マーデンはナトラの西側に隣接する王国だ。
隣国であるにも拘わらず、国家間の交流は民間レベルに留まっている。大陸の中間に位置するナトラ王国だが、政治や思想的には東寄りであり、西側の諸国とはあまり仲が良くないのだ。
国土の規模はナトラと同等であり、小国である。当然国力も同じ──だった。少し前までは。
均衡が崩れたのは、マーデン国内における金鉱山の発見が原因だ。それにより近年のマーデンの国力は大きく飛躍していた。
しかし、カバリヌに制圧された。
マーデンはナトラだけでなく、カバリヌ国とも隣接しており、血気盛んなカバリヌはマーデンを攻め落とす機会を探っていた。
そこに金鉱山を巡る戦争である。
話を遡ると、まずマーデン国王の評判は良くなかった。その荒れた統治は隣国であるナトラにも届いている。それでいて政治的失策から目を逸らし、自らを名君であると皇帝する奸臣ばかりを侍らせ、諫言を口にする忠臣を遠ざける。それが一層国内の荒廃に拍車をかけ、悪循環を起こしているのだ。
せっかく見つけた金鉱山も、その損失を補うことに利用されていた。
先代の王が賢君であっただけに民の失望は一際強く、不満は大きい。
そんなマーデンにとってみれば、当時のナトラの状況は千載一遇の好機であった。国力は格下で、駐留していた帝国軍も帰還していた。戦果という解りやすい功績を得るにはうってつけだった。
もちろん全ては勝てればの話であり、マーデンは勝てなかった。
帝国の教練法によって鍛えられたナトラ兵は、思わぬ勢いでマーデン兵を押し退けて、たちまち勝利を得たのである。さらに逆侵攻まで行い、金鉱山を奪取した上、その金鉱山を奪還しようとする兵力と、籠城するナトラ兵がぶつかり合う。
ナトラは数々の戦略によって巧みに守り抜き、三万ものカバリヌ兵を相手に立ち回る。さらには将軍の首まで取ってのけ、金鉱山を巡る戦いはナトラの勝利に終わったわけだが、マーデンの損失はそれだけに留まらない。
ここでカバリヌが出て来たのだ。
ナトラとの戦いにかまけ、国内の守りが薄れたところで、カバリヌはすかさずマーデンを占領した。
そこでナトラ王子はカバリヌに金鉱山を売りつけたいと考えた。
後に新たな鉱脈が発見され、どうにか黒字になりそうなことが判明するも、その時までは枯渇しきった鉱山であるとされていた。ろくに金の掘れない鉱山を早々のうちに手放して、枯渇の事実を伏せて売り飛ばす目論見を立てていたが、それは成就しなかった。
マーデンを占領したはいいが、抵抗勢力が活動を始めたのだ。
カバリヌはそれを抑えるのに手一杯となっている。ナトラとの二面作戦はまずいと考え、ナトラとカバリヌの会談において、金鉱山はナトラのもので構わないと一点張りだった。
◆◇◆
ゼノヴィア・マーデンは憎しみの目を向けていた。
マーデン占領時、カバリヌ兵によって囚われたゼノヴィアは、冷たい鉄格子の中に閉じ込められていた。王族の扱いとは思えない貧しい食事が運び込まれ、牢の前には日夜見張りの兵が立ち続ける。
不自由で窮屈な暮らしを余儀なくされたが、何もそれだけがゼノヴィアの怒る理由ではない。
「調子はいかがですかな? ゼノヴィア殿」
「ホロヌィエ!」
ゼノヴィアは憎悪を剥き出しにしていた。
マーデンが占領されたのはこの男の仕業なのだ。軍の大半がナトラとの戦いに出払って、国境の守りが手薄になっていた時、それでも残っている兵士をかき集め、金鉱山からの撤退で主力が戻るまで時間を稼ごうとしていた。
しかし、裏切り者が城門の扉を開いたのだ。
その裏切り者がカバリヌ王の臣下として目の前に現れて、王族である自分を見下してくる状況が面白いはずはない。
この枯れ木のように痩せ細った猫背の男、ホロヌィエさえいなければ、マーデンは未だ国を保っていたかもしれないのだ。
「よくもぬけぬけと! この裏切り者!」
「世渡り上手と言ってもらいたいところですな」
「裏切りが世渡りだなんて、最低」
「ゼノヴィア殿、今はこんなところに押し込められて、お気が立っているようですが、そこで少しだけ良い知らせを与えて差し上げましょう。あなたがこうして生きて囚われていることを知る残党達は、王族の生き残りであるあなたを取り戻そうと、残党軍の中にリーダーを立てつつ、未だ反乱を繰り返している」
「なんだって……?」
