前作の続編、タバサはその後も、ただひらすらに惨めを味わう。


前編後編


 ガリア王国王女イザベラは、一人玉座で呟いていた。
「潮時かしらねぇ?」
 意地の悪い笑みを浮かべてそう言っていた。
 場所は小宮殿。
 王都リュティスにある荘厳な宮殿、グラン・トロワと呼ばれる薔薇色の大理石で組まれた建物から、少し離れたところにあるプチ・トロワというのが、イザベラのいる場所だった。
 イザベラは〝北花壇警護騎士団〟の団長職を担っている。それはガリア王家の汚れ仕事を一手に火受けている組織で、国内外の様々な面倒ごとが騎士団が受け持っている。
 その団長であるイザベラは、騎士に任務を与える立場だった。
 北花壇騎士の一人に向け、つい先日簡単な任務を言い渡したのだが、その完了報告に戻って来ない。
 タバサという、今年で一五になる少女は、今までどんな任務こなして帰って来たが、たかが山賊退治の任務にしては、今回はあまりにも時間がかかっている。
「本当に、本当に簡単な任務なのにねぇ?」
 薄笑いから窺えるのは、イザベラの性格の悪さばかりだ。
 何かあったに違いない、すぐに助けをやって状況を確かめなければ、などという事は考えもしていない。イザベラはタバサに対して、優しい考慮などしないのだ。
 それにイザベラは、タバサに対して人質を取っている立場である。母親を人質に、命を盾にして、今まで仕事を押しつけてきたのだ。
 だというのに、ただの山賊退治から戻って来ない。
 これはもう、つまり母親を放って行方を眩まし、どこかへ逃げてしまったに違いないというわけだ。
「見捨てたってことよねぇ?」
 そう理屈を組み上げて、イザベラの脳裏には黒い考えが湧き起こる。
 もし、仮にだ。
 本当は逃げていなくて、トラブルに遭いながら、それでも戻って来ようとしているなら、やっとの思いで辿り着いた場所が燃え上がりでもしていたら、タバサは一体どんな顔をするだろうか。
「ああ、目に浮かぶわ! あの生意気な小娘の絶望に打ちのめされた顔が見てみたい!」
 もう十分に待ってやったのだ。
 これ以上、もう待ってやる必要はない。
 面白おかしいことをしたって、構わないはずではないか。

     *

 わたしは昔を思い出す。
 もう何年も前にも、今と同じかそれ以上の惨めな思いを味わったことがある。絶望のあまり、当時は本気で自殺を考えていて、偶然にも出会った恩人に殺して下さいと頼んだほどだ。
 貴族の生まれである私は、政争の中で父親を殺されて、母親も薬によって心をおかしくされてしまった。そんな母を人質に取られ、初めてイザベラから命令を受けたのは、かれこれ一二歳の頃の話だ。
 あの頃は戦いなんて経験がなかったから、いくら魔法が使えるからといって、魔物を退治だなんて無理だと思った。
『ファンガスの森』へ行き、〝キメラドラゴン〟を退治して来い。
 できっこないと思った。
 あの時の任務は、直接手を下すのが嫌だから、わたしを魔物に殺させようとして与えた遠回しの処刑だった。
 狩人をやっていた恩人に出会わなければ、その通り死んでいたことだろう。あの時、あの場で狩りを学び、そして魔法も成長したおかげで任務をこなせた。
 しかし、運が良かっただけだ。
 そうでなければ、まともに戦いも知らなかった頃のわたしは、最初は獣に追い回されて、逃げ回るだけで精一杯だった。
 だけど服を着ていただけ、あの時の方がマシだったのだろうか。死のう死のうとは思っていたけど、まともな服も着ないで歩き回っている今の方が、やっぱり惨めなのかもしれない。
 わたしは長い道のりを歩いていた。
 馬車や旅人の行き来があるので、踏み固められてはいる道は、その一本道の部分だけ、ほとんど雑草も生えていない。ひとたび道を外れた左右には、いくらでも草や茂みが生い茂っている。
 ウサギでも見かければ、食料の肉が手に入るだろうか。
 なんて考えるけど、今のわたしには杖がない。
 弓も矢もないのに、一体どうやって狩りをやればいいだろう。罠を作るのに使えそうな道具もなく、狩れたとしても刃物がないから、今度は解体に困ることになる。
 火を起こすための道具も揃えなければ、生肉のままでは体に悪い。
 こうして考えてみると、誰もが洞窟で暮らしていたような、大昔の道具すら、わたしは持っていないのだ。
 生きるために使えるものが、あまりにもなさすぎる。

