前の話 目次 次の話




 アニエス・クローデルが不安の奥底に飲み込まれ、暗い面持ちとなるのも無理はない。
(遺品一つのために、馬鹿みたいかもしれないけど……)
 きっかけはとある手記だ。
 四年前に亡くなった母が保管していたもの。祖母と母が受け継いできたという、曾祖父の遺した手記。
 その曾祖父、アニエスのおじいちゃんとは、C・エプスタインという人物だった。
 母の死後、父が仕事に没頭するようになったこともあり、アニエスは曾祖父の手記に引き込まれていた。その手記の内容は、人柄や哲学を匂わせるものが多く、日々の何でもないこと、家族との絆や弟子とのやり取り、どこか日記のようでもあった文章に触れていくうち、とても尊敬できる人物だと感じていた。
 だが、数冊に渡る最後の手記、最後のページにはこうあった。

『どうか≪オクトーゲネシス≫を120*年までに取り戻して欲しい。さもなければ全てが終わる』

 もちろん、まさか本当に大ごとが起きるとは限らない。亡くなる間際の妄想かもわからない。
 だが、その手記は祖母から母、そしてアニエスへと受け継がれてきたものであり、そこには何か意味があるのではないかと、どうしても考えてしまうのだ。
 何とかしなければ、という思いが日に日に強くなっていた。
(本当に……こんな覚悟が必要なことかはわからないのに……)
 アニエスは深く俯き、すっかり下ばかりを向きながら、男達の案内する先へと進んで行く。
 あの裏路地を出てしばらく進み、とある建物の扉を開いて地下へと潜る。裏路地と比べて、普通の平和な日常からさらに遠のき、よくない場所へ足を踏み入れている感覚は強まっていた。
「ここは娼館跡地でな。何年か前までは娼婦どもが働いていた」
 情報屋の男が背中越しに語って来る。
「娼婦って……」
「ところがオーナーが店を移転して、跡地となったこの場所を俺がアジトとして買い取った。水も電気も通っちゃいるから、今でもソーププレイは可能なんだぜ?」
 その一言を聞いた途端、一気に膨らみ全身から弾け出るのは、それだけは越えられない、大事な一線だけは守りたい思いであった。
「あの! 本当に本番は……!」
 一体、彼らがどこまで考えているかはわからない。
 あるいは何人の相手をするかも……。
 しかし、肝心な貞操だけは守られるなら、何とか覚悟は決められそうだと思っていた。
(馬鹿馬鹿しいかもしれない。全てが終わるなんて、真実かもわからないのに……)
 だが、それでも先輩の助言を聞き、導力ネット法の穴を突いた検索に、裏解決屋の事務所を訪ねる真似までして、祖父の遺品を探し出そうと心に決めた。
 やると決めたのだ。
 必ず遺品は見つけ出す。
 案内に従い進んでいき、階段を降りた先にあったのは、受付カウンターにソファの並ぶフロアであった。その構造自体は病院でもどこでも見かけるが、入口のドアにかかっていた看板に書かれていたのは、きっと移転前に営業していた店の名前だ。
 風俗などわからないアニエスでも、看板さえ見れば普通の店ではなかったろうとすぐにわかった。
「おーし、お前らは自分の女でも抱いてろ」
 と、情報屋の男が言うと、仲間達はそれぞれの反応を示していた。
「俺らにも回してくれよ? リーダー」
「けっ、いつもの女で満足しとくか」
 口先に出て来た不満は、一体どれほど本気のものなのか。
 群れの大半が廊下や階段の奥へ消えていき、あとに残ったのは情報屋の男自身と、加えて金髪にスキンヘッドの二人であった。
 まさかとは思うが、同時に三人ということはないだろうか。
 いいや、それ以前にそういうことは初めてで、アニエスはしだいしだいに緊張に震え始める。一体、何をどこまでするにしろ、もうタダでは済まない状況に、心臓が早鐘のようになっている。緊張で手が震え、もしや恐怖すら感じているかもしれない。
 鼓膜の内側がうるさくなった。
 ドクン――ドクン――ドクン――と、鼓動はいちいち大きな音を立て、体内に心音を響かせる。アニエスはその音を聞きながら、未だ俯いたまま下ばかりを見て、気休めにタイルの柄を必死に観察する真似までする。
 当然、そんなことでは落ち着かない。
 その時だった。
「オラッ」
「ひゃ!」
 アニエスは悲鳴を上げた。

