前の話 目次 次の話




 校長と顔を引き合わせることになったのは、それから数日後のことだった。
 練習中だった。
 部員それぞれがコートに立ち、声を出しながら打ち込みに励んでいる中、まずは一人の教師が現れるなり、コニーに声をかけて連れ出していく。何か用事があったのだろうと、その時は特別な警戒はしなかったが、また別の教師が現れて、次に後輩が呼ばれた時から胸騒ぎがしていた。
 コニー、後輩。
 校長と顔を合わせたうちの、既に二人が練習の場から引き抜かれた。

「志波姫唯華さん。いらっしゃいますか? 授業のことで、少し確認したいことがあるそうで」

 三人目の、またさらに違う教師による呼び出しだった。
 周りからしてみれば、連続で教師が現れて、連続で部員を連れていってしまうなど、珍しいこともあるものだとしか思っていない。その裏に隠れた事情など、まさか想像すらしていないのだろうが、唯華の中では予感が確信に変わっていた。

 ――校長だ。

 この面子での呼び出しは、きっと校長が人を介して三人を寄せ集め、再び一室の中に集合させようとしているに違いない。しかも、既に行ってしまったコニーと後輩は、練習着のポロシャツのまま手ぶらである。
「悪いけど、早く来てもらえるかな」
 そして、唯華を呼び出そうとするその教師は、きっと裏側の事情など知りもせず、呑気に急かしてきているのだ。
(行くしかない、か)
 唯華はすぐに自分のバッグに目をやった。
「はーい! いま行きます!」
 そう声を上げつつも、素早くスマートフォンを取り出して、短パンのポケットの中に押し込む。れっきとした盗聴器であったり、小型カメラというような、本格的な用意などしていない。誰もが持っているスマートフォンくらいしか、証拠を手に入れるために使えるツールが手元になかった。
 唯華は練習の場を離れ、教師の背中に着いていく。
「なんか校長から話があるらしいね。妙なもんだけど」
 一体、校長から生徒にどんな用事か。どんな授業の話があるというのか。その教師は首を傾げて不思議そうにしていたが、とにかく呼び出しは呼び出しだからと、こうして唯華のことを連れてきたようだった。
 そう、この校長室の前に……。
 意を決して踏み込んだ時、果たして中で待っていたのはコニーだけだった。
「唯華?」
 ベンチ型のソファに座るコニーは、唯華の登場に意外そうな顔をしてくる。
「コニーがここにいるってことは、やっぱりわざわざ三人集めようとしたってことだね。人まで使って――あの子は?」
「いや、私が来た時にはいなかったけど……」
 どくんと、心臓が弾んだ。
 いない?
 最初にコニーが呼ばれ、次に後輩が呼ばれ、それなのにいないとは。
「校長が他にも用事のある子を呼ぶから待ってろって言ってたよ。すっごくキモイ目で私のこと見ながら――で、途中で出ていって、まだ戻ってきてないけど……」
 そうなると、校長はまさか後輩と二人きり?
 今まさに、手が出ている最中だというのだろうか。
 すぐに探しに行くべきか。いや、当てもなく探しても、手がかりもなしに見つかるだろうか。入れ替わりになる恐れも感じて、迷いから飛び出せず、結局はコニーの隣に座って待つこと十分ほどで、校長はようやく姿を現してきた。

「やあ、お待たせ」

 後輩の肩に腕を回し、あたかも自分のものであるように抱き寄せながら入って来た。
「ちょっと……!?」
 コニーが勢いよく立ち上がる。
「一体何を……」
 唯華も表情を一変させていた。
 肩に腕を回すという立派なセクハラ――いや、痴漢行為の不快感もあるだろうが、後輩の俯ききった表情の、その暗さをそれだけで説明しきれるは思えない。目が合いそうになった途端に背け、気まずそうにしているその様子も、普通の状態のものとは思えなかった。
 まさか、やはり――。

 ついさっきまで、何かをされている最中だった?

