四人による撮影は続く。
策略によってパンチラは撮られ続け、恥辱に震え耐え忍ぶ二人は、束の間の休息を経て傷ついた心を癒やそうとするものの・・・・・・。
第1話 あれから第2話 久々の撮影第3話 またもやの悪夢第4話 狂行第5話 急転異星第6話 ゲーム開始
涙が出るほど悔しかった。
ライブステージやテレビ番組、雑誌モデルといった形で露出を行えば行うほど、あの四人の顔が脳裏を掠める。今もどこかで彼らが見ているのではないかと不安になり、恐怖が湧き、悪夢の思い出の数々が蘇る。
周りから向けられる目という目の数々に、彼ら四人のものが混ざってはいないかと、いつも心に不安を抱えてしまう。
時間が癒やしてくれることはなかった。
あの四人のような最低な男達は、きっと世の中にはまだたくさんいて、世間の注目を浴びた分だけリスクに晒されていくことになる。
いつしか、視線が怖くなっていた。
集団という形の視線、町中でファンに声をかけられる可能性があっての視線、そういったものがいつでも気になる。多くの人々は、ただ応援してくれていたり、曲を好きになってくれているだけなのだと、頭ではわかっていても心にリスクのことが掠める。
癒えるどころか、時間を経るごとに悪化していた。
もしまた、あんなことがあったら……その想像と恐怖は心の奥底にまで根を伸ばし、もう二度と取り除くことができないまでに、余すことなく張り巡らされていた。
ついにはアイドルの衣装を着ることにさえ、拒否感が湧いていた。
そんな自分に気づいた時、一体どれほどの無念と憤りがあっただろうか。
あんな奴らさえいなければ、今頃こんな気持ちにはなっていない。あんなことさえなかったら、こんな風になってはいない。どうしてあんな身勝手な連中に踏みにじられ、今まで積み上げたものを不意にしなくてはいけないのか、悔しくてたまらなかった。
その後もしばらくは活動を続け、どうにかトラウマと戦ってきたのは、あいつらのせいなんかで、と思う意地によるものだったが、そんな意地も保てそうにはなくなっていた。
どんなに頑張ってみたところで、あいつらはどこかで笑っている。
こうしている今にも、撮った写真や映像の数々で楽しんでいるのかもしれない。
ともすれば、自分達がスターとして輝けば輝くほど、その痴態を手中に収めてやった満足感を彼らに与えているような気さえしてくる。
もう、限界だった。
「ごめん……もう無理……!」
そう叫び、先に膝を突いたのは浅倉透の方だった。
涙ながらに両手を突き、床に滴を垂らす透のことを優しく抱き締め、樋口円香は親友を一生懸命になって励ましたが、しかし円香も似たようなものだ。
もう衣装を着たくない。
アイドルの衣装は象徴だ。
世間に顔を露出する存在として、マイクを握り、ステージに立つための、そんな象徴的な存在を身に着けられい。可愛いドレス、セクシーなドレス、そんなものを着れば着るだけ大勢の注目を浴び続け、この身はリスクに晒され続ける。
そうすれば、いつどこから悪質な連中の視線が向き、またあの四人がのような男が現れないかもわからない。
テレビにも出たくない。雑誌にも載りたくない。
もう何もかも、続けられないと感じていた。
それでも、アイドルをやめようと決めた瞬間から、胸に広がるものは無念と悔しさなのだった。結局はあいつらのせいで仕事をやめ、このままやっていけたかもしれない人生をふいにすることへの思いは、どうしようもなく広がっていた。
しかし、そんな悔しさでさえ、どうしてもリスクを恐れてしまう気持ちを撥ね除けるバネにはならず、考えが改まることはなかった。
二人はアイドルを引退した。
あの時の四人さえいなければ、この引退はないはずだった。
一度引退すると決めてしまえば、あとはプロデューサーや仲間達に伝えた表向きの理由を二人で一緒に考えて、もろもろの処理に時間を費やすだけだった。
それにしても、一体なんの皮肉だろうか。
引退を決定してからの残りの仕事は、肩から何かが抜け出たように、すっとラクになっていた。あとの着る回数が減れば減るほど、衣装を着るせいで起きる恐怖やトラウマは薄れていき、最後のステージに至っては清々しい気持ちで袖を通せだ。
やっぱり、やめたくない。
なんて気持ちを少しは胸にしながらも、二人はアイドルの世界を去った。
戻ってしまえば、薄れたはずの影は胸の内側にでいつだって蘇り、また自分達の心を蝕むに違いない。その予感があまりにも大きいせいで、二人が交わした相談も、ただの決定事項の確認にしかなり得なかった。
引退は取りやめないか、などと、表面のポーズだけで話し合い、お互いにただのポーズだと理解しあった。
最後のステージを終えた後、事務処理によって完全な意味でアイドルという肩書きが外れることで、すっとした解放感さえ味わえたのだった。
*
それから、透と円香は女子大に進学していた。
アイドルをやめて初めて時間で傷が癒え始め、本当の意味で立ち直れてきた二人であるが、たとえ塞がっても傷跡は残るらしい。男性に対する苦手意識は残ってしまい、おかげでロクな恋もしないまま高校生活は過ぎ去った。
かといって、女同士で……という性癖が芽生えるわけでもなかった二人は、とはいえ親友同士として好き合いながら、寄り添い合うようにして同じ大学を選び、同じ授業を選んで学生生活を共にしている。
大学生になっての変化といえば、スカートを穿くことがなくなったことか。
皆無とまでは言わないが、穿くにしても十分に丈が長く、どんな強風だろうと中身が見える心配のないものでなければ安心できない。具体的には足首に届かんばかりの長さでないと、それよりも短いもでは安心感が湧かなかった。
ロングスカートなら持ってはいるが、強風で捲れうるようなものは、もう二度と穿くことはないだろう。
本当なら、高校の制服もズボンにしたかったくらいだ。
しかし、ずっとスカートで通い続けていたのに、急に切り替えるのはかえって目立つような気がしてしまい、なかなか機会がなかったのだ。
アイドルを辞めてから、実はスカートだけが生活の不安として絡みつき、高校在学中は一種の呪縛のようにさえ感じていたが、今となってはそれからも解放されている。
男性への苦手意識がただの苦手意識に留まっているのは、不幸中の幸いだろうか。
過度な恐怖症で日常生活に支障が出れば、バイトの面接を受けたり、将来就職するにも困るだろう。
誰かと交際するのは、今のところ想像がつかないが、表面的な付き合いで多少仲良くする程度なら、とりあえず問題はないのだった。
浅倉透はレンタルショップでバイトをしていた。
動画配信サイトの台頭により、店舗数の減りつつあるレンタルショップは、透の暮らす町でもいつの間に数を減らしている。ひょっとしたら、この店が自分のバイト中に潰れるかも、などと想像してみながら、シフト当日にはいつもエプロンに袖を通した。
バイト中は私服だが、上からエプロン着用となっている。
無人レジを導入はしているが、有人レジの方に並んで来る客には対応したり、カードの更新や説明などには当たる必要があった。
ところで、バイト先の先輩には、将来写真家になりたいという青年がいた。
授業日程との照らし合わせで組んだシフトは、その先輩との一致が多く、客足の少ない小さな店舗のため、二人きりという日もそれなりにあった。
最初は何となく不安があった。
自分は犯罪などしないという男性が大半で、必ずしも何か起きると限らないのはわかっているが、非力な女の腕力しか持たない透では、いざという時の抵抗ができない。密室空間で二人きりの状況は、相手の人格の良し悪しに関わらず、脳裏には最悪の事態が掠めてしまう。
幸い、その先輩におかしな様子はなく、レジ打ちや棚入れなど、やるべき作業について丁寧に教えてくれたり、厄介なクレーマー気質の客が来た時には、さっと現れ助けてくれたこともある。
しだいに警戒心は薄れていき、この人なら大丈夫だろうと思い始めていた。
もっとも、それはその手の好意でなく、あくまでバイトの中での信頼に過ぎない。異性への苦手意識には変わりなく、自分は誰とも交際をしそうにないという感覚は、あの時から今の今まで、やはり揺らぐことはない。
しかし、バイトを始めてから二ヶ月以上が経った時、多少は違和感を覚えるようになったのだ。
(あー……なんか、見られてる……?)
清掃作業をしていた時、後ろから視線を感じた気がして、振り向けば先輩が目を逸らす。ジーンズ越しの尻を見られていたような、それとも考えすぎなのか。確証が持てるほどはっきりとした視線がないので、何とも言えない部分はある。
だが、最近は視姦されている――ような気がする。
信用している先輩なので、失礼なことを考えたくはないのだが、解いておこうと思ったはずの警戒心が薄らと蘇りつつあった。
(たまに目を逸らされるというか、話しているときも、目が胸に来てるというか……)
チラチラとした視線の動きで、瞳の角度がしきりに胸と顔を行き来することも多くあり、透の胸にはやがて疑念が生まれていた。
もっとも、今のところ明確な疑念ではない。
せっかく仲良くなったはいいが、やっぱり異性は少し苦手だという結論に落ち着き、心の中で改めて線を引き直した。
自分達は先輩と後輩の関係、それ以上でもそれ以下でもない。
「あのさ。浅倉さん」
ある日のことだった。
客足が途切れ、やるべき作業にも区切りがついて、雑談を交わす余裕ができた時、不意に声をかけてきたのだ。
「なんですか?」
「なんていうか、俺が写真家を目指しているのは前に話したよね」
「美術館に飾る感じの、でしたっけ」
「そう。風景写真とか、いい感じの動物の写真とか」
写真のことはよくわからないが、雑談がてらに何度か見せてもらったことがある。
撮るためだけに山へ登って、山頂から見渡す景色をフィルムに収めたり、小鳥を狙って三脚台を構えるなど、休日はそういった活動をしているという。その成果の数々は、しかし透には品評のしようがなかった。
いきなり『ムンクの叫び』を語れと言われても、困る人が大半だろう。
ただ適当に撮っただけの写真と違って、もう少し絵画的で風情のある写真だとは思ったが、それ以上のことは何も言えない。どこが良い、どこが悪いといった具体的な指摘や感想を述べる力はなく、ただただ「すごいですねー」「綺麗ですねー」と答えたくらいだ。
「今度は女性の写真を撮りたくてね」
「そうですか。同じ大学の子とかに頼むんですか?」
「いやいや、浅倉さんに頼みたい」
「え……」
一瞬、凍りついてしまった。
その表情を直ちに溶かし、特に何でもない風を装うが、それでも多少は伝わってしまったものがあるらしい。
「あれ、無理かな……」
「いやぁ……なんていうか……」
トラウマがあるから、とは言えない。
世間の注目を浴びたり、雑誌やテレビに顔を露出することのリスクがどうしても怖くなり、しまいにはアイドルの衣装に袖を通すことにも拒否反応が出て来ていた。友達同士で撮る写真なら、どうにか気にせず普段通りに振る舞えるが、果たして写真家を目指す芸術至高の写真というのは、一体どうなのだろう。
「一応、聞くんですけど。撮った写真って、どうします?」
「もちろん、作品として取っておきたいけど」
「あー……」
あー、やっぱりそうか。
透の気持ちは、まさにそういったものだった。
「まあ、無理強いはできないんだけどさ。だったら、練習台っていうのはどうかな?」
「練習ですか?」
「ほら、将来的には、イケメンモデルだとか、可愛い女の子とか。読者モデルっていうのかな? そういう写真も撮れるようになっておきたいし、家族とか友達とか、頼める人にはもう何度かやってもらっちゃってるから……」
だから、あまりしつこく頼りすぎるのは申し訳ない。
といった意図を感じ取り、透は少し考え込む。
モデルとしての写真――引退した自分には、もう二度と機会がないものと思っていたタイプの撮影。決して雑誌に載ることはないのだろうが、いつかモデル撮影をこなすための練習となると、それは透が避けてきたものと距離が近い。
友達同士で撮る気楽な写真、旅行先での記念写真とは、どうしても気持ちが変わってくる。
「駄目、かな」
ここで頷いてしまった方がいいのだろうか。
胸に手を当てて、先輩に対する信頼と疑念の重さを天秤にかけてみる。自分の心は一体どちらに傾くかといったら、まだバイトを始めたばかりの頃、散々教えてもらった恩義を思い、ならばそのお礼を兼ねておきたい気持ちが湧く。
「撮った写真、あとで消してくれるなら」
「え?」
先輩は軽く驚く。
「だって、恥ずかしいじゃないですか。消してくれるなら、いいですよ」
練習台になった際の記録は、この世に決して残さない。
そんな条件であれば、今なら少しはトラウマと向き合って、乗り越えることを考えてみても良さそうだと思いつく。
別に復帰を考えているわけではない。
ただ、やはり心のどこかに影を抱えた状態からは、できるものなら脱したい。そのきっかけが今になって舞い込んできたように思えてきて、条件付きでの了承を決めるのだった。
スタジオを借りての撮影らしく、透は待ち合わせの上で案内された。
照明やホワイトバックのかかったスタジオは、随分と久しぶりに見た気がする。かつてはこういう場所で撮影をこなすのも仕事のうちだったが、もう二度とそんな機会はないものと思っていた。
これも何かの機会だろう。
復帰の意思はなくとも、トラウマと向き合い乗り越える意味を兼ね、透はここでの撮影を受け入れることにした。
