目次 次の話




 この近年、少女に感染しやすいと言われる複数のウイルスが流行した。
 どれも新種の、それも突如として登場したウイルス達は、たちまち世界中に伝播して、各国のメディアを賑わせている。どこかの研究機関が流出させ、世界をどうこうしようとしているのだと、陰謀論が各地でまことしやかに囁かれ、その一方で無数の症例が学会の報告に上がっていく。
 まず、感染性であること。そして、複数であること。
 さらに、その複数全てに共通した傾向があること。
 患者が思春期の少女である確率が極めて高く、世界各国が発表するデータにおいても、統計の中には男の症例がほとんどない。老人、老婆といったケースも極めて少なく、どういうわけかウイルスは少女に引き寄せられる。
 複数種のウイルスが持つ特徴は、主な発症部位である。
 一つは乳房に症状を現すもの。
 もう一つは性器、さらに一つは肛門。
 大きく三つに分かれるウイルスは、さらにもう少しだけ細かな種類に分けられるが、便宜上はこのように区分されている。
 乳房ウイルス、性器ウイルス、肛門ウイルスと、わかりやすく明快に呼ばれている。
 いずれも羞恥心を伴う箇所が患部となり、ウイルスが引き起こす炎症や神経の損傷は、放置すれば重症化して、障害が残ることが判明している。乳房であれば、将来妊娠後に搾乳ができなくなると言われ、性器ウイルスについては妊娠や生理機能など、肛門ウイルスの場合は腸の不具合からなる合併症や巨大なイボなど、いずれも感染すれば無事では済まない。
 しかも、ここで挙げた障害はあくまで一例に過ぎず、より重篤なケースも散見される。
 幸い、治療法は早々のうちに確立され、だから早期発見さえすれば、そう恐ろしいものではないのだが、発見が遅れた場合の恐ろしさについては、各メディアやインターネットでたびたび話題にされている。
 しかし、治るは治るのだ。
 治療法が生まれる前は、かかったら最後、悲惨な障害を抱えて生きていくしかないのだと、嘆く少女でいっぱいだった。治療法の確立後は、恐ろしいのは発見の遅れだけであり、早いうちに気づいて病院に行ってしまえば、助かる方が普通であった。
 だが、これを利用したドクターハラスメントの噂があった。

 裸を要求するのだ。

 病院へ行ったら脱がされた、という話について、ネット上からいくつかの声が上がっている。
 治せるとはいえ、実は機材を駆使した診察では誤診確率が高く、もっぱら肌を直接視触診する方法が基本である。CTスキャンでわかる頃には、とっくに手遅れというのが多く、しかし早期発見をするためには、まだ進行の浅い症状を見つけるのに、どうやら現行の医療機材では不向きなのだ。
 だから思春期の少女が相手であっても、患者の命を守るためには、必ず脱衣を要求するように、どこの学会でも強く唱えられている。いつしか、肌の直接的な視触診は、仕方のないものとして広まって、大抵の少女は諦めの境地で診察を受けている。
 そして、その実情自体が悪徳医師にとっては付け入る余地だ。
 なまじ必要性は真実なだけ、下着があってはわからないので、ブラジャーを外して下さい、ということが言いやすい。ショーツの中身を触診します、とすら言いやすい。言われた方も、メディアが散々広めたむごたらしい症例が脳裏にあり、よく調べる人間ほどそれが事実であることを知っているので、切実な危機感を持って言うことを聞いてしまう。
 単なる風邪に過ぎないのに、意味もなく脱がされていることなど、患者の側ではなかなか判断がつかないのだ。
 たとえ疑う気持ちがあっても、もし本当だったら……と、症状を恐れるあまり、結局は言う通りにしてしまう。
「病院に行ったら脱がされたんだけど、ただの風邪だったと思うんだよね。めっちゃ胸とか揉まれたけど、あれって絶対……」
 ということを、あくまでも疑惑としてしか言い出せない。
 だからSNSで愚痴として書き込まれるに留まって、今のところ裁判や警察沙汰になった例はない。
 医師の側にも、見落としがないように確実にやっておこうとする、慎重さのあまりに脱衣を求める例も数多く、外側からは区別がつかない。誤診に気をつけたいだけなのか、おっぱいが見たくてブラジャーを脱がせているのか。
 相手の心の中身など、なかなかに証明がしづらいもので、例えば盗撮用のカメラが見つかるでもない限り、訴えたところで法的には立証されにくい。むしろ、訴訟のリスクを医師全体に与えると、長い目で見れば少女の命が救われにくくなってくる。
 だから悪徳医師は調子付き、この状況をいくらでも利用している。
 人質でも取った気分になりきって、悪徳医師は今日もどこかでハラスメントを働いている。
「もしかしたら、例のアレかもしれません。確認してみないとわからないんですが、裸になって頂いてもよろしいですか?」
 という、それは魔法の言葉にすらなってしまう。
 そして、そんな手口で服を脱がせて、ただ視触診を行うだけならまだマシだ。それ以上に問題なのは、この世の中には盗撮を行う医師がいることだった。
 診察と称して性器や乳房をあらわにさせ、じっくりと刺激した上、その動画をアップロードしてしまう人物が存在する。患者はそんなつもりで診察を受けるわけではないのに、知らず知らずのうちにカメラに撮られ、いつの間に動画サイトに上がっているのだ。
 一人のとある女子高生が、その事実に気づいて戦慄した。
 性的な好奇心を持つ年頃で、ふとした拍子にアダルト検索をしてしまうことがあり、そこで偶然にも自分自身の裸を見つけてしまったのだ。

