第1話 羞恥の映像チェック

 画面の中でジュディが駆ける。
 ジュディス・ランスター演じるキャラクターは、ゾンビの群れを相手に遅れを取らず、華麗なキックで蹴り飛ばす。高らかなジャンプによって頭上を飛び越え、空中で弾倉の詰め替えを済ませて的確に狙い撃つ。
 それらアクションシーンをジュディスは確認していた。
 撮影後、監督に呼ばれて席に着き、つまり男を隣にして、自分のパンチラ映像を見ているのだ。
(アクションシーンの確認はいいんだけど……)
 監督の立場から、演技指導を行う目的に文句はない。
 だがこのピッグマンという男は、映像の中でスカートの中身が見えて、白がチラつくたびに嬉しそうにしているのだ。
(これって、セクハラ気味ね)
 撮影時の衣装は、作中での予定は研究員のフリをした潜入と証拠品の奪取だったため、動きやすい服装とは言い難い。白衣の丈がマントのようにひらひらと、穿いているものもスカートなので、足を振り回せば下着はいくらでも見えてしまう。
 そもそも、パンチラも映画の見所の一環扱いだ。
(ま、そのくらいのお色気要素には同意しているから、文句は言わないでおくけど……)
 カメラが目の前にいる状況で、上段蹴りで脚を思いっきり上げる場面がある――かなり、見えやすい。
「なかなか悪くない。格好いいアクションヒーローとして、怪物の集団を華麗に捌く。爪が当たって服がだんだん引き裂けるも、肌に当たっているわけではなく、体から浮いた部分が裂けたに過ぎない。ボロボロに見えて実は無傷、肉体的には全て避けきっている無双ぶりで、ブラジャーが見えても余裕をかます。この感じがとってもよく出来ているよ」
「お褒めに与り光栄だけど、これってどんな状況よ」
 自分のパンチラを監督と一緒に視聴して、その品評をしてもらうなど、これでは一種のプレイではないか。
「ははっ、まあそう言わんでくれ。大事なのはエロさと格好良さの共存だよ。ジュディはあらゆる巨悪を倒すヒーローだが、そんなヒーローにエロシーンがあることが原作のウリだ。これを無視することは出来ないからね。その点で言うと、君のアクションはヒーローとしては完璧だよ」
「ヒーローとしては、ね」
「そう、お色気にはまだまだ課題がある。映画アクションなんて、見ている人間を楽しませてなんぼのエンタメだからね。そしてこの映画では下着が見所の一つになる。カメラの工夫もそうだが、君自身も色気の出し方にはもっと意識が必要だね」
 ピッグマンは再生画面のシークバーを動かして、とある場面に移動する。
 その再生される内容は、一旦はゾンビに背を向け全力で駆けていき、壁を蹴ることで自身の体を跳ね返し、空中から放つキックで胸を打つものだ。
 この時には白衣の丈がほとんど裂け、スカートの丈も破損で短くなっているために、走れば丈が捲れ上がる。ショーツに包まれる白いお尻がチラチラと見え隠れしているのだ。
 これを監督と共に見る気分といったらない。
(本当に……やっぱりセクハラよ……)
 この直後の、倒れるゾンビに馬乗りに、直ちに銃口を額に向けて連射する場面では、ジュディの全身を映しつつ、下敷きになったゾンビは画面から見切れている。
 実はゾンビ自身がカメラを持って撮影したワンシーンは、連射によって頭部を破壊するものだが、編集では返り血が入る予定になっている。人体の一部を破裂させるような破壊力を表現しつつ、あまりのグロテスクな表現を直接は映さないわけだ。
 ここでの見所も――エロだ。
「ジュディス、何が重要かわかるかな?」
「セクハラ?」
「なんて言われても困るねぇ? このシーンの大事なウリなんだからさ」
 馬乗り場面も敵を格好良く倒す表現の一部だが、男の下半身に跨がっているということは、つまりそういうことだ。監督の言うような、ヒーローとして強く格好良く、けれどそのヒーローにエロ要素が入る場面になってくる。
 要するに騎乗位の連想だ。
 作中としては、主人公のジュディは戦闘の中、たまたまこの体勢になったに過ぎない。登場人物自身の意図にエロはなく、けれど制作者の意図にはエロがある。
 肉棒が収まる想像を掻き立てる以上、こうして隣に座る監督の頭の中、果ては他のスタッフ達にも、その手のイメージが浮かんでいることを思ったら、赤らまずにはいられない。
 いいや、仕事だ。
「監督的にはお気に召さないってわけかしら?」
 表現の出来映えについて話し合っているに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。
「ここはね? 上下運動の意識があればもっとよかったかな」
「じょ、上下って……!」
 セックスの連想をより如実なものにしろと、そう言われたおかげで頭に熱が籠もってきた。恥ずかしさのせいで上がった脳の温度で、頬どころか顔全体まで赤くなり始めていた。
「着地の時、勢いでゾンビのアレに股を乗っけちゃう。で、周りのゾンビがすぐに次の攻撃を仕掛けるから、やられないうちにその場を動くけど、この流れでに上下運動を仕込みたいね」
「撮り直したいってわけね」
「悪いね。原作はそういう、細かい接触もいちいち描写に入っていて、それも人気の一部なんだ」
「まあいいわ。上下? 上下ね……」
 そんなことを意識しながらのアクションなど――いや、意識をしてはいけないのだ。劇中人物としてはお色気など狙っておらず、騎乗位の連想をさせたいのは、あくまで作品の外側にいる人間、監督やカメラマンなど制作者の意図なのだ。
 女優のジュディスとしては意識しつつ、主人公のジュディとしては意識しない。
 と、そうプロ意識を胸にして、ジュディスは該当シーンの撮り直しにかかるのだった。