 校長は後輩を隣に座らせて、ベンチ型ソファーの向かい側に腰を下ろした。二対二で向かい合う形となって、唯華の真正面には目を合わせてくれない後輩が、コニーの真正面には金髪巨乳に興味津々といった目つきの校長が座っていた。
「さて、またこの前の話なんだけどね? はっきり言うと、この子は副顧問に奉仕させられていたっていうんだ。奉仕、わかるよね? 年頃なわけだし、そういう知識はあるって前提で構わないね?」
「え、ええ……」
 険しい顔で唯華は答える。
「でまあ、フェラチオとかそういうのを強要されていたそうだ。もう立派な性犯罪の被害者だねぇ? 可哀想に」
「自分でやっといて……」
 コニーが隣で、憤りの宿った低い声を上げていた。
「いやまったくね? 酷い話だ。その過去を思い出してか、さっきも暗い顔をしていたから、私なりに慰めていたところだよ。なかなか、上手い言葉は見つからないので、ろくに慰められていないかもしれないけどね」
 校長が言っているのは、かなり遠回しな表現ではあるものの、つい先ほどまで二人きりだったという暴露そのものだ。かといって、選んでいる言葉の上では、本当に二人きりだったのかははっきりさせず、他の誰かがその場にいた可能性を残している。
 実に巧妙な暴露であった。
 自分はこの子にフェラチオをさせ、先ほど満足してきたばかりだと、直接的な言い回しを一切使うこと無しに、態度や目つきを駆使しながら、遠回しでありながら明確に表明してきた。
 当然、録音しても証拠能力のない言葉だ。
 唯華のポケットで動いているスマートフォンは、今のところ意味を成さなかった。
「まあ、こんな安直な言葉しか思いつかなくて悪いんだけど、可哀想な話だよね? そういう目にだよ? 繰り返し遭って欲しいとは思わないよね?」
 聞くに唯華はぶるりと震えた。
 ……脅迫だ。
 自分はこの子に奉仕をさせている。可哀想だとは思わないか? 助けたくはないか? そういうことを言ってきている。ならば次に出て来る言葉は、助けたければ言うことを聞けという内容になるのだろうが、もちろん直接的には言わないだろう。
「そういう被害って、卒業から数年後に訴えたとかいう話も聞くからね。今すぐじゃなくても告訴しないかっていう相談をするつもりでいるんだけど、二人には色々と、この子の事情を伝えておきたくてね。ほら、理解者がいるのといないとでは大違いだろうから」
 さも理解ある大人を演じたような口ぶりでいて、その目はコニーのポロシャツ越しの巨乳を視姦している。目つきが露骨で、隠す気もない様子からしてみれば、きっと校長はコニー狙いだ。
(……させない)
 唯華は密かに意思を固める。
 後輩にも、コニーにも、どちらにも手出しはさせない。
 それから、校長は大仰な身振り手振りで様々なことを語った。後輩がいかにして副顧問の毒牙にかかり、これまで性的な搾取をされてきたのか。どんな風なことをさせられて、心を削られてきているのか。
 いかに可哀想であるかのアピールに言葉を尽くし、その上で繰り返す。
「だから君達には是非、理解者になって欲しい」
 唇の端から、ほんの少し、かすかにだがヨダレが出ていた。
 コニーの胸を視姦しながら、鼻息まで荒くしてのヨダレを見るに、コニー本人は言うまでもなく、隣の唯華まで気持ち悪さに身震いしていた。
 どんなに気持ち悪い目つきをして、視姦が露骨なものであっても、声色だけにはいやらしさが宿っていない。真摯な熱意を演じた声は、録音それだけを聞けば熱血教師にすら聞こえかねない。
 そんな巧妙さのある校長の、実に遠回しな要求がとうとう来た。

「この子とはね? このあと、ゆっくり話し合うつもりでいる」

 そう言って、校長は後輩に目を向ける。
「はい……。なので、今日の練習は――……」
 言わせているのだ。
 後輩を思い通りに操って、好きな台詞を言わせている。
 そうすることで、唯華とコニーの二人が校長室を去った途端の、ここでこれから起きる出来事を露骨に予感させている。
 無論、その録音だけを聞いたところで、練習を結果的にサボってしまうことが申し訳ないものと解釈されて終わるだろう。
(……どうする?)
 校長が視線を注いでいる先は、やはりもっぱらコニーである。
 後輩を人質のようにして、コニーに言うことを聞かせようとしている。
(どうやって止める?)
 どうにかして、隙を見せてもらわなければ。
 そうしなければ、脅し返すこともできない。
(……覚悟、決めるしかないのかな)
 唯華は歯を食い縛る思いで、一つの考えを浮かべつつあった。既に被害に遭っている後輩を囮にするのでなく、自分自身の身を捧げつつ、脅し返すための材料を整える。気が弱く、押し切られてしまっている後輩よりも、唯華自身の方がより確実に違いない。
 あとはコニーに向いている目を、いかに自分へ向けさせるか。

「ところでコニーくん。君にも話があるんだよね。残ってもらえるかい?」

 しかし、よりにもよって、校長は既にコニーに魔手を伸ばそうとしていた。

     *

「待って下さい」
 コニーが返事をする前に、唯華はすぐさま声を上げていた。
「何の話が? その子に関する相談でしたら、主将の私にお願いします」
「ゆ、唯華……」
 コニーにも、薄々と流れはわかっているらしい。
 いや、わからない方がおかしいほど、こと目つきに関していえば露骨なのだが。
「大丈夫だよ。コニー」
 とは答えてみるが、副顧問に続けて今度は校長の相手など、真っ平な気持ちは拭いきれない。おいそれと割り切れる感覚は持ち合わせておらず、なんとか回避しきった上で、脅し返すだけの隙を見つけだす理想は捨てきれなかった。
 だが、どうすれば?
 どうすれば、そんなことが上手くいく?
「そうだねぇ? そういう意味では主将の方が適任かなって気はするんだけど、とても大事な話だからねぇ? それに、プライバシーにも深く関わることだから、できればそのスマートフォンは電源を切って欲しいね」
「……っ!?」
 唯華は引き攣った。
 ポケットにスマートフォンさえ入っていれば、確かに内側から形は変わる。どこかのタイミングでそれに気づいていたのだろうが、それにしても急に電源を切れなどと、録音状態を見透かされたかのようだ。
 どうする? どうする?
 迷いから、同じ言葉が反芻するが、やはり唯華の中で答えは決まっていた。
「……わかりました」
 唯華はポケットからスマートフォンを取り出して、電源の切れる瞬間がわかるようにと、校長に見せながらも電源を落としてみせる。
 後輩にも、コニーにも、一番最初に話した時、録音という作戦は伝えてある。その大事な武器を無力化されて、後輩の不安にまみれた表情には、どこか焦燥めいたものが浮かび上がった。コニーの横顔からも、頬の内側で歯噛みして、悔しげにしている気配が伝わって来た。
 そして、その瞬間だった。

