透山町――通称、スケ山と呼ばれる町の、どこにでもいる普通の女子高生の一人である犬山陽衣菜は、その小柄な体躯ではしゃぎ回って、森の中を駆け抜けていく。
最近、面白いスポットを見つけたのだ。
電車通学で隣町に行き来して、このスケ山という町を知って二年、陽衣菜はとあることに気づいていた。一見してただの都会に思えるが、実のところ言い伝えに都市伝説、心霊スポットといった場所が散見され、普通の町に比べてオカルトに満ちているのだ。
駅を離れればビルが減り、田畑が目立ち、山や廃墟にお寺が見える。そういったビル街を離れたところに、それらスポットは点在している。
陽衣菜は面白いことに目がなかった。
楽しかったり、変わった出来事がそこにあるかと思ったら、もう首を突っ込まずにはいられない。
例えば、芸能人が近くにいると聞いたら見にいかずにはいられない。変わった特技を持つ人がいると聞いたら、そのクラスに突撃せずにはいられない。好奇心旺盛で、一度でも興味を持ったら、それを見たり知ったりせずにはいられない、何にでも関わりたがる性質の持ち主だ。
そんな陽衣菜が部活動の仲間を引き連れ、巨大な一本の樹木の前を訪れたのも、知りたくてたまらない衝動の一環だった。
「ここですよ! ここ!」
陽衣菜が駆けていく先にあるそれは、樹齢数百年にもなるご神木だった。
まるで巨人の足元にいるように、どこまでも長大なご神木は、両手を広げた人間が一体何人いれば囲めるのか。その巨大さ故に、内側を祠のように刳り抜いて、両開きの扉に鍵をかけてあるのだが、このご神木は一体何を祀ったもので、扉の中には一体が置かれているのか。
「くー! 気になるー!」
陽衣菜はいよいよ舞い上がっていた。
常日頃からスケ山を徘徊しては、どこかに面白いスポットはないものかと探し求めている中で、これは彼女が見つけた成果の一つだ。
何もオカルトや民俗学だけに精通したいわけではなく、変わった動物、変な昆虫、意外性の高い面白知識といったものにも興味があり、その好奇心の矛先は基本的にどこにでも向けられる。
それがたまたま、今はこういう方面に向きやすいだけなのだ。
スケ山にこの手のスポットが多いから、それを一つでも解き明かし、知識の幅を広げていくのが、陽衣菜のマイブームというわけだ。
「へいへい。よくまた見つけたもんだなぁ」
すっかり呆れた顔をして、ため息をつきながら陽衣菜の隣に立っているのは、誰が見ても不良とわかる金髪の少女であった。
彼女は久保沙弥子。
通っている高校は、偏差値が高い分だけ校則の緩いところで、染髪を禁止する校則もなかったりするのだが、ボタンを開けたり、アクセサリーの数が多いなど、着崩しが目立った上でじゃらじゃらと物が目立つと、教師もさすがに良い顔はしなくなる。
しかし、そんな大人の視線など意に介さず、沙弥子は大胆にもワイシャツのボタンを開けて、巨乳の谷間を数センチだけ露出している。首にはネックレスをぶら下げて、手首にもブレスレットをいくつも付けた上、スクールバッグには鎖まで垂らした装いを見た者は、誰もが一度は想像する。
校舎裏など、人目に隠れた場所でこっそりとタバコをふかし、コンビニでは万引きを繰り返し、深夜徘徊なども行っている。
という、クラス内に溢れた沙弥子に対する想像は、実際にはあまり当てはまっていなかった。
これを知れば、大抵の者は驚くのだが、これでも沙弥子は文芸部なのだ。
そして、その文芸部の仲間を引き連れて、この場所まで案内してきた陽衣菜もまた、文芸部の一員というわけだ。
「でっしょー!」
「へーへー。毎度、ご苦労なこった」
「これって、いつから生えてるの? なんで祀られてるの? 何か封印してる? この祠って刳り抜いて作ったもの? それとも、実は自然にできたものとか? うーん! 気になる気になる気になるぅ!」
「わーったわーった。そんじゃ、とっとと解説タイムに入ろうや。な、美鶴先生」
沙弥子が振り向き、陽衣菜の視線もそちらを向く。
二人の見ている先に立つのは、部活ぐるみでやって来た三人組の最後の一人にして、もっとも美貌に優れた冷淡な少女であった。
