第1話 媚薬

 呼吸が乱れ、息遣いは熱っぽい。
「はぁ……くっ、んぅ…………」
 頭の中に浮かぶのは、様々な卑猥な考えだ。性器を弄ることで快楽を得たい、乳房から刺激を得たい。自慰行為への欲求のみならず、誰かの手で辱めを受ける妄想さえ浮かぶ。
 それら妄想は、少しでも心をくすぐるため、特定の男性が強引に迫って来るなど、何らかのシチュエーションを背景とすることが多かった。
「どうやら、着衣の摩擦や風を肌に感じることさえ、刺激になっているようだな」
 興奮しながら、彼女は努めて冷静に考察する。
「サンプルは手元にない。自然回復を祈るばかりか……」
 アレを吸ってから数時間が経過。
 効果は弱まるどころか上昇している。これ以上なお、刺激に対して肌や性感帯が過敏になれば、日常生活への本格的な支障が出るだろう。
 と、彼女は紙にペンを走らせ、記録に書き留める。
「さすがに、あまり人には見せたくない内容になりがちだな」
 アレの効果について書き記すのは、そのまま性的な快楽について記録を取ることである。
 下着の微妙な緩さによって、乳首とブラジャーの内側に摩擦が生じた際の快楽、触れてもいないアソコが膣分泌液を滲ませるといった内容が並ぶのだ。
 最初は何も感じなかった。
 効果に即効性はなく、およそ数分から十分前後で乳首が突起し、さらに数十分が経過した時には性器のことが気になり始めた。この時点で自慰行為の欲求が生じ、しだいに全身の肌まで敏感になっている。
 ただ着替えるだけでも、肌に擦れる着衣が異常に気持ちいい今となっては、風もなるべく浴びたくない。
 試しに手の甲をなぞってみる。
 すると、やはり快感が走る。まるで性感帯に刺激を与えたような、必要以上に濃密で強い快感だ。
「こうして感覚に作用する薬なら、医療方面の役に立てばいいのだが……」
 実際に想定されている用途は、怪我や病気の痛みを、苦しみを和らげたり、そこから解放するといった立派ではない。
 ――セックスだ。
 あの場所で行われていた研究は、完全にそういう意図のものだった。
 ディルドやローター等、アダルトグッズを販売する企業の開発機関なら、感覚に働きかける薬の研究は、当たり前のように媚薬であった。
 その企業は開発に力を入れていた。
 汎用源石回路――アーツを使えない人間にも源石設備を使わせることを目的とした科学の結晶を、よりによってアダルトグッズの内部に搭載して、通常のディルドやローターでは得られない刺激まで研究している場所なのだ。
 そんな企業に対して、彼らは何をどう間違えたのだろう。
 彼女が媚薬を吸引したのは、盗賊の侵入がきっかけだ。
 ロドスの任務を受け、某市街に滞在していたところ、提携企業から突如として救援信号が届いたのだ。
 駆けつけてみれば、そこには盗賊が入り込んでいた。
 どうやら、高価な部品や研究成果を強奪すれば、それを売り捌いて金に出来ると信じたらしい。そんな動機で強盗に入った先がアダルト企業の施設とは、どこでどう情報を掴んだせいなのか不思議でならない。
 ともかく、彼女は何ら問題無く盗賊達を拘束した。
 相手をたった一人と甘く見て、わざわざ皆で取り囲んでくれたのが幸いした。人質でも取られていればわからなかったが、そんな悪知恵を働かせるより、数の利を活かして一気に制圧してしまおうと、自ら殴りかかってもらえたおかげで、それさえ捌けば逆に彼女こそが盗賊を制圧した。
