電車が揺れる。
美鶴の降りる駅までは、あと十分以上はかかるのだが、少年はそのあいだ、ずっと後ろにくっついているつもりでいるのか。尻に当たって来る硬い逸物が不愉快で、耳の裏側に吹き込んでくる呼吸も気持ち悪い。
鼻先で髪を掻き分け、わざわざ隙間に吹き込もうとしてくる痴漢行為への戦慄といったらなく、今すぐにでも少年の鼻をへし折りたい。
「まずさ。認識を操作できるんだよね。だから今の俺って、周りから見ると存在しないことになってるの。もしスカートを捲ったら、透明人間がやってるように見えるだろうね」
頭のすぐ後ろから、聞いてもいない解説が行われる。
「でさ? その認識操作って、他人に対してもできるわけ。ああ、くっついてる必要があったりするんだけど、美鶴ちゃんの存在も、調整すれば透明人間のようにできるよ? でも今はそこまでしてなくて、意識されにくいぐらいにしてあるんだ」
「それで?」
「はーい。それで、ちょっとゲームしよっか」
「やりたくないわね」
「無理無理、拒否権ないって。っていうか、やりたくなくても、俺が勝手に美鶴ちゃんを玩具にして遊ぶんだけどね?」
「その呼び方もやめて欲しいわね」
「み、つ、る、ちゃん。意識されにくいだけの場合、本人が目立つことをしちゃうと、認識操作の意味がなくなるんだよね。だって、存在までは消してないわけだから。俺と違って視界に入りはするんだよ」
そこまで聞いた時点から、既に嫌な予感がした。
意識されにくい、ただそれだけの状況を利用して、きっと色々と試そうというわけである。
「どのあたりから周囲の注目が集まっちゃうか、やってみよっか。ほーら、ちょうど次の駅で人が増えるよー?」
少年がうきうきとした声で言った時、窓の景色が緩やかに速度を落とし、やがて駅に停車する。降りる人はほとんどおらず、乗ってくる数の方が多いため、ほんの少しではあるものの、車内の混雑度合いが上昇した。
数歩隣の距離で、サラリーマンがつり革を掴み始める。
目の前にある座席の、左右の端っこそれぞれを男子高校生の三人グループが陣取って、後ろにも数人分の気配が増える。そして、チラッと周囲を伺っても、後ろから少年に抱きつかれた少女に対して、誰一人として目もくれない。
痴漢や暴漢を目撃した驚きも、逆にカップルが堂々とイチャついていることへの反応も聞こえてこない。テンションの高い馬鹿な男子の集まりなら、それこそ騒ぎ立てそうなものだと思ったが、スマートフォンのゲームではしゃいでいる様子である。
「じゃあ、はじめよっか」
電車が動き出すことを合図にして、次の瞬間だ。
スカートが持ち上がった。
手を触れられすらしていない。
見えずとも、腕が巻きついている感触は腹にある。両腕とも抱きつくために使っていると、皮膚感覚でわかるのに、何故だかスカート丈は捲れ上がって、大胆にも中身を公開してしまっていた。
「どう? どう? 恥ずかしい? 顔が赤くなっちゃう?」
そうなって欲しいと期待してやまない表情が、素顔はわからずとも目に浮かぶ。
「馬鹿みたい」
冷たく、淡々とそう答える。
少なくとも、心臓が飛び出るほどの、大袈裟な驚きには至っていない。驚くには驚くが、念動力で物体を動かす瞬間を見たにしては、やはり反応が薄く、表情の変化にも乏しかった。
ただ、何も無感情なわけではない。
その表情を少しだけ驚きに染め変えつつ、眼球だけを動かして、咄嗟に周囲を気にかけていた。
良かった、誰も見ていない。
心の中では安心するが、捲り上がったスカートの前側が、そのまま腹に貼り付いている。下着は丸出しなわけであり、座席両端にいる男子の群れが、ふとした拍子に視線をやってきたのなら、直ちに見られてしまうだろう。
非常に落ち着かない。
見られたらどうしよう。どうかこちらを見ないで欲しい。そんな懇願めいたものを胸に抱きつつ、美鶴は静かに唇を結んでいた。
「へー? 冷静じゃん?」
「神様、詳しいの?」
恥じらいを堪え、美鶴は尋ねる。
「はい?」
「詳しいのかって聞いてるの。もらった力なんでしょう?」
