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 この小学校の子供にとって、河川敷は絶好の遊び場である。
 長々と続く川沿いに、延々と続く平らな芝生は、ボールを追いかけ回すのに適した広さをしており、そんなスペースが有り余る。砂利や石による凹凸がなく、鮮やかな緑に彩られた平地となれば、それほど駆け回るのに最適な場所はない。
 そして、そんな最適な土地が学校の近くにあったなら、遊び場にならないはずがない。
 今日、伊藤拓也はサッカーをしていた。
 学校の友達同士で集まって、チームに分かれてボールを追い、パスやシュートを出し合うことに勢力を尽くしていた。
 ゴールポストがどこにもないので、仲間同士で決めた身内ルールで、ゴールの代わりに石なり何なり目印になるものを置くことになっている。高さはおおよそ腰のあたりまでと決まっており、それ以上の高さは川では禁止という取り決めを行っていた。
 子供ながらに、あるいは子供だからこそ、自分達で行う遊びはきちんと決めているわけだった。
 もちろん、今のボールは高かった、いいや問題なかったと、そんな喧嘩も起こりうるのが小学生というものだが、少なくとも今日のところは争いの様子もなく、誰もが無邪気にサッカーを楽しんでいた。
 そして、仲間からのパスを受け取り、拓也がドリブルで突き進んだ時である。
「おーっと、通さないよ!」
「美樹!」
 正面を封鎖され、拓也は咄嗟に立ち止まる。
 素早く視線を滑らせるも、近くにパスを出せる相手はいない。チームメイトは皆、相手チームにマークされていた。
 ここは美樹を突破しなければ、シュートを決めることはできない。
「いくぞ!」
 拓也はドリブルを再開し、真正面に駆けていく。
「来るか! いい度胸だ!」
「抜いてやらぁ!」
 迎え撃たんとする美樹と、それを抜いてやらんとする拓也の、一対一の勝負の世界が広がっていた。
 ドリブルで数十センチの距離まで迫った時、拓也は美樹の足に注意を払う。あえてボールを差し出そうとする素振りを見せ、美樹の出方を窺うも、露骨な誘いには乗ってこない。
 ならばサイドへ抜けようと、真横へドリブルを再開するが、美樹はべったり貼りついてくる。
 右へ行こうと左に行こうと、目の前の壁がそれに合わせてスライドしてくる。
 だが、そこでボディフェイントに成功した。
 フェイントに乗せ、美樹を無関係の方向へと反応させた。右に飛び出すように見せかけ、それに合わせて動いてしまった美樹は、つまり自分という名の壁を拓也の前からどかしてしまったわけである。
 その上、拓也は逆サイドへドリブルを開始する。
「ああ! 拓也のくせに!」
 拓也の背に、美樹の大声がかかってきた。
「くそ! 抜いたのに足はえー!」
 全力でゴールキーパーに向かっていくが、足の速い美樹に迫られて、もう追いつかれそうである。早くしなければ、またしても真正面に回り込まれて、再び奇跡のボディフェイントを決める必要に迫られる。
 だったら、もうここで決めてやる。
 キーパーの位置はまだ遠いが、追いつかれるくらいならばと、拓也はここでシュート体勢に入っていた。
 といっても、何の邪魔もなくフリーで打てれば、きちんとコントロールの効く距離だ。
 試合中において、邪魔なく自由に打てるとは限らない。妨害が入ることで、フォームが崩れるかもしれないことを嫌い、なるべくゴールに近づきたいわけだったが、それを賭けに切り替えたのだ。
 しかし、後ろの美樹が追いつくよりも、早くシュートを打ってしまば、決まる可能性は十分ある。
「決まれぇ!」
「させるかぁ!」
 拓也のシュートは、理想通りのフォームによって放たれる。
 だが、その瞬間に影が舞い込み、惜しくもシュートは美樹の腰に当たっていた。美樹としてもそれが狙いで、体のどこかに触れてくれれば、きっと軌道が逸れるだろうと、身体を投げ込んだわけだった。
「くっそー! お前、ホント速いよな」
 明後日の方向へ飛んでいき、橋の下まで転がるボールは、やがてそのまま見えなくなる。
「ふふーん」
 美樹は偉そうに仁王立ちしていた。
「ちぇっ、するくせに…………」
 悔しげに、小さな小さな声でぼやく。
「ん? なに?」
 聞かせるつもりもなかったので、美樹はそう首を傾げた。
「なんでもない。取りにいくぞ」
「そーだね。行こ! みんな!」
 遠く彼方へ消えたボールは、みんなで一緒に取りに行く。
 スポーツで馴れ合う外向的で無邪気な集団の、仲間意識から来る暗黙のルールである。
 とはいえ、先頭は蹴った張本人である拓也であり、隣に美樹を伴いつつも、仲間達を背に芝生を踏んで、ボールの転がったはずの場所を目指していく。
 ふと、隣を見た。
「なに? 拓也」
「別に? なんでも?」
 視線に気づかれ、目が合ってしまったので、拓也は視線を逸らした。
 あの身体測定の時から、拓也は妙に美樹のことを意識してしまっている。
(なんで最近、可愛く見えるんだろう…………)
 身体測定で見た乳房が頭から離れない。
 それから、アソコをやられていた姿も、未だに強烈に残っている。
 だが、それだけではない。
 何故か不思議と可愛く見えるようになったのは、確かに身体測定の時からなのだが、今日に限ってはもう少しだけ理由がある。

