ジェットバトルの試合のあったその日、KAZAMIのスポンサー企業に勤める一人の女社長に呼び出され、永雪氷織はまず真っ先に辟易していた。
あの女社長の呼び出しというだけで、自然とため息が出てしまった。
「はあ、またですか……」
マシンを降りて、表彰やインタビューといった時間をひとしきり済ませた後、それから更衣室へ向かうはずだった時、社員の男が呼び出しの連絡を伝えに現れたのだ。
社長が是非ともお目にかかりたいと、できれば今すぐが良いと。
呼び出す方法やタイミングの違いはあれど、氷織に会いたいと言って来たのは既に一度や二度ではなく、もうこの展開には飽き飽きしている。
「一体、何回目ですか」
最初の頃までは、何か重要な連絡事項でもあるのかと思った。
しかし、仕事の誘いや広告の提案といった話でもなく、顔を合わせてみればお茶や食事の誘いであったりと、プライベートで仲を深めたがっている風なのだ。
単に仲良くしたがっているだけなのなら、まだ良かった。
それが怪しいのだ。
どう怪しいかと言えば、少し記憶を掘り返せば、すぐに明白な台詞を思い起こせる。
「あなたって、女性に興味はある?」
「女同士ってどう思う?」
会っているうち、しだいに同性愛の気を匂わせる発言が増えてきたのだ。友情というよりも、もっと別の展開を氷織に倒して求めているようで、そんな気のない氷織としては、さすがに迷惑になってきていた。
女社長の氷織に対する視線には、チームメイトのみんなも気づいている。
「またなのね? このアタシが代わりに行って、はっきりと伝えてあげようかしら? うちのチームメイトに絡むのはやめなさいって」
風見エレンがそう憤るくらいには、目つきが露骨だったこともあるくらいだ。
金髪ツインテールの小さな社長令嬢は、我こそがチームメイトを守ってやらんとばかりにしているが、それに対して一人は肩を竦めた上、もう一人は心配そうに表情を曇らせていた。
「それはやめておいた方が賢明だろう」
と、シュネー・ヴァイスベルグは言う。
「私も、そう思う」
相馬楓も同調していた。
「どうしてよ! あの社長、いつかストーカーになりそうじゃない! 早いうちにきっぱりと言った方がいいに決まっているわ! いい迷惑だって」
エレンが声を大きくした瞬間、楓は少しばかりぎょっとして、シュネーは「やれやれ」と言わんばかりに首を振る。社長の使いである男、社員がそこに立っているというのに、勢い余って言葉が過ぎてしまっていた。
当の彼が困ったような複雑そうな顔をしているのも、無理のない話であった。
もちろん、そんな言い方になってしまうほど、いやらしい目つきをエレンが目撃しているわけなのだが。
「ストーカーはともかく、さすがに頻繁すぎるというのはボクも同意見だね」
「でしょう? だから、このアタシが――」
エレンは大きく胸を張り、一体何の自信を浮かべてか、実に誇らしげな顔をしている。
思いやりはありがたい。
エレンなりの気持ちは伝わってきたが、それに甘えるつもりはなかった。
「大丈夫よ? エレン」
そこでようやく、氷織自身が口を挟んだ。
エレンに対する制止の意味もあるにはあるが、それ以上にもっと別の、自分の手でやらなければ気が済まないような意思が働いていた。エレンの意見を聞いているうちに、何故だか心に火がついたのだ。
「氷織、あなたまで……」
「それは私が、自分で言ってくるから」
「あら、そう? まあそうね。自分で言うのが一番かもしれないわね」
あれほど主張を強くしていた割りに、氷織が意見を述べた途端にコロっと変わり、微妙に弱きになっている。そこにエレンらしさを感じる氷織なのだが、氷織自身は気づいていない。元々、強気に出られると弱い部分のあるエレンの気質ではあるが、人に言われて意見を引っ込めたというよりも、むしろ氷織の顔に、気迫に気圧されたのだ。
(なによ……え、なんで火がついてるわけ……?)
