②だからそれぞれ服を脱ぐ

 モデルが三人も必要だった理由は、部員それぞれで細かな方向性の違いがあり、○○路線なら雪乃、××路線なら由比ヶ浜、△△でいくなら一色、というグループ分けをしたいためだったらしい。
 それから、三人並んでの絵も予定にあるとか。
 つまり、最低でも二回は脱ぐことを念頭に、雪ノ下雪乃はカーディガンを脱ぎきった。ここで少し誤魔化しを入れようと、上履きを一旦外して靴下を脱いでみるのだが、すると残りはワイシャツにスカートである。
 ここまで来れば、上下どちらを脱いでも下着を見せることになる。ホワイトボードの影ではあるが、高さが微妙に合わないので、ブラジャーは隠れてもショーツは見えるという、おかしな絶妙感があるわけだ。
 といって、雪乃の裸を心待ちにしている美術部員には、約束通り男子はいない。だが雪乃のグループに来ている人数は、女子部員のうち半分近くだ。
 由比ヶ浜に五人、一色に六人いるのに対し、雪乃には十一人もいるバランスの偏りは何なのか。それは芸術路線の関係上、あの二人のビジュアルより、雪乃のビジュアルの方がマッチしていると考える部員が多いためらしい。
(大袈裟に考える必要はないわね)
 雪乃はワイシャツのボタンを外す。
 もしも後ろが全員男子なら、この手は一体どれだけたどたどしく、脱衣への抵抗感に溢れただろうかと思うのだが、同性の視線に過ぎない以上、そう騒ぐことでもない。
 脱いだものをその都度軽く畳んでいき、机の上に積み重ね、いよいよブラジャーを取り外す。ショーツを脱ぐ。といった段階に入るのだが、そこまでいくとさすがに抵抗や躊躇いらしきものが腕に宿って、ただの日常的な動作で微妙に手こずりそうになる。
(これで人前、ね)
 考えてもみれば当然だが、体育の着替えや修学旅行の温泉とは条件が異なっている。どちらも、そうして当然という空気感が形成される中、みんなで似たようなことをする。
 だがヌードモデルの場合、たった一人の全裸を他の服を着た全員で包囲する。これを一切の恥じらい無しにこなせるのは、よほど度胸に優れているか、脱いで当然の職種で慣れているかのどちらかだ。
 残念ながら、あっけからんとした顔で出ていって、裸ですが何か? といった態度を取るほどには、どうも割り切りを良くすることはできないらしい。
 女子しかいないとわかっていても、頬が少しくらいは染まってくる。
 雪乃は一旦、右腕で乳房を覆い隠して、左手でもアソコを隠した状態で、ホワイトボードの裏から姿を現す。
「おおっ」
「う、美しい……美しい……!」
「羨ましすぎますよ!」
「あぁ……ああなりたいぃぃ…………!」
 思った以上に、様々な視線が向けられた。
 男子がいない以上は、性欲からなる露骨にいやらしい視線はない――と思ったが、妙に顔を赤らめて、ハァハァと息を荒げて見えるのが、何故だか数名ほど見受けられる。
 同性の裸にも性的興奮を覚える女子が混ざっているなら、もう少しばかり顔は赤らむ。
