目次 次の話




 家はぴったり隣同士で、窓の向こうには同い年の彼がいる。
 古いラブコメ作品だと少年少女の家が隣同士という設定はよくあって、お互いに窓を開放しながら相手の部屋に向かって「おはよう」と挨拶し合う。そんな九十年代の漫画を古本屋の立ち読みで見たことがあったが、佐藤日和はしかし一度もそういうやり取りをしていない。
 せっかくだから、一度くらいは彼とそういう挨拶を交わしてみたいが。
 どうしても機会がない。
 変わりに日和は服を脱ぐ。
 カーテンを半開きにして、向こうから部屋が覗ける状態に気づかないフリをして、背中を向けてパジャマを脱ぐ。彼が着替えを覗いているのを感じつつ、恥ずかしさで顔を火照らせながらも下着だけの後ろ姿を披露した。
 これで上下両方脱いでしまった。
(あっ、見てる……)
 窓の向こうの人の気配が、ブラジャーの背中とパンツのお尻をじっと見ている。肌がじりじり熱いような視線の感触は、うなじから太ももまでをまんべんなく撫で上げて、特にお尻を重点的に観察していた。
(パンツで柄を確認されてるのかなぁ……。恥ずかしいなぁ……)
 今日の下着はどうだろう。
 ピンクにフリルの付いている可愛いものを選んでしまった。彼の好みはわからないが、雑誌でも紹介されていた装飾の目立つこれなら、少しは気に入ってもらえるだろうか。
 それとも、背面だけでは物足りないだろうか。
 前も見せてあげたい気はするが、さすがに抵抗に押し負ける。
 こうして下着を見せること自体、本当は恥ずかしい。わざと半開きにしたカーテンに気づかないまま、私は覗かれていることになんて気づいてません。という建前だからできることだ。堂々と見せてあげられる自信はないし、ましてや下着の中身まで見せようと思ったことは一度もない。
 前を向くということは、気づかないフリが使えなくなるということだ。
 しかし、ここで日和は逆のアイディアを思いつく。
 気づいたことにすればいい。
 カーテンが開いているのに気づいたため、閉めなくてはと、日和は窓際へ接近する。けれども向こう側のカーテンの隙間にも、そこに隠れる人影の気配にも一切気づかず、振り向いたがために前を見られていることにも気づかない。
 しかもだ。
 窓はベッドの上にある。カーテンを閉めるためにベッドへ上り、立ち上がると、たちまち下着姿の上から下まで見放題になってしまう。
(んんっ! 駄目……。視線が、視線が……)
 恥ずかしくてたまらない。
(パンツ見られちゃってる……。柄とか観察されてる……)
 今すぐにでもしゃがみ込んで隠したいような気持ちを少しだけ我慢して、十秒ほど数えてからカーテンを閉め切った。
(……あのっ、ごめんね? 今日はここまで)
 できればもっと見せてあげたいが、日和にも恥ずかしさの限界がある。本当はカーテンを開けておくだけでも緊張し、覗かれているあいだは顔は始終真っ赤なのだ。一分や二分までなら耐え切れるが、十分も二十分も露出を続けるだなんて、恥ずかしくて死んでしまう。
 でも、いつかは全てを見せてあげたい。
 このブラジャーの内側も、大切な秘密の部分も……。

