第2話「穢される日常」

『神狩屋――古物・骨董・西洋アンティーク』
 そう厳めしい文字で書かれた看板が掛けられた、古い写真館のような建物の古物商。この時代から取り残されたような白く塗られた木造の店は、密かに<ロッジ>と呼ばれている、日本全体に二百ほど存在するという<騎士団>の活動拠点の一つだった。
 当然そうであることを示すようなものは何もなく、ただ古い箪笥などが並ぶ薄暗い店内が、開いた入口から垣間見える。
「こんにちはー」
 制服姿のままやって来た白野蒼衣が、店内にそんな声をかけても、雪乃は特に会話をする気もなく、テーブルに頬杖を突いてあさっての方向を睨んでいた。
「こんにちは。雪乃さん」
「ふん」
 わざわざ近くにやって来てまでの挨拶にも、雪乃は不機嫌に鼻を鳴らすだけ、蒼衣の顔など見向きもしない。すぐに身を引っ込めて、夏木夢見子の様子を見に行くが、どうせ<グランニギョルの索引ひき>の予言は出ていない。
 雪乃を悩ませる元凶は、どうやら<泡>ではないらしいのだ。
 腹が立って仕方がない。
 もちろん蒼衣のことは嫌いだが、今の雪乃を本当に苛立たせ、不機嫌にしているものの正体は蒼衣ではない。

 今まさに肉棒バイブが震えているのだ。

 幽霊による性犯罪が存在して、雪乃には見えない相手が、雪乃のことを犯している。そう理解した方がわかりやすい、見えるわけでも触れるわけでもない一物が、まるで根本だけを切り取って埋め込んだように雪乃の中に挿入され、バイブとして振動を行っている。
 それが<泡禍>なら、出てきたものを焼けばいい。
 全く正体が掴めず、何を焼けばいいかもわからない。対処のしようがない現象に雪乃は悩み、苛立ち、そして辱めの内容を男に相談できるわけもない。同性の田上颯姫もいるが、余計に役に立たないだろう。
 よしんば<目覚めのアリス>がこの現象を理解して、消滅させることが可能としても、未知の凌辱を打ち明けた上で助けてもらうなど死ぬ方がマシだ。
 
 ずぶっ、じゅぷっ、ぬぷっ、にゅぷ。

 振動を帯びながら、ピストンまで始める肉棒バイブが、傍から見る分には何事も起きやしていないショーツの中身を濡らしている。べったりと愛液が張り、クロッチを湿らせていることなど、確かめるまでもなくよくわかった。
「ん……!」
 まずい。声が出る。
 雪乃は黙って立ち上がり、早足になって出口へ向かう。それさえもよたよたと、おぼつかない足取りとなってしまい、出て行く前に呼び止められた。
「あれ? 雪乃さん」
 振り向けば、ヘラヘラとした蒼衣の顔がそこにはあった。
「……何」
「いつものパトロールだよね。僕も行くよ」
「必要ないわ!」
 真っ向からの拒絶の目に蒼衣はたじろぎ、雪乃はドアを乱暴に閉めて出て行った。
 外でも足はフラついて、内股気味に歩いてしまう。たまらず下腹部を手で押さえ、五分と持たずに壁に手を突きながら進む姿は、オシッコの我慢が限外を迎えそうで、トイレまで必死に耐えようとして見えなくもない。
 愛液が薄っすらとした滝になり、ぬるりとした光沢が内股に広がっていく。

「雪乃さん!」
「……っ!」

 雪乃は一瞬で顔を顰めた。
「やっぱり、具合が悪いんじゃないかなって……」
「……うるさい!」
 冗談じゃない。
 未知の刺激に耐える姿を気遣われるのも、こいつの人を心配そうにしてくる顔を見るのも、頭がどうにかなりそうなほどに苛立たしい。
「……顔も赤いよ?」
 恐る恐ると、蒼衣は雪乃の顔を指摘してきた。
「――――っ!」
 その瞬間に吹き上がるのは、どうしようもないほどの怒りと羞恥だった。きっと風邪か何かの心配で、病院に行った方がいいのではと思っていることだろう。決してそうじゃない。病気などではないのだ。
 打ち明けることの出来ない真実が、いかに性的でいやらしさに満ちているかと思うと、この世の全てが許せない怒りが沸く。

 ――ブィィィィン。

 と、絶え間ない振動を送りつけ、膣壁を小刻みに刺激しながら。

 ずぷ! じゅぷ! ぬぷ! ずぷん!

 上下にも出入りしている。
 雪乃は達しかけていた。
 
「うるさ――あぁん!」
 
 怒鳴りつけようとした途端、その声を遮るべくタイミングで絶頂させられ、喘ぎ声を抑える暇もない雪乃は、明らかに色っぽい悲鳴を上げてその場に折れ、がっくりと地面に尻をつく。

 い、イってしまった……!
 こいつの前で!

