかった」
「まあいいわ。それで十分よ。三回目は……ない」
そう呟くと同時に、フィアメッタの指先は銃器に触れていた。痴漢のために町の施設に亀裂が走ったり、巻き添えを喰った店の看板の一つや二つ、もしや壊れるかもしれないと、モスティマは予感していた。
(何事もないのが一番。本当に、三回目はやめておこうね)
正体のわからない犯人に向け、モスティマはせめて心の中から伝えてみるが、もちろんテレパシーでも何でもないのに伝わろうはずもない。
だが、幸いにして三回目が起きる様子はなかった。
フィアメッタは人混みに対して神経質になり、始終周囲の気配に気を配るようになっていたのだが、それがかえって魔除けになったのかもしれない。全身から警戒心を放出して、寄らば撃つとばかりの相手になど、痴漢も近づきたくはないだろう。
近寄らせないための効果はあっても、見つけ出して捕らえる効果があろうはずもなく、本人はその辺りをどう考えていることか。
いや、やはり何事もない方がいい。
そのまま警戒心を放出していてもらおう。
「ほら、あそこにしておこう。早いところ、お腹いっぱい食べちゃおうよ」
結局、じっくり選ぶというよりも、フィアメッタの機嫌が気になるあまり、せめてその腹に何かを入れてしまおうと、モスティマは適当な店を指していた。食べることで、多少は発散できるはずだと思っていた。
そして、今日のフィアメッタの食事量は、実際に普段よりも多めであった。
*
二回、触った。
標的であるフィアメッタを見つけ、密かに接近したヴィーヴル女は、人混みという環境を利用しながら尻に手を起き、がっつりと指を食い込ませた。
あの銃捌きの相手である。
双眼鏡で遠目に顔を見ただけのヴィーヴル女は、つまりフィアメッタの声も性格も知らず、何なら今のところは名前すら突き止めていない状態だが、複数人の男を相手に引かない戦いぶりだったのだ。
それがまさか、痴漢相手に萎縮して、声も出せずにオドオドするなどとは思っておらず、触る前から逃げる準備は整えていた。タッチを果たした瞬間に人混みの中へ飛び込んで、即座に姿を消し去る逃亡術で、向こうはこちらの影しか見えていないだろう。
種族の身体能力もあり、逃げるのは元から得意だが、加えて気配を薄めるアーツもある。姿を消したり、透明になったりするわけではないので、真正面から向かい合った状態では無意味だが、隠密行動では大いに役立つ。
どんなに優れた目で追っても、フード越しにわかる角の存在や、尻尾をギリギリで捉えられれば上出来だ。
性別を特定したり、まして顔を覚えるのは、フードを被っていたこともあり、あの人混みの中ではまずありえない。
このアーツのいいところは、感染者であっても国土に踏み込み、堂々と出歩くことがやりやすい点にある。
もちろん、まったく注意が不要になるわけではなく、フードやグローブなどを利用して、鉱石の出ている部分は隠すのだが、気配を薄めるアーツがあれば、すれ違う通行人がヴィーヴル女を意識に留めたり、視線を向ける可能性自体を小さくできる。
存在そのものを意識から消しきるわけではないが、道端の羽虫や石ころほどの存在感になれるので、怪しい人物が歩いていたと、憲兵に通報される懸念もなくなるのだ。
(いい触り心地だった。体つきはばっちりね)
獲物の肉付きを確かめて、満足そうにしているヴィーヴル女は、体ばかりかあの反応にも興奮していた。
(本当に最高の目)
自分が強いと思っている。痴漢の犯人が目の前にいたならば、たちまち捕らえて当たり前と思っている。その強気な性格を伺い知ることができたのは、ヴィーヴル女にとってかなりの収穫だった。
そこらの気弱な女より、腕っ節があり、性格も強い女の方が、それを辱める際の快感は大きくなる。
ヴィーヴル女はその後も追跡を続けていた。
泊まっているホテルを特定した後、非感染者の仲間伝手に名前を調べて貰い、そこでようやく彼女はフィアメッタという名を知ることとなる。
(ふぅん? フィアメッタね)
ヴィーヴル女にはある程度の人脈がある。
彼女は元々、感染が原因で家族と引き離され、国土に踏み込むことを国によって禁じられた身の上だ。感染さえしていなければ、今頃は国内で医者になっていたかもしれない。感染のために夢や目標は断たれたものの、その当時の交友関係を伝手にして、感染者の人権を思う活動団体とのパイプが出来た。
だから国内の情報はいつでも仕入れることが可能である。