 そして、朝の登校時間。

「……あ、あのっ、おはよう」
 玄関を出た先で日和に挨拶をしてくるのは、いつも隣から覗いてくれる仁藤晴美だ。
 女の子のような名前に似てか、どこか可愛らしくて線が細い。顔だけだったら、クラスにいるエッチな話ばかりの男子なんかと違い、やらしいことなんて考えなさそう見えるのだが、晴美も女の子には興味があるのだ。
 でなければ、覗きなどしない。
「うん。おはよう」
 小さな声で挨拶を返すと、晴美はどこか照れくさい顔でチラチラと日和の体を気にする。いつも着替えを覗く晴美は、日和が今どんな下着をつけているかを知っているのだ。
「行こっか」
「うん」
 下着を知られているかと思うと、日和としても照れくさいし恥ずかしい。
「いい天気だね。日和さん」
「うん。そうだね」
「…………」
 会話も続かない。
「昨日は曇ってたっけ」
「うん」
「…………」
 続かない。
 お互い口下手で話題というべき話題がなく、どうしても静かになってしまう。できればクラスにいる明るい友達同士のように、晴美とも楽しく会話を弾ませたいところなのだが、それができるほど日和には場を盛り上げる力はなく、晴美もまた話のネタがないのだった。
 会話がないのはなんとなく気まずいが、幸せな気だってしなくもない。
 日和か晴美のことが好きだからだ。
 好きな人が毎朝のように玄関前で待ち伏せして、必ず「おはよう」と言って一緒に登校してくれる。たったそれだけのことが、日和にとっては十分な青春だ。
 前々から、なんとなく気になってはいた。
 日和は生まれもっての受身体質とでもいうべきか、自分から人に声をかけ、積極的に友達をつくるような行動がどうにも取れない。勇気がわかないとも言えるし、どうやって他人に話しかければいいのか、そこからしてわからなかった。
 そんな日和にとって、大人しい晴美がまるで自分に近しい性格の持ち主に思えたのだ。友達自体は普通にいるが、だからといってわいわいはしゃぐわけでなく、日和と同じように休み時間は本を読んだり、図書室で顔を見かけることもしょっちゅうある。
 同類に対する密かに親近感を抱いていたのだ。
 恋愛感情とはいかないまでも、好意そのものは初めからあった。
 しかし、明確に好きになったのはつい一ヶ月前のこと。
 日和はある日、忘れ物に気づいて放課後の教室へ戻ろうとしたとき、お喋りのために居残りしていた男子グループの会話を偶然にも立ち聞きしたのだ。
「晴美ってさ、誰が好きなんだよ」
 雰囲気からして、好きな人の打ち明け大会だと察した。
 晴美は一体どんな子がタイプなのか。盗み聞きはいけないとはわかっていても、ついドア越しに聞き入ってしまう。
 クラスでも美人なあの人だろうか、それともテニス部のあの人か。
 日和は可愛いい人気者の女の子を思い浮かべ、きっとその中の誰かの名前を言うに違いないと予想していた。
「僕が好きなのはね。佐藤日和さん」
 聞き間違いかと思った。
 もしかしたら、好きな人の話題だというのは日和の勘違いで、本当はもっと別の話題で女の子の名前を挙げていたのではないか。
 後ろ向きな性格のあまり、まさか自分が好かれることなど信じられず、これは何かの間違いだという可能性を日和は一人で並べ立てていた。
「え? お前ってあいつが?」
「そりゃ、おっぱいのサイズは認めるけど……」
「話しかけても返事がないっつーか、あいつ言葉話せないじゃん」
「暗いしさー」
 男子も口々に日和を否定していた。
 当然だ。
 日和は昔から友達が少ない、口数も少ない子だ。休み時間はいつだって読書で過ごし、図書室に入り浸っては繰り返し本を読む。ただ本を読むために毎日を生きていて、誰かとはしゃいだり笑い合うようなことがほとんどなかった。
 というより、できない。
 本当はそうしたいのは山々だが、明るく陽気なテンションというものについていけず、日和はどうしてもノリの悪い子になってしまう。話かけられても、返事をするための言葉が一瞬では浮かばないため、考えているあいだに時間が立つ。結果、スムーズな会話にならない。
 そういうことばかりな日和にとって、ただ明るく過ごすだけのことが、訓練でも積んで習得するべき、高度なコミュニケーション術のように思えてならないのだ。
「それでも、僕は日和さんがいい」
 晴美はしかし、否定的意見の数々を遮り明確に言い切った。
 というより、晴美はムッとしたような声でそう言っていた。
 自分の好きなものを否定され、腹の立った気持ちを表に出すちょっとした怒気の篭った話し方だ。
「僕だって人と話すのは得意じゃないし、でも日和さんは可愛いと思う。本が好きみたいで話しも合いそうな気がするし、大人しそうなところなんか好みだもん。僕は佐藤日和が好きだと思うから、できたら……。みんなは手を出さないでくれると嬉しいな」
 最後だけは気弱で遠慮がちになっていたが、ドキッとせずにはいられない。
 日和のためにわざわざ怒り、しかも手を出すなとまで言い出すのだ。どんなに後ろ向きで自信のない人間でも、これだけはっきりとした好意を知ってしまえば、もう確信しないわけにはいかなくなる。
 日和は晴美に好かれている。
 それも単なるライクじゃない。恋愛対象として好かれているのだ。
 とても嬉しい。すごく嬉しい。
 いいな、と思っていた相手からの気持ちに日和はもうクラクラして、この時から日和自身も晴美のことが好きになってしまっていた。

