アリッサとマリーサが辿り着くのは国境付近の町だった。
地理的に他国の商品が出回りやすく、余所の町には滅多に出回らない品物が目白押しの商店街には、異国の珍しい土産物や武器防具にアイテムなど、買い物目当てに遠方遙々訪れる者は少なくない。
そして、ジョージ行商隊はこの土地で異国の商品を仕入れ、時には直接国境を越えてまで輸出入を行って、この国と他国の商品とを行き来させている。
買い物目当ての人といっても、それは馬車や馬など交通手段の確保が出来る者の話だ。決まった土地に住み続け、村や町から出ないような生活の人間は、そういった物珍しい商品を見る機会すらない。
ジョージ行商隊はそこに着眼点を置き、旅人相手の商売や行く先々の町や村に商品を売りつけつつ、その土地の小売店にも商品を流していく。
故にジョージ行商隊の活動をよく知る盗賊なら、是非とも荷物を強奪したいと考える。その対策に大規模な護衛団を雇っていたわけだが、彼らはこの町にしばし滞在した後、国境を越えて輸出入にかかるらしい。
護衛契約の継続をする者は共に国境を越えていくことになるのだが、そうでない者は行商の移動に乗っかって、そのまま町の観光を楽しみ故郷へ帰る。
アリッサとマリーサはその口だ。
温泉が多いと聞くこの町には前々から興味があり、依頼を受けたのも温泉目当てのついでのようなものである。貴族の身分で元より金に困ってなどいないのに、特別に稼ごうなどとは始めから思ってすらいなかった。
「さあ! 宿を取りましょう? どうせ遊びに来たんだから、平民のフリだの国民目線の勉強だのっていうのは忘れて、遠慮なくいいところに泊まるわよ?」
「たまにはそれもいいですね」
「でしょ? 庶民の宿って、狭いじゃない? かといって、貴族クラスの裕福層に向けた宿なんて建ってる町なんて、すっごく限られているし。ここなら、それなりの宿があるはずよ」
旅や冒険の趣味を持つアリッサは、テントを使った野宿に問題なく耐えられるが、それをわざわざ好んでいるわけでもない。
「温泉付きが良いと思います。宿代が温泉と食事代込みになっているので、一度支払えば後は気にせず自由に施設を利用できます」
「じゃあ、それにするわよ。その都度その都度って、面倒なのよね」
大金をはした金と捉えるアリッサの感覚では、全てが一括同時払いの方が手間がない。元を取るほどの楽しみ方をしてもしなくても、本人としては大した損だとは感じない――まあ、きっちり温泉には入り、料理も食べるのだが。
「泊まるだけ泊まって、さして施設を使うことなく帰って行く客ほど、その手の宿にとって有り難い客はいないでしょうね」
「それもそうね。払える人間的には、いちいち損だとか感じないから、元を取れてなくても気にしないもの」
「ところが、お嬢様は元をしっかり取るおつもりで」
「楽しむために払うのよ? 取らなきゃ意味ないわよ! 金がいくらでもあるからって、あの時もうちょっと楽しんでおけば良かったって、心の方がもったいなさを感じるものよ!」
温泉を前にニヤニヤとしているアリッサに、それを密かに微笑ましく思うマリーサの二人組は、こうしていくつかの宿を巡って、気に入った泊まり先を見つけ出し、高級家具の揃った広々とした部屋を取る。
早速のように宿内を徘徊して、いくつかある温泉コーナーのどれから入ろうかと迷っていると、そんな二人の元に声をかける男がいた。
「よお、アンタは依頼で一緒だったよな」
そのアリッサと同世代の若者は、マリーサへと声をかけていた。
「あら、知り合い?」
「アリッサが雪を気にした時があるでしょう? そういう手口の盗賊はいるか、詳しい人がいるから聞いて来るって言った時の相手よ?」
マリーサがタメ口に変わる。
どうもクセになっているらしい。
平民のフリをする理由は、平民の目線で町を見て回るなどといった社会勉強的な意味合いが強く、特にそういうつもりのない時は主従関係を隠す理由はない。たまには身分を明かしても良さそうな気はするが、まあ保険をかけるに越したことはないだろう。
貴族の身分を明かした状態でうっかりツボでも小突いて割ってしまえば、その話が上流社会に伝わりかねない。
だが、平民のフリをしている限り、不思議と同姓同名の別人扱いだ。