 尻に手を置かれたのだ。

 ぱんっ、と。
 スカート越しに叩く置き方で、突如として触られた。
 情報屋の男であった。
「いいケツじゃねーか」
 尻の上で手が動く。
 手の平が上下に這う際に、スカートの生地もろとも上下して、ショーツには裏地が擦れてくる。その摩擦を介して感じる男の手に、アニエスは緊張を爆発させた。
「あっ、あの――いきなり…………」
「嫌ならやめてもいいぜ? だが、なんで金での交渉は受け付けないって話になったか、わかるよなぁ?」
「逆恨み、ですよね。それは……」
「おうおう、未だに痛むぜ。この痛みが晴れるかどうかは、アンタしだいだ。嫌だってんなら、帰ってもいいんだぜ?」
 などと言い、情報屋の男はぐいっと指を食い込ませ、スカート越しに揉み始める。
「断れないって、わかって言っているんですね……」
 非難の意図を含ませて、アニエスはそう呟く。
 この男に頼るのをやめ、他の誰かに依頼しようと思っても、それを阻止できるようなことをチラつかせ、アニエスから選択肢を奪ったのは彼自身だ。
 恨めしい感情を抱かないはずもない。
「わかんねーな。ここまでして、おじいちゃんの遺品とやらが大事なもんかねぇ? よっぽどの思い出の品か? それとも他に特別な理由でもあるのかねぇ?」
「私には特別なんです」
「だったら、部屋まで来てもらうぜ?」
「……はい」
 情報のためだ。
 アニエスは悲しい顔で覚悟を決める。
「こっちだ」
 情報屋の男は肩に腕を回してきて、人のことを抱き寄せながら歩き始める。その接触に寒気や鳥肌を感じたまま、進まされるままに歩いていき、やがて一つの部屋の扉が開かれる。
 部屋の中へと押し込まれ、ベッドを置いた個室に入った時、そのすぐ隣には浴場があった。
 どんな扉やカーテンで仕切っているわけでもなく、絨毯の床に段差を付けたその下に、浴場のタイルが広がっている。一つの部屋にベッドも湯船も設置している。
 見れば壁にはマットも立て掛けられていた。
 こんなソープの作りについて知ったのは、何かのドラマか小説にたまたま入った性描写の匂わせだったか。性交描写を直接見たわけではないが、何が起きたかを知るには十分な文脈から、偶発的に妙な知識を得てしまった。
 その知識通りの構造に、娼婦になったわけでもないのに、とてつもない場所に来てしまった感覚で、アニエスはさらに激しく鼓動を早めていた。
 掃除はどれくらいされているのか。
 ゴミ箱の中身がたまたま見えて、精液を中に含んだコンドームの、干からびたように変色したものを目にした時、その生々しさにアニエスは顔を顰めた。
 痛感してしまった。
 ただのそれらしいセットではない。作り物の舞台でなく、ここは本当にそういう場所で、誰かが性行為をしてきた歴史がある。自分も今から娼婦としての扱いを受けるのだと、嫌でも自覚を持たされた。
(帰りたい……)
 アニエスは本気で思う。
 ここから帰って、ただの学生生活に戻りたい。
(ぜんぶ投げ出して、本当に帰ってしまいたい……)
 誰に言われたわけでもない。
 全てが終わるという手記の言葉も、どこまで信憑性があるかもわからない。
 一体、何をそこまで真面目に考えて、腹まで括ってしまったのかと、今更になって迷い始めた。
「さーて」
「お楽しみタイムだなぁ」
 だが金髪とスキンヘッドの二人が扉を閉め、カチャリと鍵をかけてしまったことで、今更答えを変えようにも、もう逃がしてはもらえないことを悟った。
「あの……お手柔らかに…………」
 小さな声で、しかしかなり本気で、アニエスはそう口にした。
 せめてもの気遣いというか、ゆっくりと段階を踏んでくれるそんな優しさだけでもなければ、今にも気が触れそうだった。
「そうだな。最初は服の上からってところか?」
 情報屋の男はそう口にして、アニエスの腕を引っ張る。
 ベッドの上へと導かれ、いよいよプレイは始まるのだった。

