きっかけは前回の冒険だった。
といっても、アリッサの記憶に色濃く残ったのは、検問所で受けた辱めばかりであり、魔物を前に剣を抜いた記憶はほとんど塗り潰されている。目当てにしていた雷竜の肉は、それでもよく味わったが。
その際の活躍が偶然の目撃者の目に留まり、アリッサとマリーサの二人に依頼をしたいと考える者がいたらしい。
とある魔石鉱山に魔物が棲み着き、採掘がままならなくなったそうだ。
その鉱山は周辺の町と村を支える経済の要となっており、流通した魔石がさらに各地で取引され、小売り商人の生活を支えている。魔石を利用した剣や盾、杖などといった装備品が市場に出れば、それを購入した冒険者がより活発に活動して、魔物や盗賊と戦う治安維持効果も上昇する。
底無しの資源を誇る魔石鉱山の、ゆうに数百年は持つと言われる魔石量は、それだけ大きな影響力を持っているのだ。
魔石を採掘できなくなれば、その土地が得る収益が失われる。魔石を収入源としていた小売り商人が打撃を受け、職を失う者が出る。物価に影響が現れ、生活困窮者が増える。冒険者の装備が整いにくくなり、すると危険度の高い依頼に手を付ける者が減り、治安悪化に繋がる予測まで立っている。
一刻も早く魔石鉱山を解放して、採掘を再開させなければまずい。
と、このような依頼が指名付きでギルドに出されていたそうだ。
「考え物ね。魔石頼りも」
マリーサから依頼の旨を伝えられ、アリッサはまずそう感じた。
魔石がもたらす効果は素晴らしいが、数百年分の資源量という見立てを鵜呑みにして、魔石の流通に力を入れた政策は、確かに村や町を潤している。国民の生活水準が上がり、不満が出にくくなることで、検問設置による人口流出の防止措置にも抗議の声は上がってこない。
だが、そんな魔石の効果が天災か何かで失われれば、代替策のない現状では、いとも簡単に生活水準は低下する。
この状況を作り上げた王国政府は、国民の幸福度を跳ね上げたことで支持率を高めているが、仕組みが壊れた時の恐ろしさを考えるに、魔石政策が始まった当時は内部でも疑問や反発があったという。いや、未だに頭を抱え続ける政治家はいくらでもいるのだとか。
「鉱山って、兵は雇っていなかったわけ?」
アリッサは疑問を上げた。
「魔石鉱山は主に奴隷で成り立っています。罪人、捕虜、他に就く仕事を見つけられない者から、冒険者を目指す人間があえて自分の身を売って、一定期間のあいだ重労働に徹することで、体力作りを行うこともあるとか」
周辺の貧困国から生まれた盗賊がこちらの国に入り込み、それを騎士団が定期的に生け捕りにしている現状では、罪人によって確保する人員が半数近い。周辺国が豊かになり、盗賊に身をやつす者が減ってしまうと、より真っ当な待遇で働き手を集めなくてはいけなくなるので、鉱山経営としてはその辺りの黒い考えもあるだろう。
「労働者のあいだにも格差がありそうね」
「ええ、主に罪人や捕虜は最低の身分として扱われ、鍛錬を兼ねて雇われる人間は、期間を保障した上で給与も最高です。単に仕事をやる能がなく、そこに流れ着くしかなかった者は、その中間といったところでしょう」
「仮にも鍛えるために働く人がいるっていうなら、魔物退治もそのままその人に依頼すれば話しは早いじゃないね。だって、内部のことも把握しているでしょう?」
何なら、魔術師に魔石を自由に使わせれば、そこら中にある魔力を駆使して、あれよあれよと魔物を狩り尽くしてくれるだろう。いつまでも閉山しているより、多少の放出の方がマシなはずだ。
「おっしゃる通りですが、現在の労働者は罪人が九割となっています」
「九割!? どうしてそんな」
「魔石を不当に持ち出し、密かに売り払ったり、盗品を素材に武器の製作を依頼するような輩が頻発したため、鍛錬目的の雇用を一時的に停止した上、しばらくは厳しい身体検査を必須化するようです」
「し、身体検査……ね……」
アリッサは引き攣った。
マリーサは涼しい顔をしているが、アリッサにとって身体検査は軽いトラウマだ。
「全裸での検査を必須化です。しかし、罪人はともかく、他の人間にはそんな検査は強要できません。そんな同意書にサインをする者も、そう現れるものではありませんから、魔物退治を引き受ける冒険者はなかなか現れず、そんな時に私達が雷竜狩りに出た際の目撃談が噂となり、その二人になら莫大な報酬を出すと宣言を出しているわけです」
「色々と重なるわねぇ……」
おそらく、窃盗問題の矢先に魔物が棲み着いたわけだろう。臨機応変に全裸での身体検査など取り下げればいいものを、そうしないということは、早々に撤廃すると対策を出した者の顔が立たないような、また面倒なしがらみがあるのだろう。
全裸検査の時点で内部で反対意見が出て欲しいものだが、検問所では条件付きとはいえ既に導入されている。前例があったせいか、そのあたりもいくらかスムーズになってしまっていたのかもしれない。
