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 周りにバレたくない。
 その気持ちはまず、羞恥心から来ていた。乳房が出ている姿を不特定多数に見られるなど、考えたくもない話だ。
 次にあるのは、フェリーン女も言っていたように、かえって痴漢が増える可能性だ。止めに入ってもらえる保障はなく、参加者が増える危険性があるとなっては、気づかれずに済ませたい気持ちはますますのものとなる。
 そんな時、車内アナウンスは流れて来た。
 次の駅への到着を予告する車掌の声に、一つの危機感がチェンに芽生える。
「開くのはこっちのドアね」
 そして、その危機感について読み当てたかのように、フェリーン女は即座に告げた。
「なんだと……」
 全身から血の気が引いた。
「このままじゃ、大勢に見られちゃうわね? おっぱい」
「ふざけるな…………」
 チェンの脳裏にイメージが広がっていく。
 駅で到着電車を待ち、開いたドアの中から出て来るのが、乳房を丸出しにした女であったら、一般客は一体どんな顔をすることか。何人も何人もの、チェンの事情など知らない普通の人が、自分に対してぎょっとした目をしている姿が簡単に想像できる。
(まずい…………)
 一体、どれだけの人が、痴漢被害に遭っている可能性を真っ先に考慮するだろう。
 それよりも、露出狂の変態が現れたと思い込む方が、可能性としては高いのではと、そんな予感がよぎるや否や、焦燥感はますますのものとなっていた。
(まずい……まずい……)
 このフェリーン女は一体どんなつもりでいるのだろうか。
 ギリギリのところで許してくれるか、それとも人前に乳房を晒させる気でいるのか。どちらとも言い切れず、彼女の考えが読めないチェンは、ひたすら気持ちだけを焦らされ、手首の手錠をガチャガチャと擦り合わせる。
 最悪なのは、抵抗がしにくい状況だ。
 もちろん、手錠のせいでそもそも腕の自由はないが、あまり目立って注目を浴びてしまえば、乳房を丸出しにしたチェンの様子に、一体何人の男が気づくだろう。だいたい、チェンの存在には違法組織の目が光っており、非合法な連中に今の状況に気づかれるのも、決して良いことではない。
「早くしないと、電車が停まっちゃうわね? ドアが開いちゃうわね?」
 焦燥を煽るようなことを言いながら、フェリーン女はあろうことかベルトに手をかけ、ショートパンツのチャックを下げ始める。チェンは必死に腰をくねらせ、そうはさせまいとする身じろぎで抵抗するが、それでもチャックは下がりきり、ショーツさえもが露出していた。
「ほら、電車の速度が落ち始めた」
 彼女の言葉通り、窓の外に流れる景色で、速度の変化が見て取れる。
 駅に停まって、ドアが開くまでの時間は、刻一刻と迫っているのだ。
「くぅ――――――」
 そんな状況で、あろうことかピンクローターを入れてきた。
 ショートパンツの中に手を忍ばせ、ショーツの上から卵形の器具を押し当て、チェンに振動を与えてくる。そのブルブルとした駆動によって、表皮や膣が震わされ、アソコにさえも甘い痺れが走っていた。
(ふざけるな――こんなところで――こんなところで――――――)
 チェンの怒りが、羞恥が、より一層に激しく膨らむ。
 急速に膨張する焦りと共に、アソコからは愛液が染み出して、チェンは確実に感じていた。危機感がかえって感度を高めているように、ローターからの刺激は強い快感となって行き渡り、内股の神経が溶かされていくような錯覚さえ覚えていた。
(まずい――まずい、まずい、まずい――――――)
 チェンの激しい焦燥感は、電車の速度が落ちるほどに、より一層だった。無駄であるとわかっていながら、後ろ手の手首を左右に広げ、手錠の鎖を引っ張って、力尽くで引き千切ろうなどと試みてしまっていた。

(――――――――っ!?)

