レーナはバスを下りていた。
下りる際には、レーナのことも完全な透明人間にしてあると、だから払うべき料金も払わず降車して、繁華街へと向かわされた。
こんな状況でもなければ、料金未払いを律儀にも気にしただろう。
頭が壊れそうなほどの羞恥に囚われ、一体どこまで顔が赤熱しているか、自分でも想像がつかない今のレーナに、そんな余裕があるはずもなくて。
洋服屋さんやアイスクリーム、レンストラン、あらゆる店のウィンドウが建物ごとに並んだ街中は、人々に賑わっていて、こんなところでレーナはショーツ一枚で歩いている。すれ違ったり、後ろから追い抜いてくる老若男女の視線全てが気になって、見えていないと頭ではわかっていても、誰かの顔が自分を向くたび、レーナは咄嗟に身構えてしまう。
「おれから離れようとは思うなよ?」
異能の男は言う。
「手の届く距離なら、身の周りの物も認識から消せる。他人のことも透明人間にできるけど、離れると効果はなくなる。逃げたらどうなるかは、もちろんわかるよな」
想像もしたくない事態が脳裏に浮かぶ。
露出狂の変態と見做されるか、どうなるかはわからないが、周囲の注目が集まることは避けられない。何十人の視線を一度に浴びることになるかと思うと、怖くて怖くて男の元を離れられない。
レーナには男の姿が見えないので、レーナの側からは、どのくらい距離を保っているのかがわからない。逃げたり、走ったりさえしなければ、近くにいてくれるはずだと思うしかない状態だ。
首輪を直接付けられているわけではないのに、逃げられないように管理されている。リードに繋いだ犬の扱いを受けているような、ペット扱いの屈辱が胸の中に込み上げる。
こんな呪縛、どうにか解きたくて仕方がなくて、けれどその方法は、彼に邪魔されることなく服を手に入れ、その上で逃げ出すことだ。荷物は取られ、財布もないのに服は買えない。あったとしても、どちらにしろ実現しようのない話だ。
唯一の突破口が塞がれていて、男の気の済むまでレーナは玩具になっているしかなくて。
ぎゅっと、レーナは胸を抱き締め、両腕の内側に乳房を守る。
「傑作だな」
それを面白がった声色で、異能の男は尻を掴んできた。
(やだ……)
むぎゅりと、尻たぶに指は食い込む。
人のお尻に手をやりながら、男はレーナの肩へと、隣から密着して、はしたないエスコートのように歩いていた。
「ほら、いい服だ。見てみようじゃん」
その手で店の前へと歩かされ、レーナはショーウィンドウの前に立たされる。マネキンが着ている女性ファッションは、こんな異常な状況では、良いも悪いも感じられず、一刻も早く解放されたい思いばかりがレーナには募っていた。
「お、薄ら映るな。見てみろよ」
男が言うのは反射であった。
「言ったろ? 本物の透明人間ってわけじゃない。だから鏡には映るんだけど、その鏡の中身を他人は正しく認識できない。鏡はきちんと俺達を見てるのに、他の人間は鏡越しにすら見えないんだ」
その言葉を聞くうちに、レーナの意識もガラスの微妙な反射へ及ぶ。確かに薄ら、レーナ自身の姿は映っていて、ショーツ一枚で出歩く自分の、みっともない有様が確認できる。そして、異能の男の存在は、鏡越しにも確認できない。
「なんなんですか……」
「お?」
「こ、ここまでされる謂われはありません。あなたの……所属と、名前を言いなさい……」
今更だと、我ながらほとほと思う。
だがシンの言っていた通り、こんなことをしてくる人物など、放っておくわけには決していかない。
「うるせーな」
「い、言いなさい! でないと……!」
語気を強め、その瞬間だ。
「あれ? 裸の女? いや、気のせいか」
レーナの表情が凍りついた。
一瞬だけ青ざめて、顔面蒼白になったかと思いきや、その真っ白な顔はみるみるうちに真っ赤に染まり直していき、耳からも高い羞恥の熱が発せられた。