「いやぁぁ……! やっと晴れ晴れしたよ!」

 校長は急に満面の笑みを浮かべていた。
「どうせそんなことだろうと思って、ずっと警戒していたからさぁ! なかなかね? はっきりと言葉にできずにいたんだけどさ。コニーくん? 君が後輩の代わりになる気はないかい?」
「な……!」
 コニーが驚愕していた。
 あまりにもはっきりとした言葉に、後輩もぎょっとしていた。
「だって、君達はこの子をどうにか守ろうと思っているわけでしょう? うんうん、だったらコニーくん? 君が代わりに校長先生の言うことを聞こうねぇ? そうしたらさ、今後はこの子には手を出さないって約束するよ?」
「ほ、本気で言ってるの……?」
 コニーの顔は、それはもう引き攣っているというものではない。
 名指しされているわけではない唯華ですら、欲望を剥き出しにした邪悪な顔に、ドン引きというものでは済まされない、いっそ滑稽ですらある表情に染まり変わっていた。
「……待って下さい」
 重々しい声で唯華は言う。
「それなら、私が…………」
「唯華! 何言ってるの!?」
「私が主将だから……」
「だからって……」
 コニーはそれ以上は何も言わずに口を閉ざした。
 ここで二人して引き下がれば、校長は継続して後輩に手をつけ続けることになるだろう。それならそれで、その証拠を押さえる努力はもちろんするが、かといって見捨てるような真似は主将としてできっこない。
「ま、どっちでもいいけどさ。できればコニーくんがいいなぁ?」
 にやっとした視線に、コニーはそれだけで身を竦めた。
「いいえ、主将の私が」
 そう咄嗟に言いながら、唯華は流れを掴まれていることに気づいていた。
 後輩という人質が効いてしまっている。
 二人が去ったその後で、後輩の体で楽しもうとしていることは明白で、それを見過ごすことが出来ない気持ちをまんまと利用されている。その流れに気づいていながら、しかし唯華は自分が身代わりになる以外の名案を浮かべることができないままに、ひとまずは自分がとばかり考えていた。
 今回限りの話なら、腕でも引っ張って連れ出せばいいだろう。
 しかし、継続的につきまとい、呼び出そうとしてくる校長に対しての、根本的な解決には決してならない。今日ばかり阻止しても、唯華のあずかり知らないどこかで後輩は陵辱されることになる。
 そんな後輩にカメラや盗聴器でも持たせて、という作戦を考えはしていたし、実際に提案してみてすらいるものの、やはり囮のように扱うのは気が咎める。いっそ、自分がその役目をやってしまった方がいい。
 どうせ、汚されてしまった身なのだから……。
 一度は副顧問の相手をして、散々な屈辱を味わっている。純潔などとっくにない体の方が、コニーよりも校長の相手に相応しい。
「ま、そこまで言うならね? といっても、別に私だってそこまで大胆な要求をしようってわけじゃない。パパって呼んで欲しいな?」
 聞くにまず、きょとんとした。
「……ぱ、パパ?」
 意味がわからなかった。
 校長の言っていることが、唯華には理解不能だった。
「そう呼ばれてみたいんだよね。ほらほら、頼むよ。ああ、呼ぶだけなら全員に呼んで欲しいなぁ? 君達を三人とも娘にしてあげようじゃないか」
 ぞくりと寒気が走った。
 あまりの身震いにか、隣のコニーも我が身を抱き締め、後輩も引き攣りきっていた。
「ほーら、頼むってば。呼んでよパパって」
 校長は繰り返し、執拗に要求してきた。
 ドン引きしたまま、その薄ら寒さに固まり続ける唯華やコニーに向かって、自分はいかにそういう夢を見てきたか。気に入った女の子を娘にして、その娘と楽しく遊んでみたいか。性癖を語り聞かされ、とても穏やかな顔ではいられなかった。
「じゃあさ、パパって呼んでくれたらね? 今日は三人とも戻っていいから」
 校長がそう言ったのをきっかけに、唯華やコニーに後輩も、それぞれ一回ずつは口にするのであった。
 パパ、と。
 実の父親でも何でもない、ただそう呼ばれたい性癖に付き合うことで、背筋が冷え込んでしまっていた。



 
 
 

コメント一覧

    コメント投稿

    CAPTCHA