 一瞬、頭が真っ白になった。
 急に思考が弾けたと思った時、お漏らしをしてしまったと勘違いをするような、唐突なアソコの水気を感じ取る。失禁したかと思い込み、取り返しのつかないことをやってしまった絶望感で、頭はまた改めて真っ白に染まり直した。
 だが、それは愛液だった。
 絶頂のために汁気が増えて、ショーツの染みが濃くなっているだけだった。
(そ、そう……か…………)
 失禁ではない。漏らしてはいない。
 その事実に気づき、その一点に関しては安心するも、ローターで性器をやられ、イカされた屈辱に変わりはない。恐れたほどの状態には至っていないというだけで、こんなところでショーツが濡れたことには違いなかった。
「よかったわねぇ?」
 人の心境に気づいてか、フェリーン女のわざとらしい囁き声に煽られて、恥辱感はより大きく膨らんでいた。
「貴様…………」
「あらぁ? もう停まりそうね?」
 電車の速度はますます落ちる。
 まずい、このままでは本当に――。
「バレたくないわよねぇ?」
「……っ!」
 チェンは引き攣る。
 一般大衆に乳房を公開したくなければ、言うことを聞けとでも言うつもりなのは、その煽らんばかりの猫なで声で嫌というほど伝わってくる。
「バレたくないでしょぉ?」
 一体、どんな条件を出すつもりか。
 いずれにしても、もう駅が見え始めている。早くしなければ、今になってボタンを閉じ初めても、ドアが開くまでには間に合わないといったことになりかねない。
「ショーツにローター、入れさせてくれる?」
 フェリーン女はショーツの内側に手を入れて、クロッチの中にローターを入れようとしていた。皮膚に擦れる卵形の感触に総毛立ち、このままでは自分は彼女の玩具にされ、なし崩し的に陵辱されるであろう危機感に心が焦る。
 だが、他にどうすればいいというのだろう。
 速度が緩めば緩むほど、駅への到着が迫るほどに焦るチェンは、冷静な判断をする余裕を失いつつあった。
「勝手にしろ……」
 そう答えることで、ショーツへのローターをある意味で許してしまっていた。

     *

 電車のドアが開いていく。
 チェンは無事にボタンを閉じてもらい、乳房を露出することなく済んだのだが、後ろ手の拘束は付いたまま、おまけにショーツの内側ではローターが震えている。始末の悪いことに、リモコン式の遠隔操作で、そのスイッチをフェリーン女が握っているのだ。

 ブィィィィィ…………。

 静音式で、周りに音がバレるほどではないにせよ、その無機質な駆動がワレメを震わせ、快楽を与えてくる。
(なんて趣味だ。最悪だ……)
 内股気味に、さもオシッコの限界を堪えるような、危機的状況にでもあるかのような足取りで電車を降りる。様子のおかしさが周囲にも伝わって、一体こいつはどうしたのかと、気にしてくる視線が刺さって痛い。
「く…………」
 股に走る刺激が強い。
 この甘い痺れを、本当なら太ももをきつく締め上げてでも堪えたいが、そこまで露骨な様子を見せれば、一体どうしたのだろうと不思議がる視線の数は、余計に増えてくるだろう。
(見ないでくれ……)
 視線が辛かった。
 降りた直後ほど、注目されている感覚の強い瞬間はなかった。
 サラリーマンの男達は、すぐさま電車に乗り始める。おびただしい人数が車内へときつく収まり、チェンの通り抜けた後ろでは再び満員状態が出来上がる。窮屈な電車が発車して、消えていくのを感じつつ、チェンはフェリーン女について歩いていく。
(このままではおかないぞ……)
 チェンはその背中を睨んでいた。
 アソコにローターが当たっているだけでなく、手錠を未だに外してもらっていない。後ろ手のままバッグを持ち、周囲から手錠が見えないように隠しているが、おかげで胸の方は隠せない。
 ボタンは閉じてもらっている。
 肌が直接見えているわけではなく、ぱっと見る分には不審な点などないものの、内側ではブラジャーがずり上がったままである。突起した乳首が内側からブラウスを押し上げて、微妙に形を浮かせているので、観察さえすれば中身の状態がわかってしまう。
 バレたくない。
 だから、注目を集めたくない。
 特別な注目さえ集めなければ、周囲を行き交う雑踏の、大半は次の電車の到着にしか興味がない。チェンの様子には目もくれないとはわかっていても、すれ違う人々はチラっとチェンの様子を窺っている。
「あの子、どうかしたのか?」
「さあ?」
 二人組の青年とすれ違った時、背後からそんなやり取りさえ聞こえて来た。
 やはり、普通の様子には見えないのだ。
 ローターのせいで歩き方がたどたどしく、妙にぎこちなくホームを出ようとしている姿を見て、具合でも悪いのかと思う者はいくらでもいるらしい。
 どうかしましたか、大丈夫ですか?
 などと、声をかけられでもしたら、本当にたまったものではない。他人の注意を引かないためにも、快楽を少しでも意識から遮断して、何事もないように振る舞ってみせるのだが、そう上手くは振る舞いきれず、ふとした拍子に声が出そうになって、チェンはそれを噛み殺す。
「…………っ」
 と、一体何度、歯を食い縛ったことだろう。
 しかも、人が苦労して歩いているところを、フェリーン女は本当に楽しそうに眺めてくる。クスクスと笑いものにしながら、いかにも満足そうに微笑む表情を見ていると、腸が煮えくりかえる。
(あいつめ……!)
 もう本当に放置できない。
 手錠を外させ、両手が自由になった時、彼女のことは即座に拘束しようと心に決める。計画にない目立ち方をしてしまうが、チェンにここまでやる以上、似たような余罪があってもおかしくない。
 捕まった前科があり、再犯の限りを尽くしているに違いない人物など、どうして野放しにできるだろうか。
(大丈夫だ。一人くらいなら――)
 きっと、捜査作戦は大きくは狂わない。
 チェン一人の行動で、完全な形で状況が左右されてしまうほど、張り巡らせた捜査網は脆弱なものではない――ただ、采配が乱れることで、作戦が失敗する確率を少しでも抑えるべく、今の今まで耐えていたに過ぎないのだ。
(奴だけは捕らえる。奴だけは……)
 自分が痴漢に遭ったこと、どういう方法で辱めを受けたのかなど、恥ずかしい内容を話すことにはなってしまうが、逮捕のためならやむを得ない。
 だが、その時だった。
「あなたの目――」
 フェリーン女はおもむろにチェンに迫って、肩に吊り下げたバッグに手を差し込む。何かを取り出そうと少し漁って、やがて出て来たものは水鉄砲だった。
「何か、企んでいるでしょう?」
 向けられた銃口は、有色透明のプラスチックで、内側に入った水が透けて見えているために、水鉄砲であることが一目瞭然だった。
「まさか……! ま、待て……!」
 チェンは即座に予感していた。
 ここで取り出すものが水鉄砲とは、それに何の意味があるというのか。どうして持ち歩いていたのか。バッグの中で水が漏れたりはしないのか。根本的な疑問がまず浮かぶも、その次に頭を掠めるのは、今この場における水鉄砲の使い道についてであった。
 今、チェンのブラウスは、内側でブラジャーがずり上がっている。
 もし、透けたりでもしようものなら――。