「~~~~っ!?!?!?」
声もなく、顔や心だけで悲鳴を上げた。
思わずしゃがみ込みそうになる勢いで、レーナは髪を振り乱し、腰をくの字に折り曲げていた。
「一瞬な。たった一瞬だけ解除したわ」
「一瞬って……!」
「あれ? もしかして、一分くらい解除して欲しかった? 一瞬だから、今後ろに居た奴も気のせいとか思ってるっぽいけど、もうちょっと時間が長かったら、違ったと思うんだよね」
(こんなの……逆らいようが…………)
レーナは歯噛みした。見た本人の中では気のせいになっているとはいえ、見られたことにも赤らみながら、恥辱を顔に滲ませる。
異能の男にしてみれば、スイッチを切り替えるのと変わらない感覚で、レーナの扱いを好きにできてしまう。それでは本当に、まるで逆らいようがない。
「気をつけ」
やや強い声音で、犯行は許さないという意思がよく伝わる。
「こんな場所で……」
「そうそう、こんな場所で、また解除して欲しい? 透明人間でいたいよな」
主導権はあくまで彼にある。
逆らえない悔しさ、乳房をきちんと露出することの恥ずかしさ、それが途方もなく膨らんで、恥辱で頭がねじ切れそうにすらなってくる。
渋々と腕を下ろした。
きっと、じろじろと乳房を見ている。相手が透明なので、視線の有無は本当にはわからないが、視姦されているに違いない思いから、乳肌に突き刺さってくるものを感じる。
そして、風。
個人で過ごす部屋の中とか、裸で当たり前のバスルームでは、肌に直接触れる空気など気にならない。ここは外で、しかも繁華街。環境さえ変わってしまえば、大気の流れが肌に触れ、乳房でも感じ取れてしまう状態が、どうしようもなく心許なく感じられる。
とてもとても、不安を煽られる。
それに音、気配。
今はショーウィンドウだけを見ていて、視界に入り込む人々の数は控え目だが、すぐ身の周りで、足音や話し声が聞こえるのだ。人が歩くとき、手足の可動から聞こえる衣擦れも、耳が妙に敏感になって聞こえてくる。
出店で作られる料理の匂いだって、レーナに届く。
自分が一体どこで裸になっているのか、五感が実感を強めてくる。
「動くなよ」
すると、レーナの腰の両側に、ショーツのゴムに指が潜り込んできた。見えはしなくとも、人の指が当たってきているのは、感触で理解できてしまった。
「ま、まさか……!」
「騒いだり、泣き喚いたりしたら、全裸で放り出して傍から結末を見届ける」
顔は赤熱しきったまま、心だけが凍りつく。
その通りにされてしまったら、周りの人々はレーナをどう思うか。仮に何かの被害に遭って、加害者の手で裸で放り出されたのだと信じてもらえても、この格好で繁華街にいた事実は消せなくなる。
共和国からの客員士官が、人から被害を受けてとはいえ、騒ぎや事件を起こして連邦軍を騒然とさせる。それが良いことのはずはない。それに共和国人のレーナがそんな仕打ちを受けたと知ったら、他に不満を抱く層も増長して、ならば自分もと、何かを考え出すかもしれない。
いや、そもそも、やっぱり変態の露出狂だと思われたら?
何がどう転んでも、マイナスしかない。
(逆らえない……こんなこと、させたくないのに…………)
ショーツがするすると下ろされていく。
その様子はやはり、鏡に薄らと映っていて、下着が自分で意思を持ち、レーナの下半身から離れようと動いて見える。最後までショーツを脱がされ、尻もアソコも丸出しに、羞恥心でますます頭が狂いそうになってきた。
脳神経が羞恥の熱でショートしそうな、頭の中で火花が飛び散るほどの恥ずかしさ。
「毛の生え具合も可愛いな」
正面、それもしゃがんだ位置から声は聞こえた。
「やっ、いや……!」
レーナは慌てて両手で隠し、腰をくの字に彼からアソコを遠のかせる。
「気をつけだろ」
「無理です……許して下さい……」
「駄目だ。従えないなら、今度こそ衆目に晒されてもらう」