しかし、約束の前日になって、衣装を用意するからサイズを聞きたいと、急に言われた時は本当にどうしたものか迷ったものだ。スリーサイズを答える気にはならず、身長とL・M・Sで答えるだけでお茶を濁して、ウエストが合わなかった場合はベルトを使うか、調整機能の付いたものを用意するということで話をつけた。
「答えにくいことを聞いてごめん」
と、先輩は一応謝ってきた。
なので、サイズを聞かれたことは水に流すにしても、いざ撮影現場にやって来て、スカートが用意されていた時には、さすがに拒否感が湧いてしまった。
先輩としては、可愛い衣装の一つとして、ただ何気なく用意しただけなのだろう。スカートに対する苦手意識も、あんな事件について打ち明ける機会などあろうはずもなく、だから日々の会話べも、ジーンズやスラックスが好きだとしか話したことはなかった。
殊更にスカートを避けているとは、先輩も知らないだろう。
悪気があったわけではないだろうが、それにしてもスカートを穿くのは遠慮したい。
「あの、ごめんなさい。スカートはちょっと……」
どうしたものか迷ったが、結局はスカートNGということにした。
後出しでこんなことを言ってしまって申し訳なくはあったが、スカートが用意されている可能性は、迂闊ながらに頭から抜け落ちていた。
「うーん。困ったなぁ……スカートしか用意してなくて……」
そう言われると、ますます申し訳なくなってくる。
やはり、穿くべきだろうか。
いいや、やはり拒否感が湧いてくる。
衣装の用意という話は、前日のうちに出ていたもので、だから透には前もってスカートNGを伝える機会はあった。それが頭から抜けていたのは落ち度なので、先輩には悪い気がして心が揺れ動く部分はある。
なので、スカートを穿いてみた自分を少しは想像した。
……駄目だ。
世の中の誰もがごく普通に穿いているスカートで、特別に丈が短いわけでもないのに、それでも捲れる可能性の高いものは穿きたくない。普通にしていれば見えることはないにせよ、強風があれば捲れうるもの、というのが透の中でのラインであった。
たとえ無風の日であったり、そもそも屋内であったとしても、捲れる余地のあるスカートには拒否感が湧いてならなかった。
もっとも、先輩はいくつか用意していたらしい。
「だったら、ロングスカートはどうかな」
先輩が次に候補に挙げた衣装は白のロングスカートで、純白の生地が光を反射してまぶしく見える。その反射具合によっては、何かまばゆいオーラを放って見えもするだろう。
「んー……まあ、これなら……」
これだけ安全なスカートなら、家にもいくつか置いてある。
ズボン類に比べれば、それでも心許なさはあるものの、ロングであればいいだろう。
「本当?」
「まあ、なんとか」
「よかった。いや、ごめんね? そういえば、いつもジーンズなのにね。スカートに抵抗があるとは思わなかったから」
「いえ、お気になさらず」
そこまで抵抗があると、話したこともなかった。
ともかく、これで衣装は決まった。
白のロングスカートに着合わせぴったりの、上も白のブラウスに決まり、透はそれらの衣装を持って更衣室で着替えることになる。
ドアにはしっかり、内側から鍵をかけておく。
テーブルの上に抱えたカゴを置いた上、着替えを始める透であるが、しかし習慣的に下着を隠しながら着替えていた。
クセや習慣、なのだ。
そこには何らの疑念や警戒心もなく、つまり覗きや盗撮の可能性を想定しているわけではない。
ただただ、本当に習慣的にそうしていた。
スカートを穿く際は、一度ジーンズの上から穿いた上、スカートの内側からジーンズを下ろしていく。シャツを脱ぐにも、まずはブラウスのボタンを外しきり、マントのように肩に引っかけた状態を作ってから、少しでも見える面積を減らしてシャツを脱ぐ。
そんな隠しながらの脱衣の上、内側にはキャミソールまで着ているので、覗こうと盗撮しようと、何なら目の前で見られていようと、下着は一瞬たりとも露出しない。少しでも可能性があるとするなら、キャミソールの肩紐の下からブラジャーの紐がずれて見えるくらいだが、この場においてはそれさえ起きない。
中高生の時から、着替えはだいたいこういうものだった。
女子同士であっても、わざわざ見せ合ったりすることはなく、よしんば盗撮されたとしても下着は見えない。ブラジャーの着脱さえも、全て衣服の内側で行う技があり、だからプールの授業であったり、健康診断で下着を外す指示だあったとしても、クラスメイトにさえ肌を見せてはいない。
こうして着替え終わった透は、ドアにかけた鍵を外して、スタジオへ戻っていく。
待っていた先輩は、一言二言、透に服が似合っていることを褒めた上、それから撮影を始めるのだった。
*
「……チッ」
少し時間を遡り、透が更衣室で着替えている最中――。
先輩はスマートフォンの画面を睨み付け、そこに映っていたものを見るなり、期待外れの映像に舌打ちしていた。
肝心のものが見えていない。
いくら切り替えを行っても、これではまるで意味がなかった。
――先輩は盗撮を行っていた。
透をただただ撮影に誘ったわけではない。
やれ練習だのと理由を作り、自分の用意した環境に連れ込むことで、透を隠しカメラだらけの部屋に入れることこそが目的だった。
画面をタップすることで、複数あるカメラの映像を切り替え可能に設定しており、ありとあらゆるアングルからの映り具合を生中継で確認したわけだったが、そのどこにも見たいものは映っていなかった。
「んだよ。せっかく手間暇かけたってのによォ」
このレンタルスタジオを利用して、自分自身の着替えを撮影してのリハーサルまで行い、きっと下着が映るのを楽しみにしていたのに、結果がこれではがっかりだ。
「ま、キャミくらいは見えたか」
下着ほどの色気はないが、それでもどうにか映った肌着はキャミソールだけだった。
せめて少しでいいからブラジャーに透けて欲しかったが、内と外で色を合わせてあるのだろうか。それとも、そもそも透けにくい素材なのか。いずれにせよ、キャミソールからは下着の色さえ見えることはなく、それどころか肩紐すら映らなかった。
とはいえ、膨らみ具合が見て取れる。
先輩はキャミソールの胸を一時停止して、画面を拡大しながら視姦した。
真っ白な生地が山なりに膨らんで、内側から大きく押し上げられている。透が何カップなのかはわからないが、天井から注ぐ照明が胸の上弦を照らすことで、下乳側にはちょうど良く影を作って、その影の色合いこそがサイズ感の想像を手助けしてくる。
「これも収穫ではあるかな」
普段の日常であれば、キャミソールすら見ることはできない。
ひとまず、今はこれで満足しておくことにして、着替え終わった透が更衣室からスタジオまで戻ったところで、先輩は表情を切り替える。不満不平のたっぷりと浮かんでいた顔から、全ての陰りや苛立ちを取り除き、明るく爽やかな人柄を演じていた。
「よく似合ってるよ。浅倉さん」
「ん、どーも」
「うん、まるで本当にモデルみたいだ」
「あー……そう、ですか……」
どうも微妙な反応である。
だが、ともかく撮影を開始することにして、透には所定の位置についてもらった。
白ホリ――撮影用の背景布を天井から垂らしてあり、それが床に達することで、L字となって下の方にも敷かれている。これで背景と足元は真っ白に、被写体をより浮き彫りにした状態で撮影に臨める形を作ってあるわけだが、このレンタルスタジオを借りる際、背景布は自前の物を持ち込んでいる。
カメラを仕込むためだ。
服のボタンのようなサイズのカメラを布の下に隠しておき、見た目で気づかれない程度の、小さな小さな隙間から真上を映す。その部分の繊維だけを薄く削って、透かした向こう側を映しやすいようにも措置してある。
レンタル用品を破損させるわけにはいかないので、部屋はともかく、背景布は自前である必要があった。
上手くいけば、ショーツが撮れるはずだ。
是非、上手くいって欲しい。
「はい。じゃあ行くよ? 軽くポーズ取ってみようか」
先輩はカメラを構え、床に膝を突きながら、レンズ越しにルックスを覗き込む。
やはり、綺麗だ。
透のルックスを見ていると、惚れ惚れしてシャッターを押し忘れそうになってしまう。透の取ったポーズは腰に手を当て、頭の後ろにも右手をやって、片足重心を決めた簡素なものだが、随分とサマになっている。
とりあえず、そのポーズに向けて何度かシャッターを押してみる。
白いロングスカートが実に眩しい。
真新しいせいなのか、照明を浴びながら発光めいて輝いて、純白の背景に今にも溶け込んでしまいそうだ。
もっとも、照明の角度を付ければ、影で浮き上げることが出来るので、本当に溶け込ませることはしないのだが。
「前屈みになってみようか」
胸を狙ってみようと思うのだが、露骨すぎれば気づかれてしまうだろう。
「こうですか?」
「うーん。もうちょっと? いや、そのくらいかな」
怪しまれないため、しだいに腰を折り曲げていく動作を自分の方から停止させ、透にはそのまま膝に両手を置いたポーズを取ってもらう。閉じ合わさった膝に手をやっての、前屈みでこちらを見つめてくるポーズは、自分で取らせておきながら、真正面から見ているとドキリとしてくる。
透明感のある表情に魂が吸い込まれ、油断すれば見惚れたまま時間が経ってしまいそうだ。
それに、何やら貫禄がある。
もうずっとこういう仕事を続けていて、これしきの撮影など労働のうちにすら入っていないかのような、こなせて当然のことを苦労なくやってみせている雰囲気は、自分が大物女優を相手にしているような錯覚さえ引き起こす。
先輩は透に向けてシャッターを切り落とす。
最初の数枚は、きちんとポーズ全体を写し、モデルや服を可愛くみせんばかりの写真を意識しておく。その次からは胸を狙い、密かなズーム操作で白いブラウスの膨らみを狙ってみるも、きちんとボタンの締めてある胸元は、残念ながら隙間が見えない。
もっと緩めのシャツだった方が、ブラチラを拝むには適していただろう。
狙いが露骨すぎれば気づかれる確率が上がると思い、かえって慎重になりすぎた結果として選んだのがブラウスだったが、少しばかり失敗だったか。こんなことなら、せめてシャツにはしておけばよかった。
だが、それもいいだろう。
ここまで慎重になっていることで、相手の警戒心を薄めながらことを進めて、しだいしだいに目的を果たしてやればいい。
「じゃあ、次は……」
「これとか、どうですか?」
「お? いいね?」
次に取らせるポーズが即座には出ず、迷いかけた瞬間に、透の方から脚をクロスさせ、横向きでどこか遠くを見つめる形を作り、それが実に絵になっていた。
それに向け、シャッターを押す。
前屈みのポーズを取らせた以外、あとは怪しい目論見は封印して、ほとんど真面目に撮影を行った。警戒されないため、きちんとした撮影と思わせるため、先輩自身も少しでも良い写真を撮ろうとしていた。
その枚数が重なるうちに、やがて誘導を開始する。
「後ろ向き、いってみようか」
そう告げると、透は背中を向けてくる。
肩越しに振り向くポーズを決め、先輩はそれにシャッターを切り続けるが、頭の中では思案を開始していた。
ロングスカートは薄手の生地を選んである。
かといって、そう透けやすいわけでもないが、このあたりでだんだんとお尻を狙った写真を撮りたい。怪しまれず、警戒されず、セクシーなポーズを撮るためには、一体どんな作戦を取るべきだろうか。
――椅子だ。
先輩はふと思いつき、スタジオ内にある椅子に目を付けた。
「次は小道具を入れてみようと思うんだ」
「ポーズのバリエーション、ですね」
「そうそう。物があると、また色々と変わって来るからね」
椅子を使えば、座り方や足のかけ方によって、より様々なポーズを作り出すことが可能となる。
背もたれに顔をかけてもらった。
机に寝そべるかのように、背もたれのてっぺんに両腕をかけ、顎も乗せてのポーズを取らせる。それを横から撮りたいとすることで、尻が後ろに突き出たポーズを横合いから確かめて、先輩はシャッターを切り落とした。
いい感じだ。
背中がアーチのようなカーブを成し、腰がくいっと後ろに出ることで、椅子に置かれた尻は上手い具合に突き出ている。
ならば、尻をすぐ真後ろから見上げ、近くから接写することができたなら、とても迫力のある絵になるだろう。
しかし、先輩は慎重に振る舞う。
(狙いがバレたら、元も子もない……)
先輩はまず、透の正面へと回っていった。
カメラを構える初期位置を、壁掛け時計でいう六時の方角とするなら、だんだんと八時の方角に向かっていく、透のポーズを斜めから見た形でシャッターを押していき、ひとしきり真面目な撮影を装ったら、いよいよ後ろ側を狙いにいった。
目指すは三時の方角だ。
内心では慎重に、かといって恐る恐るな様子を表に出せば、透に違和感を抱かせることになる。さも何でもない風に振る舞い移動して、背中を写す形での斜め撮影を行った。
デジタルカメラの内側は、透の写真によって容量が使われていく。
(……平気だな)
いけると踏んで、いよいよ真後ろの位置に立つ。
遠すぎず、近すぎず、足りない距離はズーム機能で補いながら、先輩は椅子に置かれた魅惑の尻に狙いを定めた。
くの字に突き出た尻の、それも椅子に置かれながら目立ったカーブは、その表面にスカートの布地がぴったりと皺なくい沿い合わさっている。尻の形が浮き出てきそうな勢いの、よく目立った着衣尻を画面一杯の大きさにして撮っていく。
(よし……いいぞ……)
内心では興奮しながら、先輩はレンズ越しの尻を見た。
……パンティラインが見えていた。
太ももの下にスカートの布を敷き、布地がピンと張っているおかげで、皺無く尻に沿い合わさったスカートには、ショーツのゴムが浮き上がっていた。
(これは……!)
