第3話 恥じらいの女王

 翌朝、レーナは再び研究棟に顔を出す。
 やはりというべきか、戦況報告は建前で、他にも用件があったことは昨日からはっきりしていたが、レイドデバイスの最新バージョンに加えてもう一つ、マイアーレ・グラッソからの要請があったのだ。
 思考支援デバイス<ツィカーダ>。
 擬似神経繊維で構成された、ボディースーツ様の演算装置。
 かの氷の国で作られたそれの現物を見たいのと、解析をさせて欲しいとの要請で、レーナはたまたま持参したそれを身に着けていた。今のところ戦況は落ち着いており、<レギオン>に目立った動きはないとはいえ、いつ何が起こるかわからない。念のために持ってはいたが、事前の通達も無しでは置いてきていた可能性もあるわけで。
 それに共和国に技術提供を行うようで、大変に躊躇われるというか。
 考えてもみれば、客員として他国に入り込み、その他国で得たものを自国で解析など、スパイの行動そのものではないか。
 だから、突っぱねようとも思ったのだ。
 一言、今は手元にないと言ってしまえば、それで話は終わるはずだった。そのはずなのに、レーナはこうして軍服を脱ぎ、<ツィカーダ>を装着していた。
 要請を受けた瞬間、何故だか頭がピリっと痺れたのだ。
 あの奇妙な頭痛は何だったのか。
 あまりにも一瞬だったので、気のせいだったような気もしてくるが、気づけばレーナはマイアーレの要請に同意していた。頭の中では断ろうと思っていたはずなのに、実際に口から出て来た言葉がそれとは違って、レーナは自分で自分に驚いていた。
 あれ? なんでわたし、こんな返事を?
 ……などと、自分に対して疑問を抱いた。
 応じることに抵抗のある理由は、まだ他にもあったというのに。
「あの……着替えて、来ました……」
 更衣室から外へ出て、マイアーレの前に顔を出すなり、その視線が痛いほどに突き刺さる。
 主に、胸に。
<ツィカーダ>は使用者の生体電流を動力に稼働するため、また擬似神経繊維には姿勢を保持する力がないために、必ず皮膚の上に展開させねばならない。つまり体にぴったり密着しているにも関わらず、使用者の体組織を支えてはくれない。
 つまり。
 動くと揺れるのである。主に胸が。
 初めてこの姿で人前に立った時、その場にいた面々は慎ましく、あるいは露骨に目を逸らしていたものだった。
 けれど、目の前の男にそういった様子はない。
「なるほどね? これは確かに刺激的な格好だね」
 太った中年の、言いにくいが醜悪な部類の顔で、ニヤニヤとしながら見てくるのだ。いやらしさが満載の、いかにも下心に満ちた眼差しは、不快感と羞恥心を強く煽ってくるものだった。
「すみません……あまり見ないで頂けると……」
「気をつけ」
「……!?」
 レーナは驚愕した。
 いや、何をたったそれだけで、気をつけと言われてその通りにしただけで、自分は驚いているのだか。
 ……いや。
 だけど今、見えない力で勝手に体を動かされてしまったような気がした。さすがに気のせいだとは思うのだが、どういうわけかそんな気がした。
「ふーむ。なるほどね? 生体、つまり皮膚との接触が肝心なわけだよね。展開時に体表にまとわりつくってわけなんだろうけど、質量が足りなかったらどうなるのかな? 例えば物凄い巨人が使ったら? それで表面積を覆いきれなかったら? だけど通常の平均的な体格なら、自動的に形を合わせてくれるんだろうね」
 きちんとそういう面というか、研究者の視点でも見ているのか。
