晴美が真剣な顔で手首を引っ張り、日和を人の少ない公園の隅のベンチへ連れ込んだのは帰り道でのことだった。
通学時は待ち伏せしてくれる晴美だが、帰りは掃除当番などでお互い時間がずれる。日和が遅くなる場合、やはり放課後も下駄箱で待ち伏せをしてくれるので、日和もまた、晴美の帰りが遅れる時は図書室などで時間を潰し、一緒に帰れる努力をする。
だから二人の登下校は、どちらかが学校を休まない限り必ず一緒であった。
仁藤晴美は佐藤日和が好きなのだ。
好意を耳にしてしまっている日和にとって、登下校を共にしようとしてくる晴美の目的はわかっている。あとはいつデートに誘うなり、告白をするなり、今以上のアピールをしてくれるかだ。
だが、中々来ない。
同じ通学路を一緒に歩いたり、教室で話しかけてくれたり、図書委員の仕事を一緒にするばかりで、一向に恋愛的には迫ってこない。
メールアドレスを聞かれたときは期待したが、家にいる時でも会話ができるようになっただけで止まっている。もちろんそれだけでも嬉しいには決まっているが、遊園地や映画館へ誘うようなメールは来なかった。
あまりの恋愛アピールの無さに、実はあの言葉は夢だったか。あるいはその時は本気でも、今では好きな人が変わってしまったか。今現在の仁藤晴美はもう日和のことなど好きではないのでは、と不安を抱いたこともあったが、では登下校に時間を合わせてくれる理由がない。
晴美は日和が好きなのだと、実はクラスでは知れ渡っているのだ。
毎朝の待ち伏せで必ず一緒に教室へ来て、下校時は時間を合わせる。もうとっくに付き合っているのだと噂もあれば、両思いだが成就ではない。いや、晴美の片思いだ。などなど、そういった声の数々を女子同士の話題から偶然聞き取ったことがある。
そして、それらの噂について晴美は何も否定しない。
「なあ晴美君。お前あいつのこと好きなんだっけ?」
冷やかし屋の男子が、わざわざ日和のいる場所で尋ねていたことがある。
「まあ、嫌いじゃないけど……」
さすがにそんな形で頷きはしないが、否定することも避けていた。
噂をされ、からかわれてもなお、登下校を一緒にしてくれている。
「私と噂になって、迷惑じゃない?」
日和から尋ねたこともある。
「全然? まるで全然、何一つ、一切迷惑じゃないけど?」
下手な質問をしたばかりに、ほんのちょっぴりだが怒った声を出されてしまった。
もはや晴美の気持ちは確定事項だ。
今か今か待ちわびているが、かれこれ何ヶ月ものあいだ、登下校を共にする意外には進展がまるでないのだ。
それでも、口下手な日和にお喋り相手がいるだけ幸せではあるが、とっくに両思いである情報を日和は握っているのだ。今以上のドキドキが欲しいと、どうしても欲張りな気持ちが沸いてきてしまう。
恋人同士となれば、手を握り合ったりキスをしたり、胸の沸き立つような体験ができるはずなのに、その瞬間がまるで来ない。日和にとって、目の前にご馳走を並べられながらもお預けを食らい、いつまでたっても食べさせてもらえない気持ちがしていた。
早く告白して欲しいと、たまに苛立ちすらしていた。
だったら自分から告白する手も考えはしたが、日和にはその勇気が出せない。告白に踏み出す勇気が足りないのは、晴美もきっと同じなのだと、苛立ちを抱えるたびにその自分勝手さに反省した。
日和自身には自覚はないが、日和が露出を行うのは個人の性癖の問題だけではない。
好きだと言いながら、未だ何もしてこない晴美に対して煮えを切らし、自分自身で刺激を求めようとした結果でもある。着替えを偶然覗かれたのをきっかけに、二度目、三度目の偶然をわざと作って刺激を求める。
そして、好きな人から浴びる視線の快感を覚えている。
それが欲求不満に対する一種の薬であるなど、日和は自覚していない。
そんな日和は期待した。
「日和さんに話があるんだ」
公園のベンチへ引っ張り込まれ、晴美が真剣な眼差しを向けてくるのを見て、いよいよ来るのかと緊張していた。
もしも告白だとしたら、どうしよう。
受け入れるには決まっているが、緊張で声が上ずってはしまわないか。ドキドキしすぎて調子の狂った人形のようになってはしまわないか。そもそも、この大事な局面で自分はきちんと喋れるのか。
進展の予感に既に日和は硬くなり、スカートの膝で拳を握って、ただただ晴美が次の言葉を出すまで待機していた。
「この前、色の好みを聞いてきたよね?」
「……え? あ、うん」
「水玉とか、縞々とか、柄や模様の好みも聞いてきた」
「まあその……。うん」
もしや、これは告白などではない。
下着の話題だ。
日和はわざと好みを聞き、翌朝にはその通りの下着を覗かせていた。おかげで、覗きをさせているのはわざとなのだと晴美は気づき、その事を話題にしようとしてきている。
「僕にそんな事を言う資格があるのかわからないけど、もしもその……。日和さんが変わった趣味の持ち主だとして、それて……。色とか、柄とか、聞いてくるのもわざとだとして。どうしても気になることがあるんだ」
「……うん。なに?」