奇妙な気迫を感じたのが、エレンが急に主張を萎ませた本当の理由であった。
(そうね。これも勝負よ)
氷織はそのように解釈していた。
実際、ストーカーというには大袈裟だが、いつかそうなる予兆を感じないこともない程度には、高い頻度で誘いをかけ、その上で同性愛について語って来る。氷織に対して、そういう興味を示しているようなことを匂わせてくる。
それを氷織はどう感じているかといったら、迷惑だと感じている。
だとしたら、つまり女社長が最後まで押し切って、氷織のことをどうにかできれば、それは女社長の勝ちとなる。逆に氷織が誘いを突っぱねて、迷惑だとはっきり告げて、今後は過度な誘いをしてこないように告げられれば、それは氷織の勝利となる。
(負けられないわ)
勝負であると感じたからには、決して負けるつもりはない。
「では案内して下さい。お話は早めに済ませた方が良いかと思いますので」
氷織は真っ直ぐに彼を見つめて告げるのだった。
*
KAZAMIのスポンサー企業を務め、出資を行う女社長は、これから自分の元に現れる永雪氷織を楽しみに、もう一秒だって待ちきれないほどの思いで、心の底から待ち侘びていた。
最初はただ、企業利益の追求に過ぎなかった。
KAZAMIのスポンサーという立場にメリットを感じ取り、純然たる企業的な判断によって出資者の一人となったわけだが、そのユニフォームには兼ねてから魅力を感じていた。
もちろん、他のチームも美しい。
KIRISHIMAのユニフォームなども、なかなかに刺激的なデザインをしているとは思うのだが、ことKAZAMIに関しては、競泳水着やレオタードに寄せた形状の、股にV字が食い込むデザインは、女社長の好みのど真ん中を貫いていた。
かといって、それを理由にスポンサーとなったわけでは決してなかったが、今となってはそれももうわからない。自分では社長としての判断を優先したつもりでも、本当はそういうつもりがあったのではないかと言われれば、自信を持って否定することはできない。
見惚れてしまったのだ。
それまで、テレビや雑誌、ネット記事の写真を通してしか見たことのなかった永雪氷織の、見ているだけで冷気を感じさせ、夏が涼しくなるようなクールさに、直接顔を会わせた途端に射貫かれたのだ。
キューピットの矢というが、見えない刃に心臓を貫かれ、その魅力にすっかり心を奪われてしまった感覚が確かにあった。
たった一度、生で顔を見たというだけで、夜もまともに眠れないほど、頭の中は氷織のことでいっぱいになったのだ。やっと眠れたと思いきや夢に出て、仕事の最中にもふとした拍子に氷織の顔が頭に浮かび、ついには呼び出しまで行うようになっていた。
どうにかして、仲を深めたい。
同性愛の気質を持ち、女同士でキスをしたり、体を触り合った経験のある女社長としては、是非とも氷織とそうなりたい気持ちを持って、たびたび誘うようになっていた。
しかし、近頃は煙たがられている。
性急すぎてしまってか、呼び出したり、偶然を装って会いに行ったり、そんなことを繰り返しているうちに、どことなく避けられているような気になってきたのだ。自分は同性愛者でも、人がそうとは限らない。氷織にとって、女社長のアプローチは望ましいものではなかったのだろう。
だからといって、諦めきれない。
何としても氷織をものにして、たっぷりとこの手で愛してやりたい欲望を抱く彼女としては、たとえ迷惑がられても、まだまだ何か算段を立てようとしていた。相手にとってはたまったものではない話だが、女社長の意思は強かった。
その時、一人の社員がノックを行い、ドアの向こうから姿を現す。
「社長。連れて参りました」
試合会場施設の中、その一室を借りて電子書類と睨み合っていた女社長は、そんな社員の言葉を聞いた瞬間に、ノートパソコンのファイルを閉じて、電源まで落としていた。
「わかっているわね?」
「もちろん。どうぞ二人きり、ごゆっくり」
女社長の趣味趣向を知っているその男社員は、深々と頭を下げてから、気を利かせて姿を消した。それと入れ替わりに現れるユニフォーム姿の永雪氷織の、美しくも輝かしい容姿を見るなり胸がときめき、たとえ煙たがられているとわかっていても、心が舞い上がって仕方がなかった。