 ひゅー……。

 と、風が吹く。
 全身の肌が撫でられて、わたしは風のたびに惨めさを味わっている。普通は服に隠れている部分にまで、風の感触が当たってくると、自分がどんなおかしな格好をしているのか、実感となって襲ってくる。
 靴もないから、砂利や小石を踏むと痛い。
 前の町でもらった粗末な腰布も、股間がギリギリで隠れるくらいに丈が短い。お尻もほとんどはみ出ているのに、途中で通った森で枝にでも引っかかってか、古びた布は簡単に引き裂けて、最初にもらった時よりもっと酷い。
 後ろから見れば、尻たぶが片方丸出しと変わらないほど露出している。右側の部分が裂けて、三角形に切り取ったみたくなっているから、本当に申し訳程度にしか、右の尻たぶは隠れていない。
 お腹が空いた。
 手元には食べ物が何もない。どこかに食べられる野草はないか、果実を生やした木でもないかと、目が食料を求めて景色や足元のそこら中を行き交うけど、見つかるものは小石くらいで、お腹の音が鳴るのをもう何回も聞いている。
 ひもじい。
 今のわたしは、鏡で見ればどれだけ酷い顔だろう。このままお腹が空き続ければ、だんだん生きたミイラに見えてくるかもしれない。
 せめて森なら、木の実くらいはあると思うのに。
 食用にはなり得ない雑草でも、昆虫でも、いずれは見つけたものを手当たり次第に食べるしか、餓死から逃れる手段はなくなりそうだ。
 こんな時に、人を襲う魔物に遭遇したら、もうひとたまりもない。
 だけど怖いのは魔物だけではなくて、出会った人間が悪人だったら、こんな格好では犯されたり、捕まって奴隷として売られかねない。
 本当は誰かに助けを求めない。
 出会う人間が親切であって欲しいという切実な願いを抱いているけど、そんな保障はどこにもない。
 遠目に人影を見かけるたび、わたしは草むらの方へ入っていき、腹這いになって身を隠した。息を潜めているあいだ、土がお腹や胸に当たっていたり、背中を虫が通っていったり、雑草がチクチクと当たってきたりするけれど、もしも相手が悪い人だったら、ということを考えると、それも我慢するしかない。
 伏せている最中に風が吹く。
 強風に煽られた雑草は、そのままわたしの体を包もうとするみたく倒れてくる。葉っぱが風でなびいている間中、その揺れ動く感じに背中やお尻を撫で回された。
 だけど、こうでもしなければ、旅人に惨めな姿を見られてしまう。
 このままでは本当に、行き倒れて死ぬかもしれないのに、わたしにはまだ、裸を見られたくないから隠れる気持ちが残っているらしい。
 わたしは長い長い時間をかけて、ずっと息を潜めていた。最初は不愉快で仕方のなかった感覚に、すっかり慣れてしまうまで、長々と草影に潜んでいると、やっとのことで遠目に見た人影は近づいて、わたしの近くを通り過ぎようとしていた。
 遠くにあった影がわたしの位置を通過して、完全に通り過ぎてしまうまで、かなりの時間がかかっていた。
 もう大丈夫だろうか。
 わたしは恐る恐る、音を立てすぎないように気をつけながら、草の中から顔を出す。もうすっかり遠のいている背中を見つめ、どうするべきかを考え込む。
 相手が親切な人だったら、助けを求めた方がいい。
 だけど、そんな見分けはつかない。
 勇気を持って賭けに出て、一か八かで追いかけてみる手もあるにはある。
 そうしてみようかと、少しだけ考える。
 でも、リスクが怖い。
 わたしは再び、この長い長い道を歩き始めた。
「いっ……」
 鋭利な小石を踏んでしまい、尖った部分が皮膚に食い込む痛みで、わたしは顔を歪めていた。
 さっと足をどけ、そのまま歩き始める。
 しばらく痛みは残るけど、傷にまではならずに済んだらしい。
 それから、また風が吹く。
 風に全身を撫でられて、腰布もちらちらと捲れ上がって、情け無さで泣きたくなる。
 また、遠巻きに人影を見た。
 向こうがこちらを気づかないよう、小さく見えるうちに、やっぱり草の中へ入り込み、わたしは地べたにひれ伏した。思い切ったうつ伏せで、背中に蟻の行き交うくすぐったさも、何もかもぐっと堪えていた。
 時間をかけて息を潜め、人の気配が通り過ぎていくのを待ってから、道へ戻ってまた歩く。
 私はそれを繰り返した。
 人を見るたび、悪人だったら怖いので身を隠し、通り過ぎるのを待ってから道に戻って、ということを何度もやった。
 夜は適当に草を集めたり、使えそうな木の枝を拾ったりして、それを枕にして眠って過ごす。
 朝、酷い空腹と共に目を覚まし、わたしは野草を見つけて引き抜いて、川がないので洗いもせずに食べてしまった。きっと体によくないけど、命にはかえられなかった。
