護衛サリアは娼婦扱い 前編
その顔を見ただけで、顔を顰めそうになった。
小太りで顔立ちが悪いだけではない。
彼はなかなかの成金趣味でつけたスーツが金色に輝いているのだ。ネクタイからスラックスに、履いている靴でさえ、金箔を貼っているのか輝かしく、自分は大金持ちですというアピールを全身で行っている。
しかも、人の顔を見るなり目つきを細めて視姦してきた。胸や脚に対する舐めるような視線は露骨なもので、抱いたがひしひしと伝わってくる。
しかも、あり得るだろうか。
「素晴らしい」
これはまだいい。
その一言に、一体どんな意図が籠もっているか、わかったものでないのは確かである。不快感はもちろんあったが、これだけなら本当にまだ良かった。
しかし、次の瞬間である。
「いくらなら、相手をしてくれるかな?」
初対面でこの発言だ。
その不快な言葉を聞いた途端、顔に憤怒が浮き出たのは言うまでもない。あまりにも迫力が出ていたようで、たったそれだけで男は気圧され、慌てて発言の撤回を始めていた。
今のは冗談、軽くからかっただけと、必死に言い訳を並べ始めた。
いっそ清々しいほどの切り替えの早さである。
いかにも高圧的で、金さえあれば何でも願いが叶って当然のように振る舞っていた男が、こんなにも媚びへつらい、腰を低めてヘラヘラと笑ってくる。
気分を害したのなら、お詫びに高級料理を用意しよう。他にも何か欲しいものはないか。何なら今後何か便宜を図るのはどうだろうか。などと、人の機嫌を取り戻そうと、次から次にアイディアを並べて来るが、それさえも気に入らない。
しかし、この輩と共に過ごさなくてはならない理由があった。
――ロドスの任務で、サリアは彼を護衛しなくてはならない。
レユニオンとの戦いで多額の出資を得た恩義の他、製薬会社としての活動でも様々な便宜を図ってくれているらしい。
そんな彼がこれから町を移動し、行く先々で仕事をこなしていくようだが、各方面から恨みを買っているため、外出の際はいつも護衛を引き連れているという。
多数のエージェントに周りを囲ませるやり方は、確かに安全である一方で、自分の居場所をかえって宣伝することになる。男を始末するために、敵対勢力がそれ相応の武装勢力を引っ張り出して来ることになりかねない。
あるいは破壊力の高い攻撃で狙われれば、護衛の肉壁もろとも吹き飛ばされる。爆弾などがわかりやすいが、何らかのアーツで攻撃されることもあるだろう。
となれば、あえて護衛の人数を減らし、自分の居場所が伝わらないようにするのも手のうちである。
これから行う仕事の内容は、敵対勢力にとって都合の悪いものらしく、だからいつどこで襲撃を受けるかもわからない。そんな状況から、彼はロドスのオペレーターに護衛を求めてきた。
身の回りの、慣れ親しんだ護衛をあえて外し、身の安全を外注に頼るのも、自分の動きを眩ますための彼なりの工作の一環だとは聞いている。
『彼は見ての通り、金と権力で肥え太っている。肥え太るというのは比喩表現の意味合いもあり、必ずしも体格を示すとは限らないが、こと彼の場合は贅沢の限りを尽くし、高級料理によって蓄えた脂肪によって、実際に肥え太っている。
彼の人格は褒められたものではない。
現在の位置につくまでに数々の恨みを買い、我々を支援する際にも敵を増やしている。良くも悪しくも、ロドスにとっては恩義ある人物であり、これからも支援を受け続けるには、彼のような人物であっても守る必要がある。
君にとっては不本意だろうが、残念ながらもろもろの事情が重なり、既に出張してしまっている者もいれば、これから出張に向かう者もいる。要はタイミングが悪く、頼める相手がたった一人に限られるというわけだ。