 雪乃は蒼衣が嫌いだった。おそらく自分は嫉妬しているのだとも思っていた。
 両親を惨殺されて何もかも失った雪乃は、 あの惨劇の日を境に、雪乃は安穏な日常に、居場所を感じることができなくなっていた。
 憎悪。恐怖。苦痛。それらに自分の心身を抉らなければ、雪乃は安心できない。
 日常に暮らすことを雪乃は否定し、両親を殺した姉の亡霊さえ、もっと憎い<泡禍>と戦うために必要とした。縋って<泡禍>と戦っていた。そしてそこまでしても、<泡禍>に通用するとは限らなかった。
 だが、白野蒼衣という人間は、雪乃の抱える悲壮さを何も持たず、日常に肩までどっぷりと浸かったまま<泡禍>を致命的に害する<断章>を有している。
 雪乃が失って、捨てたものを持ちながら。
 蒼衣は必死で雪乃が縋りついているものの、さらに上にいる。
 そして、イったのだ。
 立っていることが出来ずに膝が折れ、下へと落ちる雪乃が感じたのは、こんな目に遭っている自分と蒼衣とで、さらに決定的な差が開いたような感覚だ。女としての屈辱を味わい、そうとも知らずに蒼衣は病気や体調の心配をしてきている。
「雪乃さん! やっぱり家まで送るよ! ちゃんと病院に行った方がいいと思う!」
「うるさい!」
「雪乃さん!」
 もう、駄目だった。
 蒼衣の助けを得るなど耐え切れないが、それを拒んでいる自分の姿は、さぞかし意地っ張りで面倒な子供に見えるだろう。幼稚なようではますます自分が下に落ち、蒼衣は自覚することなく雪乃を見下す。
 抵抗するのも嫌になり、けれど受け入れられるわけもなく、始終蒼衣を恨みながら、蒼衣に肩を貸してもらい、家まで送り届けてもらった。
 ベッドに潜ればまた見えない手による凌辱は始まって、手という手に辱めを受け、存在しない肉棒によるレイプが朝まで続いた。

     †

『学校が終わったら僕の家まで歩いて行く』

 放課後を迎え、いつもなら神狩屋の店に向かうはずの時槻雪乃は、自分の足がおかしな方向へ歩んでいることに驚愕した。
 意思とは関係なく、体が勝手にどこかへ進んでいるのだ。
 肉体の操作権が他の何かに奪われてしまったように、どれほど強く別の行き先へ行こう行こうと念じても、足がそれを無視している。閑静な住宅街の、誰の家とも知れないインターフォンまで押してしまい、本当にわけがわからなかった。
『本当に、何が起こっているのかしらね』
 恐ろしく純粋な、硝子のような悪意の笑い。
「……姉さん」
『だけど、これはきっと誰かの仕業。殺しましょう?』
 処刑の娯楽を楽しみに待つ残忍な女王のように、風乃は微笑んでいるのだった。
『いったい誰の怒りに火をくべてしまったのか。これから教えてあげましょう?』
 それはこの現象を起こす何者かが、もうじき現れることを予期した言葉であった。それはこの家の住人か。どんな人物が出てくるのか。雪乃は警戒心あらわに身構える。

