前回、〈無垢なる闇〉と戦うことになり、結果的に旭姫の〈未来視〉が発動して、彼女の生存を確信できた。よくわからない映像も見ることができた。
あれが空閑旭姫の六年間だというのだろうか。
あの瞬間に共有した映像は、近代的な設備の設置された光景だった。中世ファンタジーを舞台としたリユニオンには、似つかわしくないものである。だったら、あれは旭姫が現実側で見た記憶の風景なのか。
今はまだ、わからないことが多すぎる。
しかし、旭姫が生きているとわかったなら、当面の目標は決まっている。
旭姫をログアウトさせる方法を見つけるのだ。
それから、スバル復活を望む旭姫のためにも、希やクライヴにも連絡を取る必要がある。
「つっても、今のところ収穫無しか」
天羽陽翔はため息をつく。
六年も連絡を取らなかったかつての仲間に、急に連絡を行うのだ。気まずいといったらなく、文面に気を遣うあまりに『拝啓』などという単語を生まれて初めて使ったものの、どの連絡先もアドレス無効の返信が返ってきた。
メールやメッセージアプリのIDなど、試せるものは全て試して全滅である。
「希もクライヴも、とりあえず今すぐは無理。情報屋からの情報もまだ何も入ってこない」
碓氷咲月もテーブルに頬杖をつき、同じくため息をつく。
「むー」
ため息ばかりの空気に、旭姫は少しむくれていた。
旭姫の記憶やログアウトを巡り、あれから活動は続けているが、なかなか収穫が得られない。スバル復活の兆しさえ見えてこないので、集まるたびにため息をつき合う状態だ。このままでは何も前進できないので、何かきっかけが欲しいのだが。
「ああ、そうだ。陽翔」
「なんだ? 咲月」
「最近知った情報にね? マッサージ師がいるって聞いたのよ」
「なんだそりゃ。マッサージ師?」
陽翔はまず首を傾げた。
ここはゲームの世界である。
整体、整骨、美容や健康など、マッサージには色々と目的があると思うが、ゲームの中のアバターに施術をしても、現実の肉体には反映されない。
「リユニオンには腰痛や肩こりでも実装されたのか?」
「違うわよ。そんな面白くもない状態異常なんて設定されてないわ。けど、天理の応用でアバターに色々と影響を与えたりするらしいのよ」
「へえ、どういう?」
「代表的なのはバフ効果ね。闘気とか、魔力の巡りが良くなって、みたいな理屈で何日かのあいだステータスが上昇したり、状態異常の耐性を与えてくれるらしいわ。他にもセンスの調子を良くしてくれるみたい」
「センスの?」
「そ。あなた、まだまだ全盛期ほどじゃないでしょう?」
「そりゃ、まあな」
闘気は元に戻っている。初心者や中級者……上級者にすらそう簡単に負けることはない。
だが、六年前はこの程度ではなかったのだ。
かつての【獅子心王】は。
山を砕き、海を割り、大地を引き裂く無敵の獅し子し。その面影はまるでなくなっていた。
ああ動きたい、こう動きたい、といった感覚に体がついてきてくれない。イメージ通りに戦えていない。
「で、ちょうどいいことに、こんな話を聞いたわ。ユニオンからの復帰勢が久々にリユニオンにログインして、センスが減退していたので試しにマッサージを受けてみる。すると力の何割かが戻ったなんて、今のあなたにぴったりな話だと思わない?」
「確かにな。少しでも全盛期に近づけるなら、試す価値はあるか」
いざという時、旭姫を守るためには力があった方がいい。
「ねえ! あたしの〈未来視〉も戻るかな!?」
話を横で聞いていた旭姫が食いついてくる。
「さあ、やってみなくちゃわからないよ。私が聞いた話でも、まんま全盛期に戻れたわけじゃないっていうし、やらないよりはマシってくらいじゃないかしら」
「でも可能性はあるってことでしょ!? ちょっと気になる!」
旭姫は目を輝かせていた。
少しでもセンスが戻れば、より多くの強敵と戦えるようになる。旭姫の力を目当てに絡んでくるようなギルドとも、戦う羽目になった時には、より上手くやり合えるようになるだろう。
「まずはオレが受けてみる。少しでも効果が出たら、旭姫も試してみよう」
「うん!」
ということで話はまとまり、今日はマッサージ店へ向かうこととなる。
話した通り、まずは天羽陽翔が施術を受けて、センスの調子を取り戻そうと試みる。咲月の言う通り、すぐさま全盛期に戻るわけではないまでも、十分な効果は感じられた。
