①生徒会長はやはり依頼を持ち込む
ブレザーの袖の中から、まずは腕を片方ずつ引っ張り出すと、用意してある机の上に畳んでおく。ワイシャツの首からリボンを引き抜き、続けてカーディガンのボタンを外し始めた。
雪ノ下雪乃は制服を脱いでいる。
体育の着替えならばおかしくない、プールの更衣室でも当たり前の動作だが、今はそのどちらでもない。そもそも、この時期にプールはやっていない。
雪乃は普通ではない状況で脱衣を進めていた。
(やっぱり、然るべき抵抗は感じてしまうわね)
ホワイトボードの影に隠れて、その向こう側で待つ何人もの美術部員の息遣いを意識する。気になるあまりの状況下では、気配を探る達人のように感覚が発達するものなのか、後ろを見ずして人数を言い当てられそうな、そうでもないような――などと妙な思いが湧くほどに、雪乃の意識は背後に傾いている。
さすがに男子の参加は拒否している。
そこにいるのは全員が女子生徒なだけ、ずっとマシではあるのだが、雪乃はこれから全裸になるのだ。
体育の着替えで下着が見え隠れするくらいなら、同性の視線をさほど気にすることはない。だが全裸となると、性器や乳房にまじまじとした視線を浴びるのは、やはり普通のことではない。
(確かに断りたい依頼だったわ。だけど……)
雪乃はこうなった経緯を思い返した。
奉仕部の部室で文庫本のページを捲っていた時、誰かがドアをノックして、依頼を持ち込んでくるまでは、今までと何も変わらなかった。
問題は依頼の内容だ。
まさか美術部がヌードモデルを探していたとは、さしもの雪乃も把握してはいなかったのだ。
*
その日、雪乃は奉仕部の部室でいつも通りに過ごしていた。
口数が多いわけではないので、自分から話題を振ることはなく、文庫本の文字だけを目で追う雪乃。逆に口数の多い由比ヶ浜結衣だが、今日は宿題に集中する必要があるらしく、わからない部分を聞いてくることはあっても、雑談を振ってくることがない。
いつもと違う点を挙げるなら、つまり由比ヶ浜の口数くらいなものである。
(ああ、そういえば二人ね)
今日は風邪とか何とか、由比ヶ浜が何か言っていた気はするが、この部室で彼女と二人きりなのは実にいつも通りの、変わりない日々の光景に過ぎないので、小説の展開の方に意識を傾けていた。
その最中に依頼人がやって来て、雪乃は読書を中止して、由比ヶ浜も宿題の手を止めたのだった。
「どうぞ」
雪乃はドアを一瞥し、ノックの音に返事をする。
「せんぱーい!」
ドアが開くと、現れたのは亜麻色の髪を揺らし、カーディガンの袖を余らせた一人の女子生徒だった。
この総武高校の生徒会長、一色いろはだ。
当初は就任を拒んでいたが、紆余曲折の上に気持ちを変え、やはり生徒会長をやってみようと、一年生にしてその座についた彼女だが、その立場に着いてなお、相変わらず制服は着崩しているらしい。
「あれ? 二人?」
一色は首を傾げる。
「ええ、二人よ。いつも通りでしょう?」
「そっか~。いつも通りだね~」
「いろはちゃん! どうしたの? それと、そちらはお友達かな?」
由比ヶ浜が一色の連れに目を向ける。
「結衣先輩、こちらクラスメイトの花子ちゃんなのです」
「ど、どうも!」
「美術部なんです!」
「どうも! 美術部です!」
先ほどの静寂から一変して、なかなか賑やかなものだと密かにため息をつく傍ら、由比ヶ浜は二人を椅子に座らせた。
「話を聞きましょうか」
雪乃が本題を求めると、一色も早速依頼について話し始める。
「それがですね? 花子ちゃんだけじゃなくて、美術部の人達って、けっこー真面目に賞か狙ってるみたいでー」
「ええ、それで?」
「とっても頑張ってるみたいでー」
「それで?」
「今回もなんとかって賞を目指して頑張るみたいなんです!」
「それはよかったわね。影ながら応援しているわ」
わざとやっているのか、天然のクセなのか、一色は一向に本題に入らない。
