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 あれは中学三年の時だった。
 本屋に出かけていたその帰り、急な雨に降られてしまって、バケツでもひっくり返したような激しい雨脚に全身を濡らされながら、僕は慌てて公園の屋根のベンチへ駆け込んだ。とにかく非難だけを考えていたから、そこに先客がいたところで構っている余裕はなく、僕は気にせず屋根へ逃れた。
 そこに琴宮アズキはいた。
 同じく急な雨から逃げ、ベンチに座って休んでいる様子だった琴宮さんは、僕の登場に驚きながらも腰をずらして、広いとはいえないベンチのスペースを空けてくれた。
「突っ立ってる気? 視界の邪魔だから」
 そんなことをぶつくさと言いつつ、あの時は隣に座らせてくれたのだ。
「ど、どうも」
 恐縮しながら、肩を小さくしながら、僕は座った。
 ただ誰かいるなーと思いつつ駆け込んで、それが同い年の女の子であることに後々になって気がついたので、可愛い子の隣に座る気恥ずかしさから、もし席を譲られなければ、僕は立っているつもりでいた。
「隣のクラスでしょ? アンタの顔、見かけたことある」
「そうなんだ」
「アンタは? 私を見たことある?」
「まあ、見かけたくらいは」
「ふーん。名前は?」
「あー……。そこまでは」
 同じ中学であれども、同じクラスだったことは一度もない。高校で初めて同じクラスというわけなので、僕達が初めて接点を得たのはこの時である。
「私は琴宮アズキだから」
 ぶっきらぼうに名乗るものだから、名前もこの時に覚えたのだった。
「あ、じゃあ僕は――」
「知ってる。九条レンなんでしょ? 友達から聞いた」
「そうなんだ。えーと。よ、よろしく?」
「よろしく」
 と、そんなやり取りだ。
 これが唯一といってもいい中学時代の接点なので、たったこれだけでは、そもそも嫌うだのも好かれるだのあったものだろうか。別に好かれる要素も嫌われる要素もなく、ただただ偶然だねってだけだと思う。
 でも、この時の琴宮さんって……。