 マイアーレは顎に指を当てながら、レーナの背後に回り込む。髪が長いので、背中はほとんど見えないと思うのだが、次の瞬間に感じたのは、主にお尻への視線であった。
「あの……もしかして……」
「お尻だね」
「すみません。恥ずかしいのですが……」
「悪いが我慢してもらうよ? <ツィカーダ>ってものが、いかに身体の形状に合わさるものなのか。この目で確かめている最中なのだからね」
「それは……でも……」
 学問的な好奇心で、真面目に見ているのだとしても、見られる方としては恥ずかしいものは恥ずかしい。せめて早めに切り上げて、すぐに視線を剥がして欲しかったが、マイアーレは本当にじろじろ見ていた。
 だいたい、ただのセクハラだったらどうしよう。
 真面目な目的だとしても恥ずかしいのに、単なる性的好奇心だったら本当に最悪だ。
 形がはっきり出ているのは、もちろんお尻も同じである。形状にぴったりと沿い合わさり、尻山のカーブを如実に浮かべたその部分は、割れ目のラインまで形成している。
 さすがに性器のラインとか、胸の乳首は出ないのだが、身体の形が浮き出る点では、尻のあたりはかなり際どい。
 しかも、マイアーレはレイドデバイスを起動していた。
 その同調対象はレーナとなっており、そしてレイドデバイスで繋がっている相手とは、距離が離れている場合でも、顔を合わせている程度には感情が通じ合う。だとしたら、同じ空間にいるマイアーレが、しかもレイドデバイスを通じてレーナの心を感じ取れば、今まさにある羞恥心の全てが如実に伝わりかねい。
 恥ずかしい、恥ずかしい――そう思っている気持ちが直接マイアーレに。
 なんてことを思ってしまうと、それがかえって羞恥心を強めてしまう。お尻を見られていることも、恥じらう感情の中身を覗かれるのも、何もかもが恥ずかしくて、レーナの顔はみるみるうちに染まり上がった。
 そればかりか、マイアーレ側の感情もレーナには伝わってくる。
 研究者の目線で大真面目に、事務的に観察しているのだと、せめてそう信じていたかったが、その感情があらわになればなるほどに、レーナは不快感を煽られていた。性的な好奇心で、わざとらしく尻を視姦しているのだとわかってしまい、羞恥の上塗りでより一層のこと顔が赤らんでいた。
 もうやだ、やめて……。
 レーナは心で切実に訴える。やめて欲しい気持ちを強く抱いて、それがマイアーレに伝わることを祈りさえしていた。
「次は体表との電気交換の様子を観察したいから、スキャンを受けてもらえないかな」
 そう簡単には終わらなかった。
 今度はカプセル状の機材に案内され、その中で身体のスキャンを受けた。それが済み、やっと<ツィカーダ>を外すことができても、まだ次の指示が残されていた。
 身体検査を受けて欲しいと言われたのだ。
 レイドデバイスの新型バージョンを使用したからだ。
 他者と同調を行う知覚同調のシステムは、安全性が完璧に証明されているわけではない。使用から数ヶ月や数年で異常が出てくるわけではなく、今のところ何もないのでとりあえず使っているが、脳を外部から活性化させ、超能力的な通信状態を作り出すことで、身体が受ける影響の有無は完全にはわかっていない。
 だからレーナ自身、共和国でハンドラー・ワンと呼ばれていた頃から、健康診断は定期的に受けていた。
 その診断を今、今日ここで。
 それ自体に異論はないが、解析のために<ツィカーダ>を手渡した時、マイアーレにこう言われたのだ。