仲間が運良く目撃情報を拾っていれば、それもそのまま教えて貰える。幸運にも、二人組の女が商社の建物へ入っていくのが気になって、何となく視線を送っていたという人物がいたために、二人がこの国に来た用事にも見当がついた。
わざわざ遠方からやって来て、国に入れば会社の建物へ入っていく。
そして、あの腕前を考えると、きっとトランスポーターだ。危険な場所に荷物や手紙を届ける仕事で、会社に何らかを届けたのだ。
レガトゥス――ラテラーノにおいて、教皇が設立した特殊トランスポーター組織。その存在も知識としては知っていたため、青髪の方が持つサンクタの光輪も、ヴィーヴル女にとっては判断材料の一つとなった。
あの二人は、何も知らずにやって来た旅行者でも、流浪の旅人というわけでもない。
そして、商店街を見て回り、食事の後はレジャー施設を回っていた様子からして、無事に届けるものは届けて、あとは適当に楽しんで帰るだけ、といったところだろうか。
(時間は限られているわね)
再度襲撃を仕掛けるだけなら、車種を覚えているので簡単だ。
いつものように街道に網を張り、ゆっくりと待ち構えていればいい。憲兵の見回りしだいによっては、網を張るポイントはより国から遠ざかるが、待ち伏せ自体は難しいことではない。
ただ問題はフィアメッタの腕前だ。
モスティマの方が弱ければ都合がいいが、そう上手く人質に出来るとは限らない。あちらもアーツユニットを携えており、狙い目であるとは考えにくい。そもそも、モスティマの方が手に入れば、それもそれで悪くはなく――。
ともかく、ただ攻撃をするだけでは、フィアメッタの身柄は手に入らない。
どうにかして二人を分断して、上手いことアーツ阻害薬を打たなければ、まともな実力では勝ち目がない。いたずらに仲間の怪我を増やして、単なる欲望のためだけに被害を広げることになってしまう。
何か、良い手はないだろうか。
(確実なプランじゃないと――)
女が欲しい。
たったそれだけのために行動に踏み切っても構わないだけの、確実性の高いプランが欲しい。
「そうだわ。あの会社にも、活動団体の仲間が……。ちょっと賭けだけど、上手くいけば……」
ヴィーヴル女の脳裏には、とある筋書きが浮かび上がった。
しかし、その通りに事を運ぶことはできるのか。それで上手いこと離れ離れに、襲撃のチャンスが発生するかはわからない。
ギャンブルのようなものだが、負けて損するというほどでもない。
やるだけはやってみよう。
それで上手くいかなければ、最後まで良いプランは得られなかったと、泣く泣くながら諦めることにしようと、ヴィーヴル女は結論を付けていた。
*
出国の時になり、検問を越えた先、急にモスティマが呼び戻された。
商社の方で、急に用件が出来たらしいと、一度は検問を出た直後に逆戻りをする羽目になり、残されたフィアメッタは仕方なく車で待つ。
「さっさと戻ってきなさいよね」
車内で天を仰ぎつつ、何気なく天井を眺めて過ごしていた。
結局、あれから一度も痴漢には遭っていない。遭わない方が良いのだが、次があったら後悔させてやろうと思っていただけに、悔しいというか心残りというか、そんな気持ちを残して国を去ることになってしまった。
尻を触られたのは腹が立つ。
しかし、その犯人を追うためだけに、いつまでも残るという選択肢、残念ながら馬鹿馬鹿しい。
「まったく、退屈じゃない」
モスティマが隣にいない。
暇でならないままにため息をつく。
入国時には車を国境の中に入れ、決まった駐車スペースに置かせてもらっていたものの、車を検問所から出してしまってからの、慌てふためく社員の登場だ。タイミングがタイミングなので、車を中に戻すのも面倒で、そのまま外で待っている形である。
だから、賊に狙われる可能性がないでもない。
だが、検問所を背にした場所なので、憲兵が湧いてくるとわかっていながら、さすがの賊も無茶はしないだろう。
その時だった。
コン、コン、
と、窓を叩いて来る拳の音に、フィアメッタはぎょっとしていた。
「どういうこと?」
今まで、誰かいただろうか。
確かにさほど周囲に気を配ってなどいなかったが、まるで透明人間が近づいてきて、急に姿を見せたかのような、突如とした出現に感じられた。
「誰?」
フィアメッタは窓を開いた。
念のために銃器に手を触れ、いつでも撃てる準備はしておきつつ、相手の顔を確かめようとしてみるが、そこに立っている女はフードの影で顔が見えない。シャツの胸元や腰のくびれなど、体つきから性別だけは判断できて、尻尾で種族もヴィーヴルとわかるのだが、ロドス本艦の中ならともかく、この国にこんな知り合いがいた覚えはない。
