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 シェーム王国の壁門を出た町外れの草原は、晴天の下に緑が照らされ、青々とした香りに溢れている。風がなびけば、景色一帯が波打つと共に草の葉が擦れ合い、ざわめきの音をどこまでも広げていく。
 そんな緑の中心で、心地の良いそよ風を浴びながら、キアランは剣の素振りを行っていた。
 王国は比較的治安は良いが、隣国と比べての話に過ぎない。いつ盗人や荒くれ者と対面する機会があるかはわからないものだ。魔物の存在もあり、いざという時に身を守るための稽古を積むのは、この国においては一般常識といっても良かった。
 そのため、キアランも剣を振る。
「九十一、九十二、九十三――」
 回数を声に出しながら、一回ごとに踏み込みを入れている。散々踏まれたキアランの足元は草が潰れ、土が微かに抉れて表面が微妙に掘られていた。
「九十九、百!」
 毎日の目標である百回目の素振りを終える。
 すると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、丸々と太った一人の少年がズカズカと歩んできた。
「やあ、キアラン君。たったの百回かい?」
「……ジョードくん」
「僕なら三百回はやるけどなぁ? そんなにケチケチしていたら、いつまで立っても君は強くなれないよ?」
 嫌味たらしく、ジョードは笑んだ。
 キアランは服飾屋生まれの一般市民に過ぎないが、ジョードは貴族生まれの富裕層として貧民を見下している。
 良いご馳走を食べているからかは知らないが、太っているジョードの頬はふっくらと膨らんでおり、腹もたっぷり飛び出ている。二の腕も太く、足は短い。首も脂肪に埋もれて見える。お世辞にも見栄えが良いとは言えない男だ。
 とても強いようには見えないが、こう見えてもジョードは専門の騎士から指導を受け、金をかけられて育っているため、体格に似合わず剣技には優れている。
「なんなら、僕が稽古をつけてあげようか? キアラン君」
 ジョードが腰の剣を抜く。
「の、望むところだ!」
 キアランも両手で柄を握り締め、構えを取った。
 二人が持つのは稽古に使う魔法剣だ。命を取らない魔法がかけられている。刃が皮膚を裂くことは決してない。どんなに思い切り斬りかかっても、殴りつけても、相手に伝わる衝撃が減らされるため、生死の危険のない安全な決闘が行えるのだ。
 とはいえ、怪我自体がありえないわけではない。打撲などの外傷は十分有り得、出血が伴っても不思議はない。ほぼ命を取らないという理由だけで、その魔法剣は稽古以外にも喧嘩の道具として使われやすかった。
「ほら!」
 掛け声と共に踏み込みを決め、ジョードが斬りかかる。太った体重からなる重心移動が、そのまま剣への威力に変わり、かなり重さのある一撃になる。キアランはやや吹き飛ばされるかのように、数歩以上は後ろへ下がる形となり、柄を握っていた両手も痺れた。
「ほら! ほら!」
 ジョードはかなり大振りで、読みやすい攻撃を行っている。受けることは容易いが、威力のせいで手首から肘にかけてまで衝撃が響き、いちいち体が後ろへずれる。
 自分の体重をものともせず、それどころか使いこなして、重心移動によって剣の威力を増幅するため、ジョードの攻撃を受けきるには、かなりの腕力や踏ん張り強さが必要なのだ。キアランにはそのどちらも足りていない。
「このォ!」
 大振りの隙を突くように、ボディのがら空きとなるタイミングに合わせて斬りかかる。
 すると、ジョードはふわりと飛んだ。
 肥満体型には似合わない、醜悪な顔にも似合わない、あまりにも軽々としたステップで、舞うかのように後方へ移動することでキアランの一撃を避けてしまった。
「この! このォ!」
 意地になって、キアランは斬りかかる。
 だが、軽やかなステップを踏みながら、ジョードは踊るように避けていく。軸足で身体を回転させ、くるりと回る動き。あるいは舞うようなバックステップ。あらゆる軽い動きを駆使することで、キアランの剣を全て華麗にやり過ごしている。
