目次 次の話




 その男は恐怖していた。
 戦慄は全身にまで行き渡り、背筋の氷結から伝わる冷気は、いつしか指先にすら届きつつある。どこかの諺にある通り、途方もないチャクラの固まりに睨まれた男は、身動き一つ取れなくなっていた。
 彼は木の葉の里の忍者であり、そして抜け忍だった。
 追っ手として現れたチームと戦闘になり、彼はうずまきナルトにとある術をかけたのだ。男とナルトでは実力は大違いで、とても勝ち目はなかったが、その力量差がかえって油断の隙を生み、やられたフリをすることで、術をかけることに成功した。
 そして、ナルトが急に倒れることで、仲間の動揺を誘った隙に逃亡して、一人安全な場所まで逃げ切ったところで、彼は初めて術の真の効力を起動した。ナルトにかけたのは、いわば遠隔起動スイッチ式の術であり、チャクラを打ち込んだ相手にとある効果を発揮するのだ。
 だが、その結果がこれだった。
 術を起動したと思ったら、いつの間にその空間に立っていた。全ての景色をパっと切り替えてしまったか、あるいは自分は最初からここにいて、それをたった今になって初めて思い出したような感覚だった。
 とても暗い目の前に、大きな檻が立てられている。
 巨人でも閉じ込めるためのような鉄格子は、まさしく怪獣に例えても良い巨大な獣を封印している。

 ――九尾だ。

 かつて、木の葉の里を危機に陥れたという、あの九尾と対峙していた。
 檻の中、封印術の力がかかって、こちらには手出しできないはずだと頭の中ではわかっている。何も恐れることはない、向こうからこちらを害することはできない――はず。いや、本当に害される恐れはないのだろうか。
 まずいのではないか?
 ここに立ってしまった時点で、本当はもう生殺与奪の権を握られてはいないだろうか。
 その恐怖が男の中には大きく膨らみ、無意識のうちに一歩、後ろへ後退していた。戦慄で全身が凍りつき、指先一つ動かないかに思われたその体は、しかし本人ですら気づかないうちに、本能的に撤退を望み始めていた。
 たった一歩をきっかけに、体中の神経に撤退命令が放たれる。逃げろ、今すぐ逃げろ、これ以上一秒たりともここにいてはいけない――と、警告という警告の数々が細胞から放たれて、それが神経細胞を駆け巡る。
 撤退への思いは、もはや血管のように全身へ行き渡っていた。
 人を睨みつけてくる眼差しさえ大きいのだ。
 巨大であるなら、身体のパーツも当然大きい。爪一つが人間の体を遥かに超え、牙一本すら数メートルの巨人に近い。人の体など、スナック菓子の感覚で噛み潰すであろう顎と、その上にある巨大な凶眼は、チャクラすら関係無しに原始的な恐怖を煽る。
(駄目だ……)
 男は確信する。
(深入りはできない!)
 撤退せざるを得なかった。
 せっかく、ナルトの精神に侵入できたはいいものの、これでは術を完全にかけることはできない。男の持つ能力は、山中一族の持つ心転身の術――自分の精神を解き放ち、相手の肉体を乗っ取る術と似通った面のあるもので、起動スイッチの役割を持つチャクラを一度打ち込み、その後撤退、遠隔から発動するのが主な用途の術である。
 だが、入り込んだ心の中に、こんな化け物が住んでいるのだ。
 話にはもちろん聞いていたが、これでは完全な形ではかけられない。術を完全にかけることさえ出来れば、肉体を乗っ取るというより、洗脳的な手法で相手を遠隔操作できたのだが、もはや諦めた方がいいだろう。
 しかし、男は思った。
 これだけの恐怖を感じてなお、ただ何の成果もなく撤退など、本当にそれでいいのかと自問自答して、一つの結論に辿り着く。

 深入りはできずとも、浅入りなら?