「待っていたわ。氷織ちゃん」
舐めるような視線を送り、女社長は氷織を見る。
ユニフォームをまとった彼女は、下半身からは艶めかしい太ももを曝け出し、艶のある美しい肩を出し切っている。後ろから見たならば、尻の形がよく浮き出ている刺激的なユニフォームに、見ていて鼻息が荒くなりそうだった。
「ご用件は」
「まあ、そんなものいいじゃない。なんだって」
「はっきり言います。迷惑です」
その瞬間、吹雪を感じた。
クールな装いと目つきが放つ幻の冷気は、ありもしない雪景色が風で吹き付けてきた錯覚を与えてくる。
胸がゾクゾクした。
拒まれているはずなのに、氷織の鋭い眼差しを見れば見るほど、心臓は激しく高鳴り、興奮で息さえ荒くなっていた。
「まあ、どうして?」
「私は同性愛者ではありません」
「残念ねぇ? でも、新しい世界を開いてみるって、そう悪いことではないと思うわよ?」
「興味ありません。これ以上私を誘うのはやめて下さい」
どうやら、氷織としては決着につけに来たつもりらしい。
いい加減に辟易しており、もうこれ以上はやめてもらうため、意思を伝えに来ているようなのだが、女社長とて氷織の性格は知っている。初めからわかっていたわけではないが、何度か会って話していれば、大なり小なり相手の人間性は見えてくる。
それにまだ煙たがられていなかった頃、エレンやシュネーといった周りの人間から聞き出した話もあり、彼女がいかに負けず嫌いであるかを女社長は知っていた。
「だったら、勝負しない?」
そう提案してみた途端、氷織の目つきがより鋭く変化した。
「勝負?」
「ええ、そうよ? あなたが勝ったら、あなたの要求を全て呑むわ。その代わり私が勝った場合は、私の言うことを聞いて欲しいのよ」
「受けるわ」
「あら」
「どんな勝負?」
「いいのかしら? 内容も聞かないうちに」
「構いません。私は負けませんので」
やはり、思った通りの性格である。
これならば、多少は常識を外れた勝負を持ちかけても、逃げや負けを嫌う性格から、氷織はきっと受けてしまう。
(問題は匙加減よね)
いくら負けず嫌いでも、必ず限度はあるだろう。
負けたら仲間の命を差し出せ――というくらい極端なことを言えば、さすがにそんな勝負は受けられないと言いかねない。
できるだけ、ギリギリがいい。
拒絶されかねない限度に近く、かといって氷織の中のラインを越えてもいない。本当に際どい部分を突いてみせたいが、心を読めるわけでもないのに、それを正確に読み取るのは困難な話である。
「そうねぇ? 女同士のセックスはどうかしら」
「ふざけてますか」
さすがに怒るか。
だが、手始めに無茶な要求を突きつけて、その直後にそれよりも軽い要求を後出しするのは、交渉としては古典的なやり方である。
「なら、こうしましょう?」
女社長はより軽度のゲームを提案する。
「それくらいなら」
すると、目論見通りに氷織の了解を得ることに成功した。
*
女社長が提案したのは、トランプ遊びであった。
セックス発言には憤っても、カードに関しては乗って来て、二人はお互いにテーブルにつくこととなる。早速のようにカードを切り、ゲームを開始していくが、勝利したのは女社長の方だった。
「…………」
永雪氷織は無言で唇を引き結び、いかにも不満そうな顔をしている。
「私の勝ちね」
対する女社長は、実に誇らしげで愉快な気持ちになりきって、氷織の悔しがった表情を眺め回した。
「もう一度」
さも毅然とした態度で言ってくる。
「あら?」
「もう一度お願いします」
やはり、負けず嫌いらしい。
負けたままではいられないあまりの気持ちが膨らみ、再戦をしなければ許さない勢いの、鋭い眼差しさえも浮かべている。
だが、女社長はわざとらしく口角を釣り上げていた。
「どうしよっかなー」
考え込み、悩んでみせる素振りを極限までわざとらしく、煽らんばかりに行うことで、氷織のプライドをより一層のこと刺激する。
「もう一回」
より重く、低い声で氷織は繰り返す。
「そうね。あなたしだいでは構わないわよ? ほら、最初に約束したでしょう? 負けたらどうするかって。約束を守ってくれたら、あたなの好きなゲームをやってあげるわ」