そして、鉱山の中には強制労働の身分しか残らない。罪人の他には、さしずめ奴隷として売りに出された人間あたりがいるだろう。
「依頼は平民である私達に出ています。貴族としての私達ではありません」
「そりゃ貴族の身でああいう検査を受けたことにはできないわよ」
「どうなさいますか」
「どうもこうも、真っ平よ。あんなの」
アリッサは身体検査を嫌い、依頼など無視するつもりでいた。元より貴族にとっての冒険など道楽の一つ。騎士団の指導を受け、実力の上では問題なしといえるアリッサではあるが、常日頃から危険に身を晒す意思はない。
何より、危険信号が出ていた。
あの日の恥辱を思い出すと、何故だかアソコが疼きだし、体中を調べ尽くされる妄想が膨らんでくる。自分の中にあらぬ変態の素質を感じて、このままではいけない意思が全身を駆け巡るシグナルとなっている。
(駄目よ。ダメダメ、忘れないと──)
「報酬には、より上質なステーキが出るそうです」
「す、ステーキ……!?」
「幻の竜を討伐した凄腕のパーティーにより、絶世の美味といわれる肉が納品されています。魔法で鮮度を保っていますが、機会を逃せば二度食べられないかと」
ごくりと、味を想像するに口内に唾液が溢れ、アリッサは生唾を飲み込んでいた。
幻の竜とは具体的にどの種類だろう。
いずれにしても、発見自体が困難であり、討伐ともなれば百年に一度しか起きない偉業と言われている。その絶味は伝説で語られることがほとんどで、実際に食べた人間は歴史上でもごく限られている。
事実上、書物でしか知ることのできない味を確かめる機会とあらば、かなりの好奇心がそそられる。
もし、伝説の肉を食せるというのなら……いや、そのための代償として、自分の尊厳を削っても良いのだろうか。
「ねえ、大金で買うっていうのは?」
「それなのですが、あまりにも希少性が高いので、管理元に大金を積んでも出し渋ります。売る分は売ってしまったそうで、残りを手放すことはないでしょう――そして、買い取っている鉱山管理者も、依頼と引き換えでないと一グラムも譲らないとしているようです」
「ぐぬぬぬぬぬぬ……」
だが、それもそうだ。
金銭とは、結局のところ何かを買い取るためにある。魅力的なものを入手する手段だ。せっかく入手したものを簡単には手放したがらないものだろう。伝説上の美味など、たとえ命を狙われても譲りたくない人間がいてもおかしくない。
きっと持ち主も、条件を呑まない限り決して譲らない。
そもそも、元より金持ちな人間に対しては、平民に大金を積むより効果が薄い。金持ちがなお金欲に心揺らす額ともなれば、貴族にとっても大きな出費になるだろう。
それを依頼さえ受ければ分けてもらえるというのは、やはり魔石鉱山がもたらす経済効果をそれほど重く考えているせいだろう。そこに加えて、噂の美女二人を裸して、ようやく釣り合うとでも考えているのだろう。
「私としては食べてみたいです。対価は辛いところですが、平民の身分を偽装するので、表向きには無傷です。何より、お嬢様と共に伝説上の美味を口にできれば……」
「……できれば?」
「とても幸せに思います」
「…………」
照れることを言ってくるので、アリッサはほんの少しばかり赤らんで、言葉に困って閉口する。
「できれば、お嬢様と食事をしたいのですが」
これには困ったものだった。
身分上はアリッサが上であり、マリーサは仕える立場だ。突っぱねることは簡単だが、アリッサとしてはマリーサのことを慕っている。小さい頃から姉のように振る舞って、今はメイドとして働いてくれるいわば家族で、なるべく無碍にはしたくない。
「それくらい、だったら良いシェフでも呼んで……」
「一生に一度食べられるかどうかのものを、お嬢様とご一緒したいのです」
「う、うん。気持ちは……嬉しいんだけど……」
こうなると、いよいよアリッサは弱い。
あの屈辱的な検査を受けることになるのに、それをきっぱりとは断れない。決して押しに弱い性格などしておらず、断ることが苦手でもないアリッサだが、マリッサのことはその他大勢の侍女のようには扱えなかった。
「マリーサだって、ああいう目には遭いたくないんじゃ……」
搾り出した言葉は、まるで苦し紛れの言い訳のようだ。
「構いません。お嬢様と共に過ごせるなら」
「うぐぅ……」
本当に、気持ちは嬉しいが。
そう、気持ちは嬉しいが。
「お願いします。どうか」
「そんな……お願いされてもねぇ……」
アリッサはマリーサから目を逸らす。
「どうか」
しかし、息がかかるほど間近にまで迫られて、とうとう圧に耐えかねたアリッサは、いっそ投げやりに答えるのだった。
「ああもう! わかったわよ!」
その瞬間、マリーサの瞳が輝いていた。
「ありがとうございます」
本当に嬉しそうにするのだから憎めない。
そして、アリッサはまたしても気づいていなかった。
マリーサの口角が密かに釣り上がっていることに……。
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