マッサージルームから出て来る頃には、闘気の巡りは明らかに良くなって、攻撃力は上昇している。試しに適当なモンスターを狩ってみるが、施術前よりも動きがイメージに近づいて、より素早く撃破できるようになっていた。
「よし、これなら旭姫にも効果がありそうだ」
「ほんと!? じゃあ次はあたしも!」
「ああ、行ってこい」
何の警戒もなく、旭姫が店に飛び込んで行くのを陽翔は見送る。
今のところ、周辺の敵意は察知していない。厄介なギルドの徘徊もないというので、店の周りを適当に歩いていれば、注意は十分だと思っていたのだ。
陽翔に施術を行ったのも、受付に座っていたのも、いずれも女性であった。
そのせいもあり、店に対する疑いは何一つ抱くことがなかった。
*
空閑旭姫が受付の女性に声をかけ、メニューを決めて待合室のベンチに座る。
呼び出しに応じてカウンセリングルームを訪れると、そこに待っていたのは咲月の言うような美人マッサージ師などではなく、中年のオジサンだった。
「あれ、オジサンなんだ」
椅子に座りながら、旭姫は何気なくそう言った。
「ああ、悪いね。女性のマッサージ師は現実の予定でログアウトしてしまって、今は僕しか施術ができる人はいないんだよ」
「そーなんだ。じゃあオジサンにお願いするね」
何とも無邪気に、疑うことを知らない純粋な眼差しで笑いかけている。逆に中年の方はほくそ笑み、邪悪なものを口元に浮かべたことに、旭姫は何も気づいていない。
「センスの調子が悪いという話だったね。発動できたり出来なかったり、コントロールが上手くいっていないとか」
「うん、そうなの」
「リユニオンでは肉体がみんなデータだからね。センスの応用で肉体に影響を与えてやると、データの方が整って、調子が変わってくるってわけなんだ」
「陽翔も調子が変わったって言ってた! 動きが変わってたもん!」
「へえ、それはよかった」
「あたしも早く調子を取り戻したいなー」
旭姫は楽しみそうにウキウキとして、椅子にぶら下げた足をしきりに揺らす。頭の中には既に〈未来視〉を取り戻し、陽翔や咲月を驚かせる自分の姿が浮かんでいる。思い描いたイメージを実現することが楽しみすぎて、ウキウキするあまりに落ち着きがなくなっている。
早く、早く!
と、子供のような無邪気な目で、旭姫は中年を急かしている。
「では空閑旭姫ちゃん」
「はい!」
「聞いているとは思うけど、天理の応用で肉体を把握していくことで、どんな風に施術を行うかを決めていくんだ。現実に例えると、内蔵とか骨格の状態を読み取って、最適なマッサージ方法を導き出すってわけだね」
説明を行いながら、中年は立ち上がる。
そんな中年を旭姫は上目遣いで見上げていた。
「最初はちょっとした触診を行って、それからマッサージルームへの案内になる。というわけで旭姫ちゃん、一度立ってもらえるかな」
「いいよー」
疑いなく立ち上がる。
だが、中年はニヤニヤと肉体を品定めしていた。
(これはこれは、噂の空閑旭姫ちゃんの体は、小学生じみているようでいて、よく見れば胸やお尻がしっかりしている。『マッサージ』のやり甲斐がありそうだ)
衣服の上から乳房を眺め、尻の具合を見るために後ろへ回る。尻の丸っこい膨らみがスカートを内側から押し上げて、その存在感で色香を放っていることに、果たして旭姫自身は気づいているのか。
いいや、気づいていない。
自分がたった今、どんなにいやらしい視線を浴びているかさえ、旭姫は何も気づいていない。頭の中にあるイメージは、ただひたすら自分が力を取り戻した後の、ダンジョンやモンスターの前での活躍ばかりだ。
「では触診を始めていくよ」
中年は後ろから、その剥き出しの肩に両手を置く。
ノースリーブの二の腕に手を這わせ、あからさまな手つきで上下にさすってみてもなお、旭姫はむしろ興奮していた。それはもちろん、決して性的な興奮などではなく、触診の始まりによって、力を取り戻す瞬間が近づいたことへの興奮だ。
例えるなら、誕生日が近いので、もうすぐプレゼントが手に入る興奮といったところか。
「どう? 上手くいきそう?」
効果は気休め程度かもしれない。
陽翔だって、全盛期にまでは戻っていない。
旭姫も〈未来視〉を取り戻せるとは限らない。それは頭の片隅ではわかっているが、精神の幼さ故か、わかっていても楽しみにしてしまう。マッサージの効果が想像以上に発揮され、あれよあれよというまに全盛期に近づくことを夢想する。
