前の話 目次




 男の最終的な判断、それは一人くらいは始末していくというものだった。
(長時間かけて、こちらの念を送ったからな)
 こちらから送信を繰り返し、ナルトは受信し続けていた思考情報は、その脳を侵食している。ナルト自身に自覚はなくとも、ナルトは男の操作をより受けやすくなっている。
 キバやシノの動きは確認済みだ。
 それぞれ、どの方向に動いたかは把握している。偶然の鉢合わせは避けられる。あとは一人は始末して、溜飲を大きく下げてから、改めて暁との接触を試みる。
 と、ここまでは順調だった。
 ナルトに分身を作らせて、三人がかりで体にイタズラをする。その感触は共有できるので、ナルトを介して男自身も楽しみつつ、味わったお礼にクナイを首筋にでもくれてやる。その操作通りにナルトはクナイを握り締め、後は突き刺すだけだった。
 だが、男がナルトと共有できるのは、ナルトが把握している情報だけだ。ナルトが見ている光景、聞いている音、肌に触れている感触だけで、例えばナルトの視界に入っていない景色は確認できない。
 白眼で索敵が行われ、自分のいるこの部屋が透視されていることに、男はまったく気づいていない。
 しかし、それでも男は異変を悟った。
「ナルトくん……」
 ヒナタの声は、ナルトの聴覚を共有している関係上、まるで本人がすぐそこにいるような感覚で聞こえて来る。
「お願い、手首が痛くて……ちょっとでいいから、力を緩めて欲しいの……」
(馬鹿が。そんなことするわけ――力は緩めない!)
 念のため、心に思い浮かべた言葉を送信する。
 だが――。
「ああ、ちょっとならな」
(何!?)
 何故だ、どういうことだ?
 睡眠時間を削ってまで、眠っている最中のナルトには、延々と魂の紐からチャクラを送り、ゆっくりと洗脳を続けていた。九尾に弾き出されないよう、術を深くかけ過ぎないように気をつけながら、コップで一気に注ぐのでなく、スポイトで一滴ずつのような感覚で、丹念に染め変えていた。
 仲間思いの感情など、今やスイッチのオン・オフのように切り替えられる。
 今のナルトになら、仲間殺しをやらせることが可能なはず。
(まさか、足りていなかったのか!?)
 九尾を警戒するあまり、ゆっくりとやり過ぎたとでもいうのか。
 その結果、いわば洗脳スイッチの仕込みは不完全となり、思わぬところでほころびが生じたとでもいうのだろうか。
 次の瞬間、ヒナタの柔拳が炸裂していた。
「ナルトくん! ごめん!」
 突然の攻撃で、ヒナタの拳がナルトの鳩尾に食い込んで――男の術は痛みすら共有する。あくまでも感覚のみの、肉体の損傷すら具体的に共有するわけではないが、ナルトが感じたものはそのまま男も感じてしまうのだ。
 男はただ胡座をかき、印を結びながら座っているに過ぎない。
 だが、実際に殴られたも同然に、拳が深々と埋まってくる感触を覚え、胃の腑が食道の内側をせり上がってきそうな苦しみに、背中が自然と丸まってしまう。ビクっと胴体を反応させて、人から見れば透明人間にでも殴られた反応と映るだろう。
 床の景色がぐっと迫った。
「うっ、ぐおぉぉいてぇ! どうしたんだってばよヒナタ!」
 ナルトが蹲り、片手を突いて床だけに視線を注いでいる。ナルトが顔を上げてくれないから、一体何が起きたのか、男には具体的な観察ができない。
「ごめん! ごめんね!」
 ただ、部屋を駆け去る足音だけが聞こえた。
(まさか……)
 男は戦慄する。
 まさかとは思うが、バレたのか?
(ま、マズイ! 逃げなければ!)
 彼は咄嗟に術を解き、さっさとこの部屋を飛び出そうと立ち上がり――。

