第1話 囚われたホタル
深いまどろみの中にいた。
深い、深い、本当に奥底から、少しずつ浮かび上がっていくように、ホタルの意識は時間をかけて覚醒する。
まだ、頭が重い。
視界もぼやけて、前後の記憶も判然としない。自分が何故、どうして眠っていたのか。重々しく濁った頭が澄んでいくには、さらに少しの時間を要した。
しだいにホタルは思い出す。
星の横顔を目撃したこと。星が何者かに追われていたので、男達のさらに後を追ったこと。後ろから殴られて、その殴った者の正体もわからないまま気を失ったこと。
それら記憶の整理を済ませた頃には、ホタルは自身の状況を把握していた。
……捕まっている。
星を救うどころか、ホタル自身さえ囚われて、固い拘束の中に身動きが封じられている。
ホタルは穴空きの台に乗せられていた。
四つん這いである。
四足歩行の四肢をそれぞれ収めるような、四つの穴に手足は嵌め込まれている。縁の部分にクッションパーツをぐるりと取り付けた穴のサイズは、どれもホタルの四肢にフィットしていた。
箱型の拘束具、ということなのだろう。
木箱の板を見下ろして、その向こう側にある自分の両手を意識する。
箱の中に板を入れ、二階建てのような構造にした上で、ホタルの四肢はその二階の板に置かれている。箱の内側では手首に手錠がかかっており、足首にも同じく金属の感触があった。
箱自体と手錠によって、ホタルは手足のどちらも、二重に拘束されている。
(しくじっちゃったな……)
これでは脱出できそうにない。
物は試しに腕を引いたり、足を動かそうとしてみるが、箱の内側にある手錠の、鎖が音を鳴らすばかりでビクともしない。
鎧を纏うためのデバイスなど、当然のように取り上げられていた。
不覚であった。
星を助けるどころか、捕まる人間が二人に増えたのだ。
それに少しだけ、頭が怠い。脳の中身がどんよりと、微妙に調子が悪いのは、もちろん殴られたせいかもしれない。起きたばかりで、まだ頭がすっきりしていない事もあるだろうが、ホタルの中にはもう一つの可能性が浮かんでいる。
確証はない。
だが、最悪の想定として、ホタルは危機感を胸にしていた。
何らかの薬を飲まされているかもしれない。
人を捕らえて、身動きを封じるのなら、抵抗や脱出の力を奪っておきたいのが心情だろう。力を弱めるための作用が肉体に循環して、能力の発揮が阻害されている可能性をホタルは考えていた。
本来よりも筋力が出せないような、それに頭の回転も鈍いこの感覚は、どうあれ本来の調子を発揮出来そうになかった。
試しに、木箱の内側で拳を作り、爪がどこまで手の平に食い込むかを試してみる――握力がいつもより弱い。不安は確信に変わったと思うべきだろう。
周りを見れば、この部屋は研究室に見える。
様々な計器、コンピューターの並んだ部屋に囚われている状況から、何かの実験やデータ採取を連想するのが当然だ。そんな部屋模様の中心に置かれれば、自分は観察対象の動物扱いだろうかとも思えてくる。
(今のうちに……)
ホタルは箱の内側で手を動かす。
どうにか手錠に触ったり、鎖に指を触れるなどして、拘束具の素材や構造を確かめたかった。まさか、力ずくで引き千切れる可能性などありはしないが、自分の状況は少しでも把握したい。どんな事態においても、何かを少しでも把握するのと、しないのでは大違いだ。
手首にかかったリングをなぞる。
(当たり前だけど、鍵穴がある。鍵がないと外れない。たぶん、鍵は誰かが持っているか、それか別の部屋。あたしが人を捕まえる立場なら、捕獲対象と鍵を同じ部屋になんて絶対に置かない)
別室にある場合、その鍵の保管場所にもまた、ドアに鍵がかかっているのだろう。
ホタルは次に拘束箱を意識する。
(こっちは木製、凄く頑張れば壊せなくはないかな。でも、手錠が手足に付いているから、箱から脱出できたとしても、動きは物凄く取りにくい)