「駄目だなぁ? キアラン君は」
 斬りかかろうと駆けるキアランに対し、ジョードは軽く足を引っかける。つまずくいたキアランは簡単に転んでしまい、うつ伏せとなった背中を強く踏まれた。
「ぐぅ……!」
「弱いねぇ? キアラン君。やっぱり弱いよ。僕が鍛えてあげるよ!」
 また、踏んだ。
 二度も三度も。
「――ぐっ! ぐああ!」
 悪魔のように微笑みながら、ジョードは執拗に踏みつけを繰り返し、キアランはその一撃ごとに悲鳴を上げる。
 これが、いつもの光景だ。
 立ち向かいこそするものの、結局は負けるキアランは、ジョードから虐めを受ける虐められっ子なのだ。稽古の名の元にジョードはキアランを甚振って、『鍛える』という言葉を囁きながら一方的に踏みつける。
「このへっぽこが! 雑魚が! だから君は弱いんだよ!」
 まるで楽しい遊びであるかのように、ジョードはキアランを踏んでいた。
 虐める側とはそういうものだ。
 ほとんど遊びの感覚で、相手が弱いからという理由で痛めつける。特に腕力の強さがそのまま偉さに繋がるシェーム王国の子供社会では、男のくせに弱いというだけで、こういう虐めを受けるというのはよくある話だ。やる方は自分が悪いとすら思っていない。
 そこに大人がいれば、きちんと虐めを叱るわけだが。
 ジョードは貴族の息子だ。
 権力者の子供という理由で、ジョードを堂々と注意できる大人はなかなかいない。いたとしても、ジョード自身が親から甘やかされているため、言っても聞かない。そして、今日この場所にはそもそも大人自体がいない。
 それに子供といっても、キアランは十五。ジョードは十七。
 平均寿命や王国の文化といった関係上、若い年齢での結婚が珍しくないこの国では、この年齢になっても子ども扱いされるとは限らない。むしろ、そろそろ家業の職に就いたり、何かしらの道へ進んでいなくてはならない頃合だ。
 この歳になっても虐めっ子に勝てないのは、かなり情けないものと見られているのだ。
「ねえ、トドメ。刺してあげようか?」
 残酷で無邪気な言葉。
 うなじにチクリと当たる切っ先の感触に、キアランは恐怖に震えた。
 確かにこれは、生死の危険がないとされる稽古用魔法剣だが、切っ先を押し当てた状態で全体重をかけたらどうだろう。太った体重のあるジョードからそうされれば、本当に無事でいられるだろうかと不安がよぎる。
 いや、まさか。死ぬわけがない。
 しかし、本当に大丈夫だろうか?
 冗談では済まない恐怖と不安がキアランの胸に溢れ出し、キアランは震えながら目を見開いていた。
「や、やめて……」
 キアランは懇願する。
「やめて欲しい?」
「……うん」
「だったら、僕の靴でも舐めてくれる? 綺麗にね」
「それは――。ひっ!」
 さすがに口答えしかけた途端、うなじへの切っ先が感触を強め、今にも皮膚を破って刺さり込んできそうな痛みを覚え、キアランはさらに震えた。
「舐めてよ。キアラン君」
「……はい」
 答えてしまった。承諾してしまった。
 恐怖のあまりに心が折れ、靴を舐めると答えてしまった。
 その瞬間だ。
「――ぷっ! ぷは! あっははははは! バカバカ! ヴァーカ!」
「……へ?」
 あまりにも突然、ジョードが大笑いを始めたので、キアランは困惑する。
「だって、死ぬわけないじゃん! これ、稽古用だよ? え? もしかして、ありえると思ったの? 本当に刺さると思ったの? ま、怪我をさせるだけの力はあるけど、せいぜいそれくらいに決まってるじゃん!」
「――っ!」
 キアランは思わず涙ぐんだ。
 要するにからかわれたのだ。死ぬかもと思わせて、降参させ、震えながら「はい」と答えたキアランを見て、ジョードはさぞかし楽しげに笑ったわけだ。
 ジョード本人にとっては面白い冗談。
 しかし、それを体験したキアランにしてみれば、もう泣かずにはいられない。いっそ死にたいほどの屈辱を味合わされ、絶望にも似た最悪の気持ちに打ちのめされた。
 その時だ。