他に手の空いているオペレーターが、スカジは……やめた方がいいだろう。誰にでも向き不向きがあり、護衛という任務をこなすには不都合な事情を抱えたケースもある。
その点、君の実力なら問題なく彼を守れるはずだ。
いや、彼本人の計算によれば、守るまでもなく戦闘自体が発生しない予定だそうだが、何事にも絶対はない。いくら工作が上手く行き、行方を眩ますことに成功していても、ただの偶然で敵対人物に姿を目撃され……という話も、あり得ないわけではない。
つまりだ。
サリア、この任務を君に任せたい』
具体的には影武者を用意して、その影武者をいつもの護衛に守らせている。
そういった工作を複数のポイントに用意しており、敵対勢力は囮を引きやすいというわけだ。護衛をたった一人に絞るという無警戒も、敵勢力の裏をかくことにも繋がると考えたそうだ。
*
そして、任務を引き受けたサリアは、待ち合わせ場所に移動して、護衛対象の人物と接触を果たしたのだ。
褒められた人格の持ち主ではない。
とは事前に聞いていたが、彼はサリアの顔を見るなりまず難色を示した。
「……女か」
護衛が女であることに、不満そうな顔を隠しもしなかった。
「私の実力を疑うつもりなら、その心配はない」
「だろうね。ロドスが自信を持って派遣してきた人物なら、さぞかし能力に長けているんだろうけど……」
それでも、女の腕で自分を守り切れるのか。
そういった不安を醸し出していたが、ふとした拍子に彼の目つきは変わった。
「うん? よく見たら……」
不満の次は、逆に今度はサリアの顔をジロジロと観察する。あまつさえ頭のてっぺんから爪先にかけ、舐めるような視線を送ってきて、その末に行った発言がこうである。
「いくらなら、相手をしてくれるかな?」
さすがに驚いた。
初対面のうちから、そのために派遣されたわけでもないのに、さも金で抱ける女であるかのように見てきたのだ。
そうなれば、サリアもサリアで、彼に対してゴミ虫を見るような視線を向けてしまう。
「何か勘違いをしているようだが、私はその手の女ではない」
目で威圧した瞬間、彼は逆に媚びへつらい、サリアの機嫌を取ろうと必死になった。少し睨んだだけで身を竦ませた臆病者は、さしずめ自分の命を預ける相手が不機嫌なのは不味いとでも思っているのだろう。
しかし、お詫びと称して並べ立ててくる様々な提案の、そのどれもが気に入らない。
いや、そもそもとして、高圧的な態度が一変して、こうも媚びたものへと変わる切り替えの早さにぞっとしていた。
(なんなんだコイツは……)
結局、お詫びなど必要ないと突っぱねたが、移動中にも余計な発言が多かった。
「いやぁ、君ほどの美人なら、言い寄る男も数多いるんだろう。おそらくは経験済みと思うんだが、そのあたりはどうなのかな?」
「そうそう。せっかく守ってもらうのだから、それ相応の扱いというものを考えているんだがね。思わぬ美人にはちょっと色を付けようと考えている。さて、ではその色を付けた分の見返りがあっても良いと思うんだが、どうかね?」
車での移動中も、滞在先のホテルでも、彼はこうした調子であった。
お詫びだ何だと必死になっていたくせに恐怖を忘れ、諦めることなくサリアを抱こうと画策してくる。それも露骨に、セクハラな言い回しまで含めた発言の数々に、いちいち神経を逆なでされる。
(本当にこんな奴と過ごすのか? まったく、冗談じゃない)
サリアはこの任務に対する恨めしささえ抱き始めていた。
他に手の空いている者がいなかったとはいえ、よりにもよって自分がこんな男と過ごす羽目になるとは運のない話である。
もっとも、それらの誘いをかわしたり、必要さえあればまた威圧すればいいと思っていた。
……甘かった。
金は弾むだの、よいレストランでご馳走するだの、あらゆる言葉でサリアをベッドに誘おうとしてくるので、それを延々と突っぱね続けて、ようやく諦めたかと思った矢先、彼はホテルから姿を消した。