 ところがただ一人だけ、急に研究員に襲いかかる者がいた。
 一人また一人、次々と仲間が倒れていき、さすがに人質が欲しくなったのだろう。
 そうはさせまいと、彼女は動く。
 盗賊と研究員のあいだに素早く割り込み、人質の確保を阻止するつもりでいた。
 その行動により、彼女は思いがけずして人を庇う形となった。
 割り込まれ、これでは人質も取れないとわかった盗賊は、自棄になってがむしゃらに道具を取り出した。慌てふためいての行動に合理的な理由などなく、ただただ無意味に、反射的に、スプレーの噴射が行われた。
 そこにどんな効果があるかなど、噴射した本人も考えてはいなかったことだろう。
 そして、実際に即効性の効果はなかったので、盗賊相手にどうこうなる彼女ではなく、全員の拘束を済ませて治安維持組織に引き渡した。
 だが、時間が経過した今は違う。
 息が乱れ、顔が火照り、全身が敏感になっている。着替えたり、シャワーを浴びる時でさえ性的な刺激を感じ、膝や肘など、本来なら性感帯とは言えない箇所すら、触れれば異常に気持ちいい。
 研究員にはもちろん尋ねた。
 一体どういう成分のもので、効果を中和する薬はないのか。どのくらい強い薬で、人体への悪影響はどうなのか。必要な質問は全て行ったが、まだ研究途上のためにどれも明確な答えはなく、唯一はっきりしていたのは、中和剤は存在しないという答えであった。
 今のところ、効果が表れるまでの時間など、データは全て実験動物を用いたものでしかない。理論上の数字はわかっていても、人間に使用した例は未だなく、被験者はこれから募集する予定だそうだ。
 保障されているのは、せいぜい被験者の募集が可能な程度まで安全性が確保されており、媚薬のせいで病気になったり、器官に影響を及ぼす可能性は低いという点くらいだ。
 だから彼女は記録を取っている。
 研究室に人体を用いたデータがないのなら、自身で記録を取り、自身で経過を観察する必要がある。
 不慮の事故などという理由で、媚薬の実験に付き合いたいわけではないが、自分自身のためにも薬の強さは把握しておきたかった。
 結論を言うと、この感度上昇自体が立派な身体への異常であり、本来なら直ちに中和剤を要求している。脅そうと懇願しようと、無いものは出てきようがなく、いずれ効果が切れると信じて、今は延々と堪えているのが現状だ。
「濃度については考え直してもらう必要があるな」
 自分で自分の書いた記録を読み返せば、どんなペースで効果が強まり、感度が上昇しているか。平常時の感度を基準点に数値化すれば、今ならグラフが書けそうだ。
 この数日、水を多めに飲んで排泄したり、ジムで汗をかいてみたりといった行為も試しているが成果はない。
 日に日に感度が上がるため、非性感帯のはずだった部位が敏感になっており、指で撫でるだけで気持ちいいなど、そういった一文ばかりが記録用紙に並んでいく。
 彼女――サリアが次に試そうと思っているのは自慰行為だ。
 そもそも、性欲の発散を行えば、少しは効果が薄れるのではないか。いや、薄れてくれなくては困る。このまま何日も、果ては何週間も効果が続くようなら、一体いつまでこの敏感さと付き合っていかなくてはならないかもわからない。