     *

 乳房がひたすら揉まれている。
 宣言通りにブレザー越しに、まだ一枚も脱がせようとする様子もなく、アニエスの胸には指が活発に蠢いている。
 アニエスはベッドに座らされていた。
 椅子代わりのような形で腰を下ろし、そこに情報屋の男が後ろから密着してくる形で、背後から両手は回っている。だらりと下ろした腕の上から、男の腕は巻きついて、制服の膨らみへと指を絡め付かせている。
「おおっ、でけぇでけぇ」
 感心している声は、頭のすぐ後ろから聞こえて来た。
「ほんとっすねー」
「アニエスちゃーん? 遠慮せず感じていいんだぜー?」
 そしてスキンヘッドと金髪の二人は、今のところそれを見学しており、すぐには手を出してこない様子である。
 力関係のほどが窺えた。
 情報屋の男はリーダーとして振るまい、仲間達は基本的に付き従っている。
「ま、さすがに緊張してるってところか」
 情報屋の男は勃起していた。
 背中に身体が当たっていれば、当然のように硬い逸物も当たっており、意識さえすればお尻のあたりにそれを感じる。
 アニエスは強張った顔のまま、緊張にまみれたままに、ただ大人しく胸を揉まれて、じっとしているばかりであった。
(これに耐えれば……)
 いや、これだけで済むとは限らない。
 これだけで済んで欲しいが、その考えはきっと甘い。
 この手の経験は初めてのアニエスには、着衣越しに揉まれるだけでも大ごとだが、男女で行うことにはまだまだ色んな絡みがある。
 少しくらいは好奇心があるせいで、基本的な奉仕や愛撫の存在は知っており、だからどこまですることになるのか、不安で不安でならないのだ。
 きっと射精は求められる。
 その方法がせめて手だけであればいいが、いくら本番だけは許してもらっても、他にもプレイの手段はある。
「なあアンタ、クラスじゃデカい方だろう?」
 指を食い込ませながら、情報屋の男はそんなことを尋ねてくる。
「そんな……普通です……」
「普通だって? これがか?」
 そして下乳に手をやって、どちらの胸も掬い上げるようにすることで、いかに大きなものを触っているかと、アピールせんばかりに揺らしてくる。
 下から上へ、軽く揺すってくる動作に、アニエスの乳房は微妙な上下を披露していた。
「普通の胸ってのは、ネクタイがそんなに前には出ないぜ?」
「お山に沿って、こっちに突き出てるじゃねーか」
 二人揃って、ネクタイについて指摘してくる。
「そう言われましても……」
 困る。
 体つきの、それも胸の大きさについての指摘など困る。
「でけーんだよ実際、このボタンを締めてねーのも、きちんと着たら胸がきついからだったりしてな」
 などと面白がりながら、情報屋の男はブレザーを指先で弄び、両手で左右に広げていく。
 今度は白いワイシャツ越しに揉みしだき、アニエスはその感触をぐっと堪えた。全身で強張りながら、太ももを引き締めて、唇も固く結んだ我慢の顔で、ひたすらに耐え忍び、苦行をやり過ごそうとしていた。
「リーダー。あれはいいんすか?」
 その時、スキンヘッドが何かを尋ねる。
「そうだなぁ? 使っておこう」
 情報屋の男が答えた瞬間、金髪と二人して棚の引き出しを漁り始めて、そこにしまっていた何かを取り出す。
「飲みな」
 金髪が錠剤を突きつけてきた。
「あの、何の薬ですか?」
「ただの気持ち良くなれる薬だ。害はねーぜ?」
「………………」
 そう言われても、何か怪しいものではないかと疑惑が解けず、おいそれとは受け取れない。
 アニエスの脳裏に浮かぶのは麻薬であった。
 依存症から抜け出せない人達を利用した反社会的な手口を恐れ、警戒しきった眼差しを錠剤へ送りつけていた。