 教室での、担任とのやり取りを覗いてしまったのだ。

     *

 拓也は決して、わざと覗いたわけではない。
 ただ、学校の校庭を遊び場にしていたその日、急に忘れ物に気づいて教室へ取りに行こうとしたのだが、数センチだけ開いた戸の向こうで、何やら担任と美樹が話をしていた。
 そして、聞いてしまったのだ。

「ところで、オナニーはもうしたかな?」

 担任が行う質問の、美樹の具体的な答えについても知ってしまった。
 一瞬触っただけ。
 という、美樹の言葉が事実なら、まだオナニーをしたとは言えないだろう。
 あれから、拓也もまたオナニーというものの知識を得てしまい、ペニスを握って上下にしごけば、精液が出て来るということを覚えた。
 身体測定の時から好奇心が湧いてきて、図書室や図書館にその手の本がないかこっそり探し、こっそり読んだ結果として得た知識で、試そうとはしてみたものだ。その途中で何となく不安になり、数秒ほどしごいただけでやめてしまった。
 白いオシッコを出すというのは、何か不安なことに思えてしまったのだ。
 なので性的な快感というものを感じることもなく、ただ頭の中に知識があるだけの状態なわけだったが、美樹も似たようなものらしい。
 隣の美樹をもう一度チラリと見る。
 ボーイッシュな顔立ちで、そのせいか男同士のような気軽さがあり、美樹とはとても話しやすい。いつも一緒に遊んだり、ボールを追って張り合うのも好きだ。
 だが、それ以上に何故だか可愛く見えてくる。
(こんなに可愛かったっけ……)
 一日や二日で、そうそう顔立ちが変わるはずがない。
 だからこそ、不思議に思う。
 こんなに可愛かっただろうか、もっと少年的で、言うなれば美少年に近い顔立ちのはずではなかったかと。
 拓也が読んだ本の中には、女の子もオナニーをするものであり、指を挿入したり、クリトリスという部分を撫でると書いてあった。膣に経験を積めば積むほど性的な快感を感じやすくなっていき、やがてはペニスの挿入で気持ちよくなれるという風にも書かれていた。
 美樹はどれくらい、そういうことに興味があるだろうか。
 教室を覗いた時には、興味を持つのは悪いことではないと、担任は美樹に説いていた。
 今の美樹は、あの時の言葉をどれくらい受け入れているのだろう。
(っていうか、バレてないよな……)
 覗いていたのがバレるのは嫌だ。
 もっと言うなら、そのせいで万が一にも嫌われたらどうしよう、という不安があった。
(しかし、美樹の……オナニーか……)
 パンツを脱ぎ、股のあいだに指を入れる美樹の姿を想像すると、股間に血流が集まりそうになる。勃起とは何か。どういう時に股間は膨らむのか。そんな知識も得てしまっている拓也なので、ズボンの内側に気を遣い、必死になって違うことを考えた。
「あー! ボールどこかなー!」
 我ながらわざとらしいが、とにかくボールに意識を向ける。
「なに、どうしたっての?」
 妙な態度を美樹は怪しむ。
「なんでもねーよ。ってか、あった!」
 やっと見つけたボールは、この河川敷にかかった橋の、柱のすぐ近くに転がっているのだった。
 駆け寄ってボールを拾う。
 見失ったものを無事に発見できた安心感で、ひとまずホッとしていると、隣に駆け寄ってきた美樹に肩を叩かれた。
「ねえ、あれなに?」
 美樹の指す方向。
 この柱のちょうど向かい側には、一つの小屋があった。
 それがこの地域周辺の管理小屋であることなど、小学生である拓也達は知りもしない。ただ、建物の存在だけは知っていたので、前々から何かあるな、とは思っていた。
 しかし、美樹が指しているのはそれではなく、小屋の出入り口の前に置かれた段ボールの方だった。
「なんだろうな」
 良くも悪しくも好奇心の塊である子供は、何か変わった物を発見したと思ったら、それを面白がって見に行きたがる習性がある。
 拓也と美樹を中心に、十人近くからなる集まりは、群がらんばかりに段ボールへ駆け寄った。
 中身を覗き、それがつまらないものだったなら、白けた顔でさっさとサッカーを再開でもしていただろう。
 だが、それは彼らにとって、十分に面白いものだった。
「うお……」
 拓也はまず絶句する。
「やっべぇ」
「どうする?」
 他の友達も次々に目を丸め、その中身に視線を釘付けにしていく。