そして、改めて部屋中を見渡した。
何台ものコンピューターが群れを成し、計器の画面には波形らしきものが表示されている。
(あたしの体について、知りたいのかな……。もしかしたら、サムもどこかで調べられているかも)
ホタルは自分の生まれや過去を思い出す。
(あたしに故郷はなくて、それからピノコニーで星に出会って、あの時間は本当に……だから、星のことは助けたい。だけど、今はそれより、自分自身が脱出できるかどうか)
じきに人がやって来るだろう。
その人物は何を目的にして、ホタルに何をしてくるのか。果たして最後まで無事でいられるのか。気がかりは多く、そして望みは薄い。
ドアの開く音が聞こえた。
電動式の自動開閉。
スライドによって開いた音に続けて、即座に聞こえる次の音は人が入ってくる足音だ。
かつかつと、靴が床を叩いていた。
響きやすく、そして静寂な部屋の中、足音によって相手の位置がよくわかる。自分と相手の距離を正確に掴むホタルだが、かといって反撃や逃走の手立てはない。
こんな四つん這いの格好で、人が近くに迫ってくるのを、ただ待つことしかできなかった。
「おやおや、まあまあ、何やら鎖の音がすると思ったら、もうお目覚めのようで? お嬢さん」
一人の男がホタルの前に現れた。
丁寧な風を気取って、胸に手を当て頭を下げる。キザな挨拶にホタルはむしろ顔を顰めた。
星を追いかけた三人でも、肩に担いだ巨漢でもない、あの場の面々とは異なる男を見ることで、ここが連中のアジトであることを実感する。
この時点で、確認出来た数は四人。
規模は不明だが、まだまだ何十人もいるのだろう。
いや、それとも、自分の身柄は既にどこかへ預けられた後であり、あの四人とこの男は、それぞれ別の組織だろうか。
細かいことはわからない。
目の前の男が喋ってくれればいいのだが……。
「あなたは?」
「ただの商人ですよ? 商人。といっても、売っているものはあまり合法的とは言えませんがね」
その瞬間、脳裏には星が掠め、そして自分の状況についても危機感が膨らんだ。
拷問、実験。
考えたくはない未来、それに末路を想像はしていた。このまま脱出も何もできずに肉体を解体されたり、人体実験の末に廃棄されるかもわからない。
そんな危機感を切実に抱いていたホタルであるが、男の視線はどこか怪しい。
どことなく、欲情して見える眼差しから感じる予感は、拷問でも実験でもなかった。
――辱めだ。
きっと体を弄ばれる。
(……嫌だ。すごく嫌だけど、下手な動きはできそうにない)
この男は「鎖の音」と言っていた。
言葉の通りなら、彼の聴力は優れている。ちょっとした仕草を聞き取られ、目論見を看破されないとも限らない。
「いやぁ、それにしても美しい。本当にお美しい。これほど綺麗なあなたなら、きっと高く売れますよ?」
男の指が顎にかかって、顔をくいっと持ち上げられた。
「……触らないで」
この状況でいくら容姿を褒められても、綺麗だと囁かれても、それは商人が宝石をいくらで売れるかと計算するのと変わらない。一体、自分にはどんな値段が付けられているのかと、物扱いへの不快感が先に立ち、ホタルは顔を顰めていた。
「おっと、嫌われたようですが、あなたのその――触らないで、などという願いは叶わないのですよ? 何なら、この私などより、もっともっと――受け付けない、ような男に触れられる未来だって、あるかもしれませんから」
饒舌に語り、男は真横へ回った。
四つん這いである胴体の、すぐ隣に立った男の手によって、スカートが捲られた。お尻に触れていた布が遠退き、腰には微かな重みが乗ることで、後ろを丸出しにされたことがわかって、ホタルは恥じらい、顔を赤らめていくのであった。
「こういうことが……目的なんだ……」