艶のかかった黒髪ロングは、さながらよく磨いた黒曜石のように光沢を放ち、それが風になびいた時、たったそれだけのことで美しい香りが漂って思えてくる。どことなく気の強そうなツリ目で物を見据え、けれど何事にも動じることなく、表情の変化に乏しい。
無感情とも、クールとも評することのできる彼女の名は――。
――新條美鶴。
冗談めかして先生などと呼ばれるが、美鶴もまた高校二年。
陽衣菜や沙弥子とは同い年だ。
*
「この山には言い伝えがあったわね。その昔、山や海なんかの自然に対する信仰は強かったけれど、とある時代のとある男は、そのせいか山に登れば神様から力を授かることができるに違いない。なんて思い込んで、山登りを始めたわけね。
ま、それが実際の出来事か、言い伝えの物語かは置いといて、山を下りてきたその男は、自分は奇跡を授かったなんて言いながら、実に困ったイタズラを始めるのよ。主に女性に対する性的な嫌がらせ、セクハラ行為。
当時の服装を考慮せず、現代的にわかりやすく例えれば、超能力で風を吹かせてスカート捲りを繰り返したり、といったところかしら」
腕を組みながら淡々と、ご神木にまつわる解説を行うその姿に、犬山陽衣菜はすっかり関心して見惚れていた。
その博識ぶりにも憧れるが、しかも声が良い。
凛と涼やかな声で紡がれる解説は、すーっと耳に染み込んで、聞いた内容がそのまま脳に浸透してくれるのだ。
「ああ、読めたぜ? 封印されたってんだろ?」
しかし、この手の話を聞き慣れていることもあり、解説の途中で沙弥子が言い出す。
「そうね。木の穴に叩き込んで、扉を閉めて閉じ込めたとされてるわ」
「へっ、やーっぱな。悪い神様から邪悪な力を授かったと見做されたってあたりだ」
「本によっては、話の展開に細かい違いがあるわ。人を閉じ込めるほどの大きさの木の穴が、特に何の説明もなく登場したり、わざわざ彫ってから閉じ込めたことになっていたり、あとは殺して土に埋めて、そこから生えた木がこれだというパターンもあるわ」
「ま、アレだろ? ワルモンが報いを受けて、めでたしめでたしみたいな?」
「そういうことね。だから、言い伝えに沿って考えるなら、扉の中にあるのは気持ち悪い性犯罪者が白骨化した骨ってことになるわ」
「なんの夢もロマンもねー話だなオイ」
沙弥子が呆れて肩を竦める一方で、しかし陽衣菜は首を傾げる。
今の話はよくわかった。
悪い人間が制裁を受けて終わるという、物語としてありがちな結末に落ち着いたのは、よくよく理解したのだが、美鶴の語った話には、肝心なものが一度も登場していない。
「ねえ、その力を授けた神様は?」
と、陽衣菜は疑問を投げかけた。
授かった力を悪用した人間は登場しても、授けた存在は具体的には出て来ていない。
「どのパターンの言い伝えでも登場しないわね。だから、単なるセクハラ野郎が制裁を受けたのが真相で、どうしてその人はそんな真似をするようになったのか。それを説明するために、邪念を吹き込んだ存在、という偶像が作り上げられ、そして言い伝え化したという説もありえるわね。
一方で、同一の山を舞台とした――と、される別の言い伝えになら、その悪い神様が登場しているわ。もっとも、本当に同一視していいのかは不明だけど、どちらもこのスケ山に伝わるお話だから、同一でも不思議はないわけね」
やはり、陽衣菜は関心しきっていた。
「さすがだわー」
と、沙弥子も小声でこぼしていた。
こんな風に、聞けば必ず何かを答えてくれる。その博識ぶりに、陽衣菜は憧れの情を抱いていた。物知りな上に美貌があって、落ち着きもあるクールな黒髪、陽衣菜に言わせれば憧れるなという方が無理な話だ。
「ねえねえ、じゃあさじゃあさ! そういう力が存在して、授かって悪用する人が存在したら、一体どうしたらいいと思う?」
やはり、好奇心から陽衣菜は尋ねる。
「魔法や超能力が存在したら? その場合、相手の能力がわからないことには対策のしようがないけど、人間に力を授ける何かが実在したら、ということでしょう? 一番手っ取り早いのは、私達もパワースポットに行って、お祈りでもして対抗手段を授かることかしら」
「神よ。どうか我々をお救いくださいってか?」
と、沙弥子は苦笑した。
「それで力が手に入ればいいけど、何もいない空っぽの神社でそれをやったら、馬鹿みたいで虚しいでしょうね」