「媚薬だ。飲まないなら、アンタの依頼は受けずに、ただのレイプを始めるぜ?」
 情報屋の男の脅し文句は、まるで冗談にならない。
 いくら模擬戦程度の経験があったとしても、その程度で三人もの男をどうにか出来るとは思っていない。よほど簡単にやられてくれるなら話は別だが、非合法すれすれか、あるいは真っ黒な世界にいる男なら、殺傷沙汰の一つや二つ、経験しているに違いない。
「わかりました。飲めばいいのですね」
 恐れたような麻薬でなく、本当にただの媚薬とやらであることを願って受け取り、手の平に乗せたそれを躊躇いがちに口へ投じる。
 飲み込むと、喉の奥へと落ちていく。
「そんじゃーま、もうしばらく揉んどいてやるよ」
 そしてワイシャツ越しの指は蠢きを再開して、やはりアニエスは耐え忍ぶ。
 生地の表面だけをくずぐったり、手の平を駆使して撫で回す。加減をつけて擦り抜き、着衣の内側に刺激を与えてこようとするタッチを受けているうち、アニエスは急に太ももを引き締めた。
 耐え忍ぶ思いのために、既に閉じ合わせていた両脚だが、それをぎゅっとよりきつく、急に密度を上げていた。
「……っ!」
 驚きながら、アソコでも押さえたいかのようにして、二つの拳を内側に寄せていた。
「おお? どうしたどうした?」
「何か感じたのか?」
 面白がって、わざとらしく二人は尋ねてくる。
「いいえ……別に、何も…………」
 それくらいしか、返す言葉は浮かんで来ない。
 下腹部が熱っぽく引き締まり、アソコの疼く感じがありましたなど、正直に言えるはずもなかった。
(媚薬…………)
 本当に媚薬だったのだ。
 その効果を感じたことで、アニエスは太ももを擦り合わせ、何か切ないような感じに、もどかしさを覚え始める。
 それどころか、胸も敏感になり始めていた。
 着衣越しの、ブラジャーの下まで伝わる摩擦の感触で、乳首がみるみるうちに育っていき、突起の末にカップを内側から押し上げていた。
「おらおら、アンタの反応しちゃってる気配がわかるぜ? アニエスちゃんよぉ?」
 羞恥心が込み上げてきた。
 指摘されてしまった恥ずかしさで頬を染め、顔を歪めながらアニエスは俯いていた。
「ほーら、この辺かぁ?」
 そして、その刺激によって背筋が伸びた。
「やっ、あぁ…………」
 乳首のあろう位置に狙いを済ませ、その一点だけを集中的にくすぐるタッチで、ブラジャーの内側にまで刺激は伝わり、甘い痺れが走ったのだ。
 今まではただ、ひたすら嫌悪感を堪えているだけだったはずなのに、媚薬のせいか乳首の先から胴へ向かって、乳腺を伝った刺激が伝わり、体が反応してしまう。
 感じれば感じるほど、電流の刺激にやられて背骨が動き、背筋がいつしか伸びきっていた。妙に伸びをしたような形となって、その上で肩をもぞもぞと前後させているのであった。
「へへっ、気持ちいいってか?」
 情報屋の男の指は乳首を離れ、周りの部分に移って食い込んだ。乳房を揉みしだく手つきに変わり、それもやはり気持ち良く、反応が顔に出てしまいそうなのだった。
 そして、まるで隙でも見つけたように、またおもむろに乳首の位置を引っ掻いてくる。爪でカリカリとやる刺激は、衣服を介することでほどよい愛撫として伝わって、アニエスは二の腕さえくねくねとさせながら、熱っぽく息を乱すのだった。
「さーて、そろそろ俺ばっかりずるいか?」
 情報屋の男は鼻先で髪を掻き分け、耳の裏側に息を吹きかけながら囁いてくる。その生温かい息にぞくりとして、アニエスは身震いするのであった。



 
 
 

コメント一覧

    コメント投稿

    CAPTCHA