     *

 撮影スケジュールはハードなものだ。
 早朝から開始して夜に終わり、あまり十分な睡眠も取れないままに次の朝を迎える日々がしばらく続く。
 問題の撮り直しも終え、ジュディスは様々なシーンを演じた。
 主人公は表向きには警備会社のメンバーで、恋人もそのことを知っている。女が危険な仕事をやっており、男もそれを承知しているカップルだが、秘密機関のエージェントであることについては恋人にも伏せている。
 表の顔を警備会社としているのは、危険な仕事に不自然なく関わって、身体能力の高さにも違和感を抱かせないためだ。
 恋人であるケビンは、護衛や警備のために鍛えているものと思い込んでいる。ジュディがいくら強くても、とてつもない才能の持ち主と評するのみだ。
 撮影するシーンの数々は、ケビンとの関係を描写するものが豊富にある。デートシーンは言うまでもなく、ホテルで過ごしたことを示唆する場面、任務の直前に電話して、ジュディがケビンから勇気を貰う場面など、本編にはどこまで入りきるかもわからないシーンを次々と撮影する。
 デートで町中を歩くためのロケ地、撮影用に押さえたホテルの部屋、現場への移動も頻繁だ。
 作品の始まりから終わりまで、まさかエロシーンが万遍なく敷き詰められているはずもなく、原作でも性描写は要所要所ではあった。
 いや、エロ小説らしい以上、その要所の数が多いのだが、それら全てをカットしたり、大幅に削減したとしても、巨悪と戦うスパイヒーローとしての筋書きは成り立つだろう。
 映画の撮影は必ずしもストーリー順ではない。
 どの現場をいつ押さえておけるかのスケジュールに合わせ、先ほどは冒頭に近い部分を撮ったのに、その次は終盤近くの撮影をするような日々の中、初日にパンチラ三昧を披露してから、この数日はエロシーンを撮っていない。
 都合上、撮影順でエロシーンがスキップされ、肌を出すのが後回しになることに不思議はないが、そうなるとジュディスが思うところはこうだった。
(後々、続くじゃないの)
 数日間、連続でエロシーンを撮る期間が来るかもしれない。
 そんな不安を抱いた頃、次の朝を迎えての撮影は、衆人環視でのストリップなのだった。