「はーい! もう一つ! その悪い神様って、封印されてないんだよね? 祠に閉じ込められちゃったのは人間なら、今も神様はいるんだよね? あ、もしも実在したらってことだけど」
「同一説のある存在は、別の言い伝えでも特に封印されていないし、退治もされていないわね。実在したら? まだこの現代にも存在していることになりそうね」
「おおっ、これはこれは良い取材になったんじゃない!?」
陽衣菜は興奮気味に息を荒げた。
実は単に好奇心で訪れたわけではない。
陽衣菜としては、半分以上が好奇心ではあるのだが、部活仲間三人で、部員同士でやって来たのは、部誌に掲載する記事を書くためでもある。せっかく、こうしたスポットの多い町に通うのなら、文芸部としての活動も、こういった方面で行ってみるのも悪くはない。
「つーわけだ。ま、原稿チェックよろしくだぜ? 先生」
沙弥子が肩を叩いた時、美鶴はそれに冷たい視線を返す。
原稿チェックは一年生の頃にも陽衣菜や沙弥子が頼んだことで、書いた記事の内容はきちんとしているか、間違いはないかと尋ねたことがある。美鶴は引き受けてくれたのだが、その時はチラッと眺めただけで突き返された。
「きちんと、書けていればね?」
仮にも仕上がっていなければ、クールな振る舞いで突き返される。
その突き放してくる瞬間に、陽衣菜は一種のときめきを感じないでもないわけだった。
「ん?」
その時、美鶴の冷ややかな目つきがご神木に向けられる。
何かに気づいたような、気にしたような反応に、陽衣菜は首を傾げつつ、自分もまた同じ方向に視線をやっていた。
「あれ? 美鶴、どうかした?」
「何でもないわ。気のせいみたいね」
美鶴はそう切り捨て、さっさとご神木から視線を剥がす。
だが、それは決して気のせいではなかった。
そこには何かが立っていた。
誰も立ってなどいないかに見えるご神木の、その隣にたまたま風が吹き付けて、緑色の葉が舞った時、まるで何かにぶつかったように張りついていた。何も存在しないはずの空間に、透明な何かが立っているかのように、風力によって数秒ほど張りつく葉は、風がやむと同時に真下へと舞い落ちていた。
(へへっ、キレーだよなー! 三人とも、チョー好みだぜ!)
ご神木に背を向けて、この場を去ろうとする三人の後ろ姿に、品定めの視線を送る一人の存在が、そこには立っているのであった。
*
久保沙弥子は元々、ただ自由を愛しているだけだった。
ワイシャツのボタンはきちんと締める。スカートは膝上何センチ。アクセサリーが禁止だの、染髪がどうだのといったことへの窮屈さは、沙弥子にとって息苦しくてならないものだ。だからわざわざ勉強して、そのためだけに校則の緩い学校を目指したほどに、何の意味もない厳しさを毛嫌いしていた。
ボタンの一つや二つ、外したっていいではないか。アクセサリーぐらい、染髪ぐらい、何だっていいではないか。
沙弥子は遅刻こそ多いものの、その不良じみた格好は本人にとって自由の象徴だ。厳しい規則という名の締め付けから解放され、もっと自由に振る舞うことの解放感を反映したのが、金髪でアクセサリーをじゃらつかせ、スクールバッグに鎖まで垂らした装いだった。
タバコを吸いたいわけでも、万引きをやりたいわけでもないが、何者にも邪魔されない好き勝手な振る舞いのイメージとして、不良チックな装いを採用しているに過ぎないのだ。
「んじゃーな」
そんな沙弥子は、駅で二人に手を振って、別のホームの電車に乗るため、一人階段を上がっていく。
高校一年の時、クラスが同じ、部活も同じという理由で仲良くなった三人だが、それぞれ出身の町は異なり、だから降りる駅も異なっている。下校や帰り道を共にする時、こうして途中で別れることになるのが、ほんの少しばかり寂しいのだった。
休日の、夕方近い時間帯。
混雑具合はそこそこで、平日の朝に比べれば空いている。出勤ラッシュに巻き込まれる際の窮屈さを思えば、随分と快適なものだろう。
然るべき時間帯なら、人で埋め尽くされている階段も、沙弥子はあっさりとスムーズに上がっていく。
果たして、その最中だった。
すうぅー……
と、風が通り抜けていく感覚に、沙弥子は思わずビクッとしていた。
(ちょ!?)
