1:身体測定

目次 次の話




 事務所の中で、それはある日のやり取りだった。
「ねえ、プロデューサーさん? これってどう思う?」
 責めているようでいて、からかっているようでもある。
 艶のある声色で迫っているのは速水奏であった。
「特別健康診断、だって。勝手に指定されていたんだけど、内容がね……。とっても恥ずかしくて、耐えきれないかも」
 下着姿で身体測定を行い、内科検診では乳房を出すような内容で、思春期の乙女には辛いところだ。
 こんなものに指名され、受けなくてはいけなくなったことから、憂さ晴らしとはまた違うのだが、今の奏はこのことで誰かに絡まずにはいられない心境にあった。
「大変そうだ」
「でも、もしかしたら、なんとかやれるかも。プロデューサーさんがキスでもしてくれたら、ね」
 小悪魔のように振る舞う奏の、いつものノリだと思ったプロデューサーは、いかにも望み通りにしてやろうといった具合に答えてみせる。
「あら、乗ってくれるのは嬉しいけど、顔が赤いよ?」
 指摘されると余計に気恥ずかしいのだが、赤くなるのも仕方がない。
 奏には特有の色艶があり、キスを求める言葉にはいつも絡め取られそうになる。だからスカウトしたのだが、レッスンで技術を身につけ、歌に感情を乗せることを覚えてたり、人前に出ることに慣れてからは、ますます色気に磨きがかかっている気がする。
「やるしかないみたいだし、まあ受けわ。撮影の仕事だってしたことがあるんだし、人に見られるのは慣れているから」
 そうだ、奏ならきっと大丈夫だ。
 下着姿になったり、胸を出すといった項目があるのは心配だが、大勢の前でライブをこなすだけの度胸を養っている。そんな奏が健康診断でどうにかなるとは思えない。
 しかし、プロデューサーは知らない。
 奏が受け取った健康診断の内容には、モアレ検査にギョウチュウ検査、性交指導さえもが含まれていることは……。