 ドアが開け放たれ、一人の少女が踏み込んで来たのは、まさにそれと同時であった。

 いつ、どのタイミングか。
 おそらく白眼を使われて、ここが透視されたのだ。
「日向ヒナタ!」
「よくもナルトくんを操って! 許さない!」
 ヒナタが迫る。
 床を蹴り抜く忍者の足は、その身体が消えたと錯覚しかねないほどに速い。一般人の動体視力では、どこまでその動きを追えるだろうか。同じ忍者であり、仮にも上忍たる男は、しかし当然のようにヒナタの動作を目で捉える。
 右腕が迫っていた。
 迫る鋭い指先で突かれては、掠っただけで効くことは知っている。
 通常の打撃は打撲や骨折にしかならないが、日向の柔拳は体内にあるチャクラの流れ、経絡系にダメージを与えてくる。血管が血の通り道であるように、ならばチャクラの通り道である経絡系がやられれば、不利なことにしかならない。
 男は大きく、後ろへと踏み込んだ。大胆な後方移動で、ヒナタの腕のリーチが届かない距離まで下がりつつ、しかし反撃のことも考えて、必要以上には下がりすぎない。
 後退して、ヒナタの腕が伸びきった頃には、もう男はクナイを取り出し、額を狙って投げつけていた――もちろん、当たるとは思っていない。刃が到達する前に、もう一方の手で弾き飛ばされ、壁に突き刺さってしまうことなど想定の範囲内だ。
 だが、それは煙幕札だ。
 起爆札、煙玉といった忍具があるように、煙幕を出すための札を男は持っていた。札を結びつけたクナイから、たちどころに煙は溢れ、それがお互いの視界を埋め尽くした。
 もちろん、白眼に目眩ましは通用しないが、一手を打つことで、一瞬でも意識を逸らせば十分だ。
 日向の白眼にはただ一点だけ死角があり、そこを突いた攻撃だけは視認できない。死角をピンポイントで狙うため、煙幕札のタイミングに合わせる形で、さらに多数の手裏剣も投げていた。
 絶妙なタイミング、針の糸を通すような、本当にただ一瞬の虚を突き放つ手裏剣の雨。
 無論、それでも手裏剣自体が通用することはなく、何十枚と投げた多量の刃は、ただの一つとしてヒナタの身体には到達しない。一呼吸のうちに何発もの打撃を放ち、弾き飛ばしてしまう柔拳は、ともすれば見えない壁に向かって投げつけたかのようですらあった。
 煙幕など関係無しに、ヒナタは自分に迫る手裏剣に対応していた――が、狙いをわざと外したただ一枚の手裏剣は、拳に弾かれるというよりも、ヒナタの後方へ突き抜ける。あちらとしても、てっきり対応は不要だと思ったのだろう。
 その判断が間違い。
 強烈な回転を帯びることでの、Uターンのようなカーブで白眼の死角に入り込み――。
 だが、かわされた。
(なんだと!?)
 ヒナタは急にしゃがんだのだ。
 すると、ならばヒナタは、死角を狙われること自体を読んでいたのだ。
 その後頭部に刺さるはずだった手裏剣は、標的を見失うことで、この手でかけてしまったUターンのカーブによって、こちらに向かって戻って来る。自分自身の手裏剣を、避けるか防ぐかしなくてはいけなくなり、咄嗟に二本目のクナイを逆手に握った。
 刃が到達してくる位置を読み、その直線状に遮蔽物を置くような形でクナイを盾に、男は手裏剣を弾いていた。
 だが、もう終わりだった。
 弾いた直後、ヒナタが間合いに入っていた。腕のリーチが届く射程圏内、今からどんなに素早く逃げようと、男の逃げる速さより、ヒナタの拳速の方が速い。

「ぐぅ――!」

 重いダメージが体中を襲ってきた。
 今ので何発喰らったか。
 きっと点穴すらやられている。このままチャクラを使えなくなる前に、より致命的な状況を避けるべくして、男は瞬身の術でこの場を逃れた。