スカートが舞い上がったのだ。
丈はクラスでも短めで、確かに普通よりは見えやすいが、何も下着を見せたいために短くしているわけではない。脚を長く見せるための、ファッションの一つとして、丈の短さを取り入れているに過ぎないのだ。
その股下を通り抜け、内側に侵入するなりお尻の部分を捲り上げ、大胆なまでに中身を見せびらかす風に、沙弥子は大慌てで手を後ろにやってスカートを押さえ込む。
(誰も見てねーよな)
そうあって欲しい願いを込めて、肩越しに後ろを振り向く。
誰もいなかったことには安心したが、一人でもそこにいたなら、ばっちりと見られていたことだろう。
(クソが!)
気恥ずかしさから、すぐさま足を速めて階段を上がりきる。
肩を怒らせ、ホームを移り、苛立ち紛れに電車を待ち構えている際も、心なしか手がスカートを気にしていた。スクールバッグを左肩に、自由な右手でしきりに前や後ろを気にすることで、いつ風で捲れてもいいように警戒して備えていた。
(ったく、そう二度も三度もねーだろうけどよ)
その二度目や三度目があっては真っ平だという思いが、沙弥子にそんな行動を取らせていた。
いいや、さすがに馬鹿馬鹿しい。
たまたま雷が直撃するような奇跡的な偶然が、また起きるかもしれないと本気で警戒するのは馬鹿げている。いくらなんでも、少しは気を緩めても良いはずだと、やがて右腕をだらりと垂らし、沙弥子は静かに電車の到着を待ち構える。
先頭に並ぶ沙弥子の後ろに、ぽつぽつと数人の気配が並ぶ。
後ろに人が立つことで、つい先ほどの恥ずかしさが薄らと蘇り、頬の赤らんだ余韻で薄桃色が浮かび上がった。結果として見られずには済んだのだが、こうして真後ろに人がいるタイミングでは、今度こそ見られてしまう。
(大丈夫だっての。マジで気にしすぎだろ、アタシ)
そう自分に言い聞かせている時だった。
「な、何ィィィィィィ!?」
それは突然だった。
何の前触れもなかった。
今の今まで、そのようなことが起こったことは一度もなく、そして留め具のパーツが痛んでいた気配も特になかった。
だというのに――。
突如として、スカートが落ちそうになったのだ
それも、見えない力が急に留め具とチャックを下ろし、ものの一瞬にして緩めてしまったように、本当にいきなり落ちたのだ。
ぎょっとした沙弥子は、大慌てでスカートを掴んで阻止したので、どうにか事なきを得たものの、チャックや留め具に触れてみたところ、その箇所に故障の様子はない。では一体、何がどうしてスカートが落ちたというのか、まるで想像がつかなかった。
電車がまもなくやって来ると、駅構内にアナウンスが流れてくる。
それにタイミングを合わせたように、今度は――。
ショーツがずり下がった。
本当にわけがわからない。
目には見えない力が存在して、それが下着を引っ張ったとしか思えなかった。
(さっきからどうなってやがる! わけがわかんねーぞ!)
顔を染め上げながらショーツを戻す。
周囲の視線がどんな風に向けられて、この一連の現象を何人に見られてしまったかなど、もはや考えたくもない。周りなど見ないように見ないようにと意識して、やがて到着する電車の中へと、半ば逃げ込むように乗り込むのだった。
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