     *

 この中の何人が、私がアイドルだって知っているのかな。

 当日、指定会場に足を運んだ速水奏は、長々としたテーブルの上にずらりと並ぶ脱衣カゴを前にして、まずはブレザーから脱ぎ始める。
 隣にはクラスメイトの男子がいた。
 奏を含め、合計十一人にわたる生徒が特別健康診断に指名されたことは知っていたが、女子は奏一人であり、その上で男女混合の実施など、あまりにも酷な状況に放り込まれた。
 公の場と思って、学生の正装たる制服で訪れれば、見知った顔に声をかけられ、ちょっとした雑談を交えてここまで来たが、実施部屋への到着後に出て来た指示は脱衣である。下着のみの姿となってから、身体測定を開始するというのだ。
 もちろん、奏は疑問を口にした。
「あれ? 私は女子なんですけど、まさか混合だなんてこと、ありませんよね?」
 いつもの調子で実施担当の職員に尋ねてみれば、その答えはこうだった。
「この健康診断は思春期の心理調査も兼ねています。男女を交えることで、男子諸君の様子を窺ったり、女子の羞恥心を観察してレポートするので、混合での実施となります」
「それは……なかなかの話ですね……」
 奏は余裕の振る舞いで取り繕うが、内心では絶句していた。
(それって、私が恥ずかしがったり、男子がチラチラと私を気にする様子は、みんな観察対象になるってこと? 動物とか、昆虫を観察してレポートを書くみたいに、私達のそういう様子が見たいってこと?)
 とんでもない場所に来てしまったことを後悔するが、指名された生徒は学校及び行政の意向から、強制で受けるものとされている。逃げれば内申に関わったり、退学か停学といった処分が待っていたりするという。
 そういったわけで、壁沿いに置かれた長々としたテーブルで、脱衣用に用意されたカゴの前にずらりと一列、奏を中心として、その左右に五人ずつが配置され、こぞって気まずそうな顔をしながら、とりあえずブレザーやネクタイだけはカゴの中に畳んでいる。
 奏も上はワイシャツ姿になり、ネックレスも脱衣カゴの中に紛れ込ませておくのだが、ここから先はどちらを脱いでもブラジャーかショーツが見えてしまう。
 振り向いたり、左右の様子を窺うと、こちらのことを確かに観察している職員は、バインダー留めの紙に書き込みの構えを取り、奏や男子十人に目を光らせている。男子の奏を気にした挙動もチラホラと見受けられ、ワイシャツのボタンに手をかければ、一気に視線の圧が強まることは明らかだった。
 試しにワイシャツのボタンに触れ、上を一つだけぱちりと外す。
 男子のそわそわとした感じが気配で伝わり、チラチラと密かな視線を送ってくるので、右や左を見ていれば、そんな男子と目が合ってしまう。目が合えば、その相手は気まずそうに目を背けるが、しばらくすれば再び奏の脱衣を意識してくる。
 こうした中で、下着姿になるまでは時間がかかった。
 あまり躊躇ってばかりいては、男子は全員脱ぎ終わり、自分だけがまだという状況ができあがり、かえって注目度が上がることはわかっている。頭でそうとわかっても、ボタンを一つ外すごとに、段階的に顔の熱が上がったり、抵抗感による反発力が働くのだ。
 不幸中の幸い、男子も気まずそうにしてばかりで、なかなかトランクス一枚の姿にはなれずにいる。奏一人だけが脱ぎ終わっていない、という状況にはならずに済みそうだ。
 しかし、まるで磁石の反発のように、腕が見えない力に跳ね返される。ワイシャツを脱いだり、スカートを脱ごうとするたびに働く抵抗と戦って、その末にやっとのことで、奏は下着姿となるわけだった。
 奏の下着はセクシー路線だ。
 黒と紫を組み合わせたデザインの、ハーフカップのブラジャーは、ハーフというようにカップ部分の布が少なく、あと一センチでも短ければ乳首が見えかねない程度には、乳房を露出しているものだ。
 上下共々、紫の布をベースに、その上から黒い刺繍を縫い込んで、大人風味の色気を演出している。ブラにもブラジャーにも黒のフロントリボンが添えられて、ショーツはヒモをリボン結びにするタイプだ。
 ヒモショーツのヒモにも黒が使われており、大きなリボン結びのリングを腰の左右に広げつつ、長い結び目の尾を太ももに垂らしている。通常のショーツに比べ、少しだけ布が少ないため、前後共に普通よりは露出範囲が広めである。
 そして、突き刺さった。
 奏の下着姿がどうしても気になって、吸引力に逆らえず、魔力に吸い寄せられた状態の目が、目が、目が――。ウブに赤らんだ表情に、鼻の下を伸ばした少し下品な顔付きから、興味のないフリをしようとする顔まで、あらゆる種類の視線が全て奏に向けられている。
(まあ、視線なんて慣れっこだから大丈夫)
 奏は自分に言い聞かせる。
 ライブ、写真撮影、握手会、あらゆる形で人前に立ち、写真撮影では水着もある。下着くらいなら問題ないと、気を強く保とうとする奏だが、その頬は確実に赤く染まり始めていた。
(形は水着と同じなんだし、慣れさえしてれば)
 そう思うことで抑え込みこそしているものの、恥じらいを完全には隠せていない。
 こうした中で、身体測定が開始となる。
