例えばの話。
何の力もない無力な少女が一人で歩く。そんな女の子の後をつけ、急に後ろから抱きつく男がいたとしたら、被害者は一体どんな恐怖を抱くだろう。加えて胸や尻を触られたなら、どれほど不快感があるだろう。
見知らぬ人間がプライベートゾーンに踏み込んで、過度の接触をしてきたなら、それは男同士であっても不快である。
ならば、女の子が感じるものは、より一層のものと捉えても良いだろう。
しかし、性的な被害に無頓着な時代というものがある。
あるいは関心の薄い人間、理解の少ない人や時代というものがある。
見知らぬ男に抱きつかれ、力尽くで体を触られるような体験は、まさしく全身の縮み上がる恐怖に間違いないが、そうした被害を次のように表現する言葉がある。
――性的なイタズラ。
そう、イタズラなのだ。
刃物を使った脅迫、カツアゲ、殴る蹴るなどの暴力であれば、もっと凶悪な事件と見做されることだろう。だというのに、こと性的被害においては、何故だか『イタズラ』という表現に留まる上、隙があったのではないか、注意が足りなかったのではないか、といった本人の落ち度を語る論調までついて回る。
だが、暴力犯罪のはずではないか。
急に抱きつき、体中をまさぐってくる。そういった『イタズラ』であっても、被害に遭う本人は刃物で脅される状況に匹敵する恐怖を抱き、そんな事件に遭った日には、次の日から外を歩くことさえ怖がるようになってもおかしくない。
だが、そうであっても、そうした事件に理解のない時代において、やはり『イタズラ』という表現に留まり続け、女の子が感じた恐怖、抱えたトラウマについて、真剣に取り合ってもらえるとは限らなかった。
これから始まるのは、そういった世界で起きる出来事だ。
いいや、それどころか。
小学生に興奮する大人など、この世に存在するはずがない。ロリコン、ペドフィリアなど幻想にすぎない。そのような風潮さえ存在していた時代での、とある女の子の身に起こった事件である。
*
その女の子の名前は先導美樹という。
長い前髪のかかった顔立ちは、首から上だけを見る分には、一見して性別がわかりにくい。ツリ目気味で中性的なルックスは、美少年のようでいて、女の子として可愛くもある。どちらともつかない微妙なラインを突いており、実際に胸が成長する前までは、男の子と間違えられた経験もあったりする。
しかし、今となっては、もう性別を間違えられることはない。
胸が膨らんでいるからだ。
ブラジャーも着けており、その膨らみが胸にちょっとした山を成し、何なら尻も大きくなり始めている。女らしい曲線に満ちた体つきは、将来性を匂わせながら、美樹の性別をはっきりと示していた。
「じゃあ確かめさせてもらう」
「……はい」
それは放課後。
担任の先生に教室へ残るように言われて、美樹は緊張の面持ちで俯き気味になっていた。
教室では二人きりだ。
学校終了からいくらかの時間が経ち、クラブ活動のある子供を除いては、ほとんどが下校している。日中の休み時間に比べれば物静かで、聞こえてくる喧噪も校庭からの遠いものだ。
担任が『一応』気を利かせて、人の少ない時間を選んだのだ。
美樹はシャツを脱ぎ始める。
たくし上げる直前に、布を握った拳に躊躇う素振りを宿らせる。抵抗感から少々の時間を経て、ようやく脱いだシャツの下から、まだ買ったばかりの白いブラジャーがあらわとなった。
この学校において、ブラジャーは許可制となっている。
着用希望者は担任の先生に見てもらい、必要かどうかをその都度判断してもらう。子供の羞恥心には無頓着であるがため、このようなことがまかり通っていた。
美樹は既に、許可を貰っている。
しかし、つい先日の身体測定の際、担任から見た美樹の乳房は、初めて確認した時に比べて大きく見えた。
そこで担任は感じたのだ。
だったら、今のブラジャーはきちんとサイズが合っているのか、教師として確認しておく必要があるはずだと。
始末の悪いことに、担任には悪意がない。
サイズの合わないブラジャーを着けるのは、発育に悪いことだと固く信じて、彼なりに美樹のことを『心配』して、確認を行おうとしているのだ。
担任は視線をやる。
買ったばかりのブラジャーは、まだ数回しか洗濯機にも入っていない。色のくすみも、糸のほつれも何もない。新品同然の綺麗な下着は、さすがにプライベートの買い物まで把握していない担任にも、一目で新しいものとわかった。
わかりきってはいるが、話題の一環として口にする。
「買ったばかりかな?」
「……はい」
尋ねると、小さな声で答えていた。
恥ずかしいのだろう。
美樹は普段、男子と一緒にはしゃいだり、バスケやサッカーでボールを追い回すことの多い女の子だ。活発な性格から、男子にとっても話しかけやすい女子らしく、だから異性と会話している姿をしょっちゅう見る。
そして、異性を異性として意識している風はなく、まだ色恋沙汰には目覚めていないか、そういう対象に見ている相手がいないのだろう。さながら男同士の仲であるように、ゲームやスポーツの話でいつも盛り上がっている。
その美樹の物静かな姿は、休み時間と比べてギャップがあった。
頬に薄ら浮かぶ朱色が可愛らしい。
