第2話 マイアーレの開発

 ところで、レーナが共和国に向かう同日、アネットにも何やら仕事が入ったらしい。
 何でも、レイドデバイスのシステムバージョンをアップしたので、その精査をしてみて欲しいといった話で、そちらにはデータが送られてきたらしい。だったら、レーナの方も書類かデータで渡せば済む話だというのに。
「わたしだって、わざわざ行かなくても……」
 なんて、思ってしまうが。
 表向きの命令は口実で、実際には対面方式での連絡事項でもあるのだろう。
 本当はシンに着いて来てもらいたかったが、シンどころかエイティシックス全体が訓練スケジュールのために多忙であり、残念ながらシデンの同行すら叶わなかった。
 色付きが同行していれば、向こうは嫌な顔をしていたかもしれないが。
 やはり安心できる誰かの同行は欲しかったので、少し寂しい気がしてならない。
 ともかく、司令部には顔を出し、表向きの用件はさっさと済ませ、早いところ本題に入ってもらおうとしたところ、研究主任に顔を合わせるように命じられた。
 研究、主任?
 アネットが確か、技術少佐だったが。その不在を埋めて作られたポストだろうか。
 レーナは研究主任がいるという部屋へ向かい、レイドデバイスの研究開発を進める現在のトップと顔を合わせた。
 研究棟に割り当てられた主任の部屋をノックして、その返事を聞いて入室する。
「やあ、レーナちゃん。待っていたよ」
 すぐに顔が引き攣りそうになった。
 いきなり、レーナちゃんとは。
「あの、ミリーゼと呼んで頂けると……」
「いやあ、会えて嬉しいよ。レーナちゃん」
 馴れ馴れしい上、聞いていない。
 そういう感じも困るのだが、外見にも引き攣る要素がある。
 研究に時間を費やし、忙しさにかまけて自己管理が怠りがちであるというのなら、例えばその着ている白衣が皺だらけで、デスクが散らかっているのは仕方がない。醜悪な顔つきも、人は好きでその顔に生まれるわけではない。
 しかし、髪が綺麗でなさそうなのはどうなのか。
 歳のせいか、明らかに量が減り、頭頂部に禿げた部分が形成されつつあるが、別にハゲがどうこうという問題ではない。フケや埃が溜まっていそうな、つまりシャワーを浴びすらしていなさそうな不潔な感じは、さすがに同じ空間にいることでの不快指数が上がってくる。
 例えば、不眠不休の作戦で、本当にシャワーを浴びる暇もない中から帰ってきた兵士だとか。仕方のないケースもあるので、この人もきっとそうだと思いたい。いや、そうでなくては困る。単に自己管理がおろそかなら、さすがに引くことになる。
「申し遅れたね。僕はマイアーレ・グラッソ。レイドデバイスをより進歩させるための研究をしていてね。指揮官として武勲を上げている君には、是非ともテスト運用に付き合って欲しいと思っていたんだ」
「ではそれが本来の用件ということに?」
「新技術というのは、発表の瞬間までは企業秘密にするものだからね。ま、導入の目処がついたら、どうせ他国に提供するわけではあるんだけど」
 発表段階を控えるまでは、もろもろのしがらみがあるわけらしい。
 当面は極秘事項を守って欲しいとしつつ、レーナには運用テストを受けて欲しいという。テストといっても簡単なもので、レーナとマイアーレで同調設定を行って、最新バージョンでしかできない通信を試みるとか。
「そういえば、アネットにも新しいバージョンの精査が来ていましたが」
「それも僕だよ。ま、あちらに送ったのは、単に通信品質とか、そういうのが向上しているだけのもので、使用しての実感は得にくいんだけどね」
「そうですか。ではここで試すのは」
「精神的な同調だね。現在でも聴覚を共有したり、視覚の共有もやろうと思えばできるわけだけど、今回のバージョンは思考接続を可能にしていてね」
「思考接続、ですか?」