 しかし……。

「予想通りだ」
「マジかよ。シノの言った通りじゃねーか」

 二人の少年の声が聞こえた。
 瞬身で移動して、この宿の屋根に出た時、とっくにどこか遠くへ去ったはずのキバとシノが、男の背後には立っているのだった。

     *

「どういう……ことだ……」
 男は振り向き、二人の少年と対峙する。
「ヒナタの様子がおかしかったのでな。何かを言い出そうとしつつ、言えずに終わっているように見えた」
「で、ナルトにかかった術は、人の様子をおかしくするものじゃねーかって予想して、試しに張り込んでいたってわけよ」
 黙々と語るシノの隣で、キバは赤丸を伴いながら得意げにしていた。
「……ちっ」
 最初から、この宿を去ってなどいなかったのだ。
 遠く消え去って見せかけたのは、フェイクに過ぎなかった。
「終わりだな」
「投降するなら今のうちだぜ?」
 シノの周囲に蟲が現れ、それは黒い雲の固まりのように漂う。その隣でキバは四つん這いに構えを取り、さながら猛獣がこちらに標的を定めたかのようだった。
 そればかりか、背後に何者かの着地する足音で、ヒナタまでやって来たことを悟った。
 三人に囲まれている。
(くそ! くそ!)
 このままでは到底敵わない。
 そう、このままでは……。

 あれを使うしかない。

 あれはチャクラを使い切る勢いなので、できれば使いたくはなかったが……。
 仕方がない。
 男は切り札の巻物を取りだして、最後の術を行使した、

 口寄せの術!

 彼が呼び出す赤肌の巨人。
 それは金棒を握った大鬼だった。

     *

 ヒナタは大鬼を見上げた。
 こうして建物の屋根に立っていて、それでもなお、見上げなければ相貌がわからない。巨大な赤肌は筋肉質な人間の体格に似て、しかし巨大な分だけ胸板の厚みもスケールが違っている。
 筋肉の凹凸一つが、ちょっとした山を見るかのようだ。
 そして、ヒナタ達を見下ろす凶眼は、格下の獲物を見下ろして、退屈そうにしているものにすぎなかった。
 金棒を振り上げる。
 たったそれだけで、太陽すら隠れていた。逆光の生み出すシルエットを前にして、ヒナタは思わず後ずさりしていた。
「あんなの……どうしたら…………」
 巨大な怪物など、どう戦えばいいのか。
 その思いもさることながら、こんなものが暴れたら、町など簡単に破壊され尽くしてしまう。
(だけど……)
 こんな時、ナルトの言葉を思い出す。

 真っ直ぐ自分の言葉は曲げねぇ!

 そして、中忍試験でネジとの対戦になった時、ナルトが応援してくれたことを思い出す。
(だから私も逃げない! 逃げないけど……!)
 立ち向かう。
 だが、問題はどうやって――何の案も浮かばぬうちに、巨大な金棒は振り下ろされる。建物すら簡単に叩き潰すであろう重量と、その大きさが真上から、迫るにつれてヒナタの周囲で影は広がる。
 その時だった。

「螺旋丸!」

 突如、影が晴らされた。
 金棒が弾き返されていた。その勢いに押し退けられて、腕を振り上げたかのような体勢となることで、ヒナタの周囲にかかっていた影は遠のき、再び太陽の光が差し込む。
 見ればそこには、分身と共に並んだナルトの背中があった。
「今までワリィな、ヒナタ。オレってば、すっげぇメーワクかけてたってばよ」
 すぐに確信した。

