プロローグ

 なあ、知っているか?

 などと、食堂で隣に座った仲間から、やけにヒソヒソとした声がかけられる。
「アイドルちゃんのエロビデオがあるって」
「……は?」
 とりあえず、意味がわからなかった。
 仲間内のやり取りだ。アイドルという言葉は隠語として通じるが、そのエロビデオなどという突拍子もないことを言われも信じられない。
 戦艦クルーの一人である男――タナカは、たったの十代半ばにして艦長を務める少女、ホシノ・ルリのことを密かにアイドル視していた。
 その可憐な容姿を見るだけで、一体どれほど目の保養になることか。
 そして、隣から声をかけ、おかしなことを言ってきたのが、ヤマダというファン仲間だ。アイドルでないものをアイドル視して、共に推している者同士で気は合うが、かといってエロビデオと言われて急に信じるタナカではない。
「まあ、そういう反応になるとは思ったよ」
「当たり前じゃないか。貧乏でやむにやまれず、なんて身の上のありそうな女性ならわかるけど」
「人の上に立っているような人間だ。そんなビデオに出るわけがない、出る必要もない。普通はそう思う。なんたって、たとえ証拠があったとしても、他人の空似に違いないって、最初は思い込んじまったくらいだ」
 言い方に引っかかる。
 思い込んじまった?
「まるで思い込んだ経験があるように言うじゃないか」
「あるんだよ」
「へえ」
「あくまで信じないな? まあそれもいい。だが証拠はある。今度、俺の部屋に来てくれよ」
「そりゃ別に構わないけど、だいたい何がどうしたら、我らのアイドルがそんなことになるんだ?」
「それはわかんないけどさ。とにかく、見れば信じざるを得なくなる」
「はいはい、信じざるを得ない証拠を見たら信じてやるよ」
 この時までのタナカは、ヤマダという男の言葉をあくまで信じていなかった。どうせからかっているか、それともよほど似ているのか、どちらにしてもホシノ・ルリ張本人がエロビデオに出ているなど考えられない。
 だが後日、タナカは驚愕した。
 そのVHSのパッケージに使われている写真は、ツインテールの少女であった。無表情に見える面立ちで、少しだけ頬を染めながら、指先で水着の紐を気にする仕草は、いかにも扇情的なものだった。
(い、いや! ありえないって!)
 咄嗟に心がそう叫んだ。
 艦長を務めるような人間が、一体どうすればエロビデオなどに出演するのか。その理由がまったく想像できず、他人の空似か、実は双子でもいたのかと思おうとしている自分がいた。
 だがビデオデッキで再生され、モニターに映し出されるその姿も、流れてくるその声も、何もかもがホシノ・ルリその人だとしか思えない。
「おいおいおいおいおいおいおいおい……………………」
 まさか本当に、ルリ艦長が?
 証拠を目の当たりにしたことで、さすがに否定の言葉を出せなくなったタナカは、そのまま映像の中へと引き込まれ、食い入るように画面を見つめるのだった。

     *

 あの時、車両は無人だった。
 無人だと、思っていた。
 ところがホシノ・ルリは――。

 露出行為を目撃された。

 ここ最近、歪んだ性癖が身について、露出行為にハマったルリは、わざわざそのために混浴温泉の場所まで調べ、居合わせた男性に肌を晒した。その入浴を済ませた帰り、下着を盗まれてしまったために、ノーパンノーブラで外へ出て行かざるを得なかった。
 露出に目覚めた身での下着無しだ。混浴温泉の中で十分にしたはずの興奮がぶり返し、道端で破廉恥な行動に出た挙げ句、電車の無人をいいことに、そこでも体を露出した。
 確かにあの時、体を見せた相手である少年と、それにルリ自身を加えて二人きりだった。
 実は一人分の気配を見落としたか、途中で車両を移動してきたわけなのか。ともかく密かに目撃していた人物がいたために、自宅へ変える道のりの途中、ルリは声をかけられた。