 そのうち、だんだんと川が見えてきて、さっきの野草はここまで持って来ればよかったと後悔する。
 でも、ここに川があるなんて知らなかった。
 どうしようもなかった。
「水……」
 そうだ、それより水が飲める。
 わたしは水面に顔を突っ込んで、必死になって水を飲んだ。まるで野生の動物だと自分でも思うけど、喉だって渇いていたわたしには、行儀の良し悪しなんて考えている余裕はなかった。
 ずっと向こうに山が見える。
 どうやら、この川は山からずっと続いてきて、地形の影響なのかで、曲がりくねった形に流れているらしい。
 だから、今までは水の音なんてしなかったけど、この地点では一本道と隣り合っている。ぐにゃっとカーブしてきた丸い部分が、一本道にぶつかろうとするみたく迫っている。
 そして、山からここまで繋がる川は、先へ行けば行くほど、だんだんと一本道から離れているので、道のりと川が近いのは、どうやらこの地点だけらしい。
 ここでしばらく休もう。
 わたしは座り込み、ぼーっと空を眺めた。
 早く帰りたい。何か食べたい。服も着たい。
 そのうち、日が沈み、だんだんと暗くなり始める。太陽が地平線の向こうへ消えて、赤焼けから紫へと、グラデーションのかかった空は、時間と共に暗く暗く染まっていく。
 その時、一本道のずっと先から、馬車が見えてきた。普通の人影なら、遠目では闇に紛れて見えなかったかもしれないけど、ランプで周囲を照らしながら進んでいるので、遠くからでも光がわかった。
 あれは荷馬車だろうか。
 テント張りのような箱型の馬車が近づいてくる。その後ろにも、もう一台の馬車がある。
 向こうがこちらに気づかないうちに、わたしはやっぱり草に隠れて、隙間から様子を見ようと覗き込んだ。
 キャラバンなら、助けを求めても大丈夫だろうか。
 わたしはそれを見極めようと思って、川とは反対側の草に隠れていた。もしかしたら、川を休憩場所にするために、馬車だって停まるかもしれないと思った。
 その時、川の側にいたら、草を掻き分けられて、見つかってしまうかもしれない。
 二頭の馬で引かれた馬車は、わたしの覗き見ている視線の先でちょうど停まった。
 馬に水を飲ませる必要だってある。
 一体、どんな人達だろうと人相を見てみると、馬車に乗っていた男達は、残念ながら悪そうに見える。とても親切そうには見えない。盗賊とか、奴隷売りとかをやっている可能性がありそうなので、こんな姿では前に出られない。
 でも、お腹が空いている。
 そこに食べ物があるかもしれない。
(生きるためなら……)
 わたしは盗みを考えていた。
 まともにお金を持っていたら、こんな状況でなかったら、きっと思いつかない考えだ。
 でも、生きるためなら、他に仕方がない。
 そんな風に自分を納得させながら、わたしは荷物を盗みに近づいていた。
 馬車は複数あった。
 テント張りのような箱型と、板張りの台車で二台あり、板張りの方には荷物の上に布とロープがかけられている。その布から覗けて見えるのは、箱に詰まった美味しそうなリンゴの山だ。
 欲しい、食べたい。
 わたしはリンゴを盗みに忍び寄り、赤い果実を一つ掴んで取り出していた。
 でも、その時だった。
「おい! なんだこのガキ!」
 見つかった!
 わたしは慌てふためき逃げ出した。
 無我夢中で走っていた。
「待ちやがれ!」
「くそっ、生け捕りにして売ってやる!」
 やっぱり、やっぱりだ。
 素直に助けを求めたりしなくて、正解だった。そんなことをしていたら、本当に捕まって、奴隷にされてしまっていた。
 わたしは一生懸命足を動かして、全力で逃げていた。
 だけど、後ろから男の一人が追いついてきて、その手がわたしに向かって伸びて来て――。
 腰布が掴まれた。
 捕まった! まずい!
 しかし、そう思った瞬間に、ビリっと音が聞こえたことで、わたしは足を止めずに走り続けた。不幸中の幸いというもので、布がボロボロだったおかげで助かった。
 ちょうど夜だったこともあり、わたしは闇夜に紛れて逃げ切るけど、唯一の衣類は失った。
 手元に残ったのは、たった一個にリンゴだけだ。
 胸の中に暗い絶望感が広がっていく。
 わたしはぐっと下を向きながら、だけどお腹は正直なので、必死でリンゴにむしゃぶりついた。
 何をやっているんだろう。
 どうして、こんな全裸で盗んだ食べ物に齧り付いているのだろう。
 こんなに悲しく思っているのに、わたしにはもう流す涙も残っていなかった。




