目次 次の話




 コンビニの外へ出た時、その女の子の姿はあった。
(泣いてるの?)
 自動ドアから出てすぐ横に体育座りで蹲り、膝のあいだに顔を埋めている女児がいた。
 各務チヒロがこの子を見たのは、実は二回目だ。
 一回目はこのコンビニに入った時だ。
 何やら妙な子がいるものだと、ちらりと気にかけながら入っていき、用事を済ませて出て来てみれば、この女児は未だに蹲っていたわけだ。
 さすがに気になる。
 この学園都市キヴォトスでは、誰もが重火器を持ち歩き、不良による暴力や自治のための争いが絶えない。そんなキヴォトスの中で暮らして、ならばこの子にも一体何かあったのだろうかと、チヒロはりその女の子のことが心配になってきていた。
(まあ、時間もあるし)
 そう思い、チヒロは女児の肩に手を置いた。
「どうかしたの?」
 迷子にでもなったのか。
 まずはそんなことでも尋ねてみようと思っていると、次の瞬間にチヒロの顔は驚愕へと染まっていた。チヒロの声に反応して、すぐさま顔を上げた女児の表情は、思ったような泣き顔でも、誰かとはぐれて不安そうにしたものでも、まして病気で苦しむものでもなかった。
 笑っていたのだ。
 悪戯に成功して嬉しいような、表情だけを切り取ってみるなら微笑ましくて可愛らしい、天使とも言える笑顔であった。その年頃の子供が浮かべる悪戯混じりの笑みには、そういった種類の可愛らしさがあった。
 だが、てっきり何かあったのかと思いきや、それが笑顔を向けて来る意外さに意表を突かれていた。
 しかし、チヒロの浮かべた驚愕は、たったそれだけのせいではない。
 笑顔を見た瞬間から、胸に沸きたつある種の予感で、チヒロはそれだけ驚いていた。
 まるで最初から声をかけられるのを待ち構え、やっと獲物が罠にかかった嬉しさに見えたのだ。何よりも、その子は何かのスプレーを持っていた。何のスプレーなのか、咄嗟にはわからなかったが、自分が何かの罠にかかったような、失態を犯してしまった感覚で、チヒロは表情を染め上げたわけだった。
 持っていたスプレーをチヒロに向け、噴射してくる。

 プシュゥゥゥ!

 その不意打ちに反応できず、チヒロは吹きかけられた気体を吸ってしまう。
 くらりと、頭が揺れた。
 みるみるうちに意識が薄れ、それが催眠ガスだと気づいた時には、もうとっくに手遅れだった。成分が急速に効果を現し、猛烈な眠気に襲われる。逃れようのない睡魔は、我慢しようにも到底耐えきれるものではなく、やがてその場でチヒロの意識は途切れていた。
 そして――。

 チヒロはやがて、目を覚ます。

 まだ催眠ガスの成分が残っているのか、頭が未だに朦朧としていて、どこか脳がすっきりしない。頭蓋骨のうちがわにどんよりとした何かが漂って、そのまま全身まで怠くなっているような調子の悪さで、頭のくらつく感じが残っている。
 もっと眠っていたい欲求が体には残っている。
 気怠い頭を押さえて体を起こし、ずれていた眼鏡を手で直すと、周囲には何人も何人もの、髪型や服装それぞれの女の子達が並んでいた。小学校低学年ほどの、多少は年齢にバラつきのありそうな、しかし女児の集団がチヒロを包囲していた。
「え、どういう……」
 わけがわからなかった。
 状況を飲み込めないが、まだぼんやりとした頭で、チヒロはどうにか眠る直前の記憶を呼び起こす。確かコンビニで女児に声をかけ、次の瞬間にはスプレーを吹きかけられ、そして今ここにいるはずだ。
 なら、どういうことか。
 こんな小さな女の子達が自分を攫ったというのだろうか。
 さらに周りを見てみると、周囲にあるのはくすんだコンクリートの壁に、埃の付着で灰色になった窓ガラスはひび割れになっている。廃墟であることは一目瞭然のこの場所は、学校の体育館ほどはありそうな広々とした空間だった。
 使われなくなったパイプコンベアに、もう動くことのなさそうなフォークリフトが一台ある以外、ほとんど物すら見当たらない。
 どうやら廃工場らしい。
 使われなくなる直前、ほとんどの物が撤去され、もぬけの空となって取り壊しもされていない。生き残りのように放置されたパイプコンベアやフォークリフトの存在が、ここで物流作業の行われていた過去を辛うじて物語っていた。
「ねえ、みんな」
 恐る恐ると、チヒロは周りの女児に声をかけた。
「みんなが私をここに連れてきたの?」
 ゆっくり、尋ねた。
 こんな小さな子達が自分を攫う理由がわからない。
 だが、理由はともかく、ここは不良の溜まり場としては最適だ。ならば行き着く結論は、誰かが子供を利用して、この子達に誘拐をやらせたのか。というものだったが、女児達の反応はチヒロの想像とは違っていた。
「そーだよ!」
「一緒に遊んで欲しくて!」
「ね! あそぼ!」
 その瞬間、何の言葉も出せなくなった。

 遊んで欲しくて?
 それで、攫った?