「あ、俺から情報引き出そうとしてる感じ? 悪いけど、余計なことは喋んないよ? つっても、あのご神木ってことまでは言っちゃったっけ。どっちにしろ、攻略法とか考えるようなヒントをあげる俺じゃないぜ?」
「詳しくないのね」
「いやぁ、今はパンツ気にした方がいいよ? 何色かチェックしてあげるよ」
その瞬間、背中からすっと感触が消えていく。
美鶴は直ちにスカート丈に手をやって、ショーツを隠そうと試みた。
(……動かない)
両腕とも、動かなかった。
右腕でつり革を掴み、左肩にはスクールバッグをかけた状態から、ポーズを変えることすらできず、腕は身じろぎ程度にしか動かなかった。
「そうそう。動けない魔法、かけてあっから」
つまりポーズが固定され、その上でスカート丈も浮遊している。能力を解除してもらわない限り、決してスカートを元に戻して、ショーツを隠すことはできないのだ。
どすっと、座席に腰を落とした際の音が聞こえる。
随分と大胆に座ったはずで、尻が置かれた分だけ目の前が僅かに凹んでいる。そこに透明人間が座っているとわかった瞬間、ならばショーツをまじまじと見られているのだと理解して、恥ずかしさはより大きなものとなっていく。
「お! 黒じゃん黒!」
しかも、大声で色を発表するのだ。
認識操作というように、周囲はその声に反応しない。耳に音は届いていても、脳がそれを処理していないのか。透明人間の声が聞こえるのは、この場で美鶴ただ一人だ。
「いいじゃんいいじゃん。フロントリボンは赤ね? で、手前を白いレースで飾っているわけか。ほら、ハの字の箇所みたいなとこ」
実況のつもりでいるのか、随分と詳しく説明する。
「いやぁ、セクシーでいいと思うよ? あ、記念撮影しよっか」
その瞬間、スマートフォンだけが出現した。
透明人間が物を手に持ち、結果として浮遊して見える形で、スマートフォンだけの透明化が解除され、撮影音声が鳴らされる。
(わざとってわけ)
恥じらいを与えるため、あえて見せつけているのだ。
単に撮影時の音を聞かせるだけでなく、カメラそのものを見せた方が、撮られている実感を与えられて面白いとでも思っているのだろう。
「ほら、見てよこれ」
透明人間は画面を見せつけてきた。
視覚的には、浮遊するスマートフォン自身が向きを変え、勝手に近づいてきて感じられ、そして美鶴のショーツが映っていた。わざわざ声高に解説した通りの黒のショーツをアップにしたものがまず飛び込み、タップスライドで次の画像に切り替わると、顔からショーツにかけてを映したものが、さらには顔だけをアップにした画像が順々に現れていた。
「……最低」
美鶴は僅かに顔を背ける。
「結構冷静だよね? 全然、パニックとか起こさない感じ? でもさ、ほっぺたは赤くなってて可愛いじゃん? 自分がどれくらい赤くなってるか、はっきりわかって面白いっしょ?」
「あなたの人間性よりはね」
「んじゃ、次はもっと面白いことしよっか。ね、ブラジャー見せてよ」
「お断りよ」
「拒否なんかできないって、わかってるくせに」
その瞬間、ブレザーのボタンが外れ始めた。
手で触れられているような感触はなく、ボタン自身が勝手に意思を持ち、勝手に動いて外れようとしているのだ。エスパー能力の代表例は、透視、読心術に、念動力といったところだろうが、彼はそのうち一体いくつを使えるのか。
ブレザーのボタンが全て外れて、左右に広がる。
次はワイシャツのボタンが上から順に、やはり勝手に外れていき、美鶴はそれを阻止できない。いくら腕に意識を注ぎ、手で食い止めようと思ってみても、指先がぴくりと動いたり、身じろぎ程度に前後する程度で、ポーズは固定されたままなのだ。
為す術も無く、ボタンを外されるままでいるしかない。
美鶴に許された自由は、少しでも心の準備を整えて、見られることへの覚悟を決めるくらいであった。受け止める準備をすることで、迫り来る羞恥心を耐え抜けるように、精神的に構えることしかできなかった。
ブラジャーを露出するのに十分な数だけボタンは外れ、美鶴の頬にはより大きな熱が宿った。顔がさらにもう少しだけ赤に近づき、染まり変わってしまったことを、嫌でも自覚できてしまうのだった。