 サリアはその晩、自慰行為を行った。
 成果として得られたのは、ただの大量の愛液のみだった。

     *

 朝、ホテルを出る。
 任務による調査活動の任務のため、日常的に町を行き来し、情報屋をあたったり、然るべきポイントを見て回る必要があるのだが、起きた時から体が疼いている。外を歩き始めてなお、疼きは止まらないどころか、むしろ服と肌が擦れ合ったり、風を肌に感じることで悪化する。
 今日も媚薬の効果は解けていない。
 一体、いつになったら……。
 そう数多を抱えている時、サリアは道端で一人の金髪の姿を見かけた。雑踏のあいだを横切って、どこかへと突き進む横顔を目で追うと予想通りだ。
「あいつめ……」
 また、女の子に声をかけている。
 苛立ち気味に、サリアもまた突き進む。
 彼の背中に追いつく頃には、その金髪は既に歯が浮くような口説き文句を垂れていた。
「君の瞳を見た瞬間から、きっと君じゃなきゃ駄目だって、凄く運命を感じたんだ。どうか僕とお茶に付き合って欲しい」
 初対面の相手に、よくぞ「君じゃなきゃ駄目」などと断言が出来たものである。そんな言葉を彼はどこの誰にでも使い、今までどれだけの女性と遊び、ナンパを拒否されもしてきたのか。
「おい、仕事中だろう」
 その背に声をかけた途端、金髪はビクっと高く肩を跳ね上げ、いかにも恐る恐るといった具合に振り向いた。声の主がサリアとわかれば、さらに引き攣った表情となっていた。
「い、いやだなぁ! これはその、サリアさん。僕なりのやり方というか、こういう方法だって立派な調査の――」
 途端の言い訳である。
「聞いたな? そこのお嬢さん。この男が君に声をかけたのは、運命を感じたからなどではない。この手の男に引っかかるべきではない」
 そう告げると、少女はこくりと頷き駆け去った。
 サリアが声をかけた瞬間の安堵といい、逃げるような足取りといい、どうやらナンパを怖がっていたらしい。
「あーあー。行っちゃった」
 そして金髪は心底残念そうな顔をしている。
「仕事をしろ」
 呆れながら、サリアは言う。
「はいはい、わかりましたって」
 人の素行は簡単には直らない。
 こうして注意したところで、邪魔をされて鬱陶しい、としか彼は思っていないだろう。
(こんな男と同行とはな)
 ロドスの任務を受けるのはいいのだが、組まされる相手がよりにもよってナンパ好きのチャラついた男である。髪を整え、身だしなみに気を遣い、男性用の化粧まで買っているのも、全ては成功率を上げるためらしい。
 そうまで女遊びに余念のない男なら、どう注意をしても無駄なのだろう。
 目を光らせれば、それだけ人目を忍ぶようになるだけだ。
 厳しくすることで目の届きようがなくなるのと、だからといって甘い注意で済ませて良いのかという悩ましさで、ほとほと頭を抱えさせられる。
「じゃあ、サリアさん。だったら、あなたが僕と一緒に行動してくださいよ。ね、そうすれば――って、いえいえ冗談ですよ」
 ……これだ。
 注意した矢先、その相手をそのままナンパの相手にしてこようとは、彼は本当にどういう神経の持ち主なのか。そして根は臆病なのか、少し睨んだだけで簡単に腰が引けている。
 彼は学んでなどいないだろう。
 こういう事は初めてではない。
 少しばかり期間が空けば、たった今のやり取りなど忘れたように、またサリアの事すら――ナンパを注意したその人物の対象にしてくるのだ。
(困った奴だ)
 最初のナンパは急に声をかけられてのことだった。
 ロドス本艦を歩いていた時、一緒に食事でもどうかと絡んできたのだ。それを断ったはずなのに、食堂で平然と前の席に座った上、次はドッソレスのレストランでも、などと誘いを繰り返してしつこく絡む。
 辟易して睨みを利かせ、すると萎縮して謝ってきたのだが、しばらく経てばまた声をかけてきて、平然と再挑戦してくる神経の持ち主である。
 先ほどのように、人がナンパされている場面を見かけ、助けや注意に入った時にすら、サリアに対象を移してナンパを続行しようとしてくる執着ぶりだ。
 しかも、彼だけではない。
 この移動都市に同行して、現地調査に来ているオペレーターは、あともう二人だけいる。
「ねえねえ、今の話、聞いてましたよー? サリアさーん」
「そんなこと言わないでさ。ほら、俺達を監視するとでも思って」
 ちょうど、その二人の声がかかってきて、振り向こうとしたその瞬間だ。

 ぽんっ、

 と、肩に手を置かれた。
「――っ!」
 たったそれだけで、サリアは異常なほどの衝撃を受けて目を丸めた。驚愕に満ちた表情に、サリアは密かに歯を食い縛り、媚薬の力を呪わしく思っていた。
(くっ、こんなにも!)
 ……気持ち良かったというのか。
 記録を取っているのは、自分自身の手で触れた感覚や、着替えによる肌への摩擦、シャワーを浴びる際の刺激や外で浴びる風ばかりだ。
 今の今まで、男に触れられた場合の記録は取っていない。
 違いは予感していた。
 体感してみて、驚愕せざるを得なかった。
 自分の手で触れるのとは段違いの、甘く激しい電流が走ったような、それとも骨まで溶けるかのような、体がどうにかなってしまった感覚は強烈だ。
 本当に、最悪だった。

「…………あれ? どうしました?」

 金髪がほくそ笑んでいる。
 まるで何かに気づいたような、人の秘密を覗いていい気になった表情でサリアは悟る。
 これはまずい。
 実に困った展開だ。

 ――――気づかれた。

 媚薬の効果に悩んでいるなど、彼らだけには知られたくなかったが、女遊びに慣れたこの連中は、感じた女の反応をよく知っているのだろう。
 彼らは今、サリアの状態を敏感に察知した。
 某企業による媚薬開発の情報は、彼らもまた知っている。
 その上で察知されての、不安の雲が胸中で急速に厚みを帯びていくのであった。