 わたしは歩く。
 一度は川に戻って、水浴びだけはしてみたけど、もう腰布は残っていなかった。もしかしたら、道にそのまま落ちていないかと期待したのに、残骸すら残っていない。
 あの人達があんな布切れを持ち去るとも思えない。
 きっと、風に飛ばされたのだ。
 わたしは布を諦めて、全裸のまま歩き続けた。周りの地形が変化して、草原にいくらか木々を見かけたり、わたしのことを遠巻きに見つめてくる動物がいたりして、ここなら食べ物が手に入りそうだと、わたしは真っ先にそんなことを考えた。
 果実の生えた木があったら、手の届かない高さにあるそれを取ろうと、木の枝を探したり、石を投げて落とそうとしてみたり、一生懸命になってたった一個の果実を取った。
 他にも薪に火のついていた痕跡を見つけもした。
 拾った枝を石で囲んで、そこに火を点けてから、もう何時間も経った後の痕跡が、放置されたまま残っている。ここで旅人が休憩していたなら、何か良いものが捨てられていないか当たりを見渡す。
 いらなくなった布が放置されていれば、それで体を隠そうと思ったけど、都合の良いものは見当たらない。
 だけど、焦げたパンが落ちていた。
 きっと焼きすぎたから捨てたのだ。
 たかっていた虫を手で払って、食べられる部分が少しでも残っているのを確かめると、わたしはそれにむしゃぶりつく。パンの味より炭の味の方が強かったけど、餓死を気にしながら生きている今のわたしには、こんなものでも美味しかった。
 そして、少し休んでまた進む。
 朝日がまた地平線に差し掛かる頃、わたしは半日ぶりに薪の痕跡を見つけ、今度は放置されていた布を見つける。わたしは喜んで飛びつくけど、とてもサイズが小さかった。
 やっぱりボロボロで、縦にしても横にしても、腰に巻きつけるための長さが足りない。
 それにわたしは気づいてしまった。
 いつの間に、裸に慣れすぎている。
 肌に布を押し当てると、その感触に違和感がある。あまり綺麗な布じゃないから、そのせいもあるのかもしれないけど、肌にぴったりと何かが当たっている状態は何故だか慣れない。
 何でだろう。
 服なんて、赤ん坊の頃から着ているのに、たった数日とか数時間、裸で過ごしていただけで、こんな違和感が出て来るなんて。
 わたしはますます動物に近づいている。
 いっそのこと、自然界で生きることが得意な生き物になってしまえば、今のわたしでいるままより、ずっと長生き出来そうではないか。
「あ……」
 久々に涙が出た。
 自分を動物だと思っていたら、その惨めさのあまり、枯れていたと思った涙が復活していた。
 どうして、こんな目に遭っているのだろう。
 いつになったら、まともな状態に戻ることができるのだろう。
 でも、こんな風に涙が出るなら、わたしはまだ動物じゃなくて、人間のはずだった。
 そして、また歩く。
 少しは取り戻したと思った体力も、あれだけの食べ物だけではすぐになくなり、わたしは餓死寸前の痩せこけた顔になっていく。
 鏡を見れば、今のわたしはきっと干からびている。
 本物のミイラでないだけ、まだマシな顔だろうか。
 しかも、その時だった。
「あっ……!」
 ばったり、人と出くわした。
 下ばかりを向いていて、今の今まで気づかずにいてしまってか。体力の衰えのせいで、頭までぼんやりして、注意力に欠けていたせいもある。
 ちょうど生えていた木の陰から、一人の青年の旅人が現れて、目が遭ってしまったのだ。
 とうとう、人に姿を見られた。
 わたしは急に羞恥心を思い出し、助けを求めるだの何だのも忘れて、両手で体を隠しながら、思いっきり下を見ながら、わたしはそのまま通り過ぎようとしていった。
 そのまま青年の隣を横切った時である。
「きったねぇ」
「え……」
 すれ違いざま、嫌な言葉をかけられた。
「犯罪者か? 追放刑にでもなったのか? だとしたらお似合いの末路だな。犯罪者はせいぜい餓死して野垂れ死ねよ」
 酷い暴言だった。
「な……ち、ちがう……」
 反論したくて立ち止まり、わたしは思わず振り返る。
 すると、青年はわたしに向かって石を投げつけていた。たまたま外れたから良かったけど、それなりの勢いで顔の真横を横切って、頬にはその風圧が当たってきた。
「ちっ」
 わたしを睨みながら、舌打ちをしていた。
 当てる気だったのだ。
「ちがうのに……」
 わたしはすぐに背中を向け、逃げるように足を速めた。本当は走りたかったけど、そんな体力もなく、早歩きだけで逃げていき、その途中でまた後ろから、石がわたしの隣を横切った。
「失せやがれ! 犯罪者!」
 すっかり、誤解されていた。
 こんな裸のせいで、悪いことをしたせいで身ぐるみを剥がれ、相応しい目にあっているのだと、青年はすっかり思い込んでいる。
「なんで……どうして……」
 ちがう、ちがう、ちがう。
 犯罪なんてしていない。
 むしろ、困った村人のため、盗賊退治に向かったのが元々だったはずなのに、こんな言われようをするなんて、どうしてわたしはこんな目に遭っているんだろう。
 お父さんが死んで、お母さんはああなって、イザベラにはいいように使われて、そのままこんな末路を迎えるのが、わたしの運命だっていうんだろうか。
 嫌だ、嫌だ……。
 もう早く帰りたい。
 町にさえ到着すれば、こんな思いからはきっと解放される。
 わたしはそう信じて進んでいった。
 嘘でも夢を見ていなければ、気がおかしくなりそうだった。