収穫だった。
先輩は直ちにシャッター音声のモードを切り替える。音を出さずに撮影ができるように改造してあり、隙さえあればバレずに撮ることが可能となる。先輩はその機能によってシャッターボタンを連打して、執拗なまでに尻の写真枚数を増やしていった。
(いいぞ……いいぞ……!)
興奮で鼻息が荒くなりそうだ。
それを表に出してはいけない。
怪しい視線、興奮の息遣い、そういったものを悟られれば、この撮影はその時点で中止になりかねない。
(もう少し撮っていたいけど……)
長々と背後を取っていれば、透を嫌な気分にさせかねない。
後は写真でたっぷり楽しむとして、撮影はここで切り上げ、そろそろ床に仕掛けた隠しカメラでスカートの中身を撮ってみたい。
「そろそろ次にいこうか。また立ちポーズで頼むよ」
そう言って、椅子を透の元から引き上げる。
頭の後ろに手を当てて、青空を眺めている風にしてもらう。どこか町中を歩いている風にしてもらう。待ち合わせの相手を待っていると思いながら立ってもらう。ちょっとしたシチュエーションを背景に、無難なポーズを決めてもらい、先輩はその果てに言うのであった。
「今度はスカート、持ち上げてみよっか。ほら、貴族のお嬢様が挨拶するアレみたいな?」
「なんかありますよね。そういう立ち振る舞い」
「そう、そのイメージでさ。足はちょっぴり……もうちょっとかな、肩幅よりも少し広いくらいの感じで……」
今、透が立っている位置は、ちょうど真下にボタンサイズのカメラを仕掛けてある。一見してもわかりにくい、ごく小さな切れ目の隙間からレンズを覗かせ、真上にあるスカートの中身を狙わせている。
スカートを持ち上げるポーズなら、中身を映せる確率は上がるはず。
「こうですか?」
透は特に疑う様子もなく、先輩の思う通りのポーズを決めていた。
「いいよいいよ? それでいこうか」
カメラ越しに透の顔を覗き見ながら、先輩はその足元に意識をやる。
本当に、いい位置だ。
先輩はシャッターを押しながら、床のカメラにはもっと別のものも撮れているはずであることへの、楽しみな気持ちを密かに胸で膨らませていた。
一体、何色を穿いているだろう。
どんな柄の、どんなデザインなのだろう。
早く確認したい思いを抑え、真っ当な撮影を装い続けた。
その後も、いくつかポーズを変えてもらい、決して気づかれることなく下着を狙った。見えやすいポーズでなくとも、姿勢を変える際の挙動で見え隠れする可能性もあると考え、思いつく限りの指定を口にした。
そして、数十分かけた撮影の末、先輩はいよいよデータの確認を試みる。
「そろそろ休憩にしよう。俺はトイレに行ったりとか、色々してくるから、そのあいだに何か飲み物でも買ってくるといいよ」
「そうですか? なら、ちょっとだけ出て行きますね」
「うん。休憩後が終わったら、もう五分か十分くらいで終わりにするから」
「了解でーす」
そんなやり取りの末、先輩はスタジオを出てトイレに向かう。
透もまたビルの外に出たところで、早速のように映像確認を開始した。
結論から言えば、冒頭には何も映っていない。
長時間のバッテリーをいいことに、撮影開始の何十分も前から可動していたカメラである。何一つ代わり映えしない、ただ天井を眺めるだけの映像は、二十分も三十分もかけて続いているが、先輩はその部分をスキップして、撮影開始からの箇所を倍速で確かめる。
確認方法はノートパソコンだ。
透が出て行くのを見計らい、隙を見て回収したカメラからデータを抜き取り、少しでも見える可能性のありそうな部分のたびに、一時停止や低速再生を繰り返す。
高度な暗視機能がスカートの中身を照らし出し、眩しい足を映していた。
特に足首やふくらはぎは、どんなポーズであっても比較的に映りやすく、ショーツは見えないが足は拝める場面は随分多い。
しかし、透の立っていたポイントは、必ずしも映しやすい場所ばかりでない。位置が一歩ずれただけでも、肝心のものが映る可能性はなくなるのだ。
ショーツが見える場面はなかなかない。
太ももの奥まで映り、惜しいところまでいっていたり、ミリ単位でなら見えなくもないところはチラホラあっても、ばっちりと拝める部分が見つからない。
特に途中で椅子を使用し、着衣尻の撮影に集中した時などは、床置きのカメラに何かが映る余地などなく、そのあたりの時間も丸ごとスキップすることになる。
だが、後半ではようやく目当てのものが映っていた。
「よし!」
先輩は思わずガッツポーズを取っていた。
サックスブルーが確認できたのだ。
床置きを天井に向けたカメラなだけに、映るのはクロッチの部分である。
角度からして見えるポイントは決まっており、手前側の布やお尻側は映りが悪く見えにくい。特に立ち姿勢の場合、スカートの丈が前や後ろにかかっていて、隠れてしまっていることも多々あった。
しかし、色ははっきりと判明した。
その色合いは水色に少しの灰色を足し、ややくすませたかのようなものであり、それが内股のあいだで性器を包む。アングルからして、膝や太ももの方が手前に来て、その奥に限られた面積が映る形で、だから見え具合は限られていた。
どういう柄をしているのか。
刺繍はあるのか、フロントリボンは付いているのか。
細やかな観察はできそうになかったが、こういう映り方になることは、設置方法の時点でわかりきったことだった。
見え方の問題は仕方がない。
とはいえ、他にも良い映り方をしている箇所があるかもしれない。
確認を進めていくと、ポーズ変更の際、その少し体を動かす瞬間に起きる微妙なスカートの揺らめきから、手前側の映る場面があった。
「これは……!」
透の腰がくの字気味に折れていた際のものだろう。上半身に角度がつくことで、床からのアングルでも手前側の布が少しは見えて、柄の存在やフロントリボンが確認できた。
解像度による拡大の限界で、柄は把握しにくいが、白い糸を使った刺繍が三角形の上端に入っているのはわかる。フロントリボンも距離感のせいでぼやけ気味だが、白いことだけは判明した。
透の穿いているショーツはどんなものか。
その正体に少しずつ近づいている感覚に胸を躍らせ、先輩はさらにその先の映像を確かめる。
尻の映った部分があった。
それはポーズを変える時、やはり体を動かす際に起きる揺らめきで、微妙に尻が見えやすくなった瞬間を一時停止したところにあった。
バック側は無地らしい。
ゴムの位置がずれていて、片方の尻たぶが微妙に見えかけになっているのがわかる。そのせいでショーツの面積が狭くなり、映りが悪いようでいて、その代わりにお尻が少しは見えているのだ。
これもこれで、十分な収穫と言えるだろう。
しかし、ならばもう少し食い込んで、お尻の露出面積が増えたりはしないものだろうか。
そういえば、透は外に出ている。コンビニなりにでも足を運んで、それから戻って来る頃には、あわよくばショーツがずれていることだろう。今の時点で見えかけになっているのだから、歩いているうちに割れ目に食い込み、尻の面積が広がっていても不思議はない。
そうあって欲しい願望を抱きつつ、先輩は元の位置に隠しカメラを仕掛け直す。
やがて透が帰って来た時、先輩は撮影を再開させた。
*
再開してからの撮影には違和感があった。
最初はあまり感じておらず、今の今まで抱くことのなかった感覚だが、急に寒気を感じたり、妙な嫌悪感が湧くような気がしていた。
そんな気がするという程度の、実に薄らとしたものではあるが、微妙な何かを感じてならなかった。いくら薄らとはいっても、欠片も感じることがなかったものを急に感じて、それが違和感として働いていた。
何がそこまで、違和感なのだろう。
自分でも不思議に思い、内心で首を傾げながら、透は撮影をこなしていた。かつて経験したこととはいえ、我ながら慣れたものだと思いつつ、そつなくポーズをこなしていった。
そのうち、ふと気づく。
目つきが似ている。
少しだけ、本当に少しだけだが、あの時の四人が透や円香に向けた視線に似ている。
そう感じてしまうや否や、背中にぞくりとしたものが走りかけ……。
(いや、失礼かな……)
湧きかけた何かは、そう思う気持ちによって引っ込んだ。
先輩はそんな人ではない。
特別な信頼であったり、好意を抱くわけではないが、身近な人間が『そんな人』であるとは思いたくないものである。何より、仮にも二人きりの状況で、そういった危うさなどあって欲しくはない。
しかし、繰り返しポーズを撮るうちに、透はさらに気づき始める。
「今度は後ろ向きで、振り返る感じ? 足はもうちょっと前後に広げてさ」
先輩は思いつく限りのポーズを指定していた。
透はそれらに従って、一つずつ着実にこなしていくが、休憩前に比べて足を開くことが増えている。肩幅程度であったり、片足を前に出すだけなりと、立ちポーズとしておかしくない範囲のものではあるものの、足への言及が増えすぎている。
どうして、こうも足を開かせたがるのだろう。
まだ決定的な疑念は抱いておらず、内心では首を傾げているが、先輩の目つきの変化はだんだんとはっきりとしていた。
男が女を見る目である。
いいや、かといってそこまで怪しくはなく、美人が町を歩いていたり、可愛い女の子がいた時に、大なり小なり関心を抱く程度の、ごくごく日常的な目つきのはず。はっきりと胸や尻を目つきほどにはおかしくない。
せいぜい、日常の範囲である。
この程度で騒いでいたら、生涯一度も外を出歩くことなどできなくなる。
だいたい、せっかくアイドルをやめたのに、怪しくいやらしい目つきを向けられてはたまったものではない。
考えすぎなはず。
そんなことはないはずだと、透は自分に言い聞かせる。
「次はそうだね。ちょっと挑発的っていうか、肩幅よりも広めに開いてもらえるかな?」
違うはず、違うはず。
頭の中で否定しながら、透は次のポーズでも指示に従う。
先輩の頭の中には、どういった絵のイメージがあるのか。それを汲み取ろうと想像力を膨らませ、透自身も絵のイメージを浮かべてポーズをこなす。
きっと、本当に考え過ぎなのだ。
あの時のトラウマがあるせいで、良くも悪しくも敏感になりすぎている。痴漢や暴漢を見抜くセンサーが魔法のように発達しているのならいいわけだが、ちょっとしたことが過剰に怪しく見えるようでは、ただビクビクとしすぎているだけである。
恐らく、それだ。
また被害に遭ったらどうしよう。あの人も、この人も、あの時の四人のような人間だったらどうしようと、潜在的な不安が大きくなって、必要以上に警戒をしてしまう。何もかもトラウマのせいであり、こういったことを乗り越えるのが、そもそもの撮影を引き受けた理由のはずだ。
トラウマと向き合い、乗り越えて、過去を忘れて真っ直ぐにやっていくつもりで引き受けた撮影なのに、ここで何かを再発させては意味がない。
だが、そこで気づいてしまう。
――ニヤッ、
と、先輩は口角を釣り上げていた。
「!」
透はそれに驚きながら、そのせいで浮かべる笑顔が引き攣って、どことなく無理のあるものに変わっていた。
いいや、違う。
違う、違う、違う――考え過ぎるから、そんな風に見えたに決まっている。
本当に、ここで吹っ切ることができなければ、ここに立っている意味がない。
