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 桃井俊樹は梓川夢音ゆねの彼氏である。
 父親は格闘技の道場を営み、警察や特殊部隊など各方面から指導を請われる人物として名を馳せているが、その息子である俊樹もまた、それにに恥じない実力を身につけている。
 小さい頃から、空手や柔道で軒並み優勝を飾っていたが、小学五年の頃にアメリカに渡り、世界中の格闘家と触れ合ったのは、俊樹にとってかなりの経験となっている。滞在したのは一国だけでも、その滞在先で他の国々からやって来た面々と出会い、同世代に指導を行う経験も経て、かなりの成長を遂げている。
 より大きな自分となって日本に戻り、夢音との再会は出来過ぎた偶然としか言い様のない形で果たされた。
 ナイフで襲われる暴漢を見かけ、迷いなく助けに走った俊樹だったが、その助けた相手が夢音であるなど、運命的にもほどがある。
 しかも、お互いにお互いのことを覚えていた。
 小学五年の頃、かつてアメリカに行くことを告げ、その別れ際に口にした言葉を夢音はいつまでも大切にしてくれていた。

 好きだ。離れていても、俺の恋人でいて欲しい。必ず戻ってくるから――。

 昔の告白を覚えてくれていた上に、気持ちまで残してくれていたとあっては、もうそのまま恋人同士になるしかない。
 これをきっかけに、中学三年という重要な時期に交際を始めた二人は、それから今までのことを打ち明け合った。夢音はそれまで思い悩み、俊樹と出会うまでの間中、ずっと恋に踏み切れずにいたという。
 昔のことが忘れられずに、他の男子をなかなか好きになれない。
 結果的にはお互いに覚えていて、気持ちも一致していたが、昔の約束を今更になって持ち出すのは、普通は迷惑ではないかと、元は悩んでいたらしい。俊樹のことは忘れて他の男子を好きなり、他の男子と恋をすべきではないかと悩つつ、結局は思い出を忘れられずに恋に尻込みし続けたそうだ。
 俊樹もアメリカでは似たようなものだった。
 英語を身につけ、言葉の壁が薄れていくにつれ、周囲との交流も増え、現地にいた女子を可愛いと感じる機会もあった。
 そのたびに夢音のことを思い出し、さすがにもう忘れているだろうか、だけどもし覚えていたら……といった具合にフラフラと、最後まで気持ちが固まることなく日本に戻った。
 帰国当初の考えは、ひとまず夢音の気持ちを探るべく行動して、昔の約束をさすがに忘れてしまっているかどうかを確かめる。全ては今の夢音を知ることから始めようと考えて、それがああいったスタートになったのだ。
 とはいえ、もう一年早く帰って来られなかったものかと俊樹は思う。
 そうすれば、今頃はもっとたくさんのデートの思い出を作り、より深い絆を結んでいたことだろう。
 もっとも、あの制度がある以上、セックスにまつわる運命だけは覆すことはできない。どんな時期に帰国しようと、十代の少女はワクチン体質を相手に妊娠を果たし、免疫の獲得を済ませない限り、自由なセックスが法律で禁止されている。
 免疫獲得の証明書が発行され、法的な許可が下りない限り、女の子には性の自己決定権は与えられない。妊娠と出産を済ませ、それは初めて獲得できるのだ。
 極めて不思議な現象だが、処女を破ることさえ、ワクチン体質の男が行わなければ、免疫獲得の確率が著しく低下するらしい。何故そうなのかは未解明だが、一度の妊娠で免疫が得られなければ、二度目、三度目と妊娠を繰り返すことになり、母胎に負担がかかるのは言うまでもない。
 どちらにしても、勝手なセックスだけはできないのが現実だった。

