十代での結婚が珍しいことではないシェーム王国だが、婚姻にあたっては一つの問題がある。
初夜権。
女性の処女は法律上財産の一種として扱われ、結婚税の納付として権力者に処女を捧げるという慣例がある。金によって納めるには莫大な額となってしまうため、一般庶民の結婚はほとんど処女の提供以外にないのが国民の実情だ。
当然、市民から不満の声は出ているが、それと引き換えに治安が良いことになっている。
今のところ、これが改善される兆しはない。
リーナもまた、処女を『納付』しなければキアランとは結婚できない。
しかし、結婚しなければ性行為は犯罪扱い。たとえ国に黙って二人暮らしを始めても、役人に怪しまれて調査を受けるはめになるだろうし、ならば国を出ようにも、シェーム王国の国境を越えた異国の地は治安が悪い。国を出たせいで魔物に襲われたり、戦争に巻き込まれた話など、リーナの街にもいくらでも伝わっている。
このため、権力者層は実に多くの国民女性から処女を頂いており、女の初めては金持ちか権力者に独占されている。
これが初夜権と呼ばれていた。
「やあ? リーナちゃん」
ジョードが顔を見せたのは、処女検査から数日後。
あれから、教会で婚姻届けを提出して、キアランとの結婚を申し出た帰りである。
「あら、何の用かしら」
「ちゃんと処女らしいねえ? リーナちゃん」
「――――っ!」
欲にまみれた卑猥な笑みで無神経な言葉を囁かれ、リーナは心底ゾクっとした。
こいつは気持ち悪い。
お世辞にも容姿が良いとは言えないジョードは、腹が丸く膨らんで、頬まで垂れているばかりか、どことなく脂汗の香りがするのだ。そんな醜悪な顔や体格が内面に反映され、顔も性格も両方とも気色悪い、絶対に抱かれたくない男の出来上がりだ。
それで剣だけは強いのが意外だが、所詮はリーナの剣術に遠く及ばない。
「キアランなんかと結ばれても、誰かに初夜権が取られることは知っているよねぇ?」
「……それが?」
「僕だったら、お金で納付できるだけの貯金があるから、そんな心配はないのに」
「――ハァ?」
「僕と結婚しようよ」
ありえない言葉を聞くや否や、リーナは既に腰から剣を抜いていた。その切っ先でジョードの鼻先を上手い具合に、皮膚の薄皮が切れる程度に一閃させ、ごくごく軽症にすぎないささやかな切り傷を与えた。
剣の技量が高いから、その程度の軽い傷を狙って与えることができるのだ。
何なら、今の一瞬で首だって取れた。
そういう威嚇をする事で、今のプロポーズに対して、いっそジョードを殺したいほどの拒否反応があったことを教えたのだ。
「いくらアンタが貴族でも、心の中身がスラム以下なの。だから私に相応しい男だなんて、アンタじゃ到底言えないわ」
冷たい声を放って剣を納める。
「……なっ、何も剣まで抜かなくても」
さしものジョードも戦慄していた。
「この際だから、決着つけない? 私と正式に決闘をして、私が勝ったら二度と顔を見せないと約束して」
決闘法。
シェーム王国の法律では、お互いの揉め事を解決する策として、立ち合い人のもとで決闘を行う方法がある。書面に記した約束事を剣の勝敗などで決め、勝てば勝者に有利な形で決着がつく。
もしも気に入らない法律を無しにでも出来るなら、是非とも初夜権に対して、剣で異議申し立てをしたところだが、残念ながらそうは出来ない法整備である。決闘法で折り合いがつけられるのは、あくまでも個人同士のやり取りだけだ。
「そ、それ……。僕が勝ったら?」
「私が自殺するわ」
「何それ!」
「なんていうか、この流れだもんね。アンタと結婚。って条件も思ったけど、それって死んだ方がマシなことだから、代わりに負けたら命を断つと約束するわ」
「…………」
さすがのジョードも押し黙った。
ジョードは強いが、リーナの方がさらに一層強い。真っ向勝負では勝ち目がないことを知っているのだ。
「どうしたの? 決闘が受けられないなら、それはそれで二度と近づかないで。私がどれだけアンタが嫌かわかったでしょ?」
リーナは前からキアランのことが好きだったが、そうと気づいたジョードは、何年も前からキアランを虐めている。顔と性格が両方悪いことに加えて、自分の恋人をいつも酷い目に遭わせている相手など、どうまかり間違っても好きにはなれない。
むしろ、生理的に受けつけない。
胸のところをいやらしい目で見てきたり、スカートの下から覗く太ももをチェックしたり、粘つきがあって気色悪い視線ばかりを飛ばしてくる。