こうしてみると、いくらボーイッシュな面持ちや性格をしていても、やはり女の子なんだな、と関心する。
そして、その羞恥心を気遣う発想が彼にはなかった。
「可愛い下着だ。とても似合ってるよ」
「え、あの……ありがとう、ございます……」
下着の感想を言われるのは、本人からすれば不快なセクハラであり、だから美樹の反応は微妙なものだった。恥ずかしい思いをしている上に、嫌な思いをさせられて、何かを言いたくなった気持ちを美樹はぐっと堪えていた。
そんな美樹の内面に、担任は気づいていない。
美樹の心情としては、先生がせっかく褒めてくれたのに、文句を言うのは失礼だという、目上に対する礼儀がある。過剰に恥ずかしがったり、嫌がったりする方が間違っていて、先生の言うことはきちんと聞くべきであるように信じてこその反応だ。
だが、そもそもの悪意がない担任には、そんな機微はわからない。
悪意どころか、児童の体に興奮するという感覚もなく、目の前にあるブラジャーに対する好奇心も、どこか申し訳程度のものである。積極的な興味はないが、視界にあれば目の保養にならなくもない、といった感覚だった。
「ま、それじゃあサイズの方だけど、隙間があったり、キツすぎたりはしないね?」
「ちゃんと、ぴったりです」
「よし、じゃあ確かめるからね」
担任はおもむろに手を伸ばす。
何らの疑問や遠慮もなく、そうして当然であるように下着に触れ、カップの隙間に指を入れようとしてみたり、上から揉んでみることで、サイズの一致具合を確かめていた。
彼自身にあるのは本当に、サイズの一致や不一致を確かめる気持ちだけである。
だが、胸を触られる方にしてみればどうか。
美樹はブラジャー越しに胸を揉まれて、すっかり固くなりきっていた。緊張が筋肉を硬直させ、表情さえも強張らせる。顔の赤らみも増していき、頬の内側では密かに葉を食い縛っていた。
「うん。まあ、きちんと合っているみたいだね」
そう言って手を引くが、彼にはまだ確かめたいことが残っている。
「ところで、オナニーはもうしたかな?」
「え……」
「身体測定の時はオナニーを知らないと言っていただろう? だけど、あそこでオナニーの知識を得たわけだし、もう何回かやってみたりはしていないかな?」
それは純粋な好奇心だった。
今の子供はどんなゲームをやっているのか、何が流行っているのか。それと似たような感覚で、担任は美樹のオナニーについて知りたがっている。
「え、あの……」
しかし、美樹は答えない。
それよりも、机に置いたシャツにチラチラと視線をやって、もう用が済んだのなら、早く着させて欲しい思いでいっぱいだった。
「できれば正直な答えが知りたいんだ。教師として、子供についてよく知っておく必要があるわけだし」
担任は真面目ですらあった。
女の子の嫌がる質問をしている自覚すらなく、純真な眼差しで子供について知りたがる。それがどんなに恥辱を煽り、美樹を不快にさせているかなど、まるで気づいていなかった。
「どうかな?」
「……してはないですけど、一瞬だけ試しました」
「一瞬?」
「はい。二秒くらい触って、それだけでやめました……」
どこか、言い訳じみている。
悪いことかもしれないが、まだれっきとしたオナニーはしておらず、未遂に終わったに過ぎないことを主張したい気持ちが美樹にはあり、それを恥を忍んで答えていた。
実際、美樹の言葉に嘘はない。
興味自体は湧いてしまい、触ろうとはしてみたが、いやらしい女になるかのようで忌避感が湧き、あるいは一秒すら擦っていないかもしれない。
「性的な快感を楽しむのは、決して悪いことじゃない。オナニーっていうのは、ある意味では自分で自分の欲求をコントロールすることなんだ。飢え死にしそうなくらい、ひどくお腹が空いていたら、他人の食べ物を食べてしまうかもしれないだろう? きちんと食べて満腹でいれば、そんな真似はしなくて済む。欲望とは上手に付き合うべきっていうことだ」
教育者として、担任はそう語る。
教え導くべき瞬間だと感じるや否や、自分の大人としての考えを披露していた。
「そう、なんですね……」
「ブラジャーを外してごらん?」
「え? で、でも……」
その『でも』という言葉には、どうして外す必要があるのかという疑問と、恥ずかしいから勘弁して欲しい思いに満ちている。
もちろん、それに気づく担任ではないことなど、もはや言うまでもない。
「いいからいいから」
「……はい」
美樹は両手を後ろに回し、指先でぱちりとホックを外す。
身体測定の実施日には、アソコや肛門まで見られている。死ぬほどの羞恥心を味わっているおかげで、ただ乳房を出すだけなら、確かに軽く感じられる。
かといって、抵抗がないわけでもない。
美樹のブラジャーを外す動作はたどたどしく、体中で救いを求めている。例えば急に気が変わり、やっぱり外さなくてもいいと言ってくれはしないかと、ありえない期待をして微妙に時間を引き延ばしているのが、今の美樹の状態だった。
しかし、そう言ってもらえることはなく、肩紐を下ろし、乳房の前からカップをどかすだけとなり、ブラジャーを外す動作は順調に進んでしまう。
かぁぁぁぁ……!