「といっても、お互いの心を読めちゃうわけじゃなくて、強く思い浮かべた事柄を共有できる程度のものなんだけど。例えば、心の中でリンゴって連呼すれば、相手にもリンゴって情報が伝わる感じかな」
「お話はわかりました。ではテストも、そういう方式でしょうか」
「そう。物とか、動物とか、数字とか。何か適当なものを思い浮かべて、それが的中するかどうかをやっていく。で、それをわざわざレーナちゃんにしてもらうのは、現場の指揮官として先んじて慣れてもらう必要があると考えてのことでね」
「でしたら、早速お願いします」
 ひとまずテストは受けるとして、首にレイドデバイスを装着した後、その設定をしてもらう。レーナとマイアーレの同調設定が完了すると、すぐにテーブルを挟んでの対面方式で始まるが、これを実際に導入したら、一体どういうことになるだろうか。
 思考やイメージを直接共有してもらうのは、作戦や状況を伝え合う上で便利そうではある反面、多人数との同調で一気に大量の情報が流れ込み、混乱を招くことになりはしないか。
「ではレーナちゃん。僕の見ている絵を当てて欲しい」
 どうやら、イラストを一枚一枚手に取って、それを眺めながら思い浮かべるテストらしい。同調を通じて伝わるイメージは、文字というより形として浮かんで来た。思い浮かんだ映像さえ共有可能になっているらしい。
「ジャガイモ、でしょうか」
 驚き混じりにレーナは答える。
「正解だね。次、行こうか」
「犬ですね」
 テストはそういった形式で続いていった。
 デフォルメによって可愛くかかれたイラストは、その都度レーナの頭に浮かび上がった。それを一枚一枚言い当てて、一段階目のテストが終了すると、今度は選択肢の中から答えを選ぶ形式で第二テストが始まった。
 マイアーレがイラストを眺め、それと同じ絵を手元に与えられた選択肢から選んで指す。
 この方式でもレーナは正解を繰り返した。
 役割を交代して、今度はレーナがイラストを眺め、マイアーレが正解を出し続けた。イメージの共有には問題なく、デフォルメ調から今度はリアル調、風景写真など、使用する絵や写真を段階的に変えていくのだが、そのことごとくを問題なく共有できた。
 これなら、兵士が現場で見ている光景をイメージで共有できる。
 視覚共有には失明のリスクを伴うので、みだりに乱用するわけにはいかないが、イメージの共有リスクはそれほど大きなものではない……らしい。リスクというならレイドデバイス自体、未知の技術がもたらす人体への影響は、全て解明されているわけではない。
「多人数との同調テストは明日にするとして、今日は次で最後にしよう」
 順調に進んだところで、マイアーレは電子端末を取り出していた。今までは紙に印刷されたものが出て来たので、タップ操作の可能な電子機器は今更に思えるが。
「レーナちゃん。次は機械からの情報を受信してもらうよ」
「機械から、ですか?」
「もちろん、僕自身や他の研究員でも試してある。今のところ健康診断の結果にも異常はないので、君にも体験しておいて欲しくてね」
 不安はあった。
 従来のレイドデバイスは、言ってみるなら人間同士のあいだで行う送受信で、それにはとっくに慣れていた。技術に対する不安など、慣れているのにありはしないが、機械から脳への送信と言われると、なんというか、それは大丈夫なのだろうか。
 自分達でもテスト済みという言葉を信じるなら、それも慣れれば平気なのだろうけど。
「では今までと同じく、送られてきた情報について答えてみて欲しい」
 マイアーレが指で画面を叩く。
 脳に、何かが来た。
 急に額が熱くなり、内側から見えない何かが広がってくるような、おかしな感覚がした。目には見えない風船が存在して、それが頭蓋骨の内側で膨らんでいる。膨らめば膨らむほど、神経に何かが走り、レーナの内側に刻み込まれる。
 くらっと、頭が揺れた。
 眩暈のような感覚がして、レーナは額を押さえていた。
 注ぎ込まれて来る――。