     *

 もうすぐ、町だ。
 これで……これで……わたしはやっと希望を見つけたように、力を振り絞って突き進む。
 見えたといっても、まだ遠い。
 丘の上から見下ろして、遠目に見える町はまだ、手の平よりも小さく見える。実際に到着するまで、かなりの距離はあるけれど、当てもなくふらふらと旅を続けた日々に比べれば、もう大したことはない。
 このまま乗り切るのだ。
 無事に町にさえ戻れれば、もうこんな日々とはおさらばだ。きちんとした食事をして、きちんとした服を来て、新しい杖を用意すれば、あの盗賊達に奪われた本来の杖も取り返せる。
 わたしは歩いた。
 坂を下っていく道を行き、まばらに生える周囲の木々に、やはり食べ物はないかと気にしながら、わたしはとぼとぼと歩いていく。
 駄目だ、もう疲れた。
 手足が痩せ細っているせいで、体力が続かない。だけど、食べ物もないのに休んだところで、どうせ餓死に近づくだけだ。どうせ休むなら、何か体に入れるものがなければ……。
 あった。
 果実の生えた木を見つけ、それは手の届きそうな位置だったので、わたしは一生懸命に手をのばず。痩せ細った裸の人間が、果実一つに必死になっている姿を見たら、それこそ貴族は大笑いするのだろうか。
 だけど、そんなことを考えている場合じゃない。
 あれを食べなければ、わたしは休憩すら取れない。
 しかし、高さが絶妙なおかげで、背伸びをしても指が辛うじて届くだけである。これではなかなかもぎとれない。体力を使うのは嫌だったけど、他に打つ手はないと思って、わたしは軽くジャンプをして掴み取る。
 一度目は失敗したけど、二度目でなんとかもぎ取れた。
 よし――わたしは果実を手にした瞬間、必死になってむさぼり食った。果実一つ食べるのに、わたしは命懸けみたく一生懸命に歯を立てて、乱暴に咀嚼していた。
 そして、しばらく休む。
 体に少しは栄養が回るのを待ってから、わたしはまた立ち上がり、見えている町へ向かってまた歩く。
 歩いて歩いて、また足に疲れが溜まってきて、その時だった。
 背後に気配を感じた。
 気のせい、だろうか。
 足音も立てずに着いて来る何かがいて、わたしのことを後ろから狙っている――ような気がする。気のせいかもしれないけど、急に湧いて出て来た予感が気になって気になって、わたしは肩越しに振り向き確かめていた。
「!」
 わたしは驚きで目を丸めた。
 人がいたのだ。
 筋骨隆々、腕のたくましい半裸の男がニヤニヤと、人間を閉じ込めるのに使える大きな革袋を抱えて、わたしに距離を縮めようとしてきていた。
「おおっと? 見つかっちまったか?」
 人攫いだ、捕まったら奴隷として売られる。
 わたしはすぐにそう気づき、咄嗟に走り出していた。
「はっはっはっは! 逃げたぞ逃げたぞ!」
 後ろの男は、大はしゃぎした声で叫んでいる。
 すると、周りの木々からも、一人また一人と、人攫いの男達は現れて、わたしは戦慄で足を速めた。こんなに痩せ細った体にも、まだこんなにも速く走れる力が残っていたのかと、自分で驚くほどだった。
 きっと、随分前からわたしを見つけ、密かに息を潜めて待ち伏せをしていたのだ。包囲網の中に踏み込み、無防備に、無警戒に歩いているわたしを捕らえようと、そして後ろから近づいてきたのだ。
 わたしは恐ろしくなっていた。
 もし気のせいだと思ったまま、後ろを振り向かずにいれば、わたしはあのまま袋を被せられ、ろくな抵抗もできずに捕まっていたに違いない。