「うっ、わかり……ました…………」
レーナはまた、すぐさま気をつけの姿勢へ戻っていく。アソコから両手を剥がし、真っ直ぐな姿勢を保つだけでも、体の方が拒否するせいで、その動きは必要以上にぎこちなかった。
全てを見られてしまっている。
ここが密室だったとしても、顔から炎すら噴き出るほどに恥ずかしい。いずれ正気が保てなくなってしまうか、熱が溜まるあまりに意識を手放しそうなほど、大きな大きな羞恥心の中に、レーナの心は飲み込まれていた。
ライチェスはニヤニヤしていた。
いや、何を興奮ばっかり、これは制裁なんだってば。なんてことを、自分に言い聞かせながら、けれどレーナの美しい肢体には興奮を隠せない。
風呂を覗いた時も思ったが、乳房の形は一級品だ。なかなかの大きさで、サイズはきっとミニメロンに近いだろう。半球ドームのように整った丸みがあって、下垂もあまりしていない。手前に突き出た頂点の、薄色の乳輪や乳首も見栄えして、写真に残さずにはいられない。
毛の生え具合も、控え目で奥ゆかしい乙女に見える。
髪の色と同じく白銀の、陽光を浴びて少しの輝きを纏った毛並みは、薄らと縦型の楕円となって、中央に折り重なっている。両側から押し倒し、寝かせた先端が絡み合っての微妙な山なりは、量は少ないが毛並みのおかげでふっさりだ。
その下にある割れ目は、桜貝の閉じ合わさった部分を見ているように、やはり綺麗で視線を奪われる。色白の美肌は全身きめ細やかなもので、その滑らかでツヤツヤとした感じは、ぷにっとした肉貝にもあって、血色のせいかほんの少しだけある赤らみも、見栄えの良さをより良くしている。
芸術的な裸体を前に、ライチェスはしばらく性器を観察していたが、今度は立ち上がって顔を眺めた。
「いい顔だ」
そう言うと、レーナは少しだけ顰めたように表情を変えるものの、何も言わずに俯きがちに、恥ずかしそうに顔を背けた。
その恥じらいの顔といったらないわけで、人間の顔がここまで赤いのを、生まれて初めて見た。白系種の肌がいっそ別の人種に見えるほど、首から上が綺麗に染まり変わっていた。
髪から覗けて見える耳まで、本当に真っ赤になもので、触れば温かいような、熱っぽさすら感じていた。
レーナの視線は、ライチェスを見ているが見ていない。認識阻害の調整で、声を聞かせたり、触れた感触を感じさせはしているが、姿までは見せていない。レーナの脳がライチェスの存在を受けつけていないのだ。
本当に透明になっているわけではない。
だったら、冷静に考えれば、こうしてレーナの前を立ち塞げば、レーナの視線は一応遮っているはずである。ショーウィンドウの中身も、ガラスに反射した景色も、どちらも見えなくなりそうだが、どうも見えるらしい。
脳による光の処理は、一体どうなっているのやら、ライチェスの部分に、脳が勝手に補正でもかけているのか。細かい脳の働きはわからないが、ともかく透明になっているあいだ、ライチェスの胴体を透かしたように、人にはその向こう側の景色の方が見える。
撮ってやるか。
なんて思い、おもむろにカメラを取り出す。このシャッター音声も、認識阻害を調整すれば、聞かせないことは簡単だ。
けれど、あえて。
パシャ!
羞恥に歪み切った滑稽な表情から、まず撮影してやった。
認識阻害に過ぎない透明は、カメラには写すことができる。こうやって、衆人環視の中で裸の撮影を開始することも可能なわけだ。
「ちょっと……!」
「隠したら衆人環視行きな」
「だ、だったら……早く満足して……それから、あとで消して下さい……!」
逆らえるはずのない、機嫌を損ねるわけにもいかない相手に向かって、レーナはそれでも、多少の語気の荒さは含ませてくる。
「はいはい」
消すかよ、バカが。
下らない口約束に乗る気はなく、ライチェスはとにかくシャッター音声を聞かせ続けた。
パシャ! パシャ! パシャ! パシャ!