そして、ジョードが今までリーナに言い寄って来た方法は、金にものを言わせて高価なものを選んだだけのプレゼントである。
無理だ。完全に無理だ。
だったら、顔も性格も揃っていて、手に職もついて安心感のあるキアランを選ぶのは、将来に対するシビアな判断からしてさえも、リーナには当たり前のことだった。
「決闘。受けるよ」
「へえ?」
意外だ。絶対に逃げると思ったのに。
そこはアテが外れたが、これで綺麗さっぱり決着がつけられる。
「明日の正午でいい?」
「いいわよ。いよいよ明日でおさらばね。今からせいせいするわ」
そうして、その日のリーナは家に戻った。
しかし、何故ジョードが決闘の申し出を受け入れたのか。
その答えはすぐにわかった。
「――卑怯者!」
リーナはジョードを罵倒した。
信じられないことに、自分で決闘を受けるのではなく、王国から騎士を雇って代理人を立てた上でやって来たのだ。王国製の甲冑を身に纏い、きらびやかな銀のつるぎを構えた熟練の騎士を前に出し、ジョードはその後ろで勝ち誇った笑みを浮かべている。
金にものを言わせてか、あいだに立つ立ち合い人は何も言わない。
「自分で言い出した決闘だよ? まさか逃げたりしないよね?」
「当然よ! 決着をつけるわ!」
「もし僕が勝ったら、その騎士にはリーナを死なせないように言ってある。自害なんて勿体無いから、生け捕りにして僕の奴隷にするからってね」
よくもそんなおぞましい事がいえたものだ。
しかも、他人に戦いを任せておきながら、何の恥じらいもなく『僕が勝ったら』なんて言い方までしている。
「ジョード! アンタは最低のクズよ!」
「リーナちゃーん。この世は金と権力なんだよ」
「言ってなさいよ! ブタ野郎!」
ジョードを罵りながら剣を抜く。
騎士も剣を構える。
――決闘開始。
「――速い!」
開始合図に合わせるように、騎士はほぼ一瞬で間合いを詰め、まだ構えてもいないリーナを斬ろうと剣先が迫っている。リーナはかろうじて背中を反らしきり、ギリギリのところで避けたものの、秒を待たずに二度目の斬撃が放たれるため、避けずに剣で受けるしかなかった。
だが、騎士は丸太のように太い腕をしている。豪腕の剣に叩きのめされ、剣ごとよろめくこととなったリーナは、体勢を立て直す暇もないまま、ひたすら攻撃を避けるか受けるかだけの防戦一方にまわってしまう。
そして、剣を受けるたびに腕が痺れ、体の芯にまで衝撃が届いてくる。
握っている剣をいつ飛ばされてもおかしくない。
「だったら!」
こっちも速さだ。
リーナはふわっと風に巻かれたように、まるで煙に消えたように一瞬で騎士の正面から姿を消して、次の瞬間にはその背後に回りこんでいた。
「もらったァ!」
背中に向かって斬りかかる。
だが、決まらない。
騎士は背後の気配を察し、前へ飛ぶことで斬撃から逃げ切ったのだ。たった一度地面を蹴るだけで、何メートルも先へ滑るように移動する騎士は、リーナの方向を向いて駆けてくる。
負けじとリーナも向かっていき、正面から斬りかかるが、剣と剣のぶつかり合う押し合いとなるなり、騎士の腕力に負けてリーナの身体は飛ばされる。リーナの背中はレンガの壁へと打ちつけられ、膝が地面についた好きを狙って、騎士はさらに追い討ちをかけてきた。
「……まずい。このままじゃ負ける」
王国騎士は強い。
市民を守るため、魔物の討伐を行ったり、必要があれば戦場で実戦経験を積んでくる。往年の騎士ともなれば、さすがのリーナも勝ち目がない。
勝ち目がない?
いや! 負けてたまるか!
騎士が間合いに迫るより先に、リーナは再び立ち上がり、背中の壁に沿って飛び上がった。
「オリャア!」
ある程度の高さまで身体を浮かせ、背後の壁を蹴ることで前へ飛んだ。
――シュン!
と、一瞬だった。
まるで突風が一瞬で吹き抜けていくかのように、まともには視認できない速度で騎士の横側をすれ違い、一太刀を鎧に浴びせていた。
「おおっ、まさか女の子がここまで」
自分の胸元に剣の傷跡が残るのを見て、騎士は関心しきっていた。
「どう? 私の勝ちでしょ?」
「左様。すまんが負けたよ。ジョードくん」
騎士は悪びれたように謝る。
「そんな……」
ジョードは途方に暮れきっていた。
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