乳房を曝け出した時、顔の赤らみをより一層のものにしていた。
「うん。なかなかの膨らみだ」
乳房に対するコメントの、そのたった一言が余計に羞恥を煽り、美樹の顔からは今にも火が噴き出そうになっていた。
「そうかな……まだまだ、だと思いますけど…………」
そう、実際にまだまだ、これからだ。
確かにふっくらとしてきているが、殊更に大きいと言われるほどではない。だから、なかなかの膨らみだなど、そんな品評をされる謂われもない。美樹の担任に対する返しは、つまり嫌なことを言わないで欲しいようなニュアンスのものである。
「いいや、とても綺麗で可愛いじゃないか。ほら、この乳首だってピンク色でとってもいい」
担任は微笑ましいものを見守る顔で手を伸ばし、指先で乳首を軽く弾いて見せていた。
「ひゃ……!」
「刺激があったかい?」
「いえ、その……」
「正直に答えてごらん?」
「はい……少しだけ……」
「なるほど、こうすると気持ちいいわけだ」
担任の指が乳首を上下に弾き始める。
それさえも、教え子に指導を行う感覚によるものだ。
「んっ、んぅぅ……んぁ…………」
「乳首も性感帯の一つでね。性感っていうのは、エッチな快感の感じやすさだ。もう既に、乳首が性感帯として発達していて、だから今感じているような感覚があるわけだね。自分で自分の胸を触るのもオナニーのうちになるから、これも覚えておくといい」
そんな風に子供に知識を与え、性感帯とは何か、快感とは何かを実際の愛撫も交えて学ばせているに過ぎない。
担任は自分が痴漢行為を働いているとは思っていない。
彼が児童性愛者でないことは、美樹にとっては不幸中の幸いであろうか。
なので担任はさして執着するでもなく、教え終わればすぐに手を引っ込める。
その瞬間、美樹の肩からどっと力が抜けていたが、それも担任はこう捉える。よくわからない、未知の感覚との付き合いを覚えたばかりで、今の一瞬で気疲れした。
「も、もう! 着てもいいですか!?」
すかさず、美樹は机に置いた服とブラジャーを差して言う。
「そうだね。ブラジャーもぴったりだったし、問題ないよ」
「じゃあ、ありがとうございました!」
さっと会釈して、引ったくるようにブラジャーを取ると、美樹は即座に背中を向ける。速やかにブラジャーを着け、シャツも着たところで、ようやく全てが終わって安心――というわけにはいかなかった。
確かに、ホッとしながら帰るなど、最初からありえない。
胸の中に余韻を引きずり、何日経っても今日のことを思い出したり、恥ずかしさがふとした拍子に蘇るようなことになっても不思議はない。
しかし、美樹はその表情を凍りつかせていた。
「え……」
ぎょっとしたまま固まっていた。
「どうした?」
「いえ、なんでも…………」
あまりのことに、まずは放心してしまう。
美樹はそのまま「さようなら」と挨拶を済ませてから、フラフラとした足取りで教室を出たあとで、思い出したように表情をみるみる歪める。
「ああああああああ!」
美樹は喚いた。
頭を抱え、大いに喚いた。
――見られていたのだ。
教室の戸が微妙に開いていて、覗き込んでいる誰かの目と、美樹の目がばっちりと重なり合い、しばらくのあいだ見つめ合った。
そして、戸の向こうにいた何者かは、はっとしたように逃げ出したのだ。
覗かれていたとわかったからには、あれからオナニーを一回だけ試したことも聞かれている可能性があり、それを思うとたまらない。
壁にあたまを打ちつけたい。
いや、できることなら、今すぐ犯人を見つけ出し、頭を殴って記憶の一つや二つ、消し飛ばしてやりたい。
だが、顔もわからなかった上、廊下へ出た時にはとっくに走り去っていた。
せめて学年が違っていればいいのだが、もしもクラスメイトだった時には、一体どんな顔をして登校すればいいのかもわからない。
それから、美樹は家に帰ってからも、様々なことを思い出してはベッドの上でのたうち回る。
身体測定のこと、今日のこと。
あらゆる恥ずかしさが脳裏に蘇り、一人赤らみ続けていた。
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