木板のドアをノックする音が聞こえて、リーナは慌てて身をよじる。X字状に拘束されたままの手足を懸命に引っ張るが、やはり脱出できるわけがない。
「入るよ? リーナ」
キアランの声だ。
「ま、待って! まだ待って!」
こんな姿で会いたくない!
下着はぐっしょりと精液でぬかるんで、頭の先からつま先にかけてまでもが、白濁濡れで余すことなく汚されている。青臭い状態でキアランと会ってしまったら、キアランがなんて顔をするのかわからない。
なんとかしてシャワーを浴びて、汚れだけでも落とさないと……。
「リーナ!」
来てしまった。
蹴破るような勢いでドアを開けたキアランは、部屋の中まで駆けて来て、リーナの惨状を目の当たりにして絶句していた。
「……キアラン」
「リーナ…………」
ショックを受けた青ざめた顔をしていた。
当たり前だ。
いくらなんでも、こんな状態で再会なんて……。
リーナの瞳から涙がこぼれた。
「……気持ち悪いでしょ?」
「…………」
キアランは何も答えない。
きっと、その通りだからだ。
「……臭いでしょ?」
「……」
臭いに決まっている。
リーナ自身、自分の体から漂う青臭さが気になってたまらない。ジョードなんかの精液でまみれた体だなんて、いくらなんでも触りたくないはずだ。
「今、外すね」
キアランは無言でロープを解き始める。
(……お願い。何か言ってよ)
まずは右腕の拘束が解かれて、次は左の手首の結び目を外し始める。キアランはずっと、硬い結び目からのロープを解くことだけに集中していて、リーナの有様に関しては、一言も触れようとしていなかった。
(そうよね。無理よね……)
リーナは悲しくなった。
いくら愛し合っていたところで、嫌いな男の精液がかかっているのだ。いつもキアランを馬鹿にしていたジョードのことは嫌いだったが、イジメを受けたり、剣の稽古で負かされ続けたキアランにしてみれば、もっと忌むべき存在だ。
そんな男の精液がかかっていたら、どんなに好きな女の子でも、さすがに触ることはできないはずだ。
(ジョード……殺す……! 絶対殺す!)
もし、このままキアランに嫌われたら、全てを忘れて幸せになるのも難しい。リーナばかりの精神が強くても、キアランが着いて来てくれなければ意味が無い。
幸せになれないくらいなら、いっそ罪を被ってでも……。
ジョードを殺す。
「リーナ」
両足まで解いたキアランは、そっとリーナの背中を抱き起こし、真剣な眼差しでリーナのことを見つめていた。
「……な、何よ。こんな私なんて、無理に触らなくていいのよ?」
「…………」
「わかってるから! こんな姿見ちゃったら、気持ち悪いって思ったでしょ? 隠さなくても構わないから!」
リーナは荒れていた。
あれだけ嫌な目に遭って――いや、嫌な思いなんて言葉で片付けるには生温い。生き地獄といっても過言ではない苦行の中の苦行を強いられ、あまつさえ憎悪の中で体だけは反応してしまっていた。
今まで耐え抜いていた反動で、よりにもよってキアランに当たってしまっていた。
(わ、私ってば! キアランを責めたって意味無いのに!)
頭ではわかっている。
自分の愛する夫を攻撃してどうするのか。
悪くも無いキアランを責めてどうするのか。
けれど、一度決壊してしまったリーナの感情的な言葉は、止まることを知らなかった。
「キモイって言ってよ! 髪までカピカピで、下着もこんなで、胃袋の中にも飲まされたものが溜まってるのよ? これが気持ち悪くなかったら、一体世の中の何が気持ち悪いの?」
「リーナ!」
「……え?」
その瞬間、リーナは暖かいものに包まれていた。
それはキアランだ。
自分の服が汚れるのも構わすに、力の限りリーナを抱き締め、背中にまわされた腕がリーナを苦しいほどに締め付ける。全身がキアランの身体に密着して、まるで雨に打たれた帰りにようやく暖炉に当たれたような、そんな安心感がリーナの心に広がっていた。
「本当に気持ち悪いのはジョードだ! 僕はどんなことがあっても、リーナのことなら抱き締められる!」
それを証明するかのように、キアランの腕にはより一層の力が込められた。
「……ばか」
「リーナこそ。僕がリーナを嫌うわけないじゃないか。心配しなくたっていいんだよ?」
涙が出てきた。
嬉し涙だ。
「……うん。ありがとう」
ぐすんと泣き崩れたリーナは、キアランの胸に顔を埋め込み、自分が泣き止むまでずっと、そこで涙を流し続けていた。
こんなに泣くなんて、まるで子供みたいだ。
だけど、キアランはリーナの頭を優しく撫でて、静かに慰めてくれていた。
「シャワーでも浴びようか」
「……うん」
「僕がリーナを綺麗にしてあげる。一緒に来てくれる?」
「うん!」
少し、明るくなれたかな?
なんだか、自分で思っていたよりも、ずっと早く立ち直ってしまったみたいだ。ついさっきジョードが帰ったばかりなのに、こんなに早く心が幸せになれるだなんて、やっぱり本当の愛は別格なのだ。
――信じて、良かった。
最後までキアランを信じて、耐えて良かった。
これで、私は幸せだ。
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