(私は大丈夫、大丈夫にならなきゃ……)
先輩がシャッターボタンを押した時、そのシャッター音声が耳に届いて思い出す。
あの盗撮、あの隠し撮りの数々を……。
問題なく撮影をこなしていたはずなのに、何故だか急に脳裏に蘇った。
愛野の顔が、津馬が、土良井が、火亜が、どういうわけか鮮明に浮かび上がって、その強烈なイメージを透は頭から振り張る。
(駄目だ。やっぱり、カメラとか、男は苦手……)
今更になって撮影を辞退したい気持ちが湧く。
だが、本当に今更がすぎるだろう。
(こういうフラッシュバックみたいのが起きないように、乗り越えに来たんだから、ここで引いたら意味が……)
トラウマを吹っ切りたい。
乗り越えようと思う気持ちがあればこそ、かえって決めつけてしまっている。胸に抱く予感は気のせいであったり、考え過ぎる自分が生み出すものに過ぎないと、透は己の心をそのように解釈していた。
ニヤっと、本当に口角を釣り上げている顔を見てでさえ、だから透はそれを見間違いや気のせいとして片付けようとしてしまう。
バランスが悪かった。
もっと適度な感覚で見ていれば、危険の兆候を見逃すことはなかっただろうが、気のせいや考え過ぎとして片付けようとする考えに傾くことで、今の透は致命的なものを見逃している。
しかし、見逃している本人がそれに気づいているはずがない。
だが、いよいよ気づきうるきっかけは、着実に迫っていた。
「次はジャンプしてみようか」
「え、なんでですか?」
「体が宙に出てる瞬間に合わせてさ。シャッターを押してみたくて」
「まあ、いいですけど」
そのリクエストに応え、透は何度かジャンプを行って、身体の舞い上がった先でポーズを撮る。僅か一瞬しかない滞空時間のあいだだけの、一秒も維持できないポーズを撮ろうと、先輩はカメラで狙いを定める。
それをひとしきり行うと、また次の要求が飛んで来た。
「座ったポーズとかどうかな。体育座りとか」
立ちポーズを中心に撮っていたのが、先輩のその一言で座りポーズに変わっていく。
床に直接尻を置いてのポーズを撮り、その際にはもちろんスカートに気を遣う。見えないように手で押さえたり、足の角度や開き具合に気をつける。
なのでもちろん、決して中身は見せていない。
ロングスカートなので、そもそも大きくは捲れない。
安全なはずと思い、正座が横座りなど、様々な座り方のポーズこなしていくうち、次に先輩がしてくる指示は、再び立ってのものだった。
立つといっても膝立ちだ。
膝立ちで足を肩幅ほどに開きつつ、スカート丈を持ち上げてみせるポーズを言われ、一瞬は躊躇いつつも、拒むことはせず従ってしまう。
(ちょっと丈が、ね……)
スカートの左右をつまみ、エレガントな挨拶よろしく持ち上げる。
そうしたポーズを膝立ちで取ることで、スカート丈は膝の二センチほど上に来ている。後ろ側も似たようなものなのは、太ももに触れる感触でわかる。
抵抗のあるスカートの長さだ。
もう決して穿くことのなくなった丈の長さに、少しだけ抵抗を感じつつ、しかし今なら誰に中身が見えるもないのは確実だ。
少しのあいだポーズを取るだけだ。
これで一日過ごすわけではないのだから、多少の我慢で何とかなる。これくらいなら乗り切ろうと、ポーズを維持してカメラ目掛けた表情も作ってみせる。
何度かシャッターを切られた後、さらにポーズの指示は続いた。
「今度は四つん這いになってもらえる?」
次に先輩が言ってくるのは、四つん這いで上半身を前に出し、片手で髪を掻き上げながらカメラを見つめるポーズである。
それだけなら、まだ決定的な疑惑を抱くことはなかった。
湧いてくる嫌悪感も、余計な想像も、全てはトラウマで過敏になった神経が生み出すもので、ただの考え過ぎである。という、自分自身に対する捉え方を越えてまで、はっきりとした形で疑いを胸にすることはなかったはずだ。
しかし、先輩は言う。
「脚はもうちょっと開こうか」
(なんで……本当にさっきから……)
どうして、こうも脚に対する言及が多いのか。
さすがに下心を感じ始めた。
何か目論見めいたものがありそうだ。人にセクハラをしたがる潜在的な意識から、脚の開き具合に言及している。はしたないポーズの強要、というわけではなく、セクハラと言い切るほどではないが、その何歩か手前の位置に先輩は立っている気がした。
「ごめん、ちょっとトイレに行ってくるね?」
と、先輩は急にスタジオを出る。
一人ぽつんと残された透は、仕方なく先輩を待ちつつも、脚についての露骨さにもろもろの思いを馳せる。気にしすぎだろうか、しかし薄らとは意識しているに違いない。
やはり、自分は過敏になっており、他の女子なら気にしないようなことでも、必要以上に気にしているのではないかと、透は自分で思い始める。
だが、ふとした拍子にそれに気づいた。
カメラがないので姿勢を崩し、そのまま適当に座りって床に指を走らせる。何気ない仕草の一環として、背景布の敷かれた上からなぞっていると、指が奇妙な感触を捉えていた。
「なに、これ……」
その次に気づくのは、今の今までわからなかった微妙な切れ込みの存在だ。
それだけなら、布の一部がたまたま破損していだだけとしか思わない。そこにあるミリ単位の隙間から、一体何が真上を覗き見ているかも、見た目でくっきりとわかるようなものではなかった。
しかし、透は隙間を広げてしまう。
切れ込みに気づいたなら、やはり何気ない仕草の一環で、それを何の気なしに触ってしまうのが心理というもので、すると隙間が思った以上に広がった。この指で穴を広げてしまった感触はなく、三センチか四センチほどの切れ込みは、元から入っていたらしい。
「なんなの……」
表情を凍りつかせて、ボタンのようなものをつまみ出す。
ただ物が落ちていただけだと思った。
それが何であるかなど、こうして持ち上げてみなければ、決して判別できなかっただろう。
――小型カメラだった。
ほとんど偶然見つけたようなボタンサイズのカメラは、コートやブレザーに付けるものと変わらない直径で、しかしカメラやバッテリーを内蔵するため、ある程度の厚みを持っている。カメラレンズとしか思えない、スマートフォンなどのレンズ部分としても見かける円形の部位に戦慄して、その瞬間から今まで受けたポーズ指定についての真実が駆け巡る。
具体的な疑念は抱いていなかった。
怪しい気がするたび、考え過ぎで片付け続けてきた。
そんな透だったが、こんな物を見てしまっては、これまで抱いた疑念や違和感は、全て真実だったと確信していた。何一つ考え過ぎではなかった上、むしろ敏感なセンサーが危険の兆候をキャッチしていたのだ。
今まで、これで人の下着を狙っていたのだ。
だから、だんだんと脚に言及するポーズが増えていた。
だとしたら、もう映るべきものが映っているかもしれない戦慄に駆られ、透の表情はみるみるうちに引き攣っていた。
先輩はいてもたってもいられずに、今すぐに確認したい衝動に駆られ、トイレの中へと映像を見に行っていた。
生中継であるように、別の端末にも映像がそのまま録画され続ける設定を利用して、スマートフォンの画面から確かめていた。
サックスブルーの下着は、より明確に映っていた。
「よし!」
座りポーズの指定はいくつもしたが、その一つには正座にほど近い形となって、V字に開いた股のあいだに両手を置くというものがある。地面に対して尻は浮かせて、ついでのようにスカート丈は周りに広げる指定を言うと、その時の透は「えっ」と微妙な反応はしていながら、言う通りにしてくれた。
おかげで画面の中に映るのは、目前に迫る勢いの尻である。
接写でもせんばかりにレンズに迫り、大きく映った透の尻は、アングルのせいもあってか、おそらく実物よりも大きく見えている。
豊満な二つのカーブは、ぷりっとした厚みを帯びながら、片方だけにショーツの布を纏っている。左側だけがしっかりと布に包まれ、ゴムの食い込むべき位置も、きちんと穿いての本来的な部分である。
しかし、左側の布は食い込んでいた。
透自身が外を出歩いたり、撮影中にジャンプの要求をしたおかげもあってか、布が随分とずれ込んでいたらしい。剥き出しとなった尻たぶは、片方だけを丸出しにしたも同然に、真っ白な肌を輝かせる。
そういえば、この正座気味のポーズを頼んだ時、床カメラの位置を意識して、「もう少し後ろに」と指示もしていた。
それが思い通りにいっていれば、おそらくは映っている。
クロッチ越しのアソコは撮れていた。
この時のポーズは、両手でスカートを押さえるもののため、手前側の布は隠れているが、尻に連なる股下の布はばっちりと、接写めいた距離感で映っている。
しかも、毛が数本ほどはみ出ていた。
尻側の布のずれに巻き込まれ、クロッチも多少ずれ、ミリ単位で見えかけになっている肉貝から、ほっそりとした毛が何本か縮れ出ていた。
先輩は時間も忘れて視姦した。
きっとトイレが長いと思われて、腹を痛めたのか何なのか、やがては心配されることになるだろう。そういったことにも思い至らず、夢中で視姦してしまっていた。
もう少し映像を進めると、四つん這いにさせた際の映像から、とうとうショーツの手前側が見えていた。布の上端部分に刺繍があるのはわかっていたが、その刺繍が白い糸を使った薔薇であることが始めてわかった。
「いいぞ? これはいい!」
先輩は舞い上がる。
ここまで大きな収穫を得られたなら、後はもう数枚ほど撮って引き上げよう。
満足感を胸にトイレを出て、スタジオに戻った時、ところがそこに立っていた透の様子は、先ほどと比べてどこか一変していた。
様子がおかしい。
何か、憤っているような、信じられないものを見ているようでもある顔は、一体どうしたというのなろう。
「……先輩、これ」
透は静かに歩み出て、テーブルの上に何かを置く。
それを見た瞬間、心臓が飛び出ていた。目も大きく見開いて、先輩さえも信じられないものに対する眼差しを向け、唖然としながら透の顔を見ているのだった。
「……ははっ、なんだろうね」
無理があるとは思いつつ、駄目で元々、誤魔化そうとしてはみる。
「盗撮、ですよね」
目がこちらを非難していた。
「……」
何も言葉を返せない。
言い訳が出て来ない。
「最初から、このために私に声をかけていたんですか?」
その頬がほのかに赤らんでいる理由は、言うまでもなく盗撮のせいだろう。自分の下着がカメラに収まっているのかと思ったら、恥ずかしくて仕方がなくなり、頬に宿った羞恥心でわずかながらに染め変えている。
だが、その目つきは怒りと嫌悪の方が強かった。
「……」
「最低ですよ」
人を本気で侮蔑してくる眼差しから、かなり本気で最低だと言われては、自業自得だろうとショックは受ける。胸を打たれたような衝撃に、どくっと心臓が弾み上がって、同時に怒りがふつふつと湧き始める。
実に身勝手な怒りと言えるだろう。
せっかく上手くいっていたのに、気づきやがって――腹の底にある感情は、透の気持ちなど顧みないものである。信じても平気だろう、問題はないだろうと撮影に応じてみれば、実は盗撮されていた透側のショックなど、今の彼には想像することすらできはしない。
「気持ち悪い、ですよ」
さらにショックを受けた。