 まるで意味のわからない話だったが、見渡す限り並んでいる女児の顔は、どれもが無邪気で天使のようだ。こんなにも可愛らしい笑顔の数々そのものは、人に催眠スプレーをかけたり、こんな場所までチヒロを攫ってくるような、立派な犯罪をしでかすものとは思えない。
「誰かに頼まれたんじゃないの? 本当に自分達の意思で私を攫ったの?」
 チヒロはいっそ直接的に尋ねていた。
「誰かにって?」
「何それ」
「作戦はいつもリーダーが考えるけど」
 それだと思い、チヒロは食いつかんばかりに質問を繰り返す。
「そのリーダーって!?」
「あたしだよ?」
 チヒロを囲む群れの中から、一人の女の子が前に出て来た。他の子達よりも年上の、少し背の高い女児は、確かに周囲の無邪気さに比べるなら、多少は大人びて見えるのだった。
 その子こそ、チヒロにスプレーをかけた女児だった。
「…………」
 チヒロは絶句した。
 作戦を考えたリーダーとやらもこの場にいて、他の大人や不良などの存在が出て来ない。
 それでは、本当に……。
「本当に大人や不良にやらされたわけじゃないの?」
 信じられない思いでそう尋ねる。
「そうだけど?」
「ねえ、さっきから何が聞きたいの?」
「私達は遊び相手が欲しいだけだよ?」
 チヒロが疑問にしていることこそ、当の本人達にとっては不思議な問いであるようだった。
 どうやら、本当なのだろう。
 本当に、ただ遊び相手が欲しいだけの理由で、催眠スプレーまで使って人を攫い、こんなところまで連れてきたのだ。
 当然、本意ではない。
 この子達が求める遊びの内容が何であれ、ああいう方法で無理矢理連れて来られては迷惑だった。
「悪いけど、あんな真似をする子達とは……」
 拒みかけたその時である。
「えー? これ、バラ撒いちゃうよ?」
 リーダーは携帯端末の画面を突きつけてきた。
「え……!」
 それにチヒロは驚愕する。
 そこに映っているものは、チヒロが寝ているあいだにスカートを捲り上げ、中身を撮った写真であった。地べたに寝そべっていた時の、捲れた丈が腹にかかった写真は、端末を縦向きにすることで全身を写したものだった。
 何の警戒心もない寝顔のまま、白いショーツが晒されている。
「……っ!」
 チヒロは憤り、怒りと羞恥に赤らみかけた。
「そういうこと……していいと思ってるの……!?」
 声さえ荒げていた。
「うーん。でも、あたし達は良い子なんかじゃなくていいし」
 当のリーダーも、周りにいる他の面々も、チヒロの怒りに対して涼しい顔で、罪悪感が欠片も見受けられなかった。
「だいたい、バラ撒くだなんて――」
「お姉ちゃんの制服を見ればね? どこに送ればいいかくらい、すぐにわかるよ? アドレスだって調べられるし、それからお姉ちゃんの武器もあたし達が預かってるからね?」
 他人のアドレスを調べるなど、小さな子にはとても出来そうにない芸当をやってみせると、リーダーは軽く言ってのけている。それが単なる見栄っ張りか、本当に出来てしまうのかはわからないが、言われてみれば銃がない。銃はおろか、他の手荷物さえも見当たらない。
 写真を撮られた上、荷物もどこかに隠されている。
「あとね? この携帯だけ奪ったって、とっくに他の場所に送信してあるから、写真は消せないんだよ?」
 姑息な知恵まで回しているらしい。
「なんだっていうの……」
 どうして、こんな女児の集団がいるのだろう。
 もしかするなら、もうこんな歳から悪さに芽生え、集団でこういうことを続けているわけなのだろうか。
「だから、ね? お姉ちゃん? あたし達と遊んでほしーなー」
 リーダーが改めて頼んでくる。
 それがどれだけ可愛らしくて、表情だけを見るなら天使の笑顔であったとしても、写真や荷物を盾にした立派な脅迫行為であった。
 たかが、パンツだ。
 いや、あまりたかがとは言いたくない。
 あんな写真をバラ撒かれては、もちろん大いに困るのだが、下着の拡散を防ぐためだけに、一体どこまで言うことを聞かせるつもりか。ちょっとやそっとのことならやむを得ないが、釣り合いの取れない過度な要求までは飲み込めない。
「遊ぶって、何がしたいの?」
「トランプとか、縄跳びとか?」
「は……」
「追いかけっこもいいかなー」
「そ、そうなんだ……」
 人の恥ずかしい写真を撮って、弱みまで握っての要求としては、実に内容が可愛らしい。もっと困ったことを言い出して、要求を呑むか写真が撒かれるか、どうするべきかを天秤にかけると思いきや、そのくらいなら問題がない。
「じゃあ、約束してくれる? お姉ちゃんがみんなと一緒に遊んだら、写真は消すし、荷物も全部返してくれるって」
「うん。約束するよ」
「写真を消すってことは、その端末だけじゃなくて、コピーしたデータも全部だからね。送信履歴もきちんと確認させてもらうから」
「わかった。それでもいいよ」
 リーダーは快く頷いていた。
 ならば、これで話は決まったわけだが、まさかこんな風に小さな子供と遊ぶことになるなんて、一体誰が想像するだろう。
 正直、やはり本意ではない。
 催眠スプレーで無理に連れて来られたという意識は根強く、危険な真似をする子供達に対する警戒心は、腹の底には確かに渦巻いているのだった。
(でも、こんな子達を放っておいたら、他にも色んな人達が被害に遭うだろうし……)
 チヒロは深々とため息をつく。
 ここは遊び相手とやらになってやろう。
(機会を見計らって、きちんと説教しないとね)
 ただ言っても聞かないだろうな、などと頭の中では考えながら、チヒロは仕方なさそうに立ち上がる。
 果たして、この子達を更生させることができるといいが。
 まずはトランプでも縄跳びでも、何でもやってやろう。

「じゃあ、裸になって?」

 いざ、遊んでやろうと思った時、まず先にリーダーが口走った言葉を聞き、チヒロはむしろきょとんとしていた。
「……は?」
 唐突な要求に、かえって目が点になっていた。



 
 
 

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