     *

 デートの日。
 夏休みという時期を利用して、頻繁に手を繋いで出歩くようになり、桃井俊樹は毎日が楽しいようでいて複雑なものを胸に抱え、ふとした瞬間に表情に影を浮かべる。
 夢音と会うのは楽しい。
 受験を控えた年ではあるが、俊樹は七月中に夏休みの宿題を済ませるタイプで、まずはその心配は皆無である。では受験勉強はというと、これも抜かりはなく、一緒に勉強ということで図書館に行き来することも多かった。
 模擬テストを利用して、お互いに自分の学力と折り合いを付けながら、遊ぶ日と勉強の日は計画的に分けている方だ。
 ただ、やはり夢音には気晴らしが必要である。
(負担があるのは夢音の方だもんな)
 直接、肉体的にワクチン体質の相手をするのは女の子の方だ。処置のためとはいえ、妊娠までしなくてはならず、その上で受験などという苦難の壁は、生まれた性別だけであまりにも理不尽だ。
(俺はただ、心配したり、気を病んだり……)
 もっぱら、心に抱える負担のみである。
 夢音の負担は心身の両方だ。そんな夢音の横顔を見つめ、俊樹は握った手に握力を込め、ショッピングモールの中を歩んでいた。
 この雑踏の中には、自分達以外にもいくらかのカップルの姿を見る。
 デートスポットとしても、学生同士ではしゃぐ場としても、このショッピングモールに内装された店の数々は魅力的なものだ。新作のスイーツが話題になったり、オシャレなアクセサリーショップの話なんかも聞いたことがある。
(とにかく、夢音を元気づけたい)
 かける言葉は何がいいのか。
 何かプレゼントでもするか――いいや、誕生日でもないのに、無闇に金ばかりを使っても、かえって気を遣わせることになる。何も気にさせることはなく、上手く元気を分け与えるにはどうしたらいいか。
(魔法でも使えりゃあ、な)
 妙にメルヘンチックなことまで考え始めてしまう。
「夢音、服を見に行かないか?」
「えー。お金ないよー」
 夢音は気恥ずかしそうな顔をしていた。
「なくていいって。見るだけでもいいから、なんか試着してみないか」
「それお店に迷惑ー」
「なら、俺が自分の欲しいものを買う」
「うーん。それなら、ちょっとだけ」
「よし、決まった」
 俊樹は早速夢音を洋服の店に引っ張り、女の子の着るオシャレな服の数々を見て回る。柄入りのワンピースに、様々な種類のスカートから、プリント入りのシャツにパンツスタイルのファッションなど、実に様々なものを見かけるが、一体どれが一番夢音には似合うだろうか。
「あ! これいいかも!」
 夢音はピンク色のパーカーに飛びついていた。
「へー」
「これとね。なんか着合わせのいいやつがあるといいなー。あ、あのシャツがいいかな? スカートはどうしよっかなー」
 もはや買うつもりでいるかのように、夢音はウキウキとしながらシャツを選び、スカートの種類を見て回るが、最終的な答えはこうだった。
「俊樹が決めてくれる」
「なあ、買わないんだろ?」
「買わなくていいから、選んでみてよ? そのうち、買ってもらう時になったら、似たような組み合わせをまた探すの!」
「俺に金出させるのは決定事項っぽいな」
「だって、俊樹って自分の買った服着せたいって思ってそうだもん」
「ま、着せたいけどな」
「ほら、だから私も着たいなーって思って」
「わかったわかった。女子目線はよくわからないから、完全に俺好みで選ぶからな」
「うんうん! それでいいの!」
 楽しそうにしている夢音の笑顔を見ていると、むしろ自分の方が元気をもらってしまっている。夢音は傷ついていないだろうか、心を病んでいないだろうか。心配でたまらない時に見る笑顔ほど救われるものはない。
「うーん」
 俊樹はまずシャツから選び、いくつかを夢音の体にかざして重ねてみる。
(つーか、何着ても似合いそうじゃねーか)
 かえって何がいいのかがわからない。
(いや、でも俺の好みでいいんだし。いやいや、だから何着ても似合うっていうのは、つまりその好みってのが難しくなるという話で――)
 俊樹はじっくりと思い悩んで、着れば鎖骨が出るような、ややセクシーなシャツを選び、スカートは黒の短めにした。
 それを颯爽と試着室へ持ち込み、着替えを果たした夢音は――似合っていた。
「……可愛い」
 当たり前の言葉しか出なかった。
「照れるなぁ……」
 夢音は本当に照れ臭そうにして、試着室のカーテンに身を隠そうとしてしまう。
「待て、写真撮るぞ」
「ええっ、なんで!?」
 夢音は慌てて真っ赤になる。
「すげぇ可愛いから」
「いやでもその……!」
「頼む」
「……うん」
 夢音は陥落した。
 俊樹の要望を聞き入れて、大人しくカーテンを開けた後、恥ずかしそうに指先をモジモジと絡め合わせながらも、向けたスマートフォンを前にポーズを取る。ピースを向けるだけの簡単なものだったが、この写真は俊樹にとってはどんなモデルのものよりも価値がある。
(夢音……)
 撮った写真を熱っぽい視線で見つめ、そこに立っている実物も目に収める。
「もう着替えるからね」
 カーテンの向こうへ引っ込む夢音が、そこで着替え終わるのを待つあいだ、俊樹の脳裏にはとある閃きがあった。
(……やっぱ、欲しいな。この服)
 アメリカでは稼いできた。
 といっても、父の仕事を手伝うことで、お小遣いをさも給料のように受け取る形であったが、どうあれ稼いだのだ。その金を使えば、このくらいの服は問題なく購入できる。
(問題があるとしたら、ただ一つ)
 誕生日でもなく、記念日でもないのに、急にプレゼントを買って、大金で気を遣わせることが気がかりだ。
(となると……)
 夢音が元の服に着替え、試着室から出て来た瞬間、俊樹は真剣な眼差しで迫っていった。
「ジュース買ってきてくれ」
「へ?」
「頼む。服は俺が戻しておくから、さっきのタピオカのところに並んでてくれ」
「え? 並ぶのはいいけど、なんで私だけ?」
「なんか列長かったろ。頼む」
「う、うん……」
 夢音は明らかに困惑を浮かべていた。
 なんで? なんで?
 と、まさに顔がそう言ってくる。一緒に並べばいいものを、何をそこまで熱くなるのか、理解できない風でいる。
 そんな夢音が店を離れる後ろ姿を見送ると、俊樹は両手に抱えた服をレジへ持って行く。
(受験の合格祝いでも、誕生日でも、いつでもいい。とにかく、今のうちに買っとけ)
 俊樹は迷いなく財布を出し――。
「あ、あの。ここから家に送ってもらうとかって出来ますか?」
「郵送ですか?」
「ええその。さっき一緒にいた子、あいつに内緒で買いたくて……」
 この店にそういった対応を迫ってもいいのか否か、そんな確認はしていなかったことに今更気づき、俊樹は顔を赤くしながらボソボソと事情を口にするのだった。

