第1話 催淫能力
構造改革特別区――アクア・エデンは観光地として知られており、旅行客向けに景観が整えられ、様々な観光スポットを売りにしている。
一見して華々しく、夢に溢れて見える土地だが、このアクア・エデンを居住地とする一人の女性は、ここを狭苦しいものと捉えていた。
この島には秘密がある。
吸血鬼の島なのだ。
人間とは異なる生物を法的に保護して管理下に置き、海に囲まれた島の中に閉じ込めている。橋一本だけで陸地と繋がるアクア・エデンは、実質的には監獄そのものだ。
吸血鬼とはヴァンパイア・ウイルスに感染した患者と言われている。厳密にはウイルスの定義を離れるらしいが、便宜上そう呼ばれるものにかかって体質が変化を遂げると、体内のヴァンパイア・ウイルスを生存させなければ生命の維持ができなくなる。
ヴァンパイア・ウイルスは海が苦手だ。
そして、島――周りを海で囲んだ土地に住まわせるなど、これが監獄でなければ何だろう。
出入りが自由なら、それもどうでもよかった。
だが基本的には、島の外には出られない。
吸血鬼という化け物を、人間以上の能力を持つ存在をどうしても管理下に置き、活動を制限しておきたい政府は、アクア・エデンでしか自由な権利を認めていない。
そのアクア・エデンの中ですら、ある程度の差別や偏見があるというオマケ付きだ。
旅行に行きたくともそう簡単には出られない、陸地への引っ越しというわけにもいかない中で、島という面積の限られた土地に閉じ込められる。
それに吸血鬼の仕事は特区管理事務局から斡旋されるものとなっており、吸血鬼が利用できる不動産も限られている。職業選択の自由が人間に比べて狭く、しかも唯一の吸血鬼保護区でありながら、そのアクア・エデン内での住居選択に制約が課せられている。
ここがもっと吸血鬼の楽園のような場所であれば良かった。
待遇が良いとは言えない場所に閉じ込めて、そこだけで吸血鬼の権利を許すなど、手放しで納得出来る者がいるだろうか。
女性はこれを日頃から不満に思っていた。
アクア・エデンに対しての数少ない感謝といえば、せいぜい人工血液の販売くらいだろうか。
吸血鬼といえば、伝承でよく聞く通り、人間の血を飲まなければ生きていけない。人工血液は本物の生き血ではないものの、ヴァンパイア・ウイルスの活動を停止させない効果があり、他者の首筋に噛みつくことなく生きていける。
しかし、これも脳天気には評価していない。
偽造防止の観点から、特定の店でしか扱いがないのはいいだろう。これがアクア・エデンでしか売られていないこともいい。問題は吸血鬼の生命線を政府が握っていることだ。
何かの拍子に不当な値段の吊り上げでもされては、それでも買わざるを得ない身としてはたまったものではない。
それでいて、人間の生き血を許可無く吸ってはいけないのだ。
同意無しに襲いかかれば暴力犯罪になるわけだが、問題は相手の合意があろうと無許可では吸えないことだ。生命線を握っておきつつ、そんな制約をかけてきていることだ。
吸血鬼には特殊な能力が備わっている。
人によって炎を出したり、幻を作り出したり、身体の硬化であったりと、能力の内容は様々だが、どんな吸血鬼にも共通しているのが、人間の生き血を吸わなければ使用できない点である。
人工血液を飲んでも能力は使えない。
生きた人間から吸わなければ駄目なのだ。
たとえ同意があっても、無許可での吸血に制限をかけるのは、人間からすれば銃器の制限と似たような発想なのだろう。日本で銃を持つには免許がいる。猟師か警察ぐらいしか、国内で銃を持つ人間はいない。
ちょっとした兵器と同等の能力も、治安維持の観点から制限したい発想はわかる。頭では多いにわかるが、吸血鬼の待遇が足りない中で制限はかけることが気に入らない。
これを面白く感じるだろうか。
金があっても気軽に旅行へ行くことは出来ず、人工血液という生命線を握りつつ、人からの吸血には制限がある。
ここが外になど出たくなくなるだけの楽園なら、多少の制限があろうと海に囲まれていようと喜んで受け入れたが、女性の中には長年の不満が蓄積していく一方だ。
だいたい、吸血せずとも、吸血鬼の身体能力は並みの人間を上回る。ろくに鍛えていなくとも、世界的なアスリートに匹敵する体力を持っている。
それに加えて、生き血さえ飲めば特殊能力の発動だ。
しかも知能は人間と変わらない。
人間のように学び、人間のように科学や芸術を身に着ける。その上で肉体は通常の人間を上回り、特殊能力の発揮まで出来るのだ。
人間などより、ずっと上等な生物だというのに、管理下に置かれた家畜のような扱いなど、どうして受けていなくてはならないのか。
積もっていく不満は、しだいしだいにそのような思想となって現れ始める。
そして、いつしか悪事に手を染めて、今よりもっと自由に生き始める吸血鬼は、何も女性一人だけではないらしい。似たような吸血鬼がどこかで問題を起こして陰陽局に睨まれて、処罰を受けるといった話は何度か聞く。
だが、バレなければいい。
人間からの吸血など、誰にも見咎められることのない屋内で密かに行い、そしてお互いのあいだで口裏を合わせれば、どうやって発覚するだろうか。
アパートの中、女性は一人の男性の首に噛みつく。
その痛みに一瞬だけ呻く相手から、溢れ出て来た血を啜り、体内へと取り込んでいく。飲めば飲むほど力が漲り、うっかり飲み干してしまいたくなる衝動を抑え、そこそこの量に留めて口を離した。