蔑む思いと、自分が商品になる未来への不安が入り交じり、ホタルは顔を暗くする。
商人を名乗った彼の目的は、本当に実験や拷問ではなく、そういう用途で売り飛ばすことなのだ。ホタルの体は今、その手の値踏みをされている。
いくらで売れるか、どんな客が付くか。
彼の頭の中では、そんな計算が働いている。
「そうそう、こういうことが目的なんですよ。嫌いな男はいませんからねぇ――パンツ」
男の手が尻に置かれて、ホタルはたちまち強張った。ショーツに食い込む五指と、押しつけられる手の平の感触に、大きな不快感を味わっていた。
手が動く。
上下にさすってくるタッチで、手の平とショーツの摩擦が起こり、ささやかな音がすりすりと聞こえて来る。
そして、揉まれた。
五指に力が加わって、強弱がつけられる。白い布を捏ねる手つきがお尻をささやかに変形させ、ホタルは恥辱感に顔をみるみる歪めていく。
「……気持ち悪いから」
「おやおや、この程度の刺激はお気に召さないと? ご安心下さい、これから嫌でも、気持ち良くなりますから」
人の言葉をまったく無視している。
そもそも、まともに聞く気がない、聞く必要もないのだろう。
「嫌でもって……」
ホタルは唇を噛み締めた。
このまま何も出来ず、ただ体を好きにされ、胸やアソコを嬲られることになるのだろう。貞操を失い、あまつさえ思い通りに快楽など与えられては、これ以上ない屈辱に苛まれることになる。
「あなたは商品です。しかし、すぐには売りません。敏感で、イキやすくて、面白い反応に仕立ててから売るんです。商品の品質は大事ですから? じっくり、たっぷり、気持ちいい時間をお過ごしになれますよ?」
男の語る言葉によって、全身を嬲り尽くされる未来が浮かぶ。
冗談じゃない。
「それで、どこに売る気?」
ホタルは情報を引き出そうと試みた。
「おや? 自分の商品価値に興味が?」
「どうやってお客さんを集めるの」
「大丈夫ですよ? あなたはとっても可愛くて、それに美しいですから、かなりの大金持ちに買われます。貴族はペットを大切に扱いますから、ひょっとすれば、そこらの人間なんかより、よっぽど贅沢な暮らしが約束されるかもしれませんよ?」
「貴族って、例えばどんな人」
「あなたは大分、ご自身の未来を気にされていますね。ま、当然と言えば当然ですが、どこへ行こうと、どんなお客様の手に渡ろうと、それなりの扱いを受けるはずだと、私は想像しています」
想像、などと、わざわざ予防線を張っている。
「そういうお客さんが多いの?」
「お客様の詳細な身分や立場だなんて、人それぞれに決まっているじゃないですか。ですが、私はこう思います。未来のあなたは美味しいものを食べ、エステで体を磨き、ピアノやヴァイオリンなんかのレッスンで淑女としての価値を高め、そして豪奢な天蓋の中――夜を過ごす。それはとっても、雅な生活だとは思いませんか?」
あくまで空想を述べていた。
この男は饒舌で、随分と口数が多いものの、ホタルの質問にはまったく答えていない。顧客の傾向、取引の場所、少しでも情報を引き出したかったが、きっと良い未来が待っていると語る以外をしてしない。
「あの男達に比べて、あなたってひ弱そうだけど」
「おやおや、私は一体、どこの誰と比べられているのでしょう。どこの組織や企業も、色んな人を雇っているし、色んなところに仕事を外注しますので、その中の果たしてどういう人物が比較対象になっているのやら」
男はわざとらしく肩を竦めた。
「自分と関わりのある仕事を把握していないの?」
やや挑発的に尋ねてみる。
「仕事といえば、どんな仕事にも体力は必要です。ひ弱だなんて言いますが、こう見えても私だって鍛えていますよ? 脱げば見せびらかすだけの筋肉があったりするんです」