「……っ! ――っ! んっ、~~~っ!」
頬がぴくりと反応したり、眉間に寄った皺の具合が変わったり、顔を背けたり、音を聞かせるたび、表情から面白い反応が窺える。
それに、デジタルカメラの中には随分とデータが溜まった。
「じゃあ次だ。こっちへ来てもらう」
撮っているうち、制裁のアイディアが思い浮かぶ。
それを実行する場所に足を向け、ライチェスはまた隣からくっついて、右手で尻を揉みながら、レーナのことを連れ歩いた。
レーナの裸を大衆に見せてしまえば、ある意味では終わる。人質を本当に殺したら、もう人質の意味がないというか。凶器で脅す相手を本当に殺しては、脅すも何もなくなるというか。
今のレーナは大勢の中に放り出されないために従っている状態で、その一線を破ったら、たちまち軍への連絡を試みる――かもしれない。
まあ、大衆に全裸を見られ、騒ぎになっている状態で、誰かに電話を借りて助けを求めるなんて判断は、パニックのあまりそうすぐにはできないはずだが。
しかし、ライチェスが思いついた次の制裁内容は、認識阻害の解除である。
「おい、今からお前を一人にする」
そう告げた瞬間の、レーナの泣きそうな顔といったらない。
「な、なんでですか!? だって、そんなことをしたら、あなただって!」
全裸で歩かされている状況でも、一応頭は回っているのか、ライチェスが思っているのと同じ考えに、レーナも行き着いているらしい。
「これからゲームだ」
「ゲームって! こんなこと遊びで済むわけ……!」
「放り出そうか?」
「――っ!」
そう言えばレーナは黙る。
社会的生命を握っているようなものだから、このたった一言が、レーナに反論を許さないための魔法になる。
「もちろんクリア不能なことはさせないさ。そうだな、今からスタート地点まで移動する。そこからゴールまで辿り着けばクリアってことで」
「なら、それが済んだら解放して下さい」
「ああ考えてやる」
ばーか、まだ遊ぶに決まってるだろ。
とは言わず、ライチェスはちょうどいいスタート地点を探し求めて、しだいに繁華街から離れて行く。
レーナが向かわされたのは公園だった。
「ここって……」
シンとの待ち合わせ場所になっていて、バス停に早く着きすぎていたおかげで、まだ時間には早い公園が遠目に見える。
そこは噴水をぐるりと円形状の広場で囲んだ公園で、周囲にはブロック状に整えられた植え込みが、柵のように並べられ、その円が二重三重にもなっている。繁華街に比べれば人はまばらで、認識阻害を解かれた時のリスクはまだ少ないが、決して人の多い少ないの問題ではない。
そもそも、全裸で外を歩くこと自体が異常なわけで。
だから見つかるリスクの大小などでなく、たとえ無人の場所でも、外では全裸でいたくない。認識阻害の庇護から外れることへの、たまらない不安をレーナは抱えていた。
「ここがスタート地点だ」
植え込みを刈り込んで作ったブロック塀、その入口となっている場所、塀と塀のそのあいだで異能の男は言う。姿は見えなくとも、声は隣からしてきていた。
「ほ、本当にやるんですか?」
「ゴールは噴水だ。大した距離もないんだ。やってもらう」
「でも……」
「繁華街に放り出そうか?」
「…………」
レーナがどれだけ嫌がっても、彼は主導権を握っている。社会生命すら握られているようなもので、やはり言うことを聞くしかなくて、レーナは渋々ゲームを引き受ける。玩具にされているみたいで、本当に嫌でたまらないけれど。
「スタートの合図でおれはあんたから離れる。で、ゴールの噴水で待たせてもらう。用意はいいな?」
よくありません、と、喉元まで出かかるが、レーナはそれを飲み込む。嫌なら衆目に裸を晒すと、ことあるごとに言われるのも、もうたくさんなのだ。
「スタートだ」
その瞬間、レーナにかかっていた認識阻害の保護は解かれる。といっても、レーナにその感覚はわからない。かかる感覚、解ける感覚というものはなく、解けたはず……らしい、その事実に反応して、レーナは咄嗟にしゃがんでいた。
噴水を中心にした円形広場の、周囲をぐるりと囲む緑の塀は、人の腰くらいまでの高さしかない。立っていれば上半身が丸見えで、しゃがみ歩きか四つん這いしか、身動きの手段がない。
(本当に……今見つかったら……)
植え込みの塀は、円形を成すために曲線状で、そして円は三重になっている。三つの円が噴水広場を囲んでいて、その三つとも出入り口の隙間を作るため、その部分だけ線を途切れさせている。
それが真っ直ぐ、ストレートに貫通していれば、入口から噴水まで一直線だったのに、そうなっているのは、北口と南口だけである。東口や西口の場合、入ってすぐ目の前が壁であり、北と南のどちらかに回り込まなくてはいけないのだ。
(なんなんですか! この状況は!)