この状況を傍から判定する者がいたなら、あって当然の非難であると述べるだろうが、先輩は逆上寸前だった。
「なんだって……?」
自分がどれだけ低い声を出し、透のことを威嚇しているか、本人に自覚はない。
自覚も何も、ショックで心を揺さぶられ、そのまま自身の感情に飲まれた先輩には、まともにものなど見えていない。
「人に……そんなことを言っていいと思ってるのか……」
自分が盗撮をしていたことなど、いとも簡単に忘れていた。
視野が狭まった先輩には、透のことが加害者に見えていた。人の暴言を言って、気持ち悪いなどと傷つける。透こそが加害者で、自分は被害者であるような、一種の思い込みの中に入り込んでいた。
バレたショックのせいもあるだろう。
激しく動揺した時から、精神の均衡は崩れていた。
「データ、消してくれますか?」
それは先輩にとって、決定的な一言だった。
それが身勝手で自己中心なのは言うまでもないが、先輩にしてみれば、努力の成果を放棄しろと言われたようなものだった。
透を誘うために勇気を出し、良い返事を得るや否や場所を見つけて、マイクロカメラを用意してまでセッティングを行った。リハーサルまでして、暗視機能できちんと下着が撮れそうかの確認も欠かさなかった。
苦労の末に手にした宝物を手放したくないと思うのは、いずれにしても心理としてはあって然るべきものだ。
だとしたら、それを消せと言われて怒り出す人間が存在しても不思議はない。
身勝手な主張、自己中心のクレーム。
この世の中に様々な怒りが存在する中、そして先輩もまた怒りを膨らませていた。
「何が消せだ! 人の努力を何だと思ってる!」
だから怒鳴った。
「……っ!」
その瞬間、透が浮かべた戦慄には、まるで恐ろしいものを見るような眼差しが浮かんでいた。
当然である。
性犯罪者が逆上して怒鳴ってきたのだ。
怖がらない方がおかしいくらいだ。
「お、お前……!」
だが、人を怪物のように恐れる顔は、態度は、先輩を刺激していた。どうして人にそんな目を向けて、あまつさえ批難できるのか。怒りのあまり、客観的な思考がまるで出来ない先輩の中で、いかにも都合良く透が悪者になっていた。
「ふざけるな!」
気づけば透に手を伸ばそうとしていた。
その時点では、その間違った言葉を取り消させ、意地でも謝らせようとする衝動に駆られているだけだった。
かといって、そんな細かな機微をエスパーのように読み取れるはずもない。
怒鳴ってくる相手の手が伸びて来たなら、驚いたり怖がったり、それが普通の反応に決まっていた。
「や……!」
咄嗟に身を引き、逃げようとした透の反応も、極めて当然のものといえた。
それでもだ。
「お前は……!」
それでも、先輩はますますショックを受けていた。
身勝手な動揺で、さも人を恐怖の対象のように見る眼差しと、逃げんばかりの反応までしてくる透の様子に、さらなる怒りが込み上げていた。
「俺を何だと思ってる! 何だと!」
凶悪犯だとでも思っているのか。
ナイフでも持っていて、人を殺すとでも思っているのか。
冗談じゃない、わからせてやる。
意地でも目に物見せようと、衝動のままにずかずかと歩み寄り、透はさらに恐怖してドアへと駆ける。
悪循環だった。
こんな風に迫られて、逃げない人間がいるだろうか。かといって、人様のことを過剰に恐れ、危機感のままに逃げようとする態度が気に入らない。だから、わからせてやる。そんな衝動を抱えた先輩に対して、逃げること自体が怒りを煽った。
逃げても逃げなくても、もはやロクなことになりはしない。
そして、慌てふためく透はロングスカートに足を取られて、危うく転びそうになっていた。ドアに到達するより先に、まずはバランスを崩しかけ、その瞬間に先輩は後ろからスカートを掴んでいた。
力任せに引っ張ると、そのせいで留め具が破損して、ロングスカートは脱げてしまう。
下着が丸出しとなり、しかも膝まで下がったスカートはますます足に絡みつき、動きが止まった瞬間である。
先輩は目の前に回り込んでいた。
ドアを立ち塞ぎ、逃げ道を塞いでいた。
「や……やめて……!」
「何がやめてだ!」
怒鳴り散らして、先輩は透を押し倒す。
湧き出る衝動のまま、無我夢中になって動く先輩には、もう自分が何をしているのかもわかっていない。どうすれば満足で、どうすれば収まるのか。本人ですらわからないまま、ただ感情的になっている。
先輩は透の両手を床に押しつけ、力尽くで動きを封じていた。
「このっ、この……!」
ブラウスを引き千切ろうと、乱暴に胸を掴むが、透はそれに抵抗する。
「やだっ、やだ! やめて!」
「何が! 何がだ!」
どちらも半狂乱だ。
意地でもボタンを引き千切り、前を開いてやろうとする先輩と、それに抗う透とで、必死になってお互いの腕をつかみ合う。先輩は何度も何度も、実に乱暴に手首を掴み、勢いをかけて床に押し込む。
動きを封じ、そして胸に手を移すが、その瞬間に透は自由になった手を使う。
だから、先輩は何度でも手首を掴み直し、何度でも床に押しつける。
男女の筋力差もあるが、胴に馬乗りになった状態で、そのやり取りは先輩が圧倒的に有利であった。透は無意識のうちに爪まで使い、引っ掻いてまで抗っていたが、夢中になって目も血走った先輩は、それしきの痛みなど感じてはいなかった。
ついに両手でブラウスを掴み、力の限り左右に引っ張る。
ぶちりとボタンの糸が引き千切れ、サックスブルーのブラジャーがあらわとなっていた。
「やぁ……!」
透は羞恥に顔を赤らめ、夢中になって自身のブラウスを掴んでいた。必死になって元に戻そうと、内側へ向けて引っ張っていた。
いくら引っ張ったところで抜けはしない。透の引っ張る力より、先輩の握力が遥かに上回り、その拳から布が引きずり出されることはない。
しかし、先輩は急に両手を離していた。
その瞬間に透は両手で胸を隠し、必死になって我が身を抱き締める。争いのために髪を乱したその顔で、涙ぐんだ先輩を睨んでいた。
「……この!」
先輩は両手で透の頬を包み込む。
力任せに前を向かせ、次の瞬間には顔を重ねた。
「んっ! んん! んんんん!」
透の悲鳴。
だが、決して大きな声は出ない。
強引に唇を奪おうとする行為に対して、透はそれこそ必死になって、噛み切る勢いで唇を内側に丸めていた。キスに抗い、唇を守ろうと、本当は首にも力を込めている。右でも左でも、どちらでもいい。顔を背けることで先輩の唇から逃げようとしているが、両手で頬をプレスする力のせいで、首をまともに動かせない。結果、透はせめて己の唇を丸め込み、直接触れ合うことでも避けることしかできずにいた。
そんな抵抗などお構いなしに、先輩は存分に頬張っていた。
自分が何をしているか、わかってなどいない。
悪者である透に対して、自分は意地でもわからせようとしている。怒りを晴らそうと、衝動に駆られるままに暴力に走っている。
自分が性暴力の犯人と化し、人の尊厳を傷つけていることになど、今ここで思い至ることなどありはしない。
無我夢中で透の尊厳を嬲っていた。
「んっ、んぅぅ……!」
透は激しい拒否感を滲ませていた。
まぶたを閉じるための筋肉に、恐ろしいまでの力が籠もり、眼輪筋が硬直のあまり逆に痙攣を始めている。頬が硬く強張って、唇を丸めた口も、あらん限りの力を駆使して閉ざしている。
さらに透は先輩の胸を叩いていた。
両手を使ってひたすら激しく、動作だけを見るならドアをノックしているようだが、透としては必死であった。覆い被さる先輩をどかそうと、恐怖とパニックを原動力に何度でも何度でも叩いていた。
先輩はそれを疎ましく思い、改めて手首を掴んで床に押しつけた。
「いいブラしやがって!」
仕返しの意思でも込めたように、先輩はブラジャーを視姦する。
サックスブルーの下着には、やはり刺繍で薔薇を刻んでいるが、こちらはショーツと違って灰色の糸が目立っていた。普通のグレーよりも黒よりの、暗い色合いは薄く爽やかな色を背景にすることで手前に浮き出て、その周囲にある白い糸ともデザインが絡み合う。
「どうだ! これでどうだ!」
そんなブラジャーを彼は掴む。
お前の胸を揉んでやっているぞと、そんな勝ち誇った笑みを浮かべて指を動かす。その引き攣った笑みは、唇の端からヨダレを垂らしたこの上なく醜いものだった。
「ひ……!」
透はますます戦慄していた。
胸を揉まれる不快感だけではない。そのおぞましい表情に、ただでさえ恐慌している透は、さらに色濃い恐怖を浮かべた。
「なんだよ! なんだよその目は!」
気に入らない、気に入らない、気に入らない。
こうなったら、もっと辱めてやるとばかりに、先輩は下の方にも手を伸ばす。ショーツの上からアソコの上に指を絡めて、いかにも乱暴に愛撫していた。
「やっ、やめて……!」
何の丁寧さもなく、乱雑な愛撫である。
感じるはずがない。
無理に擦ってくる痛みに、透は苦悶する一方だった。
「やってやる……最後までやってやる……!」
先輩は自身のベルトを外し始める。
なりふり構わず、後先も考えず、このまま透をレイプしようとしていた。
「やめて! 本当にやめて!」
透が絶叫する。
その時だった――。
「……なに、やってるの?」
一人の冷え切った声がかかってきた時、先輩は全身を凍りつかせていた。
その背後には、より冷たい顔で男を見下ろす円香の姿があるのだった。
樋口円香は撮影について知っていた。
バイト先の先輩から撮影練習のモデルを引き受け、どうしようかと悩んだ話は、親友として当然のように聞かされている。二人きりになるのか、場所はどうするのか。円香としては警戒したが、透が最終的に出した結論は、この機会にトラウマと向き合ってみたいというものだった。
暗い影を延々と心に引きずり続けるより、どこかで綺麗に吹っ切ることができたなら、それに越したことはない。円香もその考えを尊重しようと決め、しかし安全を考え一緒にモデルを受けようかとも考えた。
二人一緒の方が、問題が起きる可能性が低いように思ったのだ。
もっとも、バイトや授業の予定など、もろもろの調整を合わせきれず、結局は透一人で行かせることになったのだが。
それでも、場所だけは聞き出していた。
それに撮影後の透とバイト後の円香で、待ち合わせの予定も作っていた。その時間にいつまでも姿を見せなかったり、連絡が途絶えようものなら、心配にもなってくるわけだ。
遅れるとの連絡もなく、待ち合わせの時間を過ぎても透は来ない。
そして、電話をしても繋がらない。
この時点で、こちらから迎えに行こうという考えに至っていた。円香も円香で、トラウマをきっかけに考え過ぎたり、警戒しすぎたりするきらいにあり、だから本当はモデル自体を止めようとも考えていた。
いいや、考え過ぎだ。警戒が過剰だ――と、過敏になっていればこそ、かえってそんな自分を戒めて、自ら危機管理を締め付けていた部分もある。
その結果として、結局は止めることをやめた。
意思を尊重しようと決めた。
だが、待ち合わせに姿を見せない状況は、戒めや締め付けを破り、何かあってはまずいと思う危機感を膨らませていた。
嫌な予感がしたのだ。
妙に噴き出る焦燥感に背中を押され、早足でビルに向かった先の円香は、結果として暴行現場に居合わせる形となったのだ。