     *

 デートは楽しい。
 俊樹と会える日になると、梓川夢音はいつもウキウキとした気持ちになる。今日はどこでどんな話をするのか。何を一緒に食べようか。どんな映画を見たり、どこで手を繋いで歩こうか。そういうことを考えるだけで、たまらなく舞い上がり、早く明日になればいいのにと、本気で空にお願いしたくなる。
 反面、気づいていることもある。

 俊樹が私を気にかけてくれていること。

 処置室の中で起きる出来事で、心身共に傷ついてなどいないか。元気をなくしたりはしていないかと様子を気にかけ、元気づけようと振る舞ってくる。

 ……それは、嬉しい。

 彼の気持ちが自分に向いている証拠に思えて……イイ。自分は想われているのだという、その嬉しさでたまらない。

 でも、処置室でしてることは……。

 あれはもう、気持ちいいのだ。
 稲田源一に対する抵抗感や不快感は、決して消えているわけではない。女の子を性処理に使う道具扱いのようなことを口走り、思い通りに楽しんだり、好みのプレイまで教え込んでくる相手など最悪だ。
 しかし、体を開発されていくうちに、全身が快感を覚えてしまった。回数を重ねることで、フェラチオへの抵抗感もなくなって、それどころか教え込まれた技巧をこなす自分さえいて、自分が先生なんかに染まっている感覚がして最悪だ。