『命令遵守』

 文字情報?
 いや、何かが違う。

『命令遵守――抵抗禁止――虚偽発言不可――』
『遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――遵守――禁止――不可――』

 注入されている。
 見えない風船に思えた感覚は、いつの間にか見えないスポイトの刺さった感覚に変わり、脳に情報を流し込まれていた。
 いや、流し込まれるどころではない。
「これって……!」
 書き込まれている。
 心の中に、何かを入力されている。
 このままでは、もしや自分は洗脳でもされるのではと、危機感から総毛立った時、その瞬間にレーナの意識はぷちりと途切れた。

     *

 成功だった。
 マイアーレの持つ電子端末の画面には、システムの入力完了を意味する『100%』の表示がある。
「よ、よし……これでいけるそ……!」
 歓喜に震えた。
 この技術の構想が浮かんだ時は、形にできるか不安があった。
 エイティシックスのほとんどを連邦に奪われて、実験素材は余りカスのようにしか残らなかった。倫理に邪魔されては難しい開発だったので、まずはその『資源不足』で節約を余技なくされた。
 無駄に消耗しないため、最初のうちは死なせないように出力を調整したつもりが、それでも消耗品は減っていき、完成が先か、ストックが尽きるのが先かのレースとなった。
 それが無事に形となり、自分自身の体でテストをしても構わない段階まで仕上がったのは奇跡に近い。
 もっとも、その矢先にレーナが色付きと交際を始めたことを知り、八つ当たりのためだけに最後のストックを潰してしまったが、資源を使い切っただけの価値は十分あった。
「立ちなさい」
「……はい」
 今のレーナは一種の催眠状態だ。
 端末から送り込んだ膨大な情報を処理するため、脳が眠りに近い状態に入っていながら肉体的には起きている。人間が夢を見るのは、眠っている最中に脳の整理をするためとの説がある。それに近い状態で、脳が夢を見ているために、眼差しには生気がなく、魂の抜けた人形のようになっている。
 呼びかけさえすれば返事はあり、立てと言えば立つだけの反応は残っているが、この状態での記憶は基本的に残らない。
 例えば、こんなことをしても。

 もみっ、

 マイアーレはレーナの乳房を揉む。
 白いブラウスのその上から、紺青の上着を羽織った共和国軍女性士官軍服の、衣服越しの胸に指を沈める。なかなかの大きさを押し潰すと、パン生地のように柔らかく変形した。
 ひとしきり揉みしだき、その後はブラウスの表面を指でなぞると、その下にあるブラジャーの感触が伝わって来た。ブラウスの生地を介して、カップの持つ微妙な固さと、そこに施された刺繍やレースの感触をなぞることができたのだ。
 マイアーレは興奮に鼻息を荒げていた。
 いくら揉んでも、レーナにその記憶は残らない。
 複雑な命令さえ可能なら、このまま奉仕をさせたり、果ては花園を頂くこともできただろうが、この状態にある人間は、立ったり座ったりする程度の、単純な指示にしか反応できない。
 脳の中で処理が終わって、インプットが完了すれば、レーナのことをある程度までは思い通りにできるのだが、それとて完璧な洗脳ができるわけではない。根強い思想や考え方を改変したり、強い情念を消し去ることはできず、自由自在には染め変えられない。
 恋愛感情を抱くほどの強い好意を消去できない。
 エイティシックスを人間と認める考えも、おそらく消せない。
 だが、暗示効果を脳の奥へ染み込ませたり、ある程度の指示や情報を流し込める。
 自由自在の人格改変にはほど遠いが、思考の方向性をいくらか操作できるので、工夫さえすれば思い通りの展開に持ち込める。
 それに、肉体操作の暗示を植えつけてある。
 人格改変は自由にいかないのに、肉体操作はできるというのが何ともままならない話というか。両方を成功させたかったところだが、ともかく意識のはっきりした状態で命令すれば、レーナはその通りに動く自分自身の体に驚くことになるだろう。
 明日には良いイベントを開催できる。
 その前菜として、マイアーレは服の上から楽しんでいた。
「いきなり裸を見てしまっては、面白みというものがないからね」
 顎に指をかけてやり、くいっと上を向かせると、マイアーレはその唇を奪う。大きく口を開いて頬張って、おそらくはレーナの人生で二人目のキスの相手となった。この記憶はレーナ自身には残らないので、決して自覚することはないだろうが。
「美味しいねぇ? 甘い果実を囓る気分だよ」
 マイアーレは執拗な口づけを行った。
 抱き寄せて、尻に手をやり、揉みしだき、唇を一生懸命に貪り尽くす。閉じ合わさった唇のラインに沿って、舌で左右になぞったり、口周りに唾液を擦り込んだり、果ては耳まで舐めて味わったり、好き放題に楽しんでいた。
 タイトスカートをずらすように持ち上げて、ガーターベルトのかかった太ももと、黒い下着を目で楽しむ。ブラウスのボタンも外し、同じく黒いブラジャーを視姦した上、改めて抱きつきキスをする。
 尻に向かって手を伸ばし、執拗に撫で回す一方で、唇には唾液を流し込む。
「口を開くように」
「……はい」
 唇が薄ら開き、その隙間に舌をねじ込むと、まず真っ先に歯があった。舌先に歯が触れて、そのさらに隙間を目指していくと、レーナの舌が当たってくる。舌先同士のぶつかり合いを利用して、口内に分泌させた唾液をいくらでも飲ませてやった。
「レーナちゃん?」
 頭を撫でてやりながら、優しく耳元に囁きかける。
「必ず『救済』してあげるからね?」
 エイティシックスは兵器だ。消費資源だ。
 そんなものに入れ込んで、恋仲にまでなるような『不幸』から解き放ち、レーナを呪縛から解放する。
 これこそが使命だ。
 しかし、ただ言葉を尽くして説得するだけでは上手くいくまい。レーナに仕込んだ暗示効果や肉体操作の下地を利用して、一体何をするべきか。
 マイアーレの中に浮かんだ答えはこうだ。