「ひゅー! 滑稽だぜぇ!」
「はずかしくねーのかぁ?」
「いっそ俺らに捕まった方が確実にメシは食えるぜ?」
 周りからかかってくる声のどれもこれもが、わたしのことを笑ったり、ニヤニヤしながら侮蔑してくるものだった。
 わざと逃げるチャンスを与えている。
 せっかく途中でバレたのだから、この機会にギリギリまで狩りを楽しむため、わざとらしく足を緩めて、追いつかないように追っている。
 右手や左手から飛び出て来た男達も、あまり積極的には飛びついて来ないまま、わたしの走りをわざとらしく見送って、わざわざ後ろから追いかけてくる。
 そうやって、だんだんと、十人以上の群れを引き連れて走るような形が出来上がっていた。逃げ道を数人で立ち塞いで、進路を封鎖しながら追い詰めるくらい、あの人数なら簡単だったのに、そうせずに追い回してくるのはわざとのはずだ。
 どうせ、追いつかれる。
 こんな体にも全力で走る力は残っているけど、わたしのような女の子の足なんかより、やっぱり筋肉のがっしりとした男の方が速いのだ。
 わたしの速度に合わせて、わざと追いつかないようにしているだけなのだ。
 でも、やっぱり捕まりたくない。
 少しでも可能性があるのなら、逃げ切る方にわたしは賭けたい――いや、怖いだけだ。賭けるだの、諦めないだの、そんな強い心で走っているわけじゃない。
 捕まった方が楽だとわかっているけど、それでも捕まるのが怖いから、怖くて怖くて走っているだけだ。
 川だ!
 走っている方向に、川と橋が見えてきた。
 ――飛び込もう。
 少し流れは速いけど、裸のわたしとは違って、服を着ている男達は、服を濡らすことを嫌って、もしかしたら入水を躊躇うかもしれない。
 いいや、なんて幼稚な考えだろう。
 服なんて関係無く追いかけてくるかもしれないのに、わたしはそんな馬鹿らしい可能性に縋って、橋に入ったわたしは川の中へ飛び込んだ。
 ずぶんと、わたしの体は勢いで沈んでいく。
 結構、深い。
 沈むところまで沈んだあと、今度は浮かび始めるけど、もうその時には流れに囚われ、わたしの体はどんどん先へ先へと運ばれていた。
 水面から顔だけを出して、わたしは振り向く。
「おい、どうする?」
「やっぱイラネーよ。おい、もう追いかけなくていいぜ?」
「そうか? んじゃ、そうすっか」
 大声だったおかげで、男達の言葉は、みるみるうちに遠のくわたしにも届いていた。
 わたしの価値はその程度のものらしい。
 わたしの身分なんて知らないだろし、途中でばったり出会った旅人にも、どこからか追放された犯罪者だと誤解された。川に飛び込んでまで追いかけるほど、わたしのことなんて欲しくないのだ。
 軽く見られているのは悲しいけど、そのおかげで助かるならその方がいい。
 だけど、水が冷たい。
 流れも速くなっている。
 このままじゃ溺れる!
 速く泳いで、岸の方にいかないと――流木とかでもいい。何かを掴んで、水面から顔を出し続けていないと――。
 わたしは必死にもがいたけど、どんなに手足を動かして、必死に泳ごうとしてみても、体が陸には進んでくれない。それどころか、手で掻き分けるように腕を振るのも大変で、都合良く掴まれる流木も見当たらない。
 途中で岩があったけど、この速度でぶつかってはひとたまりもない。掴まるところか、むしろ避ける努力をしなくてはいけなかった。
 そうやって、最後に残ったなけなしの力も失っていき……。
 そして、わたしは意識を失った。