 絶景や芸術の美しさに対する感動らしき視線もあり、なんて大袈裟な反応だと雪乃は思う。
 美しい、自分もあんな体になりたい。
 なるほど、同性ならではの視線であり、その気持ち自体に悪い気はしないのだが、そうやってまじまじと見られると、やはり羞恥心を煽られる。
 今の自分は、一体どこまで顔が赤いのか。
(冷静に……冷静にいきましょう……)
 雪乃は自分に言い聞かせ、心の中で頬に冷水を送り込む。恥ずかしさで熱っぽくなった顔へと、イメージの氷を詰め込んで、温度を下げようと努めていた。
 モデルの務めはシンプルだ。
 用意してある台に立ち、画家の前でポーズを取る。形を崩さないまま、数十分や一時間、あるいは数時間にわたって立っているのは疲れるだろうが、とにかくやるべきことはシンプルだ。
 早いところポーズを決めてもらい、そして描き始めてもらいたい。作業さえ始まれば、全裸で長時間過ごすうち、やがて感覚は麻痺していって、どうでもよくなってくるはずだ。
 とにかく、まずは台に立つ。
 少しだけ視線が上がり、周りに椅子を並べた女子達を見下ろす形となる。
 目が多い。
 瞳が自分に向いている。数多くの眼球の角度が、自分へと合わさっている。人前に立った上、周りの人間が比較的近くに集まっている時、そんなことに意識がいく。
「ではまず、腕を下ろしてもらって大丈夫ですか?」
 同級生と思わしき女子が立ち上がり、丁寧な口調で告げてくる。
「ええ、わかったわ」
 雪乃は両腕を下ろしていった。
「おぉぉ……!」
「ふつくしい……!」
 感嘆とした声が広がり、そして声こそ出さないまでも感心してくる反応がもろに伝わる。自分の裸に対する声や反応が、こうも直接的に伝わってくる状況に、どうして顔を赤らめずにいられるか。
(駄目よ。落ち着いて……落ち着いて……)
 雪乃は改めて、イメージの冷水を頭に注ぐ。顔の温度がたった一度でも下がるようにと意識して、主に頬の冷却に努めた。既に桃色に染まっているだろう、その部分を冷やすことこそが先決だ。
「では最初にポーズを決めていきます。このポーズ決めから少し時間がかかってしまいますが、どうかよろしくお願いします」
 美術を志す以上、構図やアングルへのこだわりも当然あるのだろう。
「承知しているわ」
「ありがとうございます。一応官能路線なので、基本的にはセクシーな感じを求めることになるんですが――」
 ポーズ決めに関しては、この同級生の女子――名前は知らないが、この子が代表して指示を出すようだ。
 代表の子は何度か口頭でポーズを指定してくるので、雪乃は言われるままに形を変える。口では説明しにくい時には、代表の子自身がお手本のポーズを取るか、スマートフォンで画像を見せるかして、この通りになって欲しいと伝えてくる。
 そうして、かれこれ何分もポーズ選びに時間を費やしているうちに、頬の赤らみはいつの間にか引いていく。早速、この空気に慣れることが出来たと思ったのだが、次のポーズ指定で羞恥心がぶり返すことになる。