「あれ? 僕の家に何か用かい?」

 やけにニヤけた高校生が、雪乃の学校と同じ制服の少年が、スマートフォンを片手におぞましい顔立ちを浮かべていた。
 もちろん最低のルックスだ。
 あまりにも長い唇は、頬をハサミでカットして、伸ばすための整形手術でもしたのかという想像がよぎるほど、カエルの顔を正面から見たものと酷似している。イボによる凹凸が額から顎にかけて満遍なく、脂性のせいか皮膚全体が光沢に覆われている。
 しかし、対峙しただけで気温が下がって思えるほど、背筋に寒気が走るのは、決して醜い顔立ちのせいではないと、雪乃は自然と感じていた。
 何かおぞましいことを企んでいる。
 いかにもいやらしい視線が、雪乃の肢体を下から上へと、視姦という方法でベロリと唾液を塗り伸ばされたような気持ち悪さに鳥肌が立つ。
「あなたは?」
 こいつか?
 と、雪乃は敵意を隠しもしない。
「嫌だな。同じクラスじゃないか」
「知らないわね」
「木茂井正弘だよ。わからない?」
 馴れ馴れしい態度で近寄り、おもむろに手を伸ばす正弘に対し、雪乃はさっと一歩身を引くつもりでいた。反射的にそう動くはずだった。
 だが、動かない。
「!」
 ぐにっ、と。
 こんな道端で胸を鷲掴みにされたことに対してか、自分の体が動かなかったことに対してなのか。何に対して驚いたのか自分でもわからない表情で、ただただ驚愕した雪乃は、揉まれることで今までの現象が誰の仕業か、心の底から悟っていた。
「あなただったのね。今まで……」
「気持ちよかったでしょう? 何回イッた?」
「ふざけないで! 今すぐその手を放しなさい!」
「離してもいいけど、君が自分から僕の家に上がって来たら、何も言い訳できないと思うんだよねぇ」
 正弘は雪乃の胸から手は引くが、代わりにスマートフォンに何かを打ち込む。ポケットの鍵で玄関のドアを開け、どうぞお上がり下さいとばかりに開放すると、雪乃の足はどういうわけか、当たり前のように玄関へ向かっていた。
「冗談じゃないわよ……!」
 雪乃は戦慄した。
 肉体が操られていることにも、自分が男の家に上がろうとしている事実にも。
「そっかそっか。僕の家に上がるんだね」
「くっ!」
 両親は不在らしく、他に人の気配はない。
 雪乃が二階への階段を上がって行く。それがさも雪乃自身の意思であるように、上がりたければどうぞとばかりの態度でドアを開いて招き入れ、正弘は雪乃を部屋へ呼び込む。もしも目撃者がいたならば、傍から見て言い訳が出来ないのは雪乃の方だ。
「いつから僕を思ってくれていたんだい?」
「あなたなんて知りもしなかったわ」
 雪乃はそっけない態度で突き放す。
「じゃあ一目惚れ? いや、照れるなぁ?」
 関係なくニタニタと、正弘は視姦でしかない目で雪乃を見る。
「……気持ち悪い」
「でも、自分で上がってきたからには合意でしょう?」
「どうやって人を操るのか。教えて欲しいものね」
「操る? おかしなことを言っているけど、自分で服を脱ぎ始めたら、雪乃たんはますます言い訳できなくなるよ?」
 これからそうなることがわかっているように、正弘は自信たっぷりに言い切った。
「殺すわよ?」
 半ば以上、雪乃は本気だった。
 人を操り、辱めを与える。<泡禍>でも<断章>でもない力の持ち主だ。危険な能力の悪用目的は言うまでもない。同じ高校生で、クラスメイトなのかもしれないが、何らの遠慮もなく殺してやる。
 ポケットの中のカッターに意識をやり、手を伸ばしかける雪乃だが、またしても肉体が操作されたのだろう。
「……ちっ」
 カッターを取ろうとした手はピタリと止まり、次に雪乃が取る姿勢は気をつけだった。
「気をつけ。と」
 スマートフォンに、わざわざ声に出して入力していた。
「それかしら? あなたが私を操る方法って」
「何のことかな? 仮にそうだとして、雪乃たんに何ができるの? 君はこれからカメラの前でストリップショーを披露するっていうのにさ」
「……っ!」
 雪乃はみるみるうちに怒りと羞恥に染まり上がった。
 目の前で、正弘はビデオカメラと三脚を用意している。三脚台にセットして、レンズの調整を行う正弘は、見るからに邪悪な笑みで撮影を開始した。
「時槻雪乃は自分で脱いで、靴下だけは残して全裸になり、丸裸で直立不動のポーズを取る」
 どんな文面をスマートフォンに打っているのか。またしてもわざとらしく、ゆっくりと声に出しながら入力すると、雪乃の体は自動的にそのように動き始めた。
「ふざけないで! そんなことを私がするわけないでしょう!?」
「してるじゃない」
「……くっ! なんで!」
 黒いセーラー服からスカーフを抜き取ると、まずは上半身から脱ぎ始め、雪乃はばさりと、脱いだものを床に落としてしまう。黒いゴシック調のブラジャーがあらわとなり、次に雪乃の両腕は、スカートを脱ぐために動き始めた。
 ホックが外れ、締め付けの緩んだスカートは、いとも簡単に脱げ落ちて、足元に輪となっているのだった。
 自ら脱いでしまっている。
 それを撮るカメラの存在と、ストリップの光景を楽しむ視線に、激しい歯噛みで睨み返す雪乃の姿は滑稽だった。肉食の猛獣が、怒りや憎悪で獲物を食い殺さんとする、そんな表情を浮かべていながら――脱いでいるのだ。
「怖いなー。怖い怖い。でも、檻の中のライオンを本気で怖がる必要ないからね」
 背中に回る両腕が、今度はブラジャーのホックを外し、乳房までもが見られてしまう。
 最後の一枚を脱ごうとして、自分自身の手が腰へと移動することに、どうしようもない焦燥に駆られる雪乃だが、どれほど頭の中で激しい抵抗をしていても、雪乃自身の意思によっては決して肉体は動いてくれない。
 意地でも諦めたくなかった。せめてショーツだけでも阻止したかった。
「…………」
 諦めたい意思など欠片もないのに、何らの納得もしていない諦観と浮かべて、自らアソコを晒す羽目になる事実に唇を噛み締めた。
 全裸、直立不動。
 何の趣味か、靴下だけは残している。
 化け物を狩る化け物たる、この自分がこんな有様になっているなど、雪乃の胸に渦巻く無念と屈辱は途方もない。
 人の心を読めなくとも、何もかも射殺したがる凶眼は、まさしくそう唱えている。

 ――ころす。
 殺す、と。