心が冷え切っていた。
ああ、そう……また……。
あの四人から受けた被害で十分なのに、またしても性被害の機会が巡ってくるとは、自分達にはそういう不幸を引き寄せる体質でもあるのだろうか。
女の子を押し倒し、力ずくで迫っている姿には、氷のように冷え切ったものが湧き、ひどく冷たい目で見下していた。
「警察、呼びますよ」
当然の言葉を口にした時、逆上の眼差しを浮かべたその男は、今にも飛びかかって来るような勢いで激しく振り向く。
ところが、急に目が覚めでもしたのか。
すっと、その全身から力が抜けていた。
「邪魔です。どいて下さい」
円香の一言に、男はすっと引き下がる。
跨がっていた胴から降りて、男の身体がどいた時、そこにあるのは無惨な姿だった。ブラウスのボタンが弾け飛び、スカートも途中まで脱がされた様子から、ここに円香が来なければ、一体どうなっていたのかは想像に難くない。
思わず、奥歯を噛み締めていた。
(最低……)
憤りと共に男を睨む。
「樋口!」
透が抱きついてきた。
着衣を整えることも忘れて、泣きながら胸に顔を埋めてくる透のことを、円香は強く優しく抱き締める。もう二度とこんな目には遭わせたくない気持ちを込めて、抱き締める腕に腕力を込めていきつつ、その髪を優しげに撫でていた。
(あとで、警察にも行かないと……)
もっとも、すると話さなくてはいけないのは透である。
何故、どうして、どんな状況で迫られたのか。警察への説明をこなせるのか、そんなことを強いていいのか。その心配がよぎればこそ、性犯罪の理不尽さにますます憤りが膨らんだ。
迂闊に二人きりになる方が悪い、と。
人の落ち度をつついてくる輩の存在など、簡単に想像できる。
思い出したり、詳しく説明するのも辛い。
つまるところ、訴えにくい。
きちんと制裁を下すべき相手に、制裁を下しにくい。その理不尽な構造を思うとやりきれない。憤りは膨らむ一方で、一体どう収まりをつければいいかもわからずに、今の円香にはただ優しく抱き留めるくらいのことしか思いつかなかった。
「とりあえず、ここを出よう」
「……うん」
透はようやく着衣を整え、しかしブラウスはボタンが取れている。元の衣服に手を伸ばし、それを抱きかかえることで胸は隠して、二人一緒に部屋を出た。
なんで、また……。
その思いは、円香の中でひどく膨張していた。
心の中に膨らむ風船が、心を内側から押し広げるような勢いで、歯軋りをしながら思いを強く抱えていた。
どうして、また。
なんで、こうも――。
性被害にわざわざ遭いたい人はいない。
既に一度は遭ってしまった円香にとって、せめてあの一回きりで十分で、この人生に二度と似たような機会はないで欲しいと、実に切実な願いを抱いていた。
だが、これだ。
今回は透一人だったにせよ、しかし気持ちは激しく噴き出た。
なんで二度も。
どうして、なんでまた……。
頭の中で渦巻く語彙が代わり映えするでもなく、ただ感情だけが渦巻き続ける。
あの時の四人からは、散々な痴漢や盗撮。
そして、今回は強姦未遂。
より悪化した被害など、冗談にもなりはしない。
もはや、この世の運命そのものを非難したくなる。
廊下の出口にあるドアノブを掴んだ時、必要以上の力が籠もった。握り潰せるわけなどないが、そうせんばかりの力が籠もっていた。
ドアを開け、その向こうへ出る。
とにかく、今は透を着替えさせなければ、だけどあんな強姦魔のいるビル内では着替えなどやりにくいと思いながら、廊下の外へ一歩踏み出た。
その瞬間だった。
「え……」
「なに、ここ……」
まず、状況についていけなかった。
理解が追いつかなかった。
自分達はビルの屋内にいて、部屋を出てすぐの廊下を歩いていたはず。階段に繋がるドアを開いて、二階から下へ降りようとしたはずで、それがどうしてこうなるのか、まったく意味がわからなかった。
二人は洞窟の前にいた。
何故、どうして自分達がここにいるのか、まるで理解が追いつかない。
とにかく、目の前には岩壁に空いた洞窟がある。
この壁が左右どんな距離まで続いているかは不明だが、見上げれば頂上が見えないほどに高かった。ゴツゴツと荒っぽい凹凸に満ちて、鋭利な箇所も随分多い。この壁を避け、迂回して向こう側に行こうとしても、きっと延々と壁沿いに進み続けることになりそうだ。
振り向けば、後ろは森林だった。
樹木や草が生え固まって、密度の高い隙間には闇しか見えない。入っていけば、天からの木漏れ日で多少は光があるのだろうが、整備も何もされていそうにない、虫も多そうな密林など、進んで入りたいものではない。
「ねえ、浅倉。これってさ、何?」
思っていることをそのまま口にしてみれば、出て来る言葉は『何?』の一語だけだった。
だが、本当にそれが全てだ。
「わかんない。何?」
ついさっきまで、数秒前までビルの中にいたはずの、そもそも都会を出てすらいない自分達が、こんな場所に立っていることの意味がわからない。
こうなると、さっきまで夢を見ていて、目が覚めた今この瞬間、パっと現実に戻ってきたのかとさえ思えてくる。しかし、どう思い出そうとしてみても、こんな場所を訪れた記憶はない。
「なんか、さっぱりだね。本当に、どうなってんだか……」
ひとまず、そんな言葉しか出て来ない。
自分達はどうやってここに来ていて、どうやって帰ればいいのか。時間が経てば経つほど、心配するべきことは数多く出て来るだろうが、今はひとまず、呆気に取られた気持ちをどうにか搾り出した結果の言葉しか出て来ない。
「あー……。なんか、映画であったじゃん。タンスの向こう側が雪国になってて、魔女と戦うやつ」
透の言葉に、児童文学を原作とした海外映画の存在を思い出す。
「なるほどね。いや、ちっともなるほどじゃないんだけど」
そんな異世界転移のような現象が存在しては、どうやって家に帰ればいいのか、まるで検討がつかなくなる。
せめて、ここが日本のどこかの土地であって欲しい。
「圏外か」
スマートフォンを見てみるが、電波は繋がりそうにない。
「定番だね」
そんなことを言いながら、透も同じく画面を見ていた。
「言ってる場合じゃなくない?」
「そうだけど、なんかお決まりな気がして」
「っていうか、なんで服まで……」
今更だが、円香は自分や透の服装に気づく。
二人してノースリーブのシャツを着て、お揃いのスカートを穿いている。服装さえもが、スイッチ一つで切り替えでもしたかのように、いつの間に変化していて、そのせいか今頃になるまで気づかなかった。
「本当に……なんで……」
円香は徐々に表情を歪め始める。
何か、妙なことが起きている。
普通では説明がつかない、不可思議な現象にでも遭ったのでなければ、自分達がこんな場所にいる理由がわからない。そして、そうなると透の思い出した映画の内容も、だんだん笑えなくなってくる。
「なんか、気持ち悪いね」
お互いの服くらい、知っている。
知らないうちに服を替えられていたのもそうだが、透の着ている服も、円香の服も、どちらもそれぞれの所持品である。
ただ、スカートだけは違う。
二人してスカートに抵抗感を抱き、持っているのはロングだけだ。丈の長さが膝の下にまで及ぶものでなければ、とてもでないが落ち着かない。スカートだけは、どこから用意されたどのブランドのものなのか、さっぱりなのだった。
「嫌だね。なんか、モンスターとか……」
透は自分のシャツをつまんでみて、透と似たようなことを考えながら、もっと別の想像さえも膨らませているらしい。
「ちょっと、困るんだけど……クマとかイノシシだって倒せっこないのに……」
異世界にやって来て、モンスターと遭遇する。
絵空事の極みだが、わけもわからず、気づけば見知らぬ土地に立たされていた状況では笑えない。少なくとも、クマが出る可能性は現実的なものに思える。
「どうする? 樋口」
「いや、そりゃ色々と、どうにかしたいんだけど……」
ここから動くべきか、大人しくしているべきかの判断もつかない。下手に動いて迷子は嫌だが、それを言うなら既に自分の居場所がわからない。
この際、自分達がここにいる理由はどうでもいい。
せめて知りたいのは、ここが日本なのかどうか。
国内でさえあれば、どんなに時間がかかっても、どうにか家まで帰る余地がある。
「とりあえずさ、浅倉」
円香は岩壁へ向かって行く。
「壁沿い、歩いてみない?」
それが円香の判断だった。
森に入ったら、それこそ迷いやすい。そこにある洞窟を起点として、自分がどこからどこまで移動したのか。それをもっとも把握しやすいのは、延々と続く岩壁の壁沿いを歩くことだろう。
「そうだね」
「疲れたら適当に休んで、スマホが繋がったらアプリで居場所がわかるから、それまで歩こう」
「おー」
ふと、透の顔を見る。
泣きじゃくったばかりの顔は、まだ目の周りが赤らみ腫れてはいるが、見知らぬ土地へワープでもしてしまった体験は、さすがに衝撃が強いらしい。強姦未遂に遭った手前、まだまだ動揺が続いていてもおかしくないのに、未知の状況がかえってそれを吹き飛ばしたようだ。
もっとも、過去が書き換わったわけでも、記憶が消えたわけでもない。
いつぶり返し、トラウマで恐怖するかもわからない。
それは円香自身、何度も味わってきたことだ。
「おっと、移動する必要はないんですな。これが」
ぎょっとした。
「……っ!」
「っ!?」
二人して、ひどく目を丸めていた。
てっきり自分達しかいないと思っていたこの場所で、自分達以外の人間の声が聞こえてきたのは、たったそれだけで衝撃だ。
声の聞こえた方向へと、揃って勢いよく顔を向ける。
洞窟の中からだ。
そこから、誰か男の声が聞こえてきた。
光の届かない暗闇の奥から一歩ずつ、徐々にこちらへ近づく人影は、徐々に黒い輪郭を現していく。手前に来れば来るほど、陽光が少しでも及んだ領域に迫って来て、ついにはその姿を現していた。
先ほどの男であった。
透のバイト先で働く先輩だという彼は、円香にとって二度や三度しか見たことのない、大した面識のない相手だ。それも透の働く様子を覗くため、何度か店に入ってみての、客としての来訪である。
店員の顔などわざわざ記憶しておらず、向こうも数いる客の一人など覚えてはいないはず。
強姦未遂の現場に居合わせたことを除けば、初対面も同然の相手だが、どうも先ほどとは別人に思えてならない。
人が他人に化けたり、魔物が人間のフリをするなど、それこそ映画やファンタジーだ。
ありえないはずだとは思っても、先ほどの彼と今の彼とで、どうしても印象が違っていた。
いや、事件を起こす現場を見たのと、そうでない普通の顔を見るのとなら、別人のように思えてもおかしくはないか。大人しかった人間が凶悪事件を起こすとして、事件現場での顔と、いつもの大人しい顔を見比べることができたら、同じ人物とは思えない顔に見えてもいいはずだ。
「……誰?」
しかし、当の透がそんなことを言っている。
同じ現場で働く先輩後輩として、円香に比べて遥かに彼を知っているはずの透が、まるで初対面の男を見るような顔をしている。
「いやぁ、忘れちゃったかなぁ? でも、この顔じゃわかんないよねぇ?」
忘れる? この顔?