「あなたは私を知らないだろうけど、私はあなたを知ってるわ」
「はっきり言いなさい。用件は何? どういう目的?」
フィアメッタは彼女を怪しんでいた。
いかにも意味ありげな言い回しをしておいて、ただの世間話ということはないだろう。
「そうね。用件ってほどでもないけど、伝えに来たの」
「伝える? 誰かに伝言でも頼まれてきたってわけ?」
「そうじゃないのよね。伝えたいことがあるのは私自身」
「誰なのよ。この国に来て、ヴィーヴルの女とは関わっていないはずよ」
「それがね? 関わってるの。二回くらい」
「二回?」
そこまで言われて、種族にまで気づいていて、それでもフィアメッタはピンと来ない顔でいる。
先入観もあった。
痴漢をやるのは男であり、まさか同性が他人の尻を触ったりはしないだろう。その思い込みから、ごく自然と女を容疑者としては見ないでいた。
しかし、次の言葉を聞いた途端、フィアメッタは頭に血を上らせていた。
「あなたのお尻、いい感じだったわ」
人を嘲らんばかりの、いかにも挑発的な顔をして煽ってくる。
しかも、わざわざグローブを外し、手の甲に出ている鉱石病の証を見せつけながらだ。
国内に感染者の居場所はなく、つまり彼女はいないはずの人間だ。そして、街道で車を襲うのも、全て隔離地区から出て来た賊の仕業である。この女は痴漢の犯人であり、車を襲った仲間でもある。
それらを意味する情報を見せびらかして、そこに挑発の意図がないはずもない。
「あなた……!」
フィアメッタは即座にドアを蹴破った。
「無駄よ」
すぐにヴィーヴル女は駆けだした。
驚くほどに足が早い。みるみるうちにその姿は遠ざかり、背中が急速に縮んでいく。身体能力の高い種族ではあるものの、単にヴィーヴルだからというだけでなく、彼女自身の足腰がそれだけ鍛えられているのだろう。
「どうする?」
腹が立つ、何としても追い詰めたい。
だが、ここで感情的にヴィーヴル女を追えば、あからさまな挑発に乗り、おそらく釣り出されることになる。モスティマがいない状況で、罠への誘いにみすみす踏み込み、立て直しが効かなくなっては笑い話にもなりはしない。
尻を触られるのは不快であり、現行犯であれば迷いなく憲兵に突き出すが、かといって尻を触られただけでもある。罠にかけられるリスクまで踏み、危険を冒して追いかけて、賊の仲間からも攻撃を浴びるなど、いくらなんでも釣り合いが取れていない。
そんな計算ができないフィアメッタでもない。
さすがに、そこまで後先を考えずに突っ走る真似はしない。
「……いいわ。我慢しておくわ」
反射的に車を降りて、追いかけようとまではしていたが、結局は追跡などしないまま、フィアメッタは車内に戻ろうとしていた。
その時である。
車が爆発していた。
先ほど、窓をノックする直前に仕掛けてなのか。車体が内側から破裂して、周囲に破片を散らしながら爆発して、煙と炎を上げていたのだ。
破片に体をやられないように、フィアメッタは咄嗟に飛び退いていた。
「あいつ……!」
怒りの限界を超えた。
何が目的なのか、どうして狙ってくるのかは知らないが、痴漢の犯人として名乗り出ながら挑発して、車まで破壊するやり方は、もはや看過しきれない。
「いいわ。相手してあげる」
フィアメッタは銃器を握り締め、ヴィーヴル女の逃げ去った方向へ駆けていく。
爆弾まで使った挑発をするからには、このままではいさせない。
必ず目に物見せてやろうと追っていくと、一人の影がわざわざ立ち止まり、どうやらフィアメッタが追ってくるのを待っていた。その影はフィアメッタの姿を確認するなり、これみよがしに岩場の奥へ消えていき、明らかな誘導をしてきていた。
そこでフィアメッタは引き金を引く。
岩作りの柱が並ぶ、岩の森とでもいうべき地形の、ヴィーヴル女が隠れた一本に向けて銃口から火を噴かせる。紅蓮の固まりが命中するなり、鼓膜を揺るがさんばかりの破裂音と共に根元が砕けて、柱の一つが倒壊を始めていた。
…………
……
「い、いきなり撃つ!?」
まさか、遮蔽物の裏まで追ってくるのでなく、遮蔽物越しに問答無用で撃ってきて、その衝撃波に巻き込もうとしてくるとは、さしものヴィーヴル女も予想していなかっった。
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