「と、いうわけです」

 それは駅のホームであった。
 まだ電車の到着時間には少しあり、乗り降りが生み出す混雑は数分前に過ぎ去ったばかりの今、ホームの中にはぽつぽつと、実にまばらにしか人がいない。次の電車は一〇分以上も先であり、そして駅の人混みは、ややギリギリに形成される傾向が強い。到着時間が迫れば迫るだけ、並んでいる列の人数は増えるものだが、逆に言うなら今は一人も立っていない箇所すら多かった。
 あとしばらくのあいだだけ、閑散とした時間が続く。
 限られた静けさの中で、ベンチに座る一人の男が眼鏡のずれを直していた。
 彼は秋月という。
 上等なスーツを着こなして、知的な顔立ちで目つきを細めた容貌は、それだけで仕事の出来そうな雰囲気を醸し出す。フィクション上には端正な顔立ちでスマートにスーツを着こなす人物がいくらでもいて、この秋月という人物が持つものは、まさにそのオーラなのだった。
 そして、本当にエリートである証拠のように、彼は弁護士バッヂの持ち主だ。
 表向きには日々クライアントの相談に乗り、必要があれば訴訟について話を進め、またある時は裁判で被告人の弁護をする。弁護士として、いたって当たり前の毎日を送っているが、その裏ではもっと異なる稼業を行っていた。
 晴らせぬ恨みを晴らすための闇狩人――暗殺稼業だ。
 この世の中には法律というものがありながら、しかし捕まることなく平然と悪事を繰り返す者がいる。警察や裁判といったシステムは優れているが、どんなに優れていても完璧ではなく、誰かは必ず野放しになっている。
 依頼を受けることで、野放しの悪を調査し始末する。
 それが闇狩人なのだ。
「現段階では確証がなく、しかし疑いは非常に強いです。もう少し調べてみれば、すぐに確信を得られるかもしれません」
 秋月は独り言のようにして、誰かに説明でも聞かせるように喋っているが、まさにその通り、人に聞かせているのだ。
 ただし、話し相手が隣に座っているわけではなく、前に立っているわけでもない。
 いるのは、真後ろだ。
「そうですか」
 少女の声だった。
 秋月の言葉に、真後ろの少女が返事をしていた。
 背中合わせのように設置してあるベンチで、そのまま背中合わせに座る二人は、まるで他人同士であるように、視線一つ交わさないまま、ただ言葉だけを交わしている。
 実際、この手は有効だ。
 闇の稼業において、足がつくことは禁物である。どこから調べがつくかもわからないのに、弁護士が女子高生と関わりを持つことで、無用な目立ち方や疑惑を避けているのだ。
 今なら、会話の聞こえる距離に二人はいない。
 傍から見れば、赤の他人同士がたまたま背中合わせであるようにしか映らない。兄妹にも親戚にも、何の知り合い同士にも見えないだろう。
「ですので、確証が得られるまで、しばらく待っていて下さい」
 と、秋月は話を締め括る。
 彼が今まで少女に伝え、聞かせていた話の内容は、悪徳医師に関する情報だった。少女を裸して盗撮し、それを動画サイトにアップロードする行為についての説明で、容疑者の素性や被害者の話にかけてまで、秋月は簡潔にまとめて教えていた。
 まだ、動く時ではない。
 もう少し調査がいるという、そのつもりで。
「お話はわかりました」
「では……」
「私が患者になります」
「士堂さん。それは……」
 止めるべきであるような、胸のざわつく衝動に駆られ、秋月は思わず振り向きかける。少し横を向いたところで踏み止まり、真っ直ぐ前を向き直すと、背後の少女はさらに続けた。
「話が確実になるまで調べるってことは、次の被害者が出るまで待つってことになりますよね」
「それはそうですが」
「なら、私が患者になればいいと思います」
「…………」
 秋月はしばし沈黙する。
 彼が少女に伝えたより具体的な内容は、自分の裸に偶然気づいた女の子からの依頼についてだ。その動画を見たところ、顔の映りが悪く、あまり確実とは言えないが、声や体つきから確実に自分だと思うらしい。
 動画に映る病院の内装にも、どことなく見覚えがあるのだとか。