彼の言っていることがわからない。
さも過去に会ったことのあるような言い回しに、言い知れない不安と戦慄が吹き荒れるが、それでもまだピンと来ない。
しかし、その喋り方や表情を見ているうちに、とある一人の人物を連想した。
「でもね。まあ、すぐに思い出すと思うんだ」
違う、違う、違う。
そんなはずはない。
目の前にいる彼は二十歳前後の外見で、いくらなんでも年齢が合っていない。歳はおろか、体格も顔立ちも、何も一致しているものがない。無理にでも共通点を挙げるなら、どちらも性犯罪を犯した最低の人間ということだけだ。
「さぁて、それじゃあ本当の顔を見せてあげちゃおっかなぁ?」
彼の顔面がぶくぶくと膨れ上がった。まるで皮膚そのものが沸騰したお湯の表面であるかのように、泡立たんばかりに膨張する。膨らむあまりに骨格が原形を留めずに、肉を破裂させるのかと思った時、今度は逆に収縮していく。
みるみるうちに顔立ちが変わっていた。
文字通りの意味で泡立って、おぞましい変形を伴う造形の変化は、粘度のように顔立ちを捏ね変えるためのものだとわかった。
映像技術を駆使しての、スマホでの作品視聴や映画のスクリーンを介してなら驚かない。架空の世界では本物の恐竜が現代に蘇り、宇宙人が地球征服にやって来て、果ては怪獣同士が戦い始める。CGやメイクの進歩という意味でも、もはや驚愕すべきものではない。
だが、画面を介することなく、それが目の前にあったらどうだろう。
本物の怪物、本物の怪獣、そういったものを肉眼で、作り物の映像であると断ずる余地もなく、現実の出来事として前にしてしまったら、一体どれほどの衝撃になるだろうか。
「うそ……」
円香は呆気に取られていた。
「…………」
透も言葉はないが、視線がそこに釘付けとなり、汗を噴き出しながらまばたきも忘れていた。
やがて、そこには愛野が立っていた。
顔どころか手足や胴体までも泡立たせ、泡状に膨張させ、服の内側を激しく変形させていく果て、それらおぞましい変化が全て済まされた頃には、忘れもしない人物がそこに立ってニヤニヤと笑っていた。
ぞわぁぁ……!
もはや、その笑顔を見ただけで、体中に寒気が走る。
細胞という細胞の数々が悲鳴を上げ、全身で毛穴が広がっていく。頭のてっぺんから爪先まで、まんべんなく鳥肌が立った上、急に周囲の温度が下がったような涼しさで、思わず我が身を抱き締めていた。
「どういう……こと……?」
やっとの思いで、円香はたったそれだけの言葉を口にしていた。
「いやぁ! 君達が引退しちゃったのは知っていたけど、我々としては二人の魅力が忘れられなくってさぁ! また一緒に遊んでみたいって思って、まずは透ちゃんの方に接近したんだけど、ちょっとはしゃぎすぎちゃったかなぁ?」
ごめんごめんと、冗談めかした謝り方で、ヘラヘラと笑いながらポーズだけで悪びれている。後頭部を掻きながら、何の反省の色も見せずに、口先だけの驚くほど中身のない謝罪をしてくる。
「いや! すまんね!」
もっと別の意味で、信じられない気持ちが湧いていた。
見知らぬ土地に転移して、どうしていいかわからず途方に暮れかけていたことも、たった今目の当たりにしたおぞましい変身も、何もかもが一瞬にしてどうでもよくなっていた。
「ありえない…………」
円香は本当に、心の底から呆然としていた。
あの男の正体が、愛野?
もちろん、その衝撃もあるにはあるが、もっとそれ以上に信じられないのは、強姦未遂を働いた直後の態度がこれだというものだった。
あんなことをして、その謝り方がこれだというのか。
もはや、同じ人間を見ている気がしない。
いや……。
円香の脳裏に、今の今までの全ての出来事が駆け巡る。
この場所への転移、急に着ている衣服が変わったこと、恐ろしい変形によって顔立ちが変わったこと――。
それらを繋げた先にある結論は一つ。
目の前にいる人物は、本当に人間ではないのだ。
二人は警戒しきっていた。
何歩も何歩も距離を取ってなお、まるで落ち着きが得られない。あの時の数々の行為に加え、つい先ほどの凶行と、そして今こうして二人のことを見知らぬ土地に呼び出している状況。
これから、ロクなことが起きない。
今すぐに逃げ出したいのは山々で、どこでもいいからがむしゃらに走り出し、二度と愛野に会わずに済む場所へ行きたかった。
だが、振り向いた先にあるのは、無数の草木が生い茂り、樹皮にはツタまで張った密林だ。よく見れば日本に生えた木とは思えない、奇妙な形をした葉もあって、こんな場所に飛び込んで本当に平気なのかがわからない。
人を襲う動物なり、恐ろしい蛇なりの、自然の驚異がありそうで足が竦む。
驚異と脅威の挟み撃ちだ。
密林のサバイバルに挑むのと、目の前の愛野に頼んで元の場所へ返してもらうのと、どちらがマシか。そんな究極の選択を、今ここでしなくてはいけない。
強姦未遂の、また同じ暴力を働くかもわからない相手がそこにいるなら、それでも後ろに逃げたい気がしていた。
「ま、簡単に状況を教えてあげよう」
愛野は言う。
「まずはね。ここは地球じゃない」
「は?」
円香は苛立ち気味に、不信感を惜しみなく宿した目で愛野を睨む。
「信じられないかな? でもね、信じる信じないに関係無く、ここは地球じゃない。君達二人に適した大気組成の星をわざわざ買って、色々とセッティングしてあってね。どこに逃げたって元の場所には帰れないってわけだ」
冗談じゃない。
あんな男に、やはり付き合っていられない。
いくら信じられない現象が起きて、顔立ちや体格の変貌まで披露したからといって、そう易々と何でもかんでも受け入れるのは無理だ。
「行こう。浅倉」
円香は透の手を取って、さっさとこの場を去ろうとした。
こうなったら、迷わず愛野に背を向けて、密林に踏み込んでも逃げようとしたのだが、早足で踏み込んだ瞬間だ。
「え……!」
二人揃って、洞窟の中に一歩踏み込んでいた。
わけもわからず咄嗟に振り向くと、本当に踏み込んだはずの密林は後ろにあり、背を向けたはずの洞窟こそが目の前だった。漫画やアニメにはワープホールや時空の歪みといったものが出てくるが、そういった話でなければありえなかった。
「ほーら、逃げることすらできない」
愛野と離れるどころか、距離が縮まっていた。
ほんの一メートル先に、ニヤニヤと楽しげに笑う愛野はいた。
「ふざけてる。さっさと元の場所に帰して」
「駄目駄目、君達と楽しむために、時間をかけて準備したんだから」
「そんなの知らない。だいたい、こっちは何も楽しくないし」
円香は完全に敵意を剥き出していた。
楽しむだの準備だの、ロクでもないことに決まっている。
「円香ちゃん? 君はもっと状況をよく飲み込んだ方がいいね。ここは地球じゃないと言った意味がわからないかな? そして、ほら! 逃げようとしたって、君達は洞窟に踏み込んでしまったわけだ」
「なんなの、これ」
「私達の星の技術でね」
「は? 宇宙人とか」
「信じられなければ、信じるしかなくなるまで逃げてみるといいよ。何度やっても、君達はかならずこの場所に来てしまう」
「浅倉」
呼びかけるなり、円香は再び愛野に背を向け、洞窟をさっさと出て行き密林を目指す。あんな醜い中年のいる場所からは、一刻も早く離れたい。同じ空気すら吸いたくない。その一心で踏み込むが、やはり次の瞬間には洞窟だった。
ある一歩を踏んだ瞬間から、パっと切り替えたかのように世界が変わり、気づけば洞窟の出入り口に立っているのだ。
「ほーら」
「……っ!」
怒りが込み上げる。
思い通りにならないことに、そして煽らんばかりの満面の笑みに、腹の底からふつふつとした感情が湧き上がる。
意地でもこの場を離れようとした。
しかし、何度やっても、何度試しても、二人は必ず洞窟の中に立っている。逃げる方向を変え、壁沿いを歩いてみても、やはり一定の距離を超えた時から切り替わり、洞窟に立たされている。
結果がわかっていても、なおも繰り返したのは意地だった。
意地もあるが、性犯罪者と同じ空間で過ごすなど、最悪極まりない状況から一刻も早く離れたかった。どうせ同じ結果が繰り返されると、頭の中ではわかっていても、心が激しく拒否をして、愛野の顔すら見たくない思いでいっぱいだった。
繰り返せば繰り返すだけ洞窟に立たされ続け、さしもの円香も最後には諦め始めていた。どんなに意地になっても結果は変わらず、心の底では愛野の言葉を信じ始めていた。
地球ではないなど、どう信じればいいかはわからない。
だが、何かまともでない技術か能力があり、その力で円香と透をこの一定のエリアの中に閉じ込めている点だけは、嫌でも認めざるを得ない。
閉じ込められていることだけは、はっきりとわかった。
そして、通信も圏外であり、助けを呼ぶ手立ても存在しない。
「わかったかな?」
愛野のニヤっとした顔の腹立たしさといったらない。
十分に思い知ったかどうかを尋ね、わざとらしくふんぞり返り、背中を反らしてまで見下してくる顔が気に入らない。気持ち悪い猫なで声も、聞くだけで鼓膜が腐りそうだ。
「円香ちゃんも、透ちゃんも、私達に付き合うしかないんだよ?」
……嫌だ。
一体、どんな事柄に付き合わせようとしているのか、その詳細を聞くまでもなく、全身から嫌悪感が溢れていた。透の顔にも露骨に嫌がる気持ちが浮かび上がって、二人して拒否反応を示していた。
「……で」
円香は愛野を睨む。
「どうしたら帰してくれるの?」
そう問うなり、待っていましたとばかりに、愛野は嬉々として語り始める。
「ではルールを説明しよう!」
大仰な身振り手振りだった。
何がそれほど面白くて、そこまでテンションを高めて嬉しそうに発表などしてくるのか、まるで意味がわからなかった。
「君達はとある小さな惑星にやって来ています! 時空操作装置を使用しているため、お二人はこの一定空間の中に閉じ込められ、脱出することができません! このままでは永遠に空間を彷徨うことになってしまいますが、しかし! 君達には、元の世界に戻るためのチャンスが用意されているのです!」
そのチャンスの内容は、ロクでもないものに決まっていた。
もし、星だ何だという話が事実なら、嫌でも愛野に頼まざるを得ない二人は、究極的にはどんな要求も拒めない立場にある。ストレートに抱かせろと言われても、体と引き換えに地球に帰るか、意地を張って空間を彷徨うか、どちらにするか真剣に悩む羽目になる。
「チャンスって、どんなチャンス? どんな内容? 気になるよねぇ? 気になって仕方がないよねぇ?」
その声も、態度も気持ち悪い。
腹立たしい。
「さっさと言って」
ぶっきらぼうに、しかし視線はますます鋭くしながら、円香は低い声でそう言った。
「お二人にはこれから三つのゲームに挑戦してもらいます!」
円香はすぐに身構えた。
そのゲームの内容こそ、二人にとって最悪のものになるのだろう。
「三つのゲーム全てをクリアした時、お二人には地球へ帰還する権利が与えられますが、ではクリアできなかったらどうなるか。一生を性奴隷として過ごしてもらいます」
身震いした。
何かそういう目的だろうとは思っていた。どうせ負けた場合の話だけでは済まず、ゲームの内容自体が変態の発想で出来たものに違いない。
「で、最初のゲームは」
「迷宮脱出ゲームだよ? この洞窟は迷路のような構造になっていて、別れ道や行き止まりがいっぱいあるんだ。制限時間はたっぷりと用意するから、焦らずじっくり進むことが出来るけど、ちょっとした仕掛けもあるからね」
その仕掛けとやらが、本当にちょっとしたもので済むのかどうか。