仕事の把握について言及したのに、その答えは鍛えているだの筋肉だの、この男は質問の意図をわかっていて、わざとふざけた答えを繰り返している。
なるほど、言葉の意図が汲めず、会話が成立しない手合いも存在するだろう。
だが、彼は確実にわざとである。
(うっかり口を滑らせたりはしなさそう)
その時、お尻から手が離れる。
だが、これで終わりはしないだろう。気持ちいい時間などと言ったからには、それは次の行為の始まりに過ぎない。男の気配が真横から真後ろへと移動するなり、今度は両手が尻に触れてきていた。
ショーツのゴムに指が潜った。
男は両手でするっと下げ、ホタルの尻をあっさりと、一瞬にして丸出しにしてしまった。
(やだ……)
ホタルはより大きな恥じらいを浮かべ、赤らみ尽くした頬で俯いた。木箱の中に隠れた拳を固く震わせ、歯を食い縛って悔しげにしていた。
(誰にも、見せたことなかったのに……)
剥き出しの尻が男の視線に晒されている。
もうこの時点で、性器も見えていることだろう。それどころか尻たぶに両手が置かれ、指でぐいっと左右にワレメを広げられ、肛門さえも開帳された。皺の窄まりに顔の気配が近づいて、そんなところまで凝視されている状況に、恥ずかしさは増す一方なのだった。
「いやぁ、とても綺麗です。清潔でいいですねぇ? 色合いといい、性器の初々しく見える感じといい、毛の生え具合といい、全てが需要に満ち溢れています。たとえあなたを買うために破産して、家を失い、路頭に迷ったとしても、そのお客様は最高の幸せを味わうことでしょう」
頬の赤らみが熱を宿して、顔中が燃え上がった。耳まで染まる勢いの恥ずかしさに、ホタルは羞恥の苦悶を浮かべた。
見られるだけでも恥ずかしいのに、こうも饒舌な感想を述べられてはたまらない。
(だめ……恥ずかしさで死にそう……)
下唇を口内へ丸め込み、噛み締める。
「ええっ、ええ! 素晴らしい!」
指が下へ移った。
今度は性器が引っ張られ、肉ヒダにも視線が注がれた。
(やだ……本当に…………!)
「とても良い桃色ですねぇ、赤いお肉にまばらな白が通ったような、この見た目、どんな果実に例えればいいでしょう。ああ、私がもっと詩人だったなら、語彙力に満ちた文学者なら、あなたの性器を、オマンコを、言葉によって表現できたでしょうに、ただただ美しいと述べるばかりで限界なのが悔やまれます。ええ、とても悔しいです」
いつまで、この嫌な饒舌さを聞かされていればいいだろう。
男の指が性器を離れる。
恥部への視線は外れるものの、ショーツは下げられたまま、四肢の封じられたホタルには、着衣を元に戻す手段がない。
せめてスカートだけでも直そうと腰を振り、腰にかかった丈を落とそうとした。胴体を前後して、お尻を左右にしてみることで、どうにか布をずらせないかと苦心していた。
そのあいだにも、男は周囲の計器はコンピューターを弄り始める。それで一体何をするのか、これから自分はどういう目に合わされるのか。
ホタルの中で不安が膨らむ。
「ああ、ご安心を」
男は言った。
「言いましたでしょう? 気持ちいい時間をお過ごし頂くと。つまり拷問なんて野蛮な真似は断じて致しません。世の中には特殊な趣味のお客様もいらっしゃいますが、綺麗な状態で売りに出すのが我々の務めですから、ご心配には及びませんよ」
さらりと言った、そういう趣味のお客様という言葉のおかげで、安心するどころか、むしろ不安が増していた。
(やっぱり、お客さんなんて色々なんだ)
男は贅沢な暮らしを示唆してきたが、あの口先の言葉はやはり想像に過ぎない。
残酷な未来の可能性が提示され、ホタルの心にはどんよりとした影が差し込んだ。
もしも脱出のチャンスがなく、仲間の助けも来ないようなら、少しでもマシなところに買われるように祈るしかない。
これが、奴隷の気持ちというものらしい。