 項目を一つずつ順番に行うようで、まずは身長計の前に列を作って、十人の男子が次々と背筋を伸ばす。いずれもトランクス一枚で、異性の裸体を拝む奏の方が、むしろ照れ臭くなりそうだった。
(でもプールの時間なら普通のことだし、これも騒ぐほどではないね)
 と、やはり気丈さを保つ奏である。
 だが、そんな奏に順番が回って来て、身長計の柱に背中を付ける時には、この部屋に集まる人間全ての視線が奏に集まり、さすがに頬は桃色に染まり変わった。これまで染まりそうな気配程度で、はっきりと色が変わったようには見えなかったのが、確かなピンクが浮かび上がっていた。
 クラスメイトがいる中で、下着姿なのだ。
 何人もいる職員までジロジロと、奏の恥じらう素振りを観察しようと目を光らせ、バインダーを持つ面々の一人が、何を思ってかペンを走らせ始めている。
(え、なんなの……?)
 何を書かれることがあったのかはわからない。
 ただ、挙動や表情の観察に努める一人なので、奏の様子に何か書いておきたいことがあったのは間違いない。
(いつもより目が気になる)
 奏は目を瞑り、視界を暗闇にした。
(でも、慣れてる……私はこんなの、慣れているから……)
 頭の上にバーが触れ、顔の近づく気配によって、身長の数字が読まれているのがわかる。ものの数秒後には紙をボールペンで引っ掻く音が聞こえ、測定情報の一つが書き込まれたことがわかった。
 似たような調子で体重の測定も行われ、やはり奏が一番最後だ。
 ご丁寧にも、奏の測定が終わってから次の項目に移っているので、体重計に乗る最中は視線が集まり、全員の注目を浴びることになる。
 体重計では男子十人に背中を向け、壁でも眺めて測定を済ませたが、尻を凝視されているに違いない思いから、やたらとショーツの後ろ側に意識がいった。皮膚の表面に細かな何かが無数に這い回るかのような、ありもしない視線の感触が現れて、お尻がムズムズとして仕方がなかった。
 身長、体重、次にくるのはスリーサイズの測定だ。
 やはり、男子十人を先に済ませて、順番の終わったクラスメイトの注目を浴びながら、奏は測定者の前に立つ。
 まるでネックレスをかけてもらうように、頭からメジャーをかけられる。測定者が両端を引っ張ることで、ピンとU字に近い形に伸び、それは巻きつけられていく。ブラジャーのカップに目盛りが折り重なり、指が布の表面に触れて来ていた。
(やだ……触るだなんて……)
 本当に布の表面へさりげなく、緩やかなタッチで乳房にまで感触は伝わらない。下さえ見なければ気づかない程度のものだったが、下着への接触がわかってしまうと、それが気になって気になって仕方なくなる。
(私がそんなに魅力的? 触りたくなっちゃう? なんて、考えてる場合じゃないね……これはちょっと……うぅぅ…………)
 しかも、目盛りを読むために、男の顔が乳房に迫るのだ。
(や、やばい……)
 頬の色合いが桃色から赤色へと、しだいに移り変わっていく。
 乳房に顔が近い状況を見ていられず、クラスメイトの群れも視界から外したくなってきて、奏は反対側の壁を向く。首を真横に、男子や職員の方には後頭部を向けるのだが、そうしてみて奏は思う。
(……あ、そっか。これも、書かれるのね)
 恥じらう反応の一部として、レポートに書き込まれる。
 そう意識してしまうと、部屋が静かな分だけ、ボールペンが紙を引っ掻くだけの小さな音が必要以上に気になって、奏はピクっと顔を歪める。
(視線なんて……慣れてるはず……なのに…………)
 数字を確かめた測定者は、その隣にいる記入者へと数字を伝え、それは書類の中に書き込まれる。
 巻きついたメジャーが緩み、スライド状にずらした上で、今度はヘソの近くに目盛りが合わさる。腹部に指が触れてきて、顔は近づき、数字は続けて記入者へと伝えられていた。
 あとはヒップだ。
 腰の後ろにかかっていたメジャーは、尻の上へとずれてくる。測定者がメジャーを引っ張ることで、ちょっとした食い込みがショーツ越しに感じられ、そしてフロントリボンよりも数センチほど低い位置へと目盛りは合わさった。
(ぱ、パンツに……顔が……!)
 ショーツ越しに指が触れ、その感触は布の内側にまで伝わってくる。さらには顔も接近して、始終顔を真横に背け続けている奏だが、アソコのあたりに気配をありありと感じてしまう。
 全身が緊張で凝り固まり、肩の筋肉が硬化していく。
 自分で自分の表情が想像つかず、少なくとも穏やかには笑っていられない。プロデューサーに向かってキスを口にするような余裕も、今の奏にはなさそうだった。
(は、早く離れて……)
 すると、願い通りのメジャーは緩み、迫っていた顔も遠ざかる。
 スリーサイズの計測は完了して、ひとまずは落ち着いた。
 ほっとした息を吐き、胸を落ち着かせる奏だが、下着姿に殺到する視姦の目つきで、本当に落ち着いた気分になどなれはしない。自分がこうして立っているだけで、十人のクラスメイトが丸ごと興奮して、トランクスの中身だって膨らませるかもしれないことに、どうしてもそわそわとした気持ちが膨らんでいた。