 正気だ、術が解けている。

「だから、名誉挽回だってばよ!」
 分身の一人がクナイを片手に飛び上がり、大鬼へ一直線に向かっていく。その一方で二人のナルトがチャクラを練り上げ、新たな螺旋丸を形成していた。
 先ほどの、金棒を弾き返したものより、もっと大きい。
 高出力のチャクラが渦を巻き、高度なエネルギーの固まりと化したそれは、白眼を持つヒナタの目から見てもなお、一体どんな威力になるか。
 先んじて飛びついていた分身のナルトは、キバやシノと共に周囲を飛び交い、飛び道具での攻撃を繰り返している。シノの奇壊蟲が腹部を覆い、背中にはキバの牙通牙が当たっている。それらが効いているのかいないのか、大鬼は鬱陶しいハエでも振り払おうとするように、両腕や金棒を振り回す。
 振られた腕や金棒が掠れるたび、表皮を削り散らかすように、屋根が抉り抜かれている。電柱が倒れていき、塔のように高い建物はへし折れる。被害が広がる一方の光景を、少しでも早く収めるには、これ以上の時間をかけることなく倒す必要があった。
 ヒナタの前で、螺旋丸が完成する。
「いくってばよ!」
 二人組となったナルトは、二人組のままに屋根を蹴り抜く。その脚力は身体を弾丸かミサイルのごとく撃ち出して、ナルトは真っ直ぐ一直線に、大鬼の胴へと向かっていった。

「大玉螺旋丸!」

 その瞬間、クレーターが出来上がった。
 冗談でも比喩でもなく、大鬼の胴体が本当に凹んでいた。表皮を微妙に削り散らかし、チャクラの破片と化して消えゆきながら、胸部が綺麗に凹んでいる。まるでドームの上に倒れ込み、身体に型が取られてしまったように変形して、そんなクレーターの中心で、二人組のナルトはなおも多量のチャクラを注いでいる。
 ぱちんっ、と。
 風船でも破裂したように、大鬼は消滅していた。
 巨大な怪物を倒したナルトは、分身を解除しながら落下していき、その先の地面に着地していた。
「ナルトくん……すごい…………」
 ヒナタはその背中を遠巻きに、憧れのような、微熱のこもったような、好意に満ちた視線を送っているのであった。

     *

 それから、ナルトは改めて謝ってきた。
「ほんと、ごめんってばよ」
 術が解けた影響で、自分がおかしなことをしていた自覚を急に抱いて、気が咎めるあまりに謝罪してきた。そんなナルトの謝罪をヒナタは快く受け入れるが、心はそれですっきり晴れやかというわけにはいかなかった。
 ナルトのことは許しても、では下着は一体誰が盗ったのか。

 あの男だった。

 ヒナタが白眼で男の存在に気づき、その部屋へ突入した時、床に落ちているブラジャーとパンツの存在に目がいった。抜け忍の身柄を押さえなくてはいけない手前、その時は深く気にする余裕はなかったが、後々になって嫌な感覚が胸に広がり、ヒナタはその不快感をナルトの前では誤魔化していた。
 男の白状によれば、術をかけた相手を遠隔で洗脳したり、コントロールする能力だったらしい。それでナルトがおかしかったことに説明はつき、ならば覗きをやらせることも可能なのだろうが、下着を盗ったのはあの男だ。
 ナルトを介してか、本人が入ってきたかは知らないが、とにかくあの男こそが犯人で、ヒナタの下着は一晩中、あの男の部屋にあったわけである。
 あとでこっそり回収したが、ショーツのクロッチ部分には、見たこともない妙な黄ばみと青臭い香りが残っていて、その時ほどぞっとしたことはない。男のオナニーはどういうものか、多少なりとも性知識のあるヒナタなので、自分の下着がどんな風に使われたのか、それがわかった瞬間の戦慄と、背中の凍りつくような思いといったらないのだった。
 里に帰った後、ヒナタは持ち帰った下着を捨てた。
 そんな目的で使われた下着など、もう気持ち悪くて仕方がなかった。
 それに感覚の共有まであるとわかった瞬間の、体中を何かに侵食でもされているような、汗の噴き出るおぞましさといったらない。ナルトを介して、胸や尻の感触は、全てあの男に伝わっていたのだ。
 風呂を覗いた時の景色も、きっと……。

 やだ……早く忘れたい…………。

 気持ち悪い思い出として、ヒナタの中にそれは残った。
 忘れたくてたまらなかったが、忘れたいと意識するほど、逆に忘れられない記憶となるのであった。



 
 
 

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