「わかりました。好きにして下さい」
氷織は椅子から立ち上がり、すっと静かに目を閉ざす。
女社長はそんな氷織の目の前まで迫っていき、まずはユニフォーム越しの膨らみを視姦する。肌にぴったりと沿い合わさった生地を眺め、ニヤニヤしながら持ち上げた両手を彷徨わせ、どこに触ろうかと迷ってみせる。
「どうしよっかなー」
と、そう声をかけてやれば、氷織の眉間に皺が寄る。
「迷っちゃうわぁ?」
女社長はこの状況を楽しんでいた。
ゲームに勝った暁には、身体の好きな箇所を触らせる。それを条件にトランプで競い合い、イカサマの末に勝利したのだ。
バレなければ、イカサマはイカサマではない。
自分が必ず勝つことを知った状態で、何かを賭けた勝負を行うことほど、愉快でたまらないことはない。
「やっぱり、ここかしらぁ?」
両手で無遠慮に、乳房を包んだ。
「……っ」
頬にぴくりと力が籠もり、眉間に小さく皺が寄る。氷織の不快感を堪える気持ちは、見ていてひしひしと伝わるが、女社長はそんな彼女の反応も含めてさえ、大いに楽しんでいるのであった。
「ふふっ、柔らかいわねぇ?」
女社長は指を沈める。
KAZAMIのユニフォームは黒を基本色として、そこに差し色のパープルを加えたデザインだが、胸部に関してはグレーに統一されている。そこだけを固いプレートにしてあるように、色や生地の素材を変えてあり、激しい運動が起こす乳揺れの、乳房に発生する負荷を防いでいるのだ。
クーパー靱帯の損傷といったことを防いだり、内側で乳首が摩擦を起こすことも防止しているわけなのだが、本当にプレート素材が使われているわけでなく、ただブラジャーとしての機能が備わっている。
周囲の部分に比べて生地は固いが、揉めないわけではない。
「いいわぁ」
女社長は恍惚していた。
外側が固さを帯びても、その内側にある柔らかさは隠しきれない。
それに氷織の反応も面白かった。
「……」
無言を貫いているものの、眉間やまぶたの動きを見ていると、揉みしだく手つきに対して時折反応を示している。顰めるような、力むような反応が頬の筋肉に見受けられ、不快感を堪えているのがよくわかる。
見れば拳を握り締め、固く震わせていた。
一般的な感覚で言うのなら、異性の接触より、同性による接触の方が抵抗感は少ないはずでも、女社長の場合は自分がレズビアンであることを明かしている。その上、身体への接触を賭けたゲームで負かせているので、氷織は随分と悔しい気持ちでいるはずだった。
「ふふっ」
とても、心が高ぶる。
そんな風でいる氷織をもっともっと悔しがらせて、拳の震えるところを見るのは、面白くて面白くてたまらない。しまいには感じさせてやる瞬間が楽しみでならないあまり、一刻も早く快楽を与えてやりたい衝動で、心が焦ってやまなかった。
「もういいでしょう?」
耐えかねてか、氷織は言う。
「あらぁ? もう限界? 気持ち良くなっちゃった?」
「そんなはずありません」
薄らと目を開けて、氷織は女社長を睨んでいた。
「なら、もう少しいいじゃない」
「…………」
「ね? 氷織ちゃん?」
女社長はタッチを変え、表面を指先だけでくすぐって、撫で回すように刺激する。表皮に触れるか触れないかであるような、ギリギリの具合でまんべんなく擦り抜き、ドーム状に余すことなく絡め合わせて、やがて乳首を集中的に狙っていく。
反応が見てみてみたかった。
乳首をやられれば、氷織は一体どんな顔をしてくるか。
欲を言うなら、それ以上に感じて欲しい。少しでも気持ちよさそうにする素振りがあれば、すぐにそれをからかって、煽り抜いて怒らせて、悔しがらせるつもりでいた。固い拳のもっと激しく震えるところを見たかった。
だが、氷織はなかなか様子を変えない。
辛抱強い表情のまま、最後まで感じた素振りは見せず、やがて女社長は諦めて手を引いた。
(まだまだ、すぐには堕ちそうにないわね)
しかし、時間はたっぷりとある。
これから何度でもゲームをして、繰り返し敗北させればいいだけだ。
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