護衛対象の安全を確保するため、不本意ながら同室で過ごし、とはいえベッドは別々に寝る予定だったが、その護衛対象が失踪したのだ。
確かに、サリアと小太りで二人きりだ。
サリアとて風呂やトイレなど、生活の上で避けられない時間があり、彼の安全を常時見張っていることはできない。
数秒、数分、数十分など、必ず細かな隙は出来てしまう。
交代要員さえいれば隙をなくすことができるのだが、任務に当たるのはサリアのみ。余計なことはしないようにと厳命しつつ目を離せば、小太りの男は急にどこかへ出かけてしまった。
(……豚め)
当然、探しに出た。
本人の言葉を信じるなら、敵対勢力は今頃見当違いのポイントに狙いを定めている。その身が危険に晒される確率は減らしてあるのだろうが、何事にも絶対はなく、それこそただの偶然に殺されることもあるだろう。
幸い、ホテルの出入り口ですぐに捕まえ、勝手な外出を阻止することは出来たのだが、危うく勝手に出歩かれるところであった。
*
サリアは既に辟易していた。
(冗談じゃないぞ)
当然のように高級ホテル、ベッドの質感や内装の綺麗さなど、設備や部屋の雰囲気などにはさすがに何の文句もないが、小太りの男の方には文句がある。仮にも命を狙われていながら、よくも一人で出歩こうとしたものだ。
しかも、先ほどからしきりにため息をついている。
外出できず、よほど残念なのかもしれないが、それにしても一時間以上は繰り返しため息をついている。
さすがに、いい加減にして欲しい。
いつまで落ち込んでいるつもりだ。
小さな子供でもあるまいのに。
「サリアさん」
小太りの男はおもむろに声をかけてきた。
「なんだ」
「人には生理現象があるだろう? 例えばトイレに行くときは一人きりになる」
「それがどうした」
「生理現象にも色々とある。食事、睡眠。そして、三大欲求に数えられるもう一つの生理現象があるわけで、私はそれを満たすための外出を試みていた」
「ほう? 風俗でも行くつもりだったか?」
「そうだよ?」
小太りの男はあっさりと肯定する。
「いいご身分だ。命を狙われ、護衛を必要としている状況ではなかったのか? どんな店に行くつもりだったのかは知らないが、身元のわからない相手と二人きりになろうとするなど、狙われている自覚が足りないように思えるぞ」
「耳が痛いご意見なんだけど、私にとって性欲とはどうしようもないものでね」
「なら一人ですればいい」
「いや、私はね? きちんと女性と一緒にいる時でないと、何も満足できないんだよ」
「知るものか」
「風俗に行けない以上、私の傍にいる唯一の女性といったら――」
「断る」
サリアは即答した。
小太りの男は露骨に肩を落とし、元気のなさそうな様子でノートパソコンを使い始める。長々と仕事に打ち込んで、そのあいだはさすがに余計な外出を試みることもない。
さすがに学んでくれただろうか。
そう思い、サリアは就寝する。
いざという時、体が十分に動かないのでは結局護衛に差し支える。睡眠を避けるわけにもいかない。
本当は交代要員がいるのは一番だが、サリアしかいない以上は交代で眠る決まりとなった。
小太りの男が寝ているあいだはサリアが起きて、サリアが寝ているあいだに小太りの男は起きている。自分の寝姿を晒すことへの不安はあるが、サリアの就寝中に襲撃があった場合、田立に起こしてもらうしかない。
安全を考えれば、どちらが寝ている場合も必要以上に離れるわけにはいかないはずだ。
その取り決めの中、サリアは自分の就寝時間にベッドにつく。
(寝ているあいだに手出ししてこないだろうな……)
体を触ったり、何か余計な悪戯はしてこないか。