     *

 実家に近い湖で、わたしは打ち上げられていたらしい。
 目が覚めた。
 まぶたを開いた瞬間に、まずは視界がぼやけていて、わたしは何度かまばたきを繰り返す。そのうち、きちんと青空が見えてきて、しばらくはぼーっとしていた。
 意識が朦朧としていた。
 自分がどうしてここにいて、どうやってここに流れ着いたのか。前後の流れを思い出し、自分の状況を理解するのに、とてもとても時間がかかった。
 ああ、助かったんだ。
 そう気づくのに、随分かかった。
 それから、やっと周囲の景色を見渡して、自分がどこにいるのかを確かめて、わたしは希望を胸にていた。
 いい場所に流された。
 ここからなら家が近い。
 そして、家にさえ戻ることができれば、服を着ることはできるし、盗賊を今度こそ退治することもできる。ここ数日、失い続けていた尊厳を取り戻せる。
 わたしは歩いた。
 ここまで来れば、もう休んだり、食べ物を探している暇なんてない。一秒でも早く家に着き、全てを整えることが優先だ。途中で見かける木の実も野草も、今なら全てどうでもいい。
 わたしは歩く。
 歩いて、歩いて、絶望した。

「え…………」

 全身から力が抜けて、わたしは膝をついていた。
 ……ない。
 家が、ない。
 わたしは何度も、何度も何度も、本当に何度も何度も、頭の中の地図を開き直したり、記憶を探り直したりして、必死になって確認を繰り返した。
 違う、違うはず。
 そもそも、場所が間違っているだけだと、そう思い込むための材料をわたしは探すけど、周りにある景色も、あの湖からこの場所にかけての道のりも、全てきちんと正しいはずだ。
 勘違いなんてことはない。
 ということは、もう…………。

 そこには焼け跡しかなかった。

 焼き尽くされた木材が炭に変わって、散乱している光景だけがそこにはあった。申し訳程度に、たった数本の柱が生き残っている以外、他の全てが焼け崩れ、すっかり平らに均されてしまっていた。
「あ、ああ…………」
 服もない、金もない、食べ物もない。
 杖がない、使い魔もここにはいない。

 そして、家もない。

「ああ……あああ…………」

 わたしは泣き崩れた。
 わたしの中で、全てが壊れてしまっていた。抱いた希望も何もかも、全てが砕け散っていた。ここまでやってきた過去さえ、全てが無駄だったような絶望に飲み込まれ、わたしはただひたすらに、もう泣き叫ぶことしかできなくなっていた。
 イザベラの笑いが脳裏に浮かぶ。
 任務さえ、任務さえ失敗していなければ………………。




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