 そんな日和が着替えを覗かせるようになったきっかけは、その数日後のハプニングだ。

 今でこそ日和は気づかないフリを続けているが、初めて下着を覗かれてしまった時は、本当にカーテンを閉め忘れ、そのままうっかり着替えを始めていた時だった。
「えっ!?」
 背後から晴美の驚く声が聞こえると同時に、日和も驚いたまま緊張で硬直した。
 前もしやと思って恐る恐る肩越しに背後を見る。
 すると、カーテンを開けた晴美が日和の部屋を覗いて目を丸め、衝撃に染まった表情のまま日和のブラジャーだけの背中を見ていたのだ。
(う、嘘!? 見られた!)
 日和は驚いたせいでむしろ声が引っ込み、なので悲鳴はあげていない。
 普通ならもっとショックを受けたり、あとで気落ちするところである。小学時代にスカート捲りの被害を受けた時など、早退して家で泣いていたことさえあった日和だが、この時ばかりは不思議と別の感情を抱いていた。
 日和を好いてくれている男の子が、この下着の後姿にオロオロしている。
(は、晴美君が!? 晴美君が私であんなに動揺しちゃって……。どうしよう……。なんだか男の子らしくて、すごく可愛いって気がしちゃう。どうしよう……)
 そんな晴美を肩越しに見て、小悪魔めいた淫らな悪巧みを抱いてしまった。
 日和が覗きに気づいたことに、晴美の方は気づいていない。
 晴美はやがて自分のカーテンを閉じるのだが、しばらくすると隙間が開く。罪悪感を覚えながらも好奇心に押し負けて、結局は日和の下着を見てしまっているのだろうなと想像し、悪戯めいた考えが浮かんでしまう。
 このまま、見せてあげちゃおう。
 そんな思いつきから、日和はブラジャーを外して乳房を出し、晴美にも見えるように窓の方向へ体を向ける。
(――か、からかってあげちゃうもんね!)
 経験豊富な大人の女が純情少年を弄ぶような気持ちになりきって、カーテンの隙間から鑑賞しやすい位置へ体を置く。
 ――じぃ……。
 肌に感じる視線の感触。
(あ、あれ? なんか、思ったより恥ずかしいなぁ……)
 自分で露出をしておきながら、想像していたよりも遥かに早く顔が赤く染まっていき、熱っぽくさえなってクラクラした。
 胸に湧き上がる羞恥心は予想以上だ。
 身体の内側から風船のように膨張してくる恥じらいの感情は、あっというまに日和の思考をふらつかせ、まともにものを考えられなくさえしようとする。
(――だ、駄目! 限界!)
 抱いたはずだった小悪魔めいた感情から乗り気になっていた日和だが、一分ともたずに限界が来てカーテンを閉め直し、軍人さながらの高速の着替えで裸を隠してしまうのだった。
 もしも初めて乗る自転車でノリノリでペダルを踏み、たった一メートルも走れないまま転んだなら、こういう格好悪い気持ちになるのだろうか。
 その後。
 それから一週間はカーテンの閉め忘れに気をつけていたが、晴美の気を引いてみたいあまりに再挑戦し、下着までなら多少は見せていられることに気が付いた。覗かれているのに気づいていない設定なら、ある程度は羞恥心を軽減できる。
 そして、後々になって気になった。
(晴美君、ちゃんと私のおっぱい見れたのかな)
 恥ずかしかった思い抜けたわけではないのだが、それは既に一ヶ月近くは過去の話だ。恥をかいた気持ちは時間に癒され、今では逆に、ちゃんと見せてあげられたのかどうかの方が気がかりにすらなっている。
(見てもらえてると、いいんだけどなぁ……。見逃したり、してないよね?)
 せっかく、恥ずかしい気持ちをして頑張ったのだ。
 それなのに、胸を出した頃にはもう覗くのをやめていて、カーテンの隙間から離れていただなんてことであっては、日和にとってはその方が悲しかった。
 胸のサイズはCかD。
 なんの取り柄もない日和だが、胸のサイズだけは数少ない自慢である。乳首だって綺麗なはずだし、形だってネット上で検索できる美乳の数々に負けていない。容姿は地味だし運動も勉強も苦手だが、この胸だけには絶対に魅力がある。
 不思議なものだ。
 そんじゃそこらの男子にエッチな視線を送られたり、通りがかりのおじさんにニヤニヤされるのは不愉快で気持ち悪いと思っていた。密かな誇らしさはあるものの、胸が大きいせいで電車の痴漢に触られたことも二度ほどあって、男なんて消えればいいとその日は思った。
 よく考えれば胸の大きさで特をしたことは一度もない。損をした経験ばかりで、その都度人並みのショックや不快感を抱いてきたもので、このサイズにコンプレックスを感じたことも数知れない。
 それなのに誇らしさを抱いていられるのは、ただ大きいだけでなく、鑑賞に耐えうる美乳である自負があるからだった。
 瑞々しい果実の豊満さと形の麗しさなら誰にも負けない。
 だから誇らしくもあり、コンプレックスでもある。
 ある意味複雑なところなのだが、いざ好きな人ができてしまうと、晴美にだったらエッチな目で見られてみたい。
 乳房を曝け出して以来、生は無理でも下着までなら見せようと思いついたのも、心の底にはそういう欲求があるからからだ。晴美にならそういう目で見られてみたくて、なんとなく覗かせてしまうのだ。
 自分にとって自信のある乳房を、好きな人にだったら評価されたい気持ちもあった。