その不安で眠れそうにない予感はしながらも、ベッドの中で時間をかけているうちに、やがてはまどろみに飲み込まれ、気づけば眠りの世界に落ちていた。
数時間後、目を覚ます。
アラームでベッドから身を起こし、今度は彼が眠る番になったかと思いきや、サリアは顔中を引き攣らせた。
「結局出かけたというのか!」
最悪だ。
本当に自覚というものがないのだろうか。
自分で護衛を依頼して、自分で守って欲しいと言っておきながら、こちらの指示に従えないのでは守りようがない。
「いや、それとも誘拐か?」
サリアの就寝を見計らった何者かの侵入も、今は視野に入れなくてはならない。
すぐに探しに出た。
連絡を試みながら、行き先は風俗だろうかと町を歩き回っていると、ソープから出て来る小太りの、いかにも満足そうな顔を目撃して、サリアは肩を怒らせ歩み寄る。
「どういうつもりだ」
まず一言目がこれだった。
誘拐も視野に入れなくてはならない立場からすれば、やはり本当に呑気に外出を楽しんでいたなどというのは、腸の煮えくりかえる話である
「いや、これはね。切実な生理現象のために……」
「個室で二人きりになったのか? 風俗嬢と」
裏に何らかの組織が付いた店だったらどうするのか。
その組織が敵対勢力だった時には、入店した時点で詰みである。
「それは、まあ……」
「こんなことでは私はお前を守り切れないぞ?」
「ご、ごもっとも……」
「とにかく、今すぐ部屋に戻るんだ」
こうして部屋に連れ戻し、交代で眠る決まりなので、彼には睡眠を取ってもらったが、本当に風俗に出かけてしまう無警戒にはほとほと呆れる。
「この分では、明日もその次の日も、私の指示通りに動いてくれる保証がないな」
また、サリアが寝ているあいだに姿を消し、こっそりと風俗に行きかねない。
さすがに怖く、なので滞在二日目の就寝時間、サリアは寝たフリをした。目だけを瞑り、実際には眠りに落ちないように意識を保つ。
小太りが部屋にいるあいだは、ノートパソコンで仕事をしている際の、キーボードを叩く音が聞こえ続けた。他にはトイレへの行き来によるドアの開閉、水を流す音など、生活音が聞こえていたが、やがて怪しい気配がする。
彼はベッドに迫って来た。
内心で身構えるが、どうやら寝ているサリアへの悪戯ではなく、サリアがきちんと寝ているかどうか、その様子を窺いたかったらしい。仰向けで眠りつつ、薄目を開けて気づかれないよう様子を窺っていたサリアは、そうした彼の動きを観察していた。
人の寝顔を見て満足そうに頷きながら、次の瞬間には背を向ける。
今ならバレないという確信を抱き、ここぞとばかりに出かけようとする小太りの感情が見て取れた。
サリアはすぐにベッドから身を起こし、部屋の出口へ向かう彼を呼び止めた。
「どこへ行く?」
ドアノブに手をかけていた小太りは、ビクっと肩を弾ませていた。
「い、いやぁ、ちょっと外の風にだね?」
「一人で外出する気か?」
「は、はは……。寝ていたんじゃ?」
「今起きた」
「そうなの。それはそれは……いや、私は本当に外の風に当たろうとしただけで……」
「言い訳はいい。風だろうと何だろうと、一人で外に出ようとしたことには変わりがないだろう」
「いや、でもね」
「言い訳はいいと言ったはずだ。今すぐ戻れ」
「……はい」
威圧すれば怖がってくれるので、その時だけは素直になる。
だが、まだ実に短い付き合いしかないが、さすがにサリアも学んできた。この小太りの男は臆病者で、脅せば平気で媚びへつらってくるものの、数秒後には恐怖を忘れて絡んでくる。セクハラを脅迫気味に注意しても、また同じセクハラを繰り返す。
こんな人物が金と頭脳を持ち合わせ、ロドスに貢献する能力を備えているなど、もはや信じたくない勢いだ。
しかも、この日の出来事だけには留まらない。
翌日、彼は頭まで下げて要求してきた。