 仮にもベテランの忍者である。
 いかにうずまきナルトだろうと、加減さえ間違えなければ……。

     *

 時はしばし遡る。

「お前達に任務を伝える」

 五代目火影を務める綱手の前で、諸連絡のために召集を受けたうずまきナルトは、他に集まった仲間達と横並びに、これからフォーマンセルを組むこととなるメンバーを見やる。
 シノ、キバ、ヒナタ――そして、自分。
 普段は組まない仲間とチームになるのは、組み慣れた仲間よりもいくらか連携が取りにくい。などと、ナルトが細かいことを考えているわけもないのだが、それでも素朴な疑問としては抱くのだった。
「なあバアちゃん。サクラちゃんとか、カカシ先生はどうしたんだってばよ」
「ああ、サクラは負傷者の治療。カカシは別の任務だ」
 と、綱手がそう答えた時だ。
「ナルト」
 急に口を開くのはシノだった。
「今回は二人と組むことはできない。なぜならば、ここ最近は多くの上忍が暁関係の任務に関わり、それだけ負傷者も増えている。しばらくは医療忍者の手が足りないからだ」
 サングラスで目は見えず、衣服に口元も隠れたシノは表情が見えにくい。
 ナルトに言わせれば、何を考えているかわかりにくいタイプである。
「ふーん? ま、しょうがねえ。とにかく、どんな任務だろうと、やるとなったらやるまでだってばよ!」
 意気込みをあらわに、ナルトは手の平を拳で打ち鳴らす。
 意欲に溢れていた。
 今回の任務もきっと暁に関わることで、その暁にはイタチがいる。サスケの復讐相手であるイタチに近づけば、自然とサスケにも近づける。イタチに直接会えるわけでなくとも、暁の情報が何か集まるに違いないと、ナルトは任務の内容を聞く前から、既にもう張り切っているわけだった。
 サスケが木の葉の里を抜け、大蛇丸の元へ行ってから、およそ二年半もの月日が流れている。それは本当に長かったようでいて、終わってみれば短かったような気もしてくる。その月日のあいだ、ナルトは児雷也の元で修行をして、しばらく里を離れていた。
 そして、帰ってきてから束の間、我愛羅が暁に捕まったという知らせを聞き、救出すべく奔走した。無事に救い出すことに成功して、里に帰ってからも、またいくかの任務や修行をこなし、今日もまた新しい任務というわけだ。
 この任務は絶対に成功させる。
 失敗していい任務などないが、サスケへの思いがある分、ナルトの意気込みは強かった。
「さて、その任務だが、実は里から抜け忍が出た。どうやら暁関係の者にそそのかされ、里の情報を流出させようと企んでいる。追跡班によって潜伏先はわかっているが、向こうも一筋縄ではいかない相手だ」
「ってことは、太刀打ちできそうなのは、今はオレ達しかいないってわけだ」
 と、キバが言う。
 カカシやサクラを当てに出来ず、他の仲間や先生達、多くの上忍も、別の任務に出ているか、または既に任務から帰ってきたあと負傷している。抜け忍の力量、それに対抗できてかつ、ちょうど手の空いている者、それが今ここに集まった四人というわけだ。
「そういうことだな。至急現場に向かい、追跡班と合流。潜伏先への案内を受けたのち、拘束してもらいたい」
「ああ、やってやるってばよ! これ以上、里からは誰も出さねェ!」
 ナルトの脳裏には、やはりサスケのことが掠めている。サスケが里を抜け、こうしている今も大蛇丸の元で過ごしている事実と、新たな抜け忍が暁に加わる可能性もあるのではないか、という危惧が頭の中で重なり合い、意気込みの裏にはどこか焦りのようなものも湧いている。
 ナルトの性格である。
 自分はただただ張り切っているだけであり、それ以上ともそれ以下とも思っていない。焦燥感を抱いているなど、他ならぬ本人が夢にも思っていなかった。
 ただ真っ直ぐ、裏切りは許さない。
 だからきっちりと連れ戻し、落とし前をつけさせる。
 本人がはっきりと自覚している思いは、シンプルにそれだけだった。
(ナルトくん……)
 ヒナタだけが、薄らと心配そうな眼差しで、横目でナルトの様子を窺っている。その方にかすかな赤らみがあり、そして視線には微熱があることに、しかしナルトの方は気づいていない。
「ん? どうした? ヒナタ」
 ふと視線に気づくナルトだが、ヒナタの表情や反応が一体どんなものであるかなど、その機微まではわかっていない。本当に純粋に、一体何を人の顔など見ているのだと、そう思っただけに過ぎなかった。
「ううん? な、なんでもないよ?」
 ヒナタは慌てて目を逸らす。
「そうか? ま、いいけどよ。その任務、とっとと済ませちまおうぜ!」
 かくして、彼らは里を立つ。
 里を抜けてしばらくの、やや遠い町に到着して、綱手の指示にあった通りの合流場所で、追跡班と顔を合わせる。潜伏先の案内を受け、その抜け忍達が暁と合流を果たすよりも先に、戦闘に打って出るのであった。