賞を取りたいこと自体が依頼ではないだろう。
というより、そんな依頼で来られても困る。
ここはあくまで、手助けをする場所だ。恋人が欲しいという依頼が来たとして、本人の努力をサポートすることは出来ても、どこからか用意して与えることはできない。
コンクールで賞を取るのも、それと同じだ。
受賞そのものは本人達しだいである。
「待って下さいよ~。そうじゃなくて、賞を目指した努力っていうか、描くのはもちろん部員の皆さん自身っていうか」
「まず依頼の内容は何なのか。先に結論を言いなさい」
「えっと~。じゃあズバっといきますけど、お二人にモデルをやって欲しいんですよ」
「ようやく話が見えたわね。コンクールで賞を取るため、優れた素材を探していた。といったところかしら」
根本的な努力はもちろん美術部自身で行い、奉仕部が行うのはそのモデル。これならば、この部活動の趣旨から逸脱することはない。
「そうです! そうなんです! 三人は欲しくて!」
ここで花子が鼻息を荒げていた。
「三人ね。一色さん自身も数に入っていると思って差し支えないかしら」
「おっけー」
一色に問うと彼女は頷く。
「モデルかー。ってことは、あたしたちの絵が受賞したら、美術館とか校長室の前とか、飾られるのかな? ちょっと照れちゃうね? ゆきのん!」
「え、ええ。そうね」
それは受賞すればの話なのだが、総武高校の美術部にはいくらか受賞歴がある。コンクールの規模にもよるが、その展開は十分に現実的なものだろう。
様子からして、由比ヶ浜にモデルの抵抗はなさそうだ。
「とにかく引き受けるわ」
「本当ですか!?」
花子が大胆に身を乗り出し、テーブル越しに顔をぐっと近づけてくる。
「三人と言ったわね。これで揃ったようね」
「び、美人! 美人確保! 最強の素材確保!」
どうも花子は舞い上がっている。
モデルが綺麗だから受賞するとは限らないと思うのだが、そこは題材を確保したということなのだろう。絵にすると栄える風景、ポーズ、人物。
勝負は題材選びの時点で始まっていると捉えれば、彼女の舞い上がりにも説明がつく。
とはいえ、少しは思うわけだ。
(勝った気でいなければいいのだけど)
雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣、一色いろは。
なるほど、素材は揃えたとして、画家がそれを活かせなければ意味はあるまい。
だが、問題はそこではなかった。
あとは美術部自身の努力にかかっているのはそうなのだが、真に問題として見るべきは、そういうところではなかった。
「ヌードモデル確保ォォォォォォォ!」
花子は絶頂のあまり部屋を飛び出していた。
呆気に取られた。
テンションが上がるあまりに、その熱で体が勝手に暴走する場面を目の当たりに、かなり微妙な気分になるのもそうなのだが、一体今の何が一番の問題だったかは言うまでもない。
「で、一色さん? あなたは自分自身も数に入っているとか言っていたけど、わかった上で引き受けて、私たちにも持ち込んだのかしら」
雪乃は容赦なく冷たい視線を投げかける。
「ええ? えーっと~? わたし的にも~。なんていうか、ヌード? みたいなのは初耳だったっていうか~」
一色も本気で引き攣っている。
ヌードモデルという言葉を聞いた時点で、そもそも彼女が一番ぎょっとしていた。
「確認不足ね。この場合、責任を追及すべき相手は一人くらいしか思い浮かばないのだけど、一体どう責任を取ってくれるのか、今すぐこの場でご説明願いましょうか」
「ま、まあまあゆきのん。えっと、こういうのって、外部の人に依頼っていうか。脱いでも構わない、みたいな人を探せば解決するんじゃないかな」
由比ヶ浜が横から提案してくる。
「そうね。脱ぐことが仕事という職種もあるのだし、然るべき予算があれば、正式にモデルを招くことが出来るでしょうけど、問題はその予算ね。そんな部費はないんじゃないかしら」