 ブラジャーが透けていたんだよなぁ……。

 ぱつんぱつんに膨らんだワイシャツの胸元から、赤ピンクのブラジャーの柄がくっきりと浮き出ていて、少し観察していれば細かな刺繍までわかってしまい。それほどの透け具合に僕は目を向けていられずに、琴宮さんからはやや目を逸らしていた。
 頑張って、逸らしていた。
 だって、ちょっと横を向くだけでプルンと揺れそうな乳房の下着が見えて、ともすれば谷間の乳まで見えそうな気がしたのだ。
 まじまじと見るなんて、できっこない。
 向こうを向いていなければ、強烈な引力によってたちまち視線を吸引される。
 だから僕はなるべく向こうを向いていた。
「災難だね。お互い」
「う、うん」
「ま、別に私はいいけどね。通り雨だし、そのうちやむかもしれないし」
「だよねっ。うんうん」
 相手の顔も見ずに話していた。
「なんで向こうばっか向いてるの?」
「いやぁ……。天気が気になって」
「あっそ。眺めてたって、別に何も変わらないのに」
「そりゃ、わかってるけど……」
 わかってるけど、そっち向けないんだよ!
 今、この状況で琴宮さんをまともに見たら、僕はきっと胸を視姦してしまうんだ!
「相手の顔ぐらい見なさいよ」
 だから見れないんだ!
「あ、あはは! ちょっと待ってて? すぐ戻るから!」
 僕はたまらず雨の中へと飛び出して、どこぞのコンビニへと駆け込んだ。
 もしかして、これが原因?
 あの時、顔も見ないで喋ったという理由で嫌われた?
 うーん……。
 仮にそうだとしても、あんなに毎日毎日、一日とて欠かすことなく睨まれ続けなければならないほど、深い嫌われ方をするはずがあるだろうか。
 その後、僕は傘を二本購入した。
 濡れた胸元でも拭いてもらおうとタオルも買って、ついでに温かい飲み物を二本ほど買って戻ってから、僕はそれらを手渡したのだ。
 だって琴宮さんのブラジャーが気になりすぎて、全ての意識を散らされるんだもの。
 それに女の子がびしょ濡れというのも可哀想に思えて、せっかくコンビニまで走っておいて何も持っていかないのも変な話に思えたというか。一度お喋りをした相手が、自分と一緒に可哀想な目に遭っているのを放っておくなど、良心が咎めたのだ。
 心に刺さった棘を抜きたいとでも言うべきか。
 そういう気持ちで、僕は何かをせずにはいられなかった。
「え? なにそれ」
 さしもの琴宮さんも驚いていた。
 いきなり傘とタオルとペットボトルの温かいお茶まで渡されて、親切にされすぎても、確かに驚くに決まっていた。
 困らせてしまったかも。
「あ、いや……。なんとなく」
 そんな事に僕は後々になって気がついて、勝手に苦笑する羽目になった。
「なんとなく? なんとなくでお金使ったの?」
「というより、放っておくのもどうかなーって。ほら、今さっき初めて喋ったばかりだけど、知り合い程度にはなっちゃったんだし」
「ふーん?」
「単なる自己満足だから、気にしないで。お茶は入らなければ僕が二本とも飲むし」
「いや、もらう」
「服も濡れてるから、拭いてね」
「悪いね。色々と――って! 嘘!」
 琴宮さんは初めて自分の胸元の透け具合に気づき、大慌てで上から拭いて、タオルに水分を吸わせようと努力する。
「ああもう! だから向こうばっか見てたのね?」
「あ、あはは……」
「ってことは、見たんだ。最悪!」
「……ごめんなさい」
 と、そんなやり取りだった。
 ああ、これで嫌われた?
 ブラジャーを見られた恨みが今でも続いている?
 うーん……。
 仮に当時は恨まれたとして、数ヶ月以上は前の出来事だ。当時の強い負の感情が今でも根強く残っているなど、果たしてあるものなんだろうか。
 とはいえ、他に心当たりはないし……。
 さらに言えば、見ようと思って見たわけではなく、気づいてからはちゃんと目を逸らした上にタオルまで与えたのだから、考えてみれば別に恨まれる筋合いはない。そりゃ、完全に水気が取れたわけではないけど、少しは透け具合もマシになったはずじゃないか。
 筋合いはなくても、恨まれているんだろうか。
 どうなのだろう……。
 いや、待てよ?
 よーく思い出せ。
 琴宮さんはこうも言っていた。
「別に謝ることなんて……。最悪っていうのは、私の運が悪かったなーってだけで」
「そ、そう……」
「別にアンタに対しては言ってないし……」
「……うん」
 というやり取りをあの直後に交わしている。
 じゃあ、この線もやっぱりないじゃん。
 だいたい、僕はこの時に琴宮さんのことを好きになった。
 というのも……。
「そうだ! アンタの志望校ってどこよ」
 受験の時期だったので、そんなことを聞かれて。
「○○高校」
 と、当時第一志望で、晴れて合格する事となった現高校の名を答えた。
「ふーん。だったら、次は同じクラスになるかもね」
「……え?」
「私も同じとこ受けるから、一緒だったらよろしく」
「うん。よろしく!」
 これだ。
 こんなやり取りの末、合格してみれば本当に同じ学校に琴宮さんはやって来ていて、それがまるで運命のように思えて僕は彼女に惹かれたのだ。
 惹かれたはずだった。
 そう、僕は琴宮アズキが好きなのだけど……。
 しかし、本当に同じクラスになったというのに、話しかけてみれば琴宮さんは恐ろしいほどぶっきらぼうで、それどころか睨んでくる。
 嫌われてる? 僕、嫌われてるの?
 と、高校生になって初めて気がついた。
 くそぉ、何故だ。
 唯一の接点を思い出しても、そこまで嫌われる理由がわからない。
 何が悪かったのだろう。親切を押し付けすぎたこと?
 でも、あれ以外のときにはそもそも喋ったことすらないし、あとは「あ、本当に同じクラスになったね。覚えてる?」と話しかけただけで、何をどう考えたところで、日々欠かすことなく冷ややかな視線を受けねばならない理由がない。ちょっとやそっとの嫌いでなく、睨み付けなければ気が済まないほどの嫌われ方をする理由がどこにあったというのか。
 もう本人に聞くしかない。
 僕の何が悪くて、どうして嫌われてしまっているのか。
 嫌われている相手に恋をしていても、きっと叶うことはない。頭ではわかっていても、それで気持ちが消えてくれるほど簡単じゃない。例え嫌われても構わないほどに、僕の中にある感情は頑固なものらしく、このままでは恋愛感情を抱く相手に延々と嫌われ続ける苦しい状態が続いてしまう。

 よし、聞いてやる!
 琴宮さんから直接理由を聞き出してやる!



 
 
 

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