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 風山羽矢子は悶絶していた。
 家で一人、最悪の出来事を脳裏にフラッシュバックさせながら、もう二度と真っ平な記憶に感情を振り回され、部屋の中で悶絶していた。
 ポニーテールの中学生、羽矢子は陸上部の所属である。それなりに熱意を持って取り組んでおり、休みの日にも筋トレや走り込みは欠かさない。その成果もあって大会で成績を残したこともあり、おまけに勉強もできる優等生として、クラスでも先生達からも、羽矢子は支持を集めている。
 そんな羽矢子にとって、今日は想定外の出来事があったのだ。

 ――蚊である。

 もう何年も前、とある特殊な蚊が話題となった。
 蚊がウイルスを媒介するという話は、それよりも前から聞いたことはあったのだが、その特殊な蚊が媒介するのは、病原菌というより媚薬である――一応、そういうウイルスであると医学上は定義されており、ネットか本で調べれば、具体的なウイルスの名前も出てくるが、もたらす症状の関係から、わかりやすく媚薬と呼ばれている。
 性的な興奮を煽る症状、というだけでも特殊性が高いのに、その蚊のより特別なところは、二次性徴の女子のフェロモンに引き寄せられ、もっぱら中高生を中心に刺すところだ。刺された患部を掻く前なら、塗り薬の散布によって中和できるが、掻いてしまうとたちまち症状は進行して、性的興奮が日常生活に支障をもたらす。
 興奮のあまりに判断能力に支障が出て、レイプ魔の強姦を受けているのに本気で悦ぶ、といった例すら存在する。それをいいことに、事件の犯人は合意を主張するが、イケナイ蚊の脅威性が医学的に証明されていたおかげで、判断能力の欠如が裁判で認められ、その犯人は強姦魔として相応の判決を言い渡されている。
 それほど支障をもたらす興奮は、だから下手をすると自分自身での処置ができなくなる。
 塗り薬が一般販売されてはいるが、場合によっては自己処置が困難になる。

 オナニーが始まってしまうのだ。

 その具体的な報告は医学界にすら上がっており、乳首やアソコといった部分を刺され、掻いてしまったケースにおいて、自らの散布を試みた少女は、その際の自身の指を異常に気持ち良く感じてしまい、塗り薬の最中に自慰行為に夢中になる。症状は急速に悪化して、立って息をしているだけで愛液が流出し続けるといった状態にまで陥ったという。
 そんな恐ろしい報告例のあるイケナイ蚊に、羽矢子は今日、刺されたのだ。
 陸上部の時間が終わり、他の部員が帰ってもなおグラウンドを走っていた羽矢子は、更衣室で一人着替えている最中に、下着の上に止まった蚊に二箇所やられた。
 その時にはもう、イケナイ蚊の話題は過ぎ去っており、個体数の激減によって警戒の必要はなくなっていた。以前は誰もが当たり前に薬を携帯していたほど、当時は流行していたが、わざわざ持ち歩く必要性がなくなって、既にかなりの時が流れていた。
 羽矢子自身、携帯していたのは小学生の頃である。
 中学校に上がって以来、イケナイ蚊の存在など、つい忘れてしまっていた。
 てっきり、ただの普通の蚊だと思い、胸に止まったものを払い退ける。すると、逃げたと思った蚊がアソコに止まり、苛立ち紛れにまた払う。その際に刺されていて、すぐさま痒くなってきたところ、油断して掻いてしまった。
 その結果が、その後に続く展開である。
 突如として乳首が硬く突起して、アソコもムラムラしてきたことで、その異常事態にまず焦った。性的に興奮しなくてはいけない理由など何もないのに、何を自分はハァハァと息を乱して、熱っぽく喘いでいるのかと、羽矢子は自分自身の症状に戦慄していた。
 そうなってしまってから、初めてイケナイ蚊の存在を思い出し、更衣室の外で待っていた三人の男子に助けを求めた。先生を呼んで欲しいと、大声で叫んだのだ。
 そして、その時までの羽矢子としては、保健室にいる女の先生を呼んでもらい、同性の措置を受けるつもりでいた。自己処置がオナニーに変わってしまい、そのオナニーのせいで余計に悪化するケースは知っていたので、恥を忍んで人にやってもらうことを、まだ少しでも冷静なうちに考えていた。
 だが、折り悪く養護教諭は不在であり、しかも他に女の先生自体がいなかったのか、処置をするのは顧問の男性教師であった。
 顧問の高山先生の手によって、羽矢子は処置を受けたのだ。
 最初は怖くて怖くてたまらなかった。
 男の前で胸を出し、アソコすら出さなくてはいけないと言われた瞬間の、本能的な恐怖といったらない。高山先生を信じているいないの問題でなく、男の前で裸になるとわかっただけで、その一点だけでパニックを起こしたのだ。
 半狂乱になった羽矢子と、高山先生での格闘が始まった挙げ句の果て、先生は三人の男子に助けを求める。結果として四人がかりで手足を押さえ込まれることになり、まるでレイプをされるような恐怖を味わっていた。
 しかし、あくまで処置は処置。
 乳首やアソコといった部位への、塗り薬の散布は始まって、それからは恐怖というより恥ずかしさでいっぱいだった。クラスメイトの、それも部活まで同じ三人の男子に、顧問の先生、実に四人もの異性に乳房を見られ、アソコも見られてしまっている。
 先生に至っては、薬を塗るためとはいえ、指で触られてしまっている。
 その出来事を思うと、本当に堪らなくて堪らなくて、帰り道の最中も、ずっと顔や頭に火が残されていた。恥ずかしかった思いが余韻となって、炎がやんでもなお残り火の熱が続いて、家に着いてからも羽矢子は始終桃色だった。
 そして、就寝時にベッドで仰向けに、消灯済みの暗い天井を見上げた時、その一人の落ち着いた時間にこそ、記憶はより鮮明に蘇った。
 体中を撫でた視線、薬を塗られた際の感触、その全てが五感として再生され、羽矢子の脳を締め上げながら、内側からの炎で顔を焼き尽くさんばかりなのだった。



 
 
 

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