     *

「ぐっ!」

 ナルトの腹部に、鈍い衝撃が走った。
 ずんっ、と、全身を激しく揺るがす衝撃は、骨の一本も残さず振動させ、脳すら振幅させるものだった。鳩尾には衝撃の余韻がいつまでも、まるで薄らぐ気配もなく残ったまま、ナルトは両手で腹を抱えて蹲る。
 急な腹痛といえば、確かに腹痛ではあるが、笑いものにしている場合などではない。
 相手が何らかの術を使い、ナルトの中にチャクラを打ち込んだ結果の痛みだ。
「ナルト!」
「大丈夫か!」
 シノが、キバが、汗を浮かべて勢いよく、その方向に顔を向けていた。

「ナルトくん!」

 ヒナタに至っては狼狽気味に慌てて駆け寄り、四つん這いとなったナルトの背中をさすり始める。
 戦闘そのものは滞りなく終了した――はずだった。
 最初の手筈通り、追跡班と合流した後、抜け忍達の潜伏するアジトへ突入する。相手は六人、フォーマンセルのナルト達よりも数では上回るが、多重影分身の術がある以上、人数の違いはいとも簡単に覆る。
 キバが一人を、シノが一人を、ヒナタもまた一人を、行動不能に陥らせる。動けなくなったところを追跡班のメンバーが拘束に取りかかり、そしてナルトも三人を相手にしていた。分身を使ったある意味での一対一を三面展開しての戦いは、始終ナルトが優勢で、自来也の修行に裏打ちされた体術は、どんな火遁や水遁も掻い潜り、それぞれに拳を決めていた。
 もちろん、相手もベテランには違いなかった。
 だから相応にチャクラは消費しており、勝った頃にはナルトといえども疲弊を感じて、息を切らしている状態だった。
 そして、ナルトが術を受けたのは、まさにその瞬間だった。
 分身を解き、本体だけを残したナルトは、すぐその場に膝をつき、疲れた体を少し休めようなどと考えてしまっていた。すぐ隣でうつ伏せに倒れ、気絶しているはずの敵への注意を薄れさせ、つまるところ油断していた。
 そこへ突如、敵が起き上がったのだ。
 気絶した――させたはずだと思った相手が、その手にチャクラを纏わせながら、ナルトの腹部に一撃を打ち込んだ。
 そうしてナルトは蹲り、片手を突いての四つん這いで、もう片方の手では腹を必死に押さえている。駆け寄ったヒナタが背中を懸命にさすっている。
 一瞬。
 たった一瞬ではあるが、ナルトが倒れた事実に動揺が走り、ただ一人だけが瞬身の術によって逃亡する。
「シノ! 追うぞ!」
「わかっている! ヒナタ! ナルトは任せたぞ!」
 追跡にはキバとシノの二人が出た。
 そして、追跡班だったメンバーには、今度は拘束に成功した四人を里に連れ帰るという使命がある。ヒナタ一人がナルトに肩を貸し、ナルトのことをどこか安全な場所に連れていくことになるのであった。