まともに身動きも取れず、レーナはしゃがみ込んだまま胸やアソコを覆い隠した。彼が近くにいるあいだは、隠すたびに脅されたので、なかなか守ることができなかったが、本当はせめて手で隠すだけでもしたくて仕方なかった。
もちろん、手の平や腕なんかで、羞恥心まで紛れるわけがない。
誰の視線もない最中なら、隠していようといまいと、理屈では同じだとわかっているが、それでも隠している方がまだ落ち着く。
(行くしか……と、とにかく、ここから動かないと――)
人が少ないのは不幸中の幸いで、けれど無人ではないのなら、見つかる可能性は必ずある。誰かがここを通る前に移動して、一刻も早く噴水の近くまで行かなくてはいけないが、姿勢を低めた状態では、周りの様子がわかりにくい。
(と、とにかく北か南へ……)
レーナは恐る恐る茂みの上に顔を出す。出過ぎないように気をつけつつ、鼻から上だけを出すようにして周囲を伺う。
すると、北口付近では、立ってタバコを吸っている男がいた。
あちらから行けばすぐ見つかる。
(南しかない)
レーナはしゃがみ歩きでの移動を始め、誰にも見つからないことを一生懸命に祈っていた。
心の底から惨めになる。服を奪われ、裸で動き、人に見つからないことを祈っている。こんなにも惨めったらしい扱いがあるだろうか。
共和国の非道は、確かにこんなものではないけれど。
人の命を何とも思わない扱いの中に、ならば性的な被害を受けた少女も、一人もいないなんてことはないだろうけれど。
異能の男は、こうしてレーナが屈辱を味わって、惨めな思いをすれば満足なのか。
しゃがみ歩きをしているうちに、レーナは遠目に少年の姿を見て、ぎょっとしながら身を隠す。隠せる場所がちょうど良くあって助かった。広場を囲む三つの円、その真ん中の線には、南東や北西といった具合に、斜めにも出入り口のような隙間がある。
そこに咄嗟に身を投じたわけなのだが、あの少年の顔を見た瞬間の、心臓が爆発しそうな感じといったらない。胸の中身が本当に弾けて、破裂して、パンクでもするかと思ったくらいだ。
誰が通りかかったとしても、やっぱり心臓は破裂しかけていただろう。
だからって、よりにもよって。
(シン…………)
ここは待ち合わせの場所だ。
時間が近づいてきているのなら、もちろんシンがいてもおかしくなくて、それが今このタイミングなんて。
シンに裸を見られていたら、もう生きていけない。
(っていうか、見えてませんよね? 一瞬だけ見えて気のせいとか、そんなこともありませんよね!?)
シンだけには、一瞬たりとも見られたくない。だって、どうせシンに見せる時がくるなら、それはもっと――いや、こんな時に一体何を考えているのか。人に見られたら終わりなのに、余計なことを考えている場合じゃなくて、一刻も早くゴールを目指さなければ。
「なあ、裸の女いなかった?」
(へ?)
「何言ってんのお前」
(はい?)
顔は赤いままに、心だけが凍りつく。
「いやわかるよ? 普通そうだよね。普通そうなんだけど、なんかチラっと、そこに隠れたのが見えた気がして」
「さすがに気のせいだろそりゃ」
「だと思うけど、確認してみね?」
「はあ、別にいいけど。その幻はエロ動画の見過ぎか?」
「んなことねーって。少なくとも、なんかはいた」
「じゃあ、猫かなんかだな。それが幻となって、お前の脳内では女の裸に変換されたんだ」
いや、いやいや――ちょっと待って欲しい。
レーナはこれでもかというほど戦慄して、一瞬にして頭が沸騰した。どうしよう、どうしようと、パニックのあまりに身動きが出来ず、何秒も判断を遅らせて、レーナはやっと思い出したように、逃げるように移動を再開した。
シンの存在に釣られて、というより無事にゴールへ着くことばかり考えて、後ろの警戒が足りなかった。気のせいだの、幻だの、そう聞こえてくるからには、目撃した本人にも本当に裸の女がいたという確信はなくて、確認してみようというのも、きっと物は試しくらいの気持ちに過ぎなくて。
でも、その二人の男達は、こちらに向かって来ようとしていて。
見つかったら、一体どうなるのか恐ろしい。
レーナは必死のしゃがみ歩きで、素早く南口を目指していって、あとは噴水まで駆け抜けるのみとなるのだが――。
(行けるわけないじゃないですか!)