「ああ、ところでパンツ一枚で頼むよ」

 パンツ、一枚?
 それはさすがにおかしいと、抗議の声が喉に出かかった時、レーナの脳には何かが溢れた。内側から爆発的に広がる何かに、抗議しようと思った気持ちは直ちに掻き消されてしまっていた。

 命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――

 違和感がなかったわけではない。
 見えない何かの膨張をレーナは確かに感じたが、次の瞬間にはその違和感を気のせいで片付けて、今のそれをこう解釈していた。
 研究主任が言うからには、そうでなくてはいけない理由があるのだろう。ブラジャーの着用があってはやりにくい検査があるのだろう。
 レーナにはわからない医学的な理由のために、下着一枚のみの格好を指示してきたに違いないと、そう自分に言い聞かせていた。
 思考を制御されているなど、この時のレーナはまだ、微塵も考えてすらいなかった。

     *

 更衣室で着替えを済ませ――といっても、ショーツを穿いた上から、一応検査着の着用を許されたくらいのもので、特に時間はかかっていない。着替えはすぐに済んでしまい、レーナはしばらく室内のベンチで待つ。
 生地の薄い、心許ない布一枚で、ブラジャーもなしに裸を隠していると思うと気恥ずかしい。
 この格好で人前に出るなんて、本当に恥ずかしくてたまらないが、マイアーレが<ツィカーダ>の解析を終える頃には、顔を出して欲しいとの指示がレイドデバイスから送られて、レーナは更衣室を出て行った。
 ゆさゆさと、揺れるべきものが揺れ動く。
 それは<ツィカーダ>でも同じだったが、あれの場合はぴったりと肌に張りついていた。
 ではこの白い不織布のガウンはというと、まず本当に生地が薄い。透けてしまわないかと不安になるほど厚みに欠け、動けば身体との摩擦も気になって仕方がない。
 普段、乳房はブラジャーで覆っているわけで、その押さえ込む力が今はない。歩けばぷるぷると上下に小刻みに動く。それが布との微妙な摩擦を起こす。痛くはないが、乳首に妙な刺激も来てしまうので、ありとあらゆる意味で落ち着かない格好だった。
 だいたい、マイアーレは視姦をしてきた。
 セクハラでしかない目で<ツィカーダ>越しの体を観察され、その次は布の薄い検査着である。しかも透けやすい色なので、実はショーツの色が見えていないかとか、乳首の色は大丈夫かとか、そんな不安まで湧いてくる。
「準備は出来たみたいだね」
「は、はい。一応……」
 一応、できたが。
 検査を担当するのは、やはりマイアーレだろうか。こんな格好で、あまり男の視線を浴び続けるのは、やっぱり本当に恥ずかしい。
「では行こうか」
「え? 行くって――」
「検査は別室で行うからね。着替えも済んだことだし、移動しようか」
「い、移動って、もしかしてこの格好でですか!?」
「そうだよ?」
「それはちょっと…………」
 最高に遠慮したかった。
 この格好で廊下に出て、内側で乳房をゆさゆさとさせながら歩くなど、とてもでないが考えられない。腕で押さえておけば目立たないだろうか、とか。布を掴んで押さえ込みを作れば、揺れは防げるだろうか、とか。微妙な対策は頭に浮かんでくるものの、そもそもの話として、こんな薄い布一枚を隔てた内側が裸なのだ。
 それを言ったら、もちろん<ツィカーダ>だって同じくらい恥ずかしい格好だとは思うが。
 何というのだろう。
 水着姿を見せるのと、下着姿を見せるのは違う、みたいなものだろうか。
 とにかく、検査着と<ツィカーダ>では感覚が変わって来るし、だいたい<ツィカーダ>の時だって、上から何かを羽織ったりしているのだ。それに比べて、この検査着は生地もそうだが丈も短く、ミニスカートのように太ももが出てしまっている。
 こんなに心許ない格好があるだろうか。
 何やらヒラヒラと揺れやすく、あまり動くと中身が見えそうで落ち着かない。しかも生地が薄いと通気性も妙に良いので、大気の流れを衣の内側でも感じられ、すーっと胸や腰を通り抜けていく感覚が確かにある。
「さあ、早く行くよ? レーナちゃん。従ってくれないと、これからの予定に支障が出てきてしまうじゃないか」
「ですが……」
 レーナは抗議の声を上げようとした。
 せめて、上から何かを羽織らせて欲しい。そのくらいの要求だけでも通すつもりで口を開いて、その瞬間にまたしても脳で何かが膨らんだ。

 命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――命令遵守――

「え? え?」
 頭の中に吹き荒れるものに、レーナは困惑していた。
 ……命令遵守? そう、ですよね。
 湧き起こり、急速に増殖してきた脳内の言葉をレーナはこう受け止める。自分には上層部の命令に素直に従う気持ちがあり、だから抗議などしてマイアーレを困らせるべきではない。待遇に対するケチは、時として子供の我が儘と同じであると、レーナは急に自分の意思を抑え込んでしまっていた。
 確かに今、抗議したい気持ちがあったはずなのに。
 いいや、大人として振る舞うために、言いかけた言葉を自制しただけの話だ。
「どうしたのかな? 何か言いたいことでも?」
「い、いえ。行きましょう。早めに済ませて頂けると……助かります……」
 せめて早急のうちに片付けて、さっさと元の服装に戻りたい。
 部屋を出て行くマイアーレの後に続いて、レーナもまた廊下へ出る。背中について歩いていくが、やはり検査着の内側でゆさゆさ動くし、丈の部分はひらひら揺れる。ただ歩くだけの風圧でも、丈がふわっと浮いてしまいそうな不安があって、レーナは丈の前後の方を優先的に抑えていた。
 右手で前を、左手で後ろを押さえる。
 そして、前を押さえるための右腕は、うまく肩を内側に丸めることで、乳房の揺れを抑えるためにも使おうとした。ついでに丈を下に引っ張り、布をぴんと引き延ばせば、少しは乳房を押さえつける効果が出るはずだと思っていた。
 人とすれ違うことは避けられない。
「お? ありゃあ」
「へえ、鮮血の女王だっけな」
「たまには帰ってくることもあるんだな」
 三人組の軍人が正面から歩んで来て、すれ違うレーナのことを珍しそうに見てきていた。特に声をかけられることもなく、レーナも特別に振り向きもしていないが、会話の内容だけはしっかりと聞こえて来た。
「なんかエロかったな」
「ああ、乳首立ってたぜ」
「マジか」
 レーナは衝撃を受けた。
 ち、乳首って……レーナは恐る恐ると下を向き、自分の胸を確かめる。そこにあるのは、丈を下へと引き延ばしていることで、布の圧力で微妙に下垂した乳房である。布がべったりと胸に張りついていることで、薄い生地からは乳首の突起が浮き出ていた。
「いやぁ…………!」
 いつから?
 今まで、ずっとこうなっていた?
乳首が突起した自覚などなかったのに、いつの間に立っていたものが検査着越しでもわかってしまう。レーナはたまらず右腕を胸に移して、胸を守る方を優先した。