 白銀種同士の子供ができれば、気持ちも変わってくるかもしれない。

 エイティシックスを人間だと思うから、それを八五区の外に追いやってきた共和国人に対して良くない感情が湧いてくる。同じ共和国人でありながら。だが、腹の中に白銀種の命が宿れば、その祝福がきっと呪いを浄化して、レーナは正しい人間になるだろう。
 我が子でさえもエイティシックスと同等の、価値の等しい人間であると認めるだろうか。きっとそんなことはない。妊娠という祝福こそ、レーナに良き目覚めを与えるはずだ。
 目覚めさえすれば、レーナはより大きな武勲を上げるだろう。
 エイティシックスの存在を正しく消費資源として捉え、巧みに使い潰していくことで、ゆくゆく人類を勝利に導く。
 その勝利の女神を目指す資格がレーナにはある。
「大丈夫だよ? 妊娠中でも指揮が執れるように、きちんとサポートするからね?」
 まずは孕ませてしまおう。
 連邦とどのように話をつけ、どうやってレーナの傍らに居付くかは、後々方法を考え出していけばいい。上層部もその後ろ盾になると約束をしてくれた。マイアーレが開発した新型のレイドデバイスは、それだけ高く評価されていた。
 何よりも、エイティシックスという資源の返却と、正しい扱いを目標に据えたのが、上層部のお気に召している。
「そろそろかな」
 頃合いを見計らい、マイアーレは記念写真を撮っておく。
 下着を剥き出しにした写真を何枚か撮ってから、服を元に戻してやり、口周りもハンカチで拭いておく。

「……あ、あれ!? すみません! わたし寝てましたか!?」

 目を覚ますなり、レーナは慌てふためいた顔をする。
「レイドデバイスの影響かな。特別な害はないとは言ったけど、急速に眠気をもたらすケースがあるらしい。ああ、といっても、レーナちゃんが寝ているあいだは席を外していたから、安心していいからね?」
 眠気については適当な理由をでっちあげ、何の悪戯もしていないことを示すため、安心させるための嘘も重ねる。
 どうせ、一丁前に警戒心など持っているのが年頃の娘だ。こう言っておいた方が、信頼を損なうことなく済むだろう。
 もっとも、明日には肉体を頂くことになるのだが。