 私は俊樹が好きなのに……。

 心は別の男にあり、それなのに肉体は先生に染められる。
 アンバランスな状況に立たされていた。
 好きではない男など、普通は手を繋ぐことすらないのに……。
 夢音は本が好きだ。
 色んな本を読み、処置制度の存在しなかった昔の常識や価値観を知っているから、その当時に対する密かな憧れを抱いた。
 例えば、一途な男と出会い、自分もまたその相手のためだけに身を尽くす。
 夢音はそういった恋に憧れ、そこに現れてくれたのが桃井俊樹だ。
 もちろん、今更昔を持ち出しては迷惑ではないか、どうにかして今の夢音について確かめて、先のことはそれから決めようというのが、俊樹の帰国当初の考えだった。
 父親のアメリカ滞在期間が終了して、日本での仕事に戻るために帰って来たのが真相らしく、恋のために帰国したわけではないことなど承知している。
 だが、それでも十分過ぎるほどに理想的だった。
 それはシチュエーションだけでなく、俊樹のそもそもの性格にも、顔にも、勉強ができるところも、格闘技を身につけているところにも惹かれている。あの再会を無しにして考えても、やはり夢音には俊樹しか考えられない。

 あんな制度がなかったら……。

 ミイラ症さえなかったら、今頃はどんなり理想的な交際を経て、ドキドキとした甘い時間の中で処女を捧げていたか。
 この処置制度の時代、初体験の相手を自分で選ぶことが出来ないのは、もはや一般常識となっている。そういうものとして受け入れる考え方を学校でも教えてくる。女子生徒としても、そうとでも思わなければやっていられない。
 しかし、なまじ知ってしまった昔の価値観に憧れて、夢音はそれをどうしても、いいなー、と思ってしまう。
 本当は俊樹に処女を捧げたかった。
 本当に、本当に……。

「なんであるの……なんで存在するの……」

     *

 夏休みのあいだにも、定期的に先生に抱かれなくてはならない。
 妊娠さえ決まれば終了するのだが、夢音には何故だか種が根付かず、時間だけが刻一刻と迫っている。
 ミイラ症の発症率は、一般的に低年齢ほど低い。
 しかし、十代半ばから急速に上昇して、成人を迎えるまでには必ず百パーセントに達するという。
 この時期、一日を無症状のまま過ごせる確率は、時を経るごとに目減りしていく。十五歳というのは、そうした確率の転換期だ。
 妊娠せずとも、ワクチン体質による膣内射精を受けたり、口腔からの摂取を行うと、不思議と一定の効果があるという。
 いわば発症率を下げる薬は貰えるため、まだまだ発症せずに済むのかもしれないが、早く妊娠しなければ、いずれは誤魔化しも効かなくなる。
 一番怖いのは個人差だ。
 平均的には余裕があっても、個人差で低年齢のうちに発症するケースもある。
 何より、毎年実施される性器検診により、夢音が妊娠するべき時期は、今年の六月から八月のあいだであると言われている。
 その八月がもう来ている。
 夏休みになってから、週に数回にわたって交わり、その全てで膣内射精をしてもらっているにも関わらず、どうして妊娠しないのだろう。

 ……不妊症?

 男性に原因がある場合と、女性に原因がある場合がある聞くが、稲田先生は他の女子生徒は妊娠させている。先生側の問題ではないはずで、自分に原因があるのではないだろうか。
 もし不妊症で、妊娠不能で、そのままミイラ症を発症するしかなくなったら……。
 夢音には切実な恐怖が積み重なっていた。
 そして、自分の不安を両親に打ち明け、不妊症の検査を受けたのだが、問題なく妊娠できるはずという検査結果が帰って来ている。
 だとしたら、何が原因なのか。
 運の悪さか何かだけで、本当に今の今まで妊娠できなかったのだろうか。



 
 
 

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