「よかったですなぁ? まだ僅かな希望が残っていて。もっとも、そのような活動はいつまでも続くものではありません。そんな僅かな希望も、時間と共にしだいに潰えていくのですよ」
元はマーデンの財務大臣だった男が、王族のゼノヴィアの前で勝ち誇り、鉄格子の内側に向かって大胆にニヤけている。
「地獄に落ちろ。この佞臣が」
「はっはっはっ、まだまだこの世を離れるには、この私の歳をもってしてもいささか若すぎるようだ。時にゼノヴィア殿、私などより遥かに若い貴方様には、無論のこと処刑の話も上がっているわけですが、若く美しい娘の命を奪うは忍びない」
品定めのような視線にぞくりとして、ゼノヴィアは緊張しつつ身構える。
「ホロヌィエ、一体何を考えている」
「ゼノヴィア殿には利用価値が残されています。若く美しい女という利用価値が」
「ゲスめ……」
「せいぜい、今のうちに粋がっておくといい。明日から、ゼノヴィア殿には市中をお歩き頂き、市民達に王族の末路を知らしめておかなくてはなりません」
「くっ……!」
憎しみのこもった両手で鉄格子を掴む。
この腕にそんな怪力さえあれば、今すぐにでも鉄格子をねじ曲げて、裏切り者の首をへし折るために出ていってやるところだ。
「では明日までゆっくり休まれますよう」
その言葉を最後に、ホロヌィエは鉄格子に背を向けて、ゼノヴィアの前から去っていく。
ゼノヴィアはその憎い背中を睨み付け、呪わんばかりの思いで見送っていた。
*
翌朝、ゼノヴィアは町の中心に引きずり出された。
両手は手枷によって封じられ、腰にはロープが巻かれている。そのロープを後ろで握り、ゼノヴィアを前に立たせているのはカバリヌ兵だ。
そんなロープを握った一人のさらに後ろで、二人のカバリヌ兵が槍を握って着いてくる。前方にも二人のカバリヌ兵が同じく槍を手にしており、ゼノヴィアはゆうに五人に囲まれている形となる。
少し前なら、こうして前後を兵士で固めて歩くのは、城を出る際の護衛であった。
しかし、今は脱走防止のために兵士を付けられいる。
(こいつらが……)
マーデンを踏みにじり、国土を荒らした異国の兵士には、良い感情など湧きもしない。
ゼノヴィアは市中を歩かされていた。
王族を捕らえたことを触れ回り、市民達に見せつけるため、それ相応の身なりをさせられている。湯浴みで身を清めた上、お香で香り付けを行って、さらには高級なドレスまで身につけている。
こうして身なりを整えさせ、ゼノヴィアの持つ容姿を存分に輝かせれば、王族であることが一目でわかる。
そして、王族がカバリヌ兵に囚われて、囚人同然に手枷をかけられた姿を見せつければ、マーデン市民は痛感することだろう。もうマーデンという国はなく、これからの自分達はカバリヌ人となるのだと。
こうした市中徘徊は事前にルートが決まっている。
そして、ルートに沿って警備兵が配置され、絶えず市民の様子を監視している。愛国心から奮起に駆られての暴走、残党軍によるゼノヴィアの救出。あるいはカバリヌ王の意に反し、政治的目論見からゼノヴィア暗殺を謀る者。
あらゆる事態を想定して、市民のゼノヴィアへの接近を禁止するお触れが出ている。
ただし、顔を拝んだり、様子を窺いに来るのは一向に構わない。過度な接近でなければ、ある程度の距離までは接近を許すとの触れも出ている。
ゼノヴィアが単独で脱走するのはまず不可能だ。
仮に周囲の五人を振り切っても、町中の警備兵に捕まって終わるだろう。ゼノヴィアに脱出の可能性があるとするなら、カバリヌ側が想定する通り、実際に残党軍がゼノヴィアを救出に現れた時くらいか。
だが、その可能性が低いことはわかっている。
ゼノヴィアの市中徘徊は残党軍の耳にも情報は伝わっているだろうが、当然ノコノコと出て来たところを叩く準備は整えている。残党軍を釣り出して、この機に始末するための罠でもあるのだ。
残党軍の勢力がどれほどか、ゼノヴィアは知りもしない。そうした勢力の存在自体、ホロヌィエに聞かされなければ知ることはなかっただろう。
いずれにせよ、カバリヌの兵力にはまず届くまい。
罠を掻い潜り、見事ゼノヴィアの救出に成功する可能性は低い。残党軍の動きとしてありえるのは、罠と見て息を潜めるか、罠も承知で戦い倒されるか、どちらかになるだろう。
さしたる希望も持てず、ゼノヴィアの面持ちは暗くなる。
「そんな……ゼノヴィア様…………」
「マーデンは本当に…………」
そうした市民の声が聞こえてくるのだ。