「ジョードォォォォオオ!」

 憎しみを込めるような声でその名を叫び、勢い良く駆けつける一人の影があった。
 ジョードの膨らんだ腹へと剣を一閃させ、刃をもろに受けたその肌は、稽古用魔法剣にやられたため、切れるというより打撲的な外傷を負う。実際は棒で殴られたようなダメージになるのだ。
「り、リーナちゃん!」
 痛みに腹を押さえたジョードは、自分を斬りつけた少女を睨む。
「ふん。またアンタ? 懲りないわね」
 金髪少女、リーナは鼻を鳴らした。
「リーナちゃん? 見てよ。キアラン君って、こんなに弱いじゃん。こんなへっぽこなんて放っておけばいいじゃない」
「はっ! 弱い? じゃあ、人を一方的に踏みつけるアンタは格好いいの? 顔も悪い、体格も悪い、性格も悪い。悪い、悪い、悪い! 魅力といえる要素ゼロ! アンタみたいな素晴らしい男は他にいないってくらいだわ!」
「な、何もそこまで!」
「いいから帰ってくれる? それとも、私とやる?」
 リーナは勝ち誇った顔で切っ先をジョードに向ける。
「……うっ」
 ジョードはうろたえた。
 貴族の金力で英才教育を受けたジョードは強いが、努力と才能で稽古を積み上げているリーナはそれを上回る。二人は過去何度も喧嘩をしているが、一度としてジョードが勝った試しはないのだ。
 勝気、男勝り。
 そんなリーナは男相手にも向かっていき、勝ちすらしてしまう。
「何? ビビってる? さすがジョードね。キアランには手を出すくせに、自分より強そうな相手だと媚びへつらうんでしょ? わかるわかる」
「うるさい! だったら、僕が勝ったら何でも言うことを聞け!」
「うわー……。ま、別に勝つからいいけど」
 ジョードの発言に軽く引きながらも、リーナは余裕の態度で引き受ける。
 お互いに剣を構え、決闘開始。
 ジョードは踏み込みと重心移動を利用した攻撃で、かなり素早く剣を奮った。踏み込む足の力で勢いをつけ、身体を丸ごと前へと運ぶ技巧は、威力だけでなく早さもある。キアランに対して行っていた時より、その力と速さは遥かに増していた。
 しかし、リーナはいとも簡単に受けた。
 キアランの足腰では、威力のあまりに後ろへ押しやられてしまっていたが、リーナはそれ以上に鍛え込まれている。
 二人はお互いに刃を押し合わせた。
「それだけ? アンタいっつも同じ手ばっかね? 馬鹿なの?」
「うるさい!」
「頭も筋肉なんでしょ」
「うるさーい!」
 ジョードは一旦後方へ。ステップで下がるなり、すぐに膝のバネを利かせて飛び、同じ重心移動の剣を繰り返す。
「はいはい」
 リーナはまるで見飽きたかのようにひらりとかわし、ジョードが自分の横を通り抜けていくのを見送るついでに、足を伸ばして引っ掛けてやっていた。
「ぐああっ!」
 思い切り倒れたジョードは、しかし一応は受身を取り、自分自身の重心からなる勢いを利用して草原を転がっていく。
 立ち上がり、再び斬りかかる。
「あー。すっごい、読みやすいわー」
 かわしたリーナは、剣の側面を使って尻を叩く。
 ベシン、とやられたジョードは意地になって向かっていくが、リーナはただ避けるだけではない。
 背後を取って、今度は後頭部をベシンと叩いた。
「このこの! このぉ!」
 何度も何度も、剣を振り上げては斬りかかる。
 そのたびにリーナは、かわすついでにジョードを叩き、からかっている。わざわざ側面の部分を使い、斬らずに叩くのだ。
 そして、トドメとばかりに喉元へ切っ先を突きつける。
「もう私の勝ちでいいでしょ?」
 飽きたかのようにリーナは言う。
「お、覚えていろよ! この女!」
 手も足も出せず、完敗の形となったジョードは、捨て台詞を吐きながら駆け去った。
 キアランが虐めを受け、リーナが助ける。
 いつもの光景に過ぎないのだ。



 
 
 

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