前の話 目次 次の話





 何? 何で今日に限って?

 冬崎瑞葉はすっかり油断していた。
 このアニメショップには何度も通い詰めているが、今まで桜太とばったり出くわしたことは一度もなかった。考えてもみれば、その方が運の良すぎる話であり、過去例がないからと警戒をしなかったのは失敗だ。
「あー……。最悪っ、最悪よ」
 共にフロアを出ることとなった瑞葉は、人の少ない階段方面へと連れられた。高層ビルではエレベーター利用者の方が多いため、階段の交通量はさほどでもない。二人で落ち着いて話すにはまあ向いており、瑞葉と桜太は段に並んで腰を下ろした。
「君のこと。友達に話していい?」
「は?」
「いやね。趣味の合う仲間って大切でしょ? 是非とも、クラスに出来た僕のオタク仲間に冬崎さんの意外な一面を紹介したくてね」
 やけにニッタリとして、気持ちの悪い笑みを浮かべる桜太にゾッとして、瑞葉はみるみるうちに顔を引き攣らせた。
「やめてくれる?」
「どうして?」
 ケロっとした顔で首を傾げる桜太。
「私はッ! アンタが読むような変なラノベも買ったけど、美術と文学も好きなの。言うほど一致していないし、余計なことはしないで頂戴」
 冗談じゃない。確かに趣味は趣味だが、高尚なものも同時に好む瑞葉と、低俗限定の連中ではそりは合わない。何よりも無駄に醜悪なルックスの持ち主から、それもパンチラエロ漫画を自ら描き始めるような変態から、仲間意識を持たれるなど死んでもいやだ。
 自分は自分、桜太は桜太。
 決して交わることはない。
「僕は美術部にも入っているよ? 僕の友達も」
「うるさいうるさい! 関係ないわよ!」
 声を荒げる瑞葉。
「いいや話すね」
 迷いなき断言の桜太。
 こうなると、瑞葉の頭にも血が上る。
「やめなさい!」
 立ち上がった瑞葉は無意識のうちに手を振り上げ――

 ――強烈なビンタをかました。

 格闘技の経験もないのに適切な腰の回転が利かされて、素早い腕のスイングと、鋭い手首のスナップからなるビンタは、瑞葉の腕力が許す限り最大限の威力のものだ。
「ぐへぇ!」
 カエルが呻くような悲鳴を上げ、桜太は盛大に横へ倒れた。
「あっ! ご、ごめんなさい!」
 瑞葉は直ちに我に帰った。
 ここは階段。幸い角に頭をぶつけることなく桜太は起き上がるが、もしも打ち所が悪ければ大怪我をさせていたかもしれない。どちらにせよ、頬には大きな赤い手形が浮かび、腫れ込んだ皮膚はヒリヒリとして痛そうだ。
「うん。凄く効いたよ」
 恨めしい目つきが瑞葉を向く。
「そ、そう? 大丈夫そうで何よりだわ。ジュースでも奢ってあげようかしら? それでチャラってことでいいわよね?」
 こんなにも軽々しく暴力だなんて、致命的な非を働いてしまった瑞葉は、すっかり慌て気味になって、お詫び一つで丸く収めようと考える。そんな瑞葉の様子を見るに、桜太は何故だか楽しそうな笑顔を浮かべていた・
「ジュース? いらないよ?」
「え? でも――。まあアンタがそう言うなら、だいたい、元はといえばアンタが余計なことを言い出すからいけないんだし」
「人のせいにするんだ?」
「そういうわけじゃないけど、アンタだって……」
 本来なら、瑞葉の方に桜太を責める権利がある。もっと刺々しく当たることもできたのだが、こうなっては瑞葉の方が萎れてしまう。
「ビンタ、ラノベ、パンツ」
 今の瑞葉にとって、弱みといえる三つをあげつらう。
「ぱっ、パンツ? パンツは関係ないでしょう?」
「そうかなぁ? 冬崎さんは立派な優等生で、僕は所詮キモオタだ。キモオタが君の悪い噂を立てようとしても、大抵の人は聞く耳を持たないかもしれないけど……」
 にったりと微笑む桜太は言う。
「オタクの同士ならどうかなぁ? 僕の仲間なら? 漫画研究部のみんななら? 信じてくれる人は必ずいるんだ。何人もね」
「脅迫? 脅迫するつもり? 言っておくけど犯罪よ? 脅迫罪って知らないの?」
「うーん」
 桜太はわざとらしく首を傾げる。
「あ、アンタねぇ!」
「まあ話をまとめると、冬崎さんは僕に余計なことを言いふらされたくない」
「……そうよ」
「で、僕は言いふらしたい。理由がわかる?」
「理由って、なによ」
「君が僕を毛嫌いすることだよ」
 確信を突かれ、瑞葉はぎょっと目を丸めた。
「そりゃそうだけど、何か問題でも? 人間同士でも好き嫌いくらいあるでしょう?」
「わかるよ? 僕ってキモオタだもんね。この顔だもんね。決してみんなに愛されるタイプではないかもしれないけど、いつもいつも睨んだり、冷たい目つきをしてきたり、色々と嫌味な感じが多いよね」
「それは……悪かったわね…………」
 そもそも、あの下らない漫画が始まりだ。
 瑞葉にだって、高尚とは限らない趣味がある。アニメを見る。漫画を読む。けれど芸術的な一作に衝撃を受けてから、見かけによらす高尚な芸術家に違いないと期待があってからの株価暴落は、言ってみるなら愛しさ余って憎さ百倍というわけだ。
 桜太はもっと違う人だと思った。醜悪な仮面の裏で、鋭く世界を観察する生粋の画家にでもなるのだと思った。
 それが、あれだ。
 こうなったらもう、徹底的に嫌いになる以外に道はなかった。
「実はね。あの時の写真もあるんだよね」
 桜太がスマートフォンを取り出し、そこに写るパンツの画像を見せつける。
「――っ!」
 瑞葉は戦慄した。
 昨日のキャラクターパンツだ。変身ヒロインのキャラプリントだ。
 それが、撮られた?
 見られただけでも心に雪が降ったのに、写真まで残されている?
「言っておくけど、このスマホを奪ってもパソコンに保存済みだからね?」
 その言葉を聞くに瑞葉は、思わず伸ばしかけた手を引っ込めた。
「まあ言いたいことはわかるよね」
「ふざけないで。脅迫も盗撮も、みんな犯罪よ?」
 そうだ。ここまで来れば、瑞葉の暴力は帳消しどころか、また桜太の非の方が大きく膨れている。言いなりになるつもりなどない瑞葉は、冷たく桜太を睨み返した。
「僕が階段の角に頭を打ったら死んでいたかもね」
「それは……」
 それを言われると弱いが、だからといって言いなりになっても良いことはない。
「パンツを見せてよ」
「……はぁ?」
「パンツ一つで、言いふらすのもバラ撒くのも無しにしてあげる。警察沙汰で騒ぎを起こすのは冬崎さん的にも面倒でしょう?」
「そうね。パンツね……」
 それで済むとするならば、確かにリスクは最小限だ。もっとも、桜太が約束を守るという前提の話であり、ここで言うことを聞いたせいで、後々エスカレートするかもしれない。
「言っておくけど、約束は守るよ? 二人だけの秘密だね」
 唇が醜く歪むほどの笑みを見て、背筋にぞっと寒気が走った。
「気持ち悪い……!」
 心底鳥肌が立った。
 最低最悪、こんな奴だとは……。



 
 
 

コメント一覧

    コメント投稿

    CAPTCHA