それもまあ、平民を名乗るための身分証を所持している上、貴族がこんなところを出歩くと思う人間が意外と少ないからなのだが。
「ふーん? あなたが盗賊なんかに詳しいって人?」
「俺はケビンだ。故郷の周りに盗賊が多かったんで、村を守るために腕を鍛えて戦ってたら、いつの間にその手の連中の手口に詳しくなった。大したことねー連中は、単に訳ありが徒党を組んだだけの、成り行きで生まれた集団に過ぎないが、経験を積んでノウハウを蓄積したり、いい感じの指導者がトップに付くと、厄介なテクニックを身につけやがる」
「私達が相手したのも、厄介な集団だったってわけね」
「お嬢ちゃんは?」
「アリッサよ」
「へえ? 二人とも美人でたまんねー。是非ともナンパしてーところだが、躱し方が上手そうな気配がするんでやめとくぜ」
この瞬間、アリッサは少しばかり調子付いた。
なるほど、この男は自分に魅力を感じ、本当はナンパをしたり、デートに誘いたくてたまらないというわけか。自分が誰かを魅了してしまったことへの、多大な優越感に浸るアリッサは、いかにも勝ち誇った顔で言う。
「そうね? そうして頂戴?」
自分がそこらの冒険者を相手にする訳がない。
言い寄ってきた男を適当にあしらってやることで、自尊心を満たして表情がみるみる緩む。そんなアリッサの性格が大いに表れ、見るにケビンは引き攣っていた。
「ま、まあ、たまたま同じ宿に泊まったんだ。また会う機会があった時にでも、改めて声をかけるぜ」
ケビンはそんな言葉を残して去って行く。
その背中を見送るアリッサは、それから怪訝な顔を浮かべていた。
「それにしても、ミョーに人の顔をジロジロ見て来たというか。普通に見惚れるのとは違った感じがしたのよね。あのジョージってオジサンもそうだったけど」
まるで見覚えのある顔を見て、軽く驚いてみせるかのような、ちょっとした目の丸まりを感じたというべきか。初対面のはずの人間から向けられる目としては、どこか奇妙な感じするのはそのせいだ。
「気のせいでは?」
「だろうけど、なーんか気になる視線だったわ」
「何でもいいではありませんか。それより、私は早くお嬢様と一緒にどこかに入りたいところなのですが」
マリーサの視線が示すのは、いくつもの看板が示す温泉コースと、そこに続く通路の入り口の数々だ。
「そうねぇ? 色々あるみたいだけど、露天風呂? 雪降ってるのに屋外って、いくらお湯に入るといっても裸よ? 裸で冬の風の中よ?」
「私はここに興味ありますが」
「えぇ……」
「お嫌ですか?」
「しょうがないわねぇ? 使用人ごときが自分の要望を述べるだなんて、余所なら一発で斬首なんだけど、私は寛大だからマリーサの行きたいところへ行ってあげる」
「お嬢様、大好きですよ」
「そうね。もっと言いなさい? もっと褒めなさい? っていうか、決めたのならさっさと行くわよ?」
アリッサは我先にと進んで行き、マリーサはその後に続いていく。
通路を進んだ先では、更衣室は男女別にドアが分かれており、女子更衣室に入ると受付カウンターによる出迎えがあった。
どうやら、専用の水着に着替えることになっており、それをカウンターで受け取ってから、棚の前で衣服を脱ぐ仕組みらしい。
二人は白い水着を受け取り、さっそく着替えを済ませるが、例によってアリッサは気づいていない。
着替えの最中、脱衣していた後ろ姿を赤らんだ顔で視姦して、口角まで釣り上げたマリーサアの表情に、アリッサはまるで気づいていない。しかも、振り向いた途端に切り替わり、さも何事もないような淡々とした顔付きに戻ってしまうため、アリッサはこの温泉町においてもマリーサの本性に気づかない。
本性どころか、泊まった宿がどういうところなのかさえ、アリッサはわかっていない。
宿選びの全てをマリーサに丸投げしていたため、マリーサの基準で選び放題だったがために、一体どのような宿に泊まり、どのような温泉に入ってしまうことになるのか。
その先が男女混浴であることも知らず、アリッサは意気揚々と進んでいく。
マリーサはというと……。
自分自身も男の視線に晒されるので、前もって赤らみながら、どことなく覚悟を決めながらも、その目はアリッサの反応を楽しみにしているのだった。
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