明確には口にしないが、覗き覗かれについては前提になったも同然だ。
お互い暗黙のうちに了解し、はっきりとは言葉にしないように話している。
「その……。なんていうか。日和さんが自分を曝け出している相手って、一人だけ?」
「え? えと、つまり?」
「複数の人を相手に、変わった趣味というか。ほら、色や柄を曝け出して見せてあげるようなことをしてるのかなって。それとも、一人だけでいいのかなって」
「――決まった人! 決まった人だけ!」
日和は大慌てで即答していた。
あらぬ誤解だ。
露出なんて真似をした日和にも非はあるのだろうが、不特定多数の男の視線を浴びるだなんて冗談じゃない。道端の中年がすれ違い様に胸をジロジロ見てきたり、クラスの男子が日和の胸を話題にしたり、そうした男のいやらしい目が不快で不快で仕方がなかった。
大半の男の視線など、不愉快で気持ち悪いものでしかない。
ところが好きな人の視線となると、驚くほど別だった。
特定の相手。
それも仁藤晴美の前限定で、日和は露出に目覚めていた。
「一人? いいんだね? 一人ってことで」
晴美は半ば嬉しそうに、しかし表情を押し隠してクールを気取って確認する。
「――え!? ええと……。やっぱり今の無し!」
晴美にそれが伝わったかはともかくとして。好きな人にしか見せません。と、ある意味自分の好意を表に出すのと同じである。なんの心の準備もなく晴美に自分の気持ちを伝えるなど、できるわけがなかった。
「ええと、一人じゃないってことはやっぱり不特定多数……」
「ち、違うの! 多数でもなくて、少数でもなくて、一人は一人だけど今のは無しなの!」
日和はもうパニック気味だ。
「なんか滅茶苦茶だよ?」
「とのかく無しなの!」
「わ、わかったから……」
強引に言い張る相手に、晴美はとりあえず引くしかない。
しばらく間を置き、日和が落ち着くのを見計らってから、晴美は再び尋ねた。
「僕って、悪いことしてると思う。割とっていうか、怒られても文句はいえないっていうか」
(覗きのことだね)
「ただ、どうして曝け出してもらえるのかなって。色とか、柄まで聞いてもらえるのか。どうしても知りたい」
「それはその……」
好きだから、とは言えない。
確かに日和は普通じゃない。部屋を覗かれたなら、カーテンをしっかり閉め、今後は絶対に着替えを見せないように気をつけるのが常識的な反応だ。ところが、日和は常識外の反応を見せた挙句、日常的に覗きをさせるようにもなったのだ。
相手が不思議に思うのも、考えてみれば当然だ。
「見せている相手は一人。っていうのは信じていい?」
「うん」
「だったら、僕も言うね。僕には好きな人がいて、その人がその……。どういう下着をつけているかとか、どうしても興味があって……。だから悪いこととはわかっていても、やめられなくなってしまって……」
「そ、そっか……。え?」
好きで見せているのに謝られても……。
と、そう思いかけていた日和だが、一つの言葉が気にかかって聞き返した。
――好きな人。
今の一連の言葉は、まるで遠回しにもほどのある告白ではなかったか。
「好きな人。今この瞬間にも、割と近くっていうか……。隣に座ってる」
ダイレクトに日和の名前は出さないが、今度は明確に相手を指してきた。
(ど、どうしよう……!)
ドキドキする。
言葉の上では遠回しで、直接返事を聞かれているわけではないので、好意を受け入れるための反応を返せない。
どうするべきか。
思いついたことといえば、日和もまた遠回しに示すことだ。
「あ、あの。私ね……。その辺の男子とか、オジサンとか。好きでもない人のエッチな視線が本当は嫌いで。だけど、不思議と嫌な気持ちにならない相手が一人だけいて……」
「うん」
「……その人のエッチな視線だと、全然気にならなくて。見られても構わないと思って。むしろその、特別に想っている相手にだったら晒したくなってしまって……。その相手が、私の隣に座っています」
日和の中では、これは立派な告白だ。
はっきりと「好き」という言葉をきちんと名指しで向けたわけでないとはいえ、晴美はそれでも明確に佐藤晴美への好意を打ち明けた。
ならば、やはり自分も答えなくては。
そう結論した日和による、日和なりの告白返しであった。
「……そうだったんだね。だから、覗いても良かったんだ」
「……うん。そうなの」
照れくさくて、恥ずかしくて、頭が下がる。
真っ赤に染まった表情をとてもでないが見せられない。
だけど、嬉しい。
初めて気持ちが通じ合った。
「恋人。ってことで、いいよね? 日和」
「は、晴美君っ。その……。よろしくお願いします」
どうしても顔を向けられず、自分の膝を見つめたまま、日和は上ずった声で頭を下げた。
「よろしく」
そんな日和を晴美は抱き寄せ、顔を胸元へ締め付けられ、ますますドキドキした。
もう頭がどうにかなりそうなほど嬉しくなり――。
その晩、ベッドの中でも気持ちがはしゃいで眠れなかった。
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