見渡せば、ゼノヴィア捕縛という真実を突きつけられ、絶望した表情がいくらでも視界に飛び込む。マーデン国の歴史が終わり、自分達はこれからマーデン人ではなくなるのだと痛感しきった暗い顔が数多く浮かんでいる。
それを見て、ゼノヴィア自身も暗くなるのは当然だった。
(ホロヌィエめ……)
そして、それらの光景を見れば見るほど、こうなった全ての元凶に対する憎しみは改めて大きく膨らむ。
「おはようございます。ゼノヴィア殿、今日はとても素晴らしい朝ですなぁ?」
そのホロヌィエが得意げな顔でゼノヴィアの前に現れた。
背後には護衛を控えさせている。ここでゼノヴィアが暴力に走っても、たちまち取り押さえられてしまうだろう。そもそも、こんな手枷のかかった状態では、ろくな行動も取れはしない。「ホロヌィエ……」
「そう睨まれては寿命が縮んでしまいそうですな。ゼノヴィア殿」
ホロヌィエは老いた革張りのような手を伸ばし、ゼノヴィアの乳房へと近づける。
「な、なにを……!」
「あまり動くべきではございませんぞ?」
その一言で、呪いでもかかったように身動きを封じられる。
胸元の開いたドレスは、乳房の深い谷間を覗かせている。小型のメロンかスイカほどには衣服を押し上げ、丸っとした膨らみを帯びた魅惑の胸へと、まるで下から掬い取ろうとするような指が触れ、ゼノヴィアは全身に悪寒を走らせる。
ぷるぷると揺らされていた。
四指によって掬い上げ、下から上へと振動を与えられ、乳房は瑞々しくも弾んでいた。
「こ、こんなこと……!」
怒りで顔を染め上げるが、ゼノヴィアは大人しかった。
憎しみの宿った鋭い目をますます強め、より激しい憎悪を込めて睨みつけるが、それ以上のことはしなかった。
人質を取られているのだ。
その人質が具体的に誰というわけではない。あくまでマーデンに忠誠を誓い、カバリヌへの恭順を拒む兵士や元臣下などが牢に囚われ、ホロヌィエはその生殺与奪を握っている。ゼノヴィアにとって、名前すら知らない人間も多いのだろうが、未だ心がマーデン側にある者達の命を握られては身動きが取りにくい。
一人でも多くを生かしたければ、せいぜい言うことを聞け、というわけだ。
「なるほど、このような無礼に対しても怒りを抑え、憎しみは瞳に宿すに留めるとは、ゼノヴィア殿も思いの他、知恵というものをお持ちのようで」
ホロヌィエはゼノヴィアのことを試さんばかりに、わざとらしく揉みしだく。こんな男などに乳房を触られ揉まれるなど、不快感で皮膚がどうにかなりそうだ。手元にナイフの一本でもあれば、今すぐにでも突き殺すかもしれない。
「誰も殺してないでしょうね」
ゼノヴィアは怒りを帯びた震えた声で尋ねていた。
「もちろんですとも。まあ、少なくとも今のところは」
今はまだ処刑はしていないが、今後のことはまだまだわからないと、未だ全員処刑の可能性を残している風に臭わせる。
「彼らをどうするの」
「可能性を一つずつ挙げていきますと、まずはやはり処刑。さもなくば奴隷として売り飛ばす。しかし、あなたが一番望んでいらっしゃるのは、国外追放といったところですかな?」
カバリヌにとって、反乱分子をあえて追放処分にするのはリスクが高い。単に異国に流れ着き、そこで何事もなく生活を始めるだけならいいものの、残党軍との合流を試みて、カバリヌに牙を剥く可能性があるからだ。
奴隷に身を堕とさせても、相応の数が生存している限り、反乱の芽を完全に摘み取ったことにはならない。
全員処刑こそ、カバリヌにとっては最も後腐れのない判断となる。
あえてそれをせず、少なくとも今はまだ生かしているのは、ゼノヴィアに言うことを聞かせて利用する旨味があるからだろう。国外追放の可能性をちらつかせ、それをエサにして従わせる意図はわかっている。
だが、ゼノヴィアには何の手札もない。
大して政治を学んでいるわけではなく、こうして捕まった身では、打開策が頭に浮かぶことすらなかった。
今はホロヌィエに従うより他に道がない。
憎い裏切り者なんかに……。
「ではゼノヴィア殿。あなたには味わって頂きます。敗者の屈辱というものを」
「くぅ……!」
ゼノヴィアは歯噛みして、心に憎しみの炎を燃やす。
(いつか殺す)
生きて生きて、生きのびて、その先にチャンスが巡って来たなら、ホロヌィエは必ず殺すと心に誓っていた。
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