「うーん。場所を変えて、ドアに寄りかかってもらえますか?」

 顎に指を当てながら、代表の子は出入り口を指してくる。
 そのドアは急に男子が入って来ないように施錠されているのだが、言われたとおりドアに向かい、寄りかかるポーズを取った時である。
「そーいえば、ヌードモデルがいるらしいぜ?」
「マジで?」
 男子の声が聞こえて、雪乃はこれ以上なくぎょっとした。
「どうしました? なんか急に赤くなったような」
「い、いえ。何でもないわ」
 どうやら、美術部員にまでは届いていないらしい。
 だがドアに背中を当て、肌にその固さを感じている雪乃には、遮蔽物を介して減衰した声量が確かに届く。このドアのすぐ向こうで、約二名の男子がお喋りをしているのだ。
 わざわざ廊下に出て、窓際に寄りかかってお喋りをする生徒などよくいるが、それがよりにもよってこの部屋の外にいるらしい。
「どんな人だろうなー」
「うちの生徒だったりして」
「そりゃないっしょー」
「ねーかー」
 期待を馳せ、願望を口にする男子に対して、もう一人の男子がそれを現実的に否定する。何の中身もない、雑談らしい雑談だが、それがヌードモデル本人の耳に届いていると彼らは気づいているのだろうか。
 いや、気づいてもらっては困る。
 まして、ここがその現場だと知られたくはない。
「場所がわかればなー」
「ちょっと覗いてみてーよな」
 本当に冗談じゃない。
 男子のそんな願望を直接耳にしたせいで、雪乃はしだいに落ち着きを失って、背中のあたりをそわそわさせた。それを表に出さないように努めているが、頬の熱っぽさは戻って来て、再び染まっているのを雪乃は自覚していた。
「これもちょっと違いますね……」
 代表の子は相変わらず、ポーズ決めに頭を悩ませてくる。
「あの、あえて隠すのはどうでしょう」
「そうそう! カーテンとか!」
 そこに一年生からの意見が出て、それを採用した代表の子から、また改めて場所を移してのポーズ指定が行われる。
 両側からカーテンをたぐり寄せ、逆に裸体を隠すポーズであった。同性の視線とはいえ、こうも殺到されては困るのは確かな以上、隠せること自体は歓迎だが、窓に背中をやってこのポーズを取ることには、一つの問題があったりする。
(見られたら困るわね……)
 雪乃は今、窓に尻を押し当てていた。
 腰を少しくの字にして、上半身を前に出して欲しいとの要請に合わせて、若干の前のめりになっているのだが、窓の位置が絶妙に低いため、ガラスの冷気を尻で如実に感じている。
 もし向こう側に人がいて、雪乃のことに気づいたなら、膨らみがすっかり平らに均されたガラス越しの尻を拝むことになるだろう。
 だいたい、ここは一階だ。
 背後に男子が現れる可能性は、現実的に言って十分高い。この窓に尻の当たったポーズはNGにして、どうしてもやりたいなら、別の形で布を用意させようと考えた時だった。

 ――ぞわっ、

 と、背中に妙な何かが駆け巡ったような、一瞬だけ鳥肌の広がるざわつきに、雪乃は急に背後に意識を取られていた。そこに誰かが立っているのか、どうなのか、ただの不安でなく、より具体的に気になって仕方がなくなっていた。
(もしかして――)
 いや、気のせいかもしれない。
 影の気配を読み当てて、何者か隠れていることを見抜くなど、漫画の世界のような真似はできない。誰かに見られている感覚は、きっと気のせいだと雪乃は自分に言い聞かせる。
 恐る恐ると振り向いた。
 違う、そんなわけがない、やはり気のせいだったと納得するため、気になる背後を肩越しに確認した。

 そこには呆気に取られた男子がいた。

 学年もクラスもわからない、誰かもわからない男子の、ありえない何かを目撃して呆然としたような、そして目の前にすっかり意識を奪われて、目を逸らせなくなってしまった姿がそこにはあった。
(み、見られて――!)
 雪乃は戦慄した。男子もまた呆然とした。
 そんな目と目が合い、次の瞬間である。

 男子は思いっきり、勢いよく頭を下げた。

 それから顔を上げ直すと、唇だけを動かして、声は出さずに何かを伝えてくるのだが、読唇術が使えるわけでもないのに、雪乃にはその台詞が明確に読み取れた。

「どうも申し訳ありませんでした!」

 果たして彼は、ヌードモデルについて知っていただろうか。
 もし知らなければ、何故どうして裸の女子がいて、尻を窓に押しつけたのか、きっとわからないことだろう。
 男子は慌てて背を向けて、どこへともなく駆け去っていく。
 その背中を見ることで、雪乃はあらゆることを気にしていた。
 尻を見られたこと自体が気になって気になって、頬がじわじわと赤らんでいくなど言うまでもない。恥ずかしい思いは大きく膨らみ、その羞恥心には大いに悩まされるところだが、それだけではない。
 もし、である。
 ここで裸になった理由が、露出狂だの、彼氏がいて学校内でセックスに及ぼうとしただの、そんな風に解釈されたら、あの男子の中での雪乃は、一体どういうことになるだろう。
 あの男子は言い触らすタイプだろうか。
 今まさに湧いて溢れる羞恥心だけでなく、先のことにかけてさえ、雪乃は大いに気にしているのだった。