 中身はアダルト雑誌であった。

 それも、何ら修正のない乳首を表紙に載せた成人向けだ。
 少年というものがいつ頃から猥談に抵抗を無くし、友達同士で堂々と語り合えるようになるかは、年齢によってそれぞれだろう。ここにいる彼らの場合、まだそういった話題には恥じらいがあり、性知識の具合に関わらず、乳房の映る表紙から目を背ける純情さまで見せる始末だ。
 そんな中にも、一人は堂々とした者がいた。
「僕は興味ありますなぁ?」
 高木竜司という小太りの少年である。
 彼は実に堂々と、いやらしい目を浮かべて段ボールに視線をやっていた。
「お、お前……」
 呆れるべきか、詰るべきか。
 どうすべきかもわからずに、拓也はただただ竜司の横顔を窺った。
「恥じらうことはない。エロスに興味を示すのは、健全な少年たる証ではありませんか」
 大仰に手を広げ、そんな風に語ってみせながら、竜司は真っ先に段ボールへ向かっていく。
 そして、その前にしゃがみ込むなり、これみよがしに振り向いて見せていた。
 目で、言っているわけだ。
「君達はどうするかね?」
 と、まるで高みから下々の者が上がって来るのを待つように、己が上位者であるかのように、友達の出方を窺っているわけだった。
「いいじゃん。見てみれば」
「え、美樹?」
 その言葉に拓也はぎょっとしていた。
「度胸ないの?」
「いや、度胸っていうかなんていうか……」
 戸惑い、躊躇っているうちに、竜司が段ボールの中から一冊を取り出していた。その中身をパラパラと捲った挙げ句、皆に向かって表紙を見せつける。
 誰もが絶句したり、微妙な表情をしていた。
「私は見てみようかな」
「え……」
 美樹は一応、女の子である。
 その美樹が段ボールへ向かっていき、竜司と共にエロ本を見ようとしている。一瞬理解が追いつかず、我が目を疑いかけるのだが、そういえば読んだ本には書かれていた。女の子にも性欲はあり、気持ち良くなってみたい願望があるものだと。
(興味あるのか? そういうの)
 美樹と担任のやり取りが頭の中に蘇る。
 本人は一瞬触っただけ、オナニーはしていないと言っていたが、あれは恥じらいで誤魔化したのかもしれない。あるいは事実だとしても、これから試そうと思う気持ちがあるのかもしれない。
 興味でもなければ、見ようと思うはずがない。
「お、俺も……」
 ふらっと足が動き、拓也も段ボールへ向かって行く。
 それを契機に、なら自分も……といった空気が生まれ、小学生達はアダルト雑誌に群がっていくのだった。



 
 
 

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