「さーて、黒のブラもセクシーだねぇ? カップのほら、谷間のラインっていうの? あ、美鶴ちゃんはそんな巨乳じゃないようだけどさ。内側の部分? そこにやっぱ、白いレースがあるってわけね。中央にはまた赤いリボン。なかなかいいじゃん?」
「実況が趣味なの?」
「くぅー! 冷たくていい声してるじゃん? じゃ、さっきみたいにっと」
またスマートフォンが出現する。
先ほどと同様に、浮遊して見える状態のスマートフォンから、撮影時に聞こえる音声が連続して鳴り続け、何枚も何枚もの、ブラジャーの写真は撮られていく。角度や位置の変化によって、胸だけのアップ、顔と胸を映したもの、顔からショーツにかけて映したものと、何種類も撮っているのがわかってしまう。
「しかし、まーだ周りにはバレてないね?」
スマートフォンの向きが反転して、バストアップの画像を見せつけられる。
濃いめの桃色といった具合の頬に、少しの強張りを加えた自分自身の表情と、ブラジャーがセットとなって映っていた。
「ってことは? まだイケるんじゃね?」
その声色を聞くだけで、やはり素顔はわからずとも、悪魔がほくそ笑んだ表情が目に浮かび、美鶴は大きく顔を顰めた。
「冗談じゃないわ。もう十分でしょう?」
「お? 参ってる感じ?」
その瞬間、ブラジャーがずり上がる。
「くっ……!」
美鶴は歯を食い縛っていた。
手で掴まれている感触もなく、ブラジャー自身が勝手に動き出している。念動力としか言いようのない、見えない力による上昇で、カップのドーム構造に引っかかり、美鶴の乳房はブラジャーの内側で上向きに持ち上がる。
そして、ぷるっと飛び出ていた。
茶碗よりも少し薄い、男の握り拳ほどあるかどうかの膨らみは、こんな電車の中であらわとなってしまっていた。
かぁぁぁぁ……!
さすがに、これまで以上に顔は赤らむ。
頬に広がる熱により、顔の色は明確な赤へと変わり、頬から広く拡散していることを美鶴は自覚する。
どうやら、バレていない。
ショーツと乳房を堂々と露出して、こんなところに立っている女子高生がいることに、周囲の誰も気づいていない。人に対するヒソヒソとした気配もなく、気づきやすい位置にいる男子の群れも、まず美鶴に視線をやる様子がなかった。
だが、もしも悲鳴でも上げていたなら、さすがに注目が集まったのだろう。
性格に救われた形だが、上げそうになっていた場合、声が出ないように内側で噛み殺す必要があったのだ。
「よかったねー? まだ平気みたいで」
認識操作のおかげでバレていないが、その認識操作があるから遊ばれている。
まだ恋愛もしたことがなかったのに、こんな形で顔もわからない相手に乳房を見られた屈辱で、悔しくてたまらない気持ちと共に恥じらいもまた膨らむ。いくらバレていないとはいえ、公共の場で露出狂のような格好をしている上、透明人間の彼だけにはきちんと視姦されているのだ。
本当なら、露出狂の変態でなければ、外でこんな格好はしていない。自分が悪いことでもしているような錯覚に囚われるが、全ては透明人間の仕業に過ぎないのだ。
そして、またスマートフォンは現れる。
パシャ! パシャ! パシャ!
それが撮影時の音声だった。
何度も何度も、執拗に撮り尽くされた。
同じアングルからの乳房を複数回、上下左右に角度を変えても複数枚、さらには顔入りや全身など、距離まで変えて何度も何度も、その音声は鳴り響く。
パシャ! パシャ! パシャ!
まるで顔の表皮に熱が注がれ、内側がみるみるうちに加熱していくようだった。
自分がどこまで赤く染まり変わっているか、もう想像もつかなくなった頃合いに、美鶴は写真の顔を見せつけられる。顔中がまんべんなく、綺麗に染まり変わってしまってなお、表情だけは冷静さを保とうとしている画像がそこにはあった。
何かを睨まんばかりにして、敵意を宿していながらも、頑としてパニックを起こしたり、泣き喚いてなどやるものかと、意地も見え隠れした表情だった。
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