     *

 臭気は消した。
 チャクラの感知から逃れる方法も知っている。
 嗅覚の優れたキバに、虫を操るシノの組み合わせは、追われる身としてはそら恐ろしいものなのだが、幸いなことに男は追っ手を撒くのに便利な術を会得している。
 その一つが身体の無臭化であり、まさしくキバの嗅覚を無効化できる。さらにチャクラの存在を誤魔化す術もあり、シノの操る虫の、チャクラ感知からさえ逃げられる。確か写輪眼の場合、チャクラの色を目視できるとかいう話だが、うちは一族の目で見れば、無色透明に映ることだろう。
 空気に溶け込んでしまったように、外部からは一切感じ取れなくなる。
 男の会得している術の組み合わせは、自分の持つ役目に合わせ、順当に修行を進めた結果のものだ。彼の持つ里での役割は、およそ情報収集的な活動で、敵地から収穫を持ち帰ることが日頃の仕事内容だった。
 だから、戦闘というより、別の役割に特化した術を多めに、他の戦闘特化の仲間に守ってもらう班構成が主となる。その肝心の四人がやられた時は焦ったが、どんな任務からも生き残り、必ず里に収穫を持ち帰るという、その役目通りの結果をこんな時でも出せたらしい。
 彼には逃亡特化の術に加え、死んだフリや気絶したフリを術として会得している。用心深くトドメを刺しにくる手合いには無意味だが、油断をしてくれる余地が少しでもあれば、より確実な敗北を演じることができるわけだ。
 そして、ナルトの油断を誘い、ナルトに術を打ち込み、逃亡に成功した。
 偽名で泊まる宿まで戻り、そこで体を落ち着け始めた彼は、そろそろ頃合いかと思い、ナルトにかけた術を遠隔起動したわけだった。

 そして、九尾と対峙した。

 男は慌てて撤退を考えるが、ギリギリのところで踏み止まり、術を完全にかけるというより、浅めにかけるという判断に留まったのだ。
(……よし)
 成功した。
 男は胡座をかきながら目を瞑り、無の境地を目指して精神を研ぎ澄ます。やがて鼻には、どこからか香るシャンプーの香りが、腕には女体の柔らかな感触が伝わって来た。ただ部屋に座っているだけの男に、ここには存在しないはずの感覚が伝わっていた。
 そう、そういう術なのだ。
 ナルトにかけた術は心転身と似ているが、自分の精神を丸ごと解き放つわけではない。魂の一部を切り離し、相手の体内に移動させる術である。自身から切り離した魂の破片により、脳に刺激を与えて操ることで、洗脳を試みて、敵同士の仲間割れを誘ったり、自害で死亡させることも可能だが、もっと他にも使い道がある。
(ちょっとは溜飲を下げないとな)
 感覚の共有である。
 術をかけた相手とは、魂の糸が繋がっており、そこから相手の感覚を取得できる。ナルトの見ている景色が見えたり、嗅いでいる匂いがわかったり、触れている感触がわかったり、というわけである。
 この術の汎用性はかなりのもので、自分自身が敵地に侵入しなくても、まったく無関係の人間を操って、その人間にスパイ行為をやらせることも可能となる。情報戦においても、敵地を掻き乱す作戦においても、男の存在は実に恐ろしいものとなるわけだ。
 暁が男に接触してきたのも、おそらくはこの術を欲しがってのことだろう。
 彼は日頃、自分の待遇に不満を抱いており、これだけの能力を持つ自分は、もっと給与が良くてもいいはずだと思っていた。そこに暁のメンバーが現れ、待遇の約束と引き換えに、抜け忍となって里の情報を渡して仲間になるように要求された。
 男はその要求を呑んだ。
 自分の実力では、到底勝ち目のない圧倒的実力の気配に、怖くて断れなかった部分もあるにはあるが、それ以上に暁の提示してきた待遇は魅力的だった。
 欲望につけこまれ、そそのかされた彼なわけだが、もうその計画はおじゃんである。
 自分だけは囚われずに済んだこの状況、今からでも暁と落ち合う道もあるにはあるのだろうが、そこもとっくに押さえられているだろう。
 つまり、諦めざるを得ない。
(まったく、暁には入れず、里にも帰れない。こうなったら腹いせだ)
 もうそれが、男の動機であった。
 腹いせに何かしてやる。
 どうにかして