「ねえ、君。さっきエロいことしてたよね?」

 インスタントカメラで撮った写真を見せびらかし、その証拠を握ってニヤニヤと、人を品定めするような眼差しで、スーツの男が声をかけてきたのである。
「もしそういう趣味なら、いい仕事があるんだけど」
 露出行為を目撃した上での誘いである。それがどういう種類ものもかは簡単に想像できてしまい、ルリは自分の行動を振り返って、たちまち顔を赤らめていた。
 スーツの男が握る写真は、ルリを真横から写したものだ。わざわざ靴まで脱いで座席に上がり、ノーパンのまま脚をM字に、目の前の少年に股間を見せびらかしていた時である
 その真っ最中を見られていた恥ずかしさで、ルリは狼狽気味になっていた。
 性器を他人に見せびらかした直後のくせに、何を今更と自分でも思うのだが、露出行為を傍から見られたのだ。自分と少年、二人きりと思っての行動だったのに、実は他にも人がいて、その人に見られていた事実にひどく羞恥を煽られる。
 性器や乳房というより、行動を見られたことの恥ずかしさでたまらない。その証拠が写真となって握られていることも大いに気になり、写真を返して欲しくもなってくる。
「あ、あなたは……! 不審者ですか?」
 警戒心を抱き、ルリは問う。
「僕はこういう者ですよ?」
 彼はポケットの名刺ケースからカードを取り出し、名前と社名の書かれたものを手渡してきた。
「スカウトの人ということですか?」
「ただし、エロビデオのね」
「そんなもの……出ません…………」
 あんな場面を見られていたら、そんな声がかかってくるのも仕方がないとは思いつつ、さすがに映像出演は考えられない。そんなことをすれば、クルーの誰かに知られかねない。
「男性器の挿入は無し。あくまで体や下着を写したり、露出度の高い格好でカメラの前に立つのがメイン。たまにおさわりがあるくらい。という契約ならどうかな?」
「ですから、そういうお仕事は……」
「いつか捕まるよ?」
 その言葉に体が凍りつく。
「つ、捕まるっ……て…………」
「趣味なんだろう? 君とさっき電車にいた少年、カップルという風には見えなかった。じゃあ恋人でもないのに、なんで体を見せたのかな? 強要されているようにも見えなかったし、つまり君自身の趣味だ」
「……失礼なことを言わないで下さい」
 事実を言われているだけだと、頭ではわかっていても、ルリはそう返していた。
「今はまだ何も問題が起きていないかもしれない。趣味の露出活動を無事に終え、毎回何事もなく帰っているんだろうね。だけど、いつかは途中で警察に見られたり、あるいは暴漢に見つかったりするかも」
 彼は常識を説くようでいて、ルリのことを脅していた。
「欲しいとは思わないかな? 捕まる心配も、暴漢に見つかって犯される心配もなく、必ず安全に趣味趣向が満たせる環境。我が社ならそれが用意できるし給与まで発生する」
 写真をこれみよがしにしてきながらの誘いの言葉は、断ればバラ撒くと言われているようなものだった。
「勝手に決めないで下さい。だからそういう仕事は……」
「まあ、今までの言葉で駄目なら、次は握った弱みを活かした言葉で口説くまでなんだけどね」
 とんでもない事態になってしまった。
 彼自身が説いたように、ルリはまさしく露出行為の場面を目撃されてしまったのだ。警察でも暴漢でもない、エロビデオのスカウトという種類の人間に目を付けられたのだ。
「ま、ただ脅かされても頷くに頷けない。だから契約内容はお互いの相談の上で決めようと、こう言っているわけなんだけど」
 一方的に脅した上で、譲歩してやっても良いと言ってくる余裕の態度を相手にして、切り抜ける道はないかと頭の中で探ったが、焦りでまともに考えがまとまらない。
「本当に……見せたりとか、だけで……」
 それどころか、こんな脅されている状況で、なのに興味を持っている自分がいた。騙されるかもしれない、後から本番行為を強要されるかもしれない。
 怖くありながら、それでも次なる露出行為の場所を見つけた気になっていた。
 我ながらどうかしている。
 趣味の活動に関して、チャンスの方からやって来てくれたような思いが、怯えや緊張の影に隠れた片隅に芽生えているのだ。
「おっと、決まりだね。これから契約内容の相談開始だ」
 まだ完全に答えを決めきったつもりはないのに、彼は既に決定事項であるように、ルリの腕を掴んで引っ張り始める。
 さすがに強張った。
 大声を出して、通行人に気づいてもらうべき、誰かに通報してもらうべき状況ではないかと本気で思った。
 行き先こそ近場の喫茶店、その時点では何をされる恐れもなかったが、見知らぬ男にどこかへと連れて行かれる恐怖はなかなかのものだった。
 テーブルを挟んで話す時、彼は自分の会社が普段どんな仕事をしていて、今まで販売したビデオにはどういうものがあるか。仕事環境や女優へのケアについて語ってきた。
 水着や下着など、着衣状態のエロのみでアダルト業界を離れた女優が過去何人もいることを説明して、それを安心材料にルリのことを引き込もうとしていた。
(弱みを握っている人なのに……)
 それでいて、きちんとした形で働けることを説かれても、完全には信用できない部分があった。
 しかし、弱みを握られているということは、つまりそれだけ断りにくいことを意味している。拒否の言葉が喉から出かかっても、それが何度引っ込んだかわからない。
 だが最終的には、契約書の内容として、男性器への奉仕や陰部への挿入は一切無しとする。また、着衣越しに擦りつける可能性と、手や道具で触れる可能性までを限度とする。そんな文面を盛り込んでも構わないと言われたことで、ルリは条件を飲み込んだ。
 弱みを握られているせいなのか、自分でも興味を持ってしまってか、それともその両方か。内心では焦り続けていたルリには、自分で自分の心がわからなかった。