 びちゃっ、

 フェリーン女は容赦なく、何の気兼ねもなく、チェンのブラウスに水を引っかけていた。布が水を吸い込むことで、チェンの皮膚にべったりと貼り付いて、きっと乳首が透けて見えやすくなっているはずだった。
「よくも!」
 激高しかけ、途端にチェンは声を抑える。
「くっ……!」
 反射的に出してしまった大声を噛み殺し、せめてこれ以上は注目を集めないため、チェンはぐっと歯を食い縛った。
「そうそう。怒鳴ったりしたら、みんながあなたに視線を寄せるわ?」
 そして、気づくというわけだ。
 ブラウスが濡れ、乳首が透けている状態に。
 チェンの隣を通り抜けていく数人の男達は、明らかに胸を見ていた。反射的に出してしまった声のため、すぐその場にいた物はチェンを見て、胸の様子に気づいてぎょっとしている。困ったような嬉しそうな、どちらともつかない顔でさっさとその場を去っていく。
 傍から、厄介ごとに見えたのか。
 さも関わりたくない風にも感じられが、すれ違いざまの視姦によって、一瞬のうちに光景を目に焼き付けているはずだった。
「よかったわね? 見てもらえて」
「貴様ぁ……!」
「あら、怖い。でも、手錠は千切れないみたいね? ま、強度のあるタイプだから、屈強な種族でも、アーツ使いでも、元から簡単には破壊できないんだけどね?」
「さっさと外せ」
「こっちよ? 着いて来たら、考えてあげるわ」
(やむを得ないか……)
 チェンは悔しげに歯を噛み締め、屈辱に震えながら足を進める。
 その最中にも、何度も人とすれ違う。電車が満員になるだけの混雑具合で、行き交う人々がいくらでもいる中だ。サラリーマンというサラリーマンの数々がチェンの視界で行き来して、大半の視線が一瞬なりとも胸を見てくる。
 雨が降ったわけでもないのに、何故だか胸だけを濡らした人物など、不思議に見えて当然なのだろう。そして、その不思議さが目を引くと、そこにあるのは乳首という形によって、一体何十人に視姦されていることか。
 一人一人は一瞬で通り過ぎていくものの、その一瞬の眼差しは、明らかに視姦のそれだった。
 そして、フェリーン女はわざとらしくゆっくりと、のんびりと歩いている。チェンを少しでも雑踏の視線に晒し、視姦によって辱めるため、肩越しに何度も振り向いてはニヤニヤと、人の恥じらう様子を楽しんでいた。
 フェリーン女の行く先は、多目的トイレであった。
 痴漢の犯人と一緒に個室など、そこで一体何が待ち受けているかなど、わざわざ考えるまでもない。卑しい目的に着いて行かざるを得ない状況に、チェンは酷く歯噛みしながら、腕さえ自由ならばと歯がゆい思いに駆られていた。





 
 
 

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