自分が本調子になることで、それに刺激された陽翔も一緒になって力を取り戻し、全盛期のスバルに一気に近づくことさえ想像していた。
中年の手が髪に触れ、その感触を確かめ始める。
背中を覆い隠すほどのロングヘアーに指先を沈め、手櫛でほぐすかのようにだんだんと下へ下へと、そんな風に髪の艶と質感を楽しんだ後、腰の左右のくびれに両手を置く。やはり上下にさすり始めて、指には揉むような動きまで加わって、その手つきはいかにも痴漢やセクハラを彷彿させる。
その怪しさに何も気づかず、旭姫はただただ触診の一環とばかり思っている。
「旭姫ちゃん。前からも触っていくよ?」
正面に回り込み、中年は手首を掴んで持ち上げる。
肩から指先にかけ、マッサージらしい手つきで徐々にその内側を調べ込む。揉むような指圧の手つきで包み込み、それを肩かたから手首にかけて移動させ、最後のは手の平や指の一本ずつまで調べるタッチは、今になってようやく施術らしい動きになったと言える。
だが、中年が真に確かめているのは、肉体のことばかりではない。
『表向きの評判』は必要なので、もちろん噂通りの施術をこなし、きちんとした意味でも調べてはいるのだが、本命はそれではない。
一体、どこまで触って平気か。
どんな手つきで、どこまで触っても、その疑いのない無邪気な眼差しのままでいるのか。お尻や胸はさすがにまずいか、太ももまではいけるのか。そういったことばかりが中年の頭の中にはある。
そして、中年はとある一つの確信を抱く。
(いきなり最後までいけそうだね)
他のまともな女性であったり、少女のプレイヤーであればこうはいかない。今まで旭姫に行ったタッチの時点で、すぐに疑ってくるだろう。
だが、こうも純粋で疑うことを知らない目つきなら、きっと最後の最後までいけるはずだと、中年の心を高ぶらせる。
「もうちょっと詳しく触診していく必要がありそうかなぁ」
「そうなの?」
「うん、そうなんだ。そこで、今よりもっと色んなところに触るけど、嫌だと思っても我慢してもらえると助かるんだ。どうかな、旭姫ちゃん」
「いいよ? あたしは平気だから」
「なら、よかった」
その次の瞬間だ。
中年はすぐさま乳房を揉み始め、さすがの旭姫も目を丸めていた。
衝撃に大きく目を見開く。
空閑旭姫という少女は、羞恥心に欠けている部分があるはずだった。人の往来のある場所で下着を脱ぎ、陽翔にホクロを確認させようとしかけたことがある。陽翔に肩を触られたところで、セクハラなどとは思わず、気にも留めない。「
だが、そんな旭姫にしても、いきなり胸を揉まれるというのは驚きだった。
「これはね? 当たり前だけど、きちんと意味があってやっていることなんだ。触診によって体を解析して、マッサージの方向性を決めたり、段取りを組み立てるには必要なことだからね」
「そ、そうだよね」
「嫌かもしれないけど、我慢してもらえると助かるね」
「うん。大丈夫! お医者さんに調べてもらってるようなものだもんね!」
旭姫は無理に笑ってみせるが、そこに浮かぶ焦燥めいたものを見たのなら、いかに落ち着きがなく、そわそわとした心持ちになっているかは一目瞭然だ。マッサージのため、必要な行為の一部、そう信じているので文句も何も言わないが、身体へのタッチというものは、いわばプライベートゾーンに踏み込む行為だ。
気の知れた者同士、あるいは恋人同士なら、軽いボディタッチは許せるだろう。
しかし、今こうして旭姫の胸を揉んでいるのは、名前すら知らない初対面の中年だ。ニヤニヤと薄笑いを浮かべ、唇はカエルのように長い。目つきのどこかいやらしい、あまり良いとは言えないルックスは、並大抵の少女が生理的な拒否感を抱くほどのものである。
そんな顔立ちの中年が楽しそうに胸を揉む。
衣服の上から包み込み、一心不乱になって指を踊らせ、その感触を味わっている。
これが落ち着けるはずがない。
何かに焦ってやまないような、急いでどこかへ行きたい時によく似た感覚が、旭姫の胸の中には渦巻いている。不快感も湧いてきて、早く手が離れて欲しいなと、心の中で願うようにもなってくる。
(でも、マッサージだし、センスを戻すためだし……)
オジサンも言っていた。
嫌かもしれないけど、少し我慢が必要になる。
旭姫は不快感をぐっと堪え、しばし続く乳揉みに心をそわそわとさせ続けた。
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