迷路に入って、ゴールを目指すだけなのなら、こんな状況でさえなければまともなレクリエーションになるだろう。
どうせ、まともな迷路ではない。
円香は完全に疑ってかかっていた。
「それ、問題とかないの?」
セクハラじみた仕掛けは、盗撮用のカメラなどは、果たして平気か。
それを尋ねてみた瞬間、我ながら間抜けな質問だと気づく。前科のある性犯罪者を相手にこんな質問、痴漢常習犯に満員電車を選ぶ理由を聞くようなものである。
「うーん? 問題があってもなくても、君達は挑むしかないんじゃないかなぁ?」
神経を逆なでする声と態度に、その顔を殴りたくさえなってくる。
「本当に帰してくれるの?」
愛野への信頼など、当然皆無だ。
クリアできたとして、それで本当に済むのかさえ疑わしい。
「もちろん、まだまだ好きなだけ無駄な足掻きを繰り返しても構わないよ? ゲームに挑戦したくなるまで、何百回でも、何千回でも逃げてごらん?」
自信たっぷりの顔が腹立たしい。
どうにかその自信をへし折ってやりたくなるが、そんな手立ては円香にも透にもありはしない。
「……浅倉」
透の横顔を見る。
不安そうな色が浮かんでいるのは、当然といえば当然だろう。
円香自身、嫌な予感しかしていない。まるで痴漢の巣窟とわかった満員電車に、それでも乗らなくてはいけないような、地獄に踏み込むしか道のない状況に、顔中が余すことなく引き攣っていた。
「やるしか、ないっぽいね……」
透の顔は諦めのような、泣きたい思いのような、そんなものでいっぱいだった。
「本当に、最悪だけどね」
もう、挑戦するしかない。
そうする以外の道を丁寧に断たれた上、相手の思い通りに誘導された結果としての、愛野が今か今かと待ち侘びている答えをそのまま出すしかないことで、無念と屈辱を通り越した諦めの境地にさえ行き着きそうだ。
「ゲーム、やればいいんでしょ」
円香がそう言った時、愛野はますます嬉々とした笑顔を浮かべ、心の底から楽しそうにルールの説明を開始する。
愛野の声すら聞きたくないが、ゲームのためにも、その気持ち悪い声にきちんと耳を傾けていなくてはならなかった。
*
二人は洞窟の奥へと進む。
愛野の隣を通り過ぎ、暗闇の中へと歩んでいくと、それがきっかけであるように照明が内側を照らし出す。赤外線センサーでオンになる照明もあるが、おそらくそれで明るくなっていた。
壁には延々と続くコードが張り付けられ、一定の間隔で電球が輝いている。
明るいおかげでわかるのだが、この洞窟の中は出入り口の付近と違い、壁や天井、床などが綺麗に磨かれている。凹凸まみれの岩壁でなく、ビルや家など、建物と変わらない平面続きだ。
見た限りの質感は、それでも岩だ。
岩をここまで丁寧に削り出し、平面と化すように磨いた労力は、一体どれほどのものなのだろう。
最初は一本道だった。
迷宮という割りに、一体いつになったら曲がり道や別れ道に行き当たるのか。
そんなことを思った時、ちょうど行き止まりに当たる。
一本道を歩いていたのに行き止まり――が、壁には穴が空いていた。綺麗な四角形に刳り抜いたその穴は、幅もあるのでしゃがめば二人一緒に入れるが、低さを考えれば四つん這いで進むことになりそうだった。
そして、二人はスカートを穿かされている。
シャツも、靴下も、どれもが二人の所持品から選ばれたであろう、二人にとって見覚えのある服なのだが、スカートだけが見知らぬ服だ。丈は膝より数センチほど上まであり、一般的な長さであっても、二人が避けてきた長さである。
もう一つ、二人はとっくに気づいていた。
スカートの内側はスパッツになっている。
そのサイズを例えるなら、男性のトランクスより少しばかり丈が長い。スパッツによる締め付けの感触で、ショーツの上にもう一枚何かを重ねているのは、わざわざ確認せずとも、とっくに気づいていることだった。
……気持ち悪い。
勝手に服装を変えられたのも、その服が二人の所持品に違いないことも、スカートを穿かされているのも、全てが気持ち悪い。部屋に勝手に入られて、知らないうちにクローゼットを漁られたのだろうかと、身震いするような想像がよぎってしまう。
『はーい! ここで先ほどの説明を思い出して下さいね?』
スピーカーは見当たらないが、放送音声と思わしき形で愛野の声が響いてきた。
『制限時間はたっぷりと一時間! きちんと冷静に対処すれば、必ずゴール可能になっていますが、ゲームを面白くするための仕掛けを用意してあるから気をつけてねぇぇ?』
こうして洞窟の奥まで入る前、愛野が先ほど述べたルールでは、制限時間と仕掛けの存在について述べていた。
迷路は二人一緒に行動しても、あえて分かれて行動しても構わない。不安を和らげるため、ずっと一緒にいるのも有りだが、効率的にゴールを探すため、手分けをしても構わない。
もっとも、一人がゴールを見つけても、合流の手段や作戦を考えておかなければ、単にはぐれて終わってしまう。
分かれて行動した場合、一人が先にゴールをしても構わないという。
ただし、クリア扱いになるのは一人ずつ。
仮に片方がゴールして、もう片方がいつまでたってもゴールできない場合、一人だけがクリア扱いとなり、もう一人はゲーム失敗扱いとなる。
できれば一緒の行動を続けたいが、迷路が複雑すぎることなく、合流も簡単だろうと踏ん切りがつきそうなら、その時は分かれてみてもいいかもしれない。
と、ここまではいい。
必要なルールは把握できていると思うが、愛野の言う仕掛けについては、まだ詳細が明かされていない。
『さぁて! お二人には合図と共に迷宮に突入してもらいますが、その前! 先ほどから言っていた仕掛けについて、まずはその一つを紹介しましょう!』
その瞬間である。
べちゃり、
まるでジェル状の固まりを床に叩きつけたかのような、何かが飛び散ったかのような、水気のある音が後ろに聞こえ、円香と透は同時に振り向く。
そこにはスライムがいた。
水色の、大型犬ほどのサイズであろうスライムは、どうやって現れてか、地面に平らに潰れていた。叩きつけた勢いであるように、円形に広がっていたものが、しかし徐々に形を膨らませる。
円の面積がみるみるうちに縮む変わりに、山なりに膨らんでいき、しだいに高くなっていく。
「……なにこれ」
というのが、円香の率直な感想だった。
「スライムだね」
透の答えは、見たものそのままだった。
「そりゃ、スライムだけど……」
「離れた方がいいかも」
愛野が用意したものだ。
ただの大きなスライムであるはずがなく、警戒心から二人して後ずさる。危険なものかどうかはわからないが、ゲームを面白くする仕掛けというからには、ゴールへの到達を邪魔するギミックとして投下されたわけなのだろう。
迷路というだけで面倒なのに、ギミックを掻い潜り、妨害を突破しながらゴールを目指すなど、今のうちから辟易してくる。
『ではお二人とも、このスライムの特性をご理解頂くため、手っ取り早くその目で見てもらうことに致しましょう!』
愛野が高らかに告げた時、ひらりとシャツが降って来た。
あたかも初めから天井に干してあり、それが落ちて来たかのように舞う白いシャツは、ちょうどスライムの真上に乗っていた。ジェル状の固まりの上に広がることで、まんべんなく水気を吸って、一瞬のうちにびしょ濡れとなっていた。
さらにシャツは沈んでいた。
水面に浮かんだものが、やがて水底を目指し始めたように、シャツはスライムの内側へと飲み込まれる。
次の瞬間に始まるのは服の溶解だった。
溶けている。
まるで急速に色が薄れて、透明になろうとして見えるシャツなのだが、よく見れば繊維が溶け消え、徐々に消滅していくことで、色というより厚みが薄れているようだった。
シャツは瞬く間に消えた。
「…………」
「…………」
何の言葉も出ない。
取り込んだ物を溶かすスライムという、まさしくモンスターとしか思えないものがそこに存在している事実に、絶句したまま戦慄の汗を浮かべていた。
『まずはご安心下さい! こちらのスライムは、決して人間の血肉を溶かしたり、体毛を奪うことすらありません! 溶かすのは身に着けている衣服! 靴や靴下など、着衣物にあたる物だけです!』
ちっとも安心できなかった。
生物を溶かすように食べる魔物で、襲われれば骨しか残らないような想像は確かによぎったが、そういう危険はないと保障されたところで、服が溶かされるのなら立派な有害生物だ。
要するに……。
服を溶かすモンスターをギミックとして配置するということだ。
追跡してくるモンスターを背に、逃げながらゴールを目指す。
迷宮の入り口を改めて見てみれば、四つん這いでしか進みようのない穴の高さがますます憎らしいものに見えてきた。スライムの追跡というプレッシャーを受けながら、立って歩いたり、走ることすらできないのだ。
『ではこれより、スタートへ向けたカウントダウンを開始します!』
愛野は有無を言わさない。
『えー! 合図を無視してそこに突っ立っていても構いませんが、ルール上、スライムに捕まり素っ裸になった場合、即時失格と見做しますよ?』
さっさと迷宮の中に入るしかない。
入らざるを得ない理由を急に作られ、もう他に悩む余地さえなくなっていた。
『カウントダウンが終了してから、さらに十秒後にスライムは動き始めます。もう一度言いますが、突っ立っていてもいいですけど、私としては早めの突入をオススメしますよぉ?』
仕掛ける側は、さぞかし楽しいことだろう。
人を追い立て、焦らせるギミックを仕掛け、それを傍から眺める立場にいるなど、本当にいいご身分である。円香や透が慌てふためき、泣きながらゴールを目指す姿を晒したなら、それをゲラゲラ笑って楽しんだり、愉快でならない気分に浸ったりするわけだ。
『迷路の中にも、いくつかの仕掛けがありますからね? スゴロクのマスみたいに、到達すればゲームを有利にしてくれたり、逆に不利にしてしまうギミックは数々ありますので、楽しみにして下さいね!』
何が楽しみなものか。
本当にゲーム性を考える気があるなら、二人にとって役立つアイテムの一つや二つも出て来るだろうが、とてもそんなことは信じられない。セクハラめいたギミックだったり、使用するには妙な代償を支払うといった形の、どうせロクでもない仕掛けに満ちているに決まっている。
そこに、入らなくてはいけない。
何が待ち受けているかもわからない迷宮が目の前に、しかし後ろには服を溶かすスライムが控えている。
かの虎と狼のことわざを思い出す。
『ではカウントダウン! 十! 九! 八! 七!』
まず、二人して躊躇った。
顔を見合わせ、目と目で交わしてしまう意思疎通は、迷路に対する拒否感を確認し合うものだった。
『六! 五! 四!』
だが、カウントダウンは進む。
それがゼロになってから、さらに十秒経過した時、後ろのスライムは動き出す。
「い、行こう。浅倉」
「……だね」
本当は行きたくない。本当は真っ平である思いを顔に滲ませ、引き攣った表情になりながら、二人は背の低い穴に向かって姿勢を低め、四つん這いで突入の構えを取る。
当然、スカートが気になった。
これはきっと、中身が見えそうなことを気にしながら、それでも四つん這いで進行しなくてはならない仕組みになっているのだ。
『三! 二! 一! 〇!』
二人はすぐに突入した。
まずはスライムから距離を取るため、早め早めに這っていき、とにかく安全の確保を優先していた。
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