「ねえ、白と水色ならどっちが好き?」

 通学の途中、日和はふと色の好みを尋ねた。
「白と水色? 二色限定なんだね」
「うん。限定なの」
「じゃあ、どうしよっかな。どっちも綺麗だと思うけど、ブルー系が好きだから水色を選ぶことにしようかな」
「わかった。水色ね」
 これで決まりだ。
「で、これってなんの話?」
「明日の話だよ」

 ただ覗かせるだけではつまらない。
 もう少しスリルがあってもいい気がする。
 だから日和は色を尋ね、翌朝の着替えではわざと水色の下着を晒した。
(どうかな。地味な無地だけど、水色だよ)
 半開きのカーテンへ背中を向け、お尻まで見えるように立ち上がる。観察しやすいように十秒間だけ直立不動になってみる。さらにサービスで、しばらくは制服を着ないまま伸びをしたり歩き回ったり、無意味な時間をわざと一分間過ごしてみた。
(はい、お終い。明日また見せてあげるからね)
 時間になると制服を着て、朝食や歯磨きを済ませて玄関を出る。
「おはよう」
 いつも通り、晴美は待ち伏せしてくれる。
「お、おはようっ」
 言われた通りの色を着てしまったので、いつもより顔を合わせるのが恥ずかしかった。




 
 
 

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