だから学校内でモデルを探したのだろう。
限られた部費のほとんどが画材に使われ、人を雇う余裕などないわけだ。
「じゃあ、諦めてもらうしか……」
そう、それが筋だ。
ヌードモデルなど引き受けられない。どんな賞かは知らないが、そのコンクールへの応募は諦めてもらう。何なら、代わりに別の賞でも探して、そちらで納得してもらうやり方も視野に入れていいだろう。
だがその前に、一応確認しておきたいことがある。
「一色さん。コンクールの名前くらいは聞いてあるかしら」
「ああ、それは一応」
「言いなさい」
「えっと~。第一回婦人美術コンクール的な?」
また随分と無名で、ありきたりな名前である。第一回なら知られていなくて当然だろうか。
しかし、雪乃は即座に過去の記憶を頭の中で検索して、最近見聞きした覚えのある情報を思い返した。
「確か著名な美術家とイラストレーターが審査員として出席しているわね。漫画アニメの表紙とか、画集を出しているとかっていう人と、映画やドラマの美術監修に、マイナーなデザイナーも数人くらいたかしら」
「それって凄いの?」
由比ヶ浜が尋ねてくる。
「どこまで凄いと言えるかは未知数ね。新人発掘のような意図があるとも限らないし。ただ何の目的もなく著名な人物が集まるとも思えないわ。挑戦する意義は十分ね」
「うーん。ちょっと残念だけど、断ろう? ゆきのん」
由比ヶ浜はそう言うが、雪乃はこめかみに指を当て、少しのあいだ考え込む。
「雪ノ下先輩?」
「ゆ、ゆきのん?」
何やら不安げにしてくる一色と由比ヶ浜だが、雪乃の中で答えは徐々に固まっていく。
「決めたわ」
依頼は依頼だ。
断るのも立派な意見の一つだが、それ以外にも道はある。
「まず男子の参加は拒否。そして二人に無理は言わないわ。私一人で納得してもらうように掛け合って、その上で引き受けるわ」
男子は拒否、さすがにこれは絶対的な条件だ。
これを呑んでもらえないようなら、その時ばかりは断ろう。
「でも、本当にいいの? ゆきのん」
「構わないわ。修学旅行の温泉みたいなものとでも思えばいいもの」
「でも、出来上がった作品は……」
「見るのは審査員なのだし、問題ないわ」
本当は大いに問題を感じている。
絵か写真かの違いはあっても、結局は裸が男性の目に触れるのだが、直接見られるわけではない。
大丈夫、気にしなければきっとそれまでの話だ。
「ゆきのん……」
由比ヶ浜はまだ何かを言いたげにして、一色も同じく意見でもありそうな顔で雪乃を見ている。
「反対なら、今のうちに言ってもらえる?」
友達として、同じ女子として、あくまで止めようというのなら、その言葉に耳を傾けるのもやぶさかではない。だから黙って一人で決めるのでなく、由比ヶ浜にもこの場で自分の考えを伝えたのだ。
「えっと~。わたしもなんていうか、知らずに持って来ちゃった責任っていうかー……」
「え、いろはちゃん?」
「男子は絶対拒否って形でなら、やってみようかなー。なんて」
一色の狙いはさしずめ、友達のためなら文字通り一肌脱ぎ、献身してみせた実績作りといったところか。
「うーん。それなら、いいのかな? ゆきのんだけにはやらせられないし、断るのも悪いといえば悪いし……」
由比ヶ浜の心はまだ狭間で揺らめいているが、引き受ける方に傾き気味になっていた。
「結局、三人全員でモデルをやるのね」
それにしても、ヌードモデルか。
中世の絵画や古代の彫刻でも、男性器まで細かく彫り込んだものや、乳房を描いたものは多くある。エロスが芸術の一端を担うことは理解できるが、美術部の作品もきちんとアート路線なのだろうか。
万が一の話だが、成人漫画のような男性向けのアダルトを目指す方向性なら、その場合も断ろう。
こうして条件次第では拒むことを前提に、翌日には美術部員と顔を合わせて話し合う。賞の詳しい内容、作品の方向性、気になることの確認は全て済ませて、約束は滞りなく結ばれる流れとなった。