「ありがと、今回の分よ」
そして、女性は財布から金を出す。
「確かに」
金銭による血液のやり取りだった。
合意なら金で買える。
善人と悪人がいることは、吸血鬼だろうと人間だろうと変わらない。女性が血を飲んだ相手の男は、自分が悪事に荷担していると知りながら、それでも金を優先するタイプである。
体で払う方法もある。
能力で得たものを差し出す手もある。
対価を支払うことで能力を解放し、その能力でもって、女性は趣味趣向を満たして生きている。
その、趣味とは――。
女性はレズビアンであり、催淫能力を持っている。
それを駆使して獲物を楽しむ毎日こそ、女性のライフワークなのだった。
*
吸血鬼が問題を起こした時、それを取り締まる吸血鬼がいる。
政府直属の組織である特区管理事務局、その陰陽局風紀班に所属する矢来美羽は、いわば吸血鬼専門の警察のような立場で働いていた。
警察署内にて、美羽は聞く。
「機能、女性市民からの声が届いたことは知っているな」
主任の枡形兵馬が話を切り出していた。
「ええ、聞いています。吸血鬼の能力被害である可能性が高いものの、過去の同様の被害者全員の記憶が朧気で、相手の顔や被害に遭った場所も正確には思い出せないとか」
人間との共生、それがこの都市に住む吸血鬼の原則だが、それを破る吸血鬼は必ず一定数存在する。
なるほど、体制に不満を抱く考えがわからないわけではないのだが、そうした不法を働く吸血鬼がいるおかげで、かえって地位の向上や待遇の改善が阻害されるのだ。
同じ吸血鬼として、同族が起こす問題は放置できない。
それに吸血鬼が起こす事件には、同じ吸血鬼の力が必要だ。
悪事を働く吸血鬼はお構いなく人の血を吸い、特別な能力を発揮してくる。個人が兵器並みの能力を発揮することもあり得る以上、陰陽局風紀班に所属する吸血鬼は、許可に基づく吸血を行い、それに対抗するわけだ。
兵馬が話題に挙げた事件もまた、吸血鬼による能力悪用の可能性は濃厚である。
当然、捜査は行う。
だが問題があった。
「声そのものは何年も前から届いているんだがな。情報が曖昧すぎて、どうしても犯人を突き止められない」
能力自体はわかっている。
被害者の証言や状況から、ある種の催眠状態にあったこと、性的興奮状態にあったものと推測され、その吸血鬼の能力は催淫能力であると考えられる。
また、その吸血鬼は女性であることから、同性愛者による性犯罪だとも判明している。
しかし、催眠で記憶が曖昧になるせいで、犯人に辿り着くための情報が得られていない。さすがに性別はわかっていても、肝心の名前は特徴に関する証言が一致せず、現場に関する記憶も正確なものではない。
おかげで数年も前から発生して、捜査が行われている事件なのだが、一向に進展がないまま時間だけが経過している。
「ですが、その話をわざわざ持って来たということは」
「ああ、そうだ。今までよりも正確な情報が上がってきた」
「ようやく捜査が進む――かもしれない、わけですね」
催淫能力の効果には個人差がある。
何らかのトリガーで発情させられ、さらには催眠状態に陥ることで、基本的には言いなりの人形にさせられる。おそらく過半数以上の被害者は記憶がごっそり欠落しており、自分が性犯罪の被害に遭ったこと自体を覚えていない。
だが個人差のために少しは記憶を保っている場合、どうにか被害に遭った自覚は持てるんで、そうした女性が警察署に被害を訴えるわけなのだが、その際の証言はどうしても曖昧で、犯人にはなかなか繋がらない。
最初に届いた声など、酒で酔ったせいで夢の出来事を現実と勘違いしたなどと、話を聞いた警察は結論付けている。同じく情報が曖昧で、しかし共通して加害者は女性であるとする声がその後も何件か届いたことで、ようやく吸血鬼による能力悪用の可能性が唱えられ、捜査が行われることとなる。
だがとにかく情報が曖昧で、クールな顔つきだったような、それとも小動物系だったような、などと容姿の印象さえも証言がぼんやりしている。
それでもどうにか容疑者候補を搾り出してみて、その近辺のパトロールを強化する。尾行の繰り返しで尻尾を掴もうとしてみるなど、行動は起こしているのだが、どれもこれもが空振りのまま数年が経過した。
「ま、しかし。昨日の証言では特定の地域が上がった上、犯人の顔の印象についても自信を持って答えていた。催眠のかかりが弱く、過去一番の正確な証言に違いないって話になった」
「捜査に出るってわけですね」
「まったく恐ろしい話だ。催淫の個人差がなかったら、そもそも被害の声自体が上がって来ない」
「その辛うじて上がった声も氷山の一角なんでしょうね。こういう犯罪は泣き寝入りが多いですから」
美羽はふと不安を抱く。
催淫能力のかかり方には個人差があるというものの、では吸血鬼同士の場合はどうだろう。やはり個人差があるとして、美羽へのかかり具合はどうなのか。
もし完璧にかかってしまい、操り人形にでもされてしまえば、自分の持つ力が犯罪者の意のままになりはしないか。
(というか、もっと他にも心配があるわね)
そう、相手は性犯罪者だ。
もし自分がレズビアンの手中に堕ちたら、何をどこまでされてしまうのか。
「どうした? 顔が赤いぞ」
「そ、そんなことありませんよ? さあ、早く調査に行きましょう。性――犯罪、なんて、放ってはおけませんから」
捜査に危険がつきまとうのは、他のどんな事件でも同じではないか。それがたまたま、今回は催淫能力というだけの話だ。