1:検査のはじまり

目次 次の話




 保健委員の男子は困り果てていた。
 身体測定や健康診断の当日に学校を休み、別の日程にそれらを受ける女子がいるということで、本来ならそれを受け持つ女の教師がいたのだが、驚くことに生徒に丸投げしてきたのだ。
「面倒だわ。あなたがやって頂戴」
 急に教師の呼び出しを受け、マニュアルを渡した上で仕事を投げられる。
 そんな女教師にも困ったものだが、さらに困ったことに相手は女子である。そればかりか、渡された内容をよく見てみても、マニュアルにはとても驚くことが書かれており、本当にこの通りにやるのかと思うと困る以外の感情が浮かばない。
 代替の実施日を迎え、貸し切りの保健室にやって来たのは、まさかの森久保乃々である。自分の中学校にアイドルをやっている女子がいるとは聞いていたが、その森久保の相手をすることになるとは思いもよらなかった。
 その顔を見た瞬間、さすがにアイドルをやるだけあって、可愛さにどきりとするが、どうも森久保はなかなか部屋に入ってこない。
「あ、あのぉ……し、身体測定……ここで、良かったでしょうか……」
 森久保はどこか震えを帯びたかのような、妙に独特の声をしていた。
 戸を開いたまではいいのだが、壁に隠れた形となって、覗き見てくるばかりである。なかなか入って来る様子がなく、こんなことでも困り果てることになるとは思わなかった。
「森久保さん、だよね。とりあえず、入ってもらえると助かるんだけど」
「むーりぃ……」
「え……」
「もりくぼは……アイドルの仕事で、学校……お休みして……。人前に出て、いっぱい写真を撮るだなんて……考えられなくて、プロデューサーさんに……迷惑、かけて……」
「う、うん」
「その上、先生にも……迷惑かけて……。プロデューサーさんは……前もって学校に連絡したって、言っていたけど……やっぱり……迷惑だったみたいで……先生、すっごく、もりくぼのこと、面倒臭そうに……」
「あー。あの先生ね」
 いかにも面倒臭そうに、怠そうな顔で生徒に仕事を丸投げしてきたあの教師は、つまり森久保にも同じ態度を取っていたらしい。森久保には保健委員の人に頼めと言っておき、そして自分に対して仕事を投げ、この保健室で引き合わされたというわけだ。
 それにしても……。
 身体測定を無理だと感じるのも仕方がない。
 何せ、自分が受け取ったマニュアルによると、どうも森久保は『特別対象』というものに指定されており、通常とは異なる方法で、普通は測らない部分まで測るという。その内容を知っていれば、実施現場に入ることさえ抵抗があるのも当然だ。
 かといって、では仕事を任されてしまった自分は、一体どうすればいいのだろうか。
 引き受けたものをやらずに済ませ、何も仕事はしなかったと報告するのは、さすがに辛いところがある。なればきちんとこなすべきなのだが、こなすにしても内容が恐ろしい。仕事をやることも、やらないこともできないなど、それほど困ることがあるだろうか。
 これらの思いが顔に出てしまっていたのだろう。
「そんな顔、されると……。もりくぼが……測定とか、受けないと……そちらにも、迷惑を……ううぅ……でも、むーりぃ……」
「まあ、ね」
「でも、今は……もりくぼが……保健室に、入らないと……アイドルなら、代わりはいるけど……もりくぼの、身体測定は……もりくぼが、受けないと……」
「それも、まあね」
「ま、まずは……そちらに、行くところから……始めようかと、思います……。じゃないと、保健委員さんにも、先生方にも、迷惑を……あうぅぅぅ…………」
 森久保はやっとのことで保健室に入り込み、たどたどしい挙動で戸を閉める。
 自分の目の前までとぼとぼと、腰の引けた様子でやって来るなり、決してこちらに目を合わせることなく、視線はきょろきょろと左右に泳ぎ回っていた。
「あの、はっきり聞くけど、内容は聞いてる?」
「もりくぼは……そう、マニュアルを渡されて……保健委員さんも、同じものを受け取るはずって、聞いていて……その通りに受けろって……言われていて……」
「普通の内容じゃなかった感じ?」
「そう……普通じゃなくて、もりくぼには……とても無理で……でも、やらないと……いけないことだから、どうしようもなくて……」
「うん」
「もりくぼは……は、裸なんて、誰にも……見せたこと……なくて……」
「……だよね」
「だけど、マニュアルには……パンツ一枚って、書かれていて……」
 森久保は途端に両手で顔を覆い隠して、まだ何も始まらないうちから、既に顔を真っ赤に染めているようだった。どんなに顔を隠しても、その見えている両耳まで赤く染まって、森久保の恥じらいぶりはひしひしと伝わってきた。
「むーりぃ……!」
 そんな言葉が出るのも仕方がない。
 マニュアルによれば、森久保は特別検査対象に指定されており、妨げとなる衣服を脱いだ上で、肌を晒した状態で身体検査に臨むことになっている。
「とりあえず、簡単なことからやっておこうよ」
「簡単な……?」
「ほら、視力検査とか」
「それくらいなら……もりくぼでも…………」
 ようやく検査の段階に入った後、マニュアルを片手にしどろもどろに問診を行って、その答えに応じて用紙にチェックを入れていく。どうして素人の身で医者のような真似をしているのか、自分でもわからない。
 とにかく遮眼子を手渡して、次の視力検査へと移っていった。
 視力検査に使う『C』のような形のもの――ランドルト環を載せたシートの横に立ち、自分はそれを一つずつ示し棒で指していく。
「ええっとぉ……それは右で……し、下ぁ……」
 そんな具合に森久保は滞りなく検査をこなしていく。
 この後は身長計の台に乗ってもらい、森久保の頭にバーを下ろして数字を読み取り、書類の中に身長を書き込んだ。
 ここまでは順調だ。
 だが、ここから先が問題になってくる。
「森久保さん。この次なんだけど……」
 マニュアルを改めて読み返し、それから森久保にも内容を見てもらう。身長測定とくれば、次は体重を量るのが流れというもので、実際に体重測定をやればいいのだが、マニュアルに書かれた内容が問題だった。

 ※必ずショーツ一枚で実施すること。

 などと注意書きが記してある。
「むーりぃー……」
 それは当たり前の答えであろう。