第1話 女王の呪い
共和国の研究施設で『研究素材』の様子を見ながら、レイドデバイスの開発研究に励む一人の男が鼻を鳴らした。
「まったく、甚だ不愉快だな」
つい先ほど、研究主任のマイアーレ・グラッソは、実に不快でならない情報を知り、虫の居所が悪くなっていた。
「色付きの分際で」
気分の悪いニュースを聞いた。
マイアーレに報された情報は、かの女王がエイティシックスと交際を始めたというものだ。十代にして聖女マグノリアの再来とも言われる武勲を上げ、高く評価されているヴラディレーナ・ミリーゼだが、それでも思春期の少女には変わりない。まだまだ未熟で、判断力の乏しい彼女なら、エイティシックスに拐かされ、心を許してしまっても不思議はない。
なるほど、色付きの人間モドキは、姑息にもそこを突いたというわけだ。
これは由々しきことだ。
以前、共和国が<レギオン>侵攻による壊滅的な被害を受けたのは、全て無能なエイティシックスどものせいである。家畜などには勿体ない、素晴らしい兵器を与えられていながら、十年かけても勝てもしない。
劣等種が作り出した<レギオン>ごときにだ。
レイドデバイスという通信機と、指揮管制官による指揮まであって、なおも勝てないていたらくを無能と言わずして何とするか。
そんな無能の色付きどもでも、有能なる士官が正しく管理したならば、エイティシックスとて<レギオン>に対する有効な対抗手段となる。そのことが武勲によって実証され、最近でも海で戦う活躍などを果たしたそうだが、エイティシックスは元はといえば共和国の保有資産だ。
ならばその有効な防衛手段は、本来の持ち主たる共和国の元で機能するべきだ。
レーナの優秀な指揮と、その指揮下で戦うエイティシックスという組み合わせは、共和国にこそあるべきなのだ。
それを他国などが保持した上、しかもエイティシックスの分際で女王をたぶらかす真似までするとは、これほど腹の立つ話があるだろうか。
しかも、よりにもよってレーナだ。
あの麗しの天使を。
「くそ!」
色付き風情が、無能なばかりか人の恋路まで邪魔するとは。
マイアーレはもっと以前から、本当に前から思いを募らせていた。
あるおり、一目見た時からレーナの美貌には惚れており、彼女の人形遊びに賭ける想いを知るや否や、是非とも彼女の力になろうと勉学に励んだものの、研究主任の立場を年下の少女に奪われ呆然とした過去がある。
アンリエッタ・ペンネローズ技術少佐。知覚同調の技術主任。
レーナの幼馴染みだという女は、十代半ばのくせに大人であるマイアーレを追い抜いた。人が夢見た立場を掠め取り、レーナのレイドデバイス調整役という美味しいポジションに居付いた少女への、暗い恨めしさは確かにあった。
とはいえ、まだ同性同士だから良いと思った。
男と女であれば危機感を煽られるが、幼馴染みの女同士なら、そういう可能性は低いだろう。まだ自分にもチャンスはあると考えて、ひとまずは飲み込んでいた。
だが、あの陥落の瞬間以来、憤りは増すばかりだ。
レーナはギアーデ連邦の客員士官として引き抜かれ、アンリエッタ――通称アネットも共和国を離れていった。エイティシックスさえも接収されて、アネット不在のポストを埋めるため、研究主任という役職こそ任されたが、マイアーレの不安は見事に的中した。
国境を越え、ギアーデ連邦にいるあいだに、レーナを他の誰かに取られるのではないかという不安が。
今にして思えば、アネットに追い抜かれ、二番手に甘んじているうちは良かった。その時は劣等感にまみれていたが、やはりレーナを取られる心配は少ないはずであることで、どうにか自分を納得させることができていた。
だいたい、優良種なのだ。大人を上回る少女が登場しても不思議などない。
レーナを他の誰かに取られての失恋も、それが白銀種の男であれば、納得はしないが今ほど腹を立ててはいない。
よりにもよって、シンエイ・ノウゼン――色付きの無能との恋などとは。
こうなると、過去の劣等感が蘇る。