 本人にしてみれば、剥き出しとなった乳房の形状、乳首の色、それに壁や床の素材といった内装などから、十分な情報が揃って思えるのだろう。その気持ちはよくわかるが、こちらからはただの思い込みと区別がつかない。
 依頼人と直接会って、直接体を見せてもらい、動画との一致を確認する。というわけにもいかないので、いくら本人には確証があろうと、それを鵜呑みにすることはできない。
 だが、調査は確かに必要だった。
 依頼者の女子高生は、他にもこんなことを言っていたのだ。
 曰く、自分と同じくその病院を利用した友達は、ある日突然元気をなくし、理由を聞いても話さない。昼休みの弁当も箸が進まず、そして通学路に例の病院があるために、入っていく姿を何度か見かけている。
 やがて、その子は自殺した。
 元気をなくしている女の子が、それでいて盗撮犯の元に通い、その末に自殺という筋書きを聞いてしまえば、裏で何が起こっていたのかは、当然そういう想像になってくる。
 もちろん、まだ何も証拠はない。
 悪徳医師とやらが本当に悪徳なのか、容疑を確定させるには、診察室に忍び込むなどして、盗撮カメラを発見するのが手っ取り早いか。ひょっとしたら、レイプか何かも見つかるかもしれないなどと、秋月は薄ら考えていた。
「駄目ですか?」
 少女はそっと尋ねてくる。
 対する答えは、もう用意していた。
「駄目ではありませんが、オススメができません。あなたが診察を受け、疑惑通りの盗撮をされた場合、私はあなたの裸を確認しなくてはいけなくなります」
 服の内側というプライバシーを囮にさせるなど、仲間としては気が咎める。
 だからこそ、はっきり告げた。
 動画がアップされた場合、見るという宣言すら行ったのだ。
「…………」
 少女は押し黙る。
 顔など見えないわけだが、俯いた頬に少しばかりの赤らみが浮かんでいるのは、何故だか想像できてしまう。
「その時、私があなたの動画を保存しないという保障がありますか? 私だけでなく、他の皆さんにも確認してもらうかもしれません。士堂さんにとって、かなり酷な話かと思いますが」
 秋月としては、思いとどまってもらうつもりでいた。
 実際にこの言葉の通りなのだから、仮にも高校生である少女の行動は、大人である自分がしっかりと止めるべきである――それを言うなら、そもそも、こんな闇の稼業をやらせること事態がおかしくなるが。
 闇狩人の世界には居させても、体を売らせることなど考えていない。
 暗殺者ではあっても、風俗嬢をやらせているわけではない。
 それが秋月にとっての線引きだった。
「やります」
 果たして、熟考してのことなのか。
 きっぱりとした返事であった。
「決意は固いのですか?」
「私の友達も、その病院に行ったことがあるそうです。また行くことがあるかもしれません。被害は防ぎたいです」
「なるほど、わかりました。しかし、気が変わったら、必ず早めに教えて下さい。でなければ、きちんと実行してもらうことになりますから」
「大丈夫ですよ。私なら――」
 まだ言葉に続きのありそうな、声を吐き出し続けているような、次に出て来る音の気配を耳は捉える。だが、きっとその唇に重なって、駅構内にアナウンスが流れ始めて、少女の言葉は打ち止めとなった。
「時間ですね」
「では、また」
「ええ、また」
 やがて来る電車が停車した頃、秋月は一度も振り向くことなどしていないが、ホームに入り込む電車の、ゆっくりと速度を落とす音を聞き、プシュゥ――と、ドアの開放時に聞こえる噴出めいた音を耳にした時、少女がもうそこにはいないことを悟っていた。
 そろそろ振り向いても良い頃だ。
 電車内から溢れ出る人混みが、視界の端を蠢いた時、秋月もまた立ち上がる。試しに肩越しの背後を見れば、やはり予想通りにもういない。
(やるからには頼みますよ。士堂さん)
 彼もまた、反対側のホームで電車を待ち、やがて到着するそれに乗る。
 今回の依頼に思いを馳せて、車内座席に静かに座り込むのだった。



 
 
 

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