薄々、わかってはいた。わかってはいたが、こうして見てみると、ここから噴水まで一体何メートルあるのか。
しかも、少ないといっても人はいて、ベンチで鳩に餌をあげているオジサンとか、謎のストレッチをしている男性とか、犬の散歩でぐるりと噴水周りを歩いている最中の婦人とか、いくらかの人目はあるわけで。
おまけに噴水のところにシンが立っている。
東の方に立っていて、視線もこちらには向いていない。飛び出してすぐに見つかるわけではないだろうけど、それにしたって噴水のところに立っている。
ここで上手く頭が回り、裸を見られることさえ割り切って、思いっきり恥を忍んで助けを求めることさえしていれば、まだ結末は違っただろう。シンに保護されれば、異能の男もレーナに手出しできなくなる。
けれど、羞恥心でいっぱいの頭では、まずそれを思いつきすらしていない。
無事にゴールに行けるかどうか、その前に見つかりはしないかと、大いに焦った気持ちでいっぱいだった。
(む、無理ですよ――)
裸で野外、そして認識阻害による保護もない。その状況だけですら、気がどうにかなりそうなくらいなのに。
「やっぱ気のせいだったかー」
「あったりまえだろ」
二人組の男の声が後ろから、レーナが慌てて振り向くと、その二人はついさっきまでしゃがみ込み、身を隠していた場所に視線を向けている。たまたまこちらに視線がないおかげで、見つかるのが遅れているが、立ってあの場所にいる、身長もある男なら、レーナがいるここも見えてしまう。
視線の角度が変わっただけで、レーナはあの二人に発見される。
(い、行くしか……!)
後ろから追い詰められ、レーナは焦燥のあまり飛び出しかけるが、しかしその身は咄嗟に引っ込む。噴水周りを回る婦人が、ちょうどレーナのいる南側を通過している最中で、このタイミングでは飛び出せなかった。
(む、無理……!)
そもそも、野外で裸という自体、本来は無理なことなのだ。
(でも、もう飛び出さないと……間に合わない……)
たとえ都合良く視線が向いてこないでも、あの二人の足はこちらに向かってくるかもしれない。こちらに来られてしまえば、もう見つかるしかなくなるわけで。
だったら、南口のところから婦人が通り過ぎていき、少しでも見つかる可能性が減ったと思ったタイミングで、レーナは思い切って飛び出していた。
飛び出して、すぐに思った。
た、ただの変態じゃないですか!
これ以上最悪なことはなかった。
右腕では胸を隠して、左手ではアソコを覆って、全裸で肝心な部分を守る女が、必死になって走っている。これが変態に見えなかったら、一体何に見えるのか、レーナ自身にだってわからない。
全裸で爆走する女――ありえない、ありえない、ありえない。
「はい、ゴール。おつかれー」
そして、レーナにこんなことをやらせた加害者にして、性犯罪者ですらある男の、いい気になった声を聞くことで、まさかの安心感すら湧いてきた。
もちろん、認識阻害の保護下に置かれ、これで一般人にはレーナの裸が見えなくなる、そういう安心感なわけなのだが。どうしてこんな男の声で、少しでも安心感なんて抱かなくてはいけないのか、と複雑になるのも当然だった。
「頑張ったねー。あ、喋っていいぞ? あんたの声も聞こえなくしてあるから」
そう聞かされた瞬間だ。
「もういい加減にしてください! 十分ですよね!?」
もう本当に限界だった。本当の本当に限界だった。
心臓は比喩でなく実際に破裂するかと思ったし、頭だって本当にぶくぶくと沸騰して、脳が蒸発して消えるかと思ったくらいだ。
「ああ、ここまで来たらあともう少しだな」
「もう少しって……!」
まだ遊び足りないのか、これ以上やるというのか。
激しい羞恥心だけでなく、怒りによっても赤くなるレーナだが、その怒りは次の瞬間には引っ込んでいた。
「銀髪がチラっと見えたよな」
「ああ、綺麗なケツだった」
「でも消えた? どういうこと?」
「二人して同じ幻を見ちゃったんだよ」
先ほどの二人組が、ちょうどレーナの真後ろにいた。
「あ、あぁ……」
見えていれば、二人してレーナのことを指差し、裸の女は本当にいたんだと、今頃は騒いでいる。確かに認識阻害に守られて、レーナは透明人間になっているが、それにしても先ほどの二人が真後ろに立っていた。
ぎゅっと、胸やアソコへの力を強める。
見えないとはわかっていても、恥じらいが自然と体に力を込めさせていた。
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