二番手などに落ちることなく、レーナの隣でレイドデバイスの調整役になれていたなら、そのような由々しき事態は阻止できた。きちんとした大人の目で見守って、エイティシックスごときには間違っても手を出せないようにしてみせた。
なのに、幼馴染みは一体何をしていたのか。黙って見ていたのだろうか。同じ共和国人がエイティシックスと結ばれる瞬間を。
それとも、アネットの知らないうちに関係が進んでいたか、あるいは知っていても阻止できなかったか。
いずれにせよ、アネットやレーナの客員に他の共和国人の大人を付けなかったことが、そのような事態を招いたのだ。
果たして、二人は既にどこまでしているのか。
最悪、キスは経験済みになっていると覚悟すべきだが、交際が始まったのはつい最近と聞いている。であれば、きっと最後まではいっていない。せめて、それ以上先へは進ませないため、何か手を打たなくては。
「待てよ? まだ遅くはない」
レーナは共和国人だ。
マイアーレの恋慕ではないが、同じ共和国人として、白銀種の女がエイティシックスと結ばれるなど良しとしない顔ぶれは、いくらでもいるはずだ。まして、聖女再来と呼ばれる少女とあらば、その隣には相応しい人間が立つべきだ。
「まずは、出頭命令を出してもらわねばな」
共和国に属する軍人である以上、共和国の出頭命令には逆らえない。研究主任の立場から軍事部に掛け合えば、自分のこの考えに関して同意は得られるだろう。
……早く、救わねば。
劣等種ごときの誘惑から、目を覚ましてもらわなければ。
「……そうだ、これは救済だ」
マイアーレの中に、使命感が芽生えてくる。
「救済! 救済だ! 聖女に穢れを近づけてはならない!」
真理に気づいてしまった。
エイティシックスは、シンエイ・ノウゼンは悪魔と同じだ。人間の耳元で誘惑の言葉を囁いて、地の底へと貶める。人を堕落せしめる悪魔を御して、飲まれることなく手駒として操る分にはいいが、間違っても心酔させてはならないのだ。
「出力を上げろ」
マイアーレが部下に指示を出す。
それと同時に上がる絶叫は、無論エイティシックスのものだった。連邦にほとんど奪われ、手元に残った色付きは僅かであったが、マイアーレはたった今、ただの気晴らしのためだけに貴重な資源を使い潰した。
レイドデバイスを使用した脳の制御。その人体実験のために。
*
レグキード征海船団国群での戦いから、ギアーデ連邦に帰還して束の間。
「出頭命令、ですか」
訓練などのスケジュールもあり、僅か一日の休暇を使い、シンはレーナを誘い出していたわけだが、そこで聞かされたのが共和国からの命令についてであった。
いわゆる、デートの最中というわけで。
特に決まった目的もなく、適当に店を覗いて回っているうちに、そろそろ休もうかとベンチに辿り着き、そこでレーナが切り出したの話がそれだった。
「はい。これまでの戦果について資料をまとめて、急に報告しに来いと」
「おかしな話ですね。そんなもの、データで済ませればいいのに」
正直、面白くない。
シンは微妙にふて腐れた。
あのダンスパーティーの日、やっとの思いで伝えた気持ちに、やっとのことで返事を貰えたのがつい先日で、晴れて交際関係になったばかりだ。今日はそれから初めての休暇で、レーナのことを誘って楽しみにしていたわけだったりする。
その矢先に遠くへ行かれては、レーナを取られるようで良い気はしない。いや、別にどうせ戻ってくる。ただの仕事の一環なのに、取られるも何もないのだが。
会える時間を減らされるのは腹が立つ。
相手が共和国だと、尚更。
「シン。わたしを行かせたくない、ですか?」
何をちょっと嬉しそうにしているのか。
「ええ、まあ」
問い自体は即答する。
本当は食い止めたい気持ちすらあるが、さすがに独占欲の出し過ぎと思ってそこは堪える。だからといって、会えなくなる寂しさは変わってはくれないものだ。
「うっふふ」
何やら、クスクスと笑っていた。
「何をそんなに嬉しそうに」
「いえ、だって」
その横顔を見て、シンはドキリとする。
恥じらうように赤くなり、照れ臭そうに俯いた横顔に、目が行かないはずはない。シンはその横顔にじーっと、心を奪われた視線を送ってしまって、レーナもレーナでふとした拍子にそれに気づいた。
「あ……」
「…………」
小さな声を上げるレーナと、無言のシンで、お互いが目を逸らした。
それなりに、赤らみながら。
どこからどうみても初々しいカップルには、妙に微笑ましく見守るような通行人の視線がチラチラと向いてくるので、それも含めて気恥ずかしくなっていくる。ふと思うが、仲間内に目撃されたら絶好のネタにされそうだ。
「まあ、その。また誘いますので」
「ええ、その……お願いします……」
レーナの手が、シンの手の甲に置かれていた。
重なり合っている感触が心地良い。
ずっと触れ合っていたいような、もっと求めたくなってくるような――しかし、正式に付き合い始めてから日が浅い。色々と、そういうことはまだ早い。そもそも、明日は訓練のスケジュールもあるわけで、あまりそういう時間はなかったりするのだが。
しかし、少しは欲しい気もするわけで。
シンは意を決して、レーナの手を取り立ち上がった。
「え? あの――」
戸惑うレーナを引っ張って、ちょうどいい物陰に連れていく。
別に、外でなんて考えない。それはレーナも嫌だろうし、というよりシンも嫌だ。変なスリルを求める性癖は持ち合わせてはいない。
いや、けれど。
だからこそ、シンはレーナを裏路地に連れ込んだ。
「あのっ、え!? あの? シン!?」
「大丈夫ですよ。レーナ」
「大丈夫ってあの……これは……!」
慌てた顔で、レーナはすっかり赤らんでいた。
そんなレーナを壁に押しつけ、逃がさないように手首を掴むと、シンは唇を貪った。獣のように食らいつき、激しいキスで舌まで押し込み、レーナの唇を存分に味わった。
「んっ、シン…………」
心臓が破裂しそうだった。
レーナ的には、え? まさか、こんなところで? という焦りがあって、だけど嬉しい気持ちもあった。襲ってもらえるかもしれない期待感、なんてものが湧いてきて、かといって外ではまずいから、きっぱりと断った方が良いのではと、理性が執拗に連呼してきた。
だから微妙な抵抗で力が入って、けれどシンの腕力を押し返せるわけがなくて。
甘美な激しさに襲われると、もう力は抜けてしまっていた。心が観念したように、全身がだらりとなって、もう何をされてしまっても構わないような、妙な覚悟というか何というかが胸の中にびっしりと根を張った。
きっと、シンだって時と場所くらいは考える。
最後まではないと思うが、少しは触られてしまうかも。
いや、少しとはどれくらいだろう。
少なくとも、あるとしたら服の上からで、内側に手がくるのはさすがに場所が。いや、服の上だろうと、外はやっぱり。
これから起きそうなことを色々と想像して、怖いような恥ずかしいようなで、シンの顔をまともに見ていられない。目と目が合えば、心臓がもう一度破裂してしまう。そうならないように目を瞑り、レーナの方からも唇を求め返していた。
随分、長くキスをしていた。
お互いに啄みあって、気づけばレーナも夢中でシンの唇を頬張っていた。顎を突き出し、自分からも舌をねじ込んでみようとしてみたり、それをシンに受け入れてもらったり、そのままお互いに絡め合わせ。
甘くとろけていった。頭まで、とろっと液体に変わっていくかのようだった。
夢見心地な時間の中で、何度も夢中で重ね合わせて求め合い、気が済む頃には、どちらの口周りも唾液まみれだった。
「レーナ」
「はい」
「そのうち、レーナの全部を貰う」
「……はい」
耳元で囁かれた瞬間に、結局は心臓が弾けてしまった。
ドキドキしすぎて、もう何が何だかわからない。
こんなの、身が持たない。
全部? 全部って、つまり……そういうことに決まっている。いつかは来ると思っていた瞬間は、もしや遠い将来なんかでなくて、意外と近くにまで迫っているんじゃないかと、そう思うだけで体中がそわそわした。
考えるだけで恥ずかしくて、デートを終えてから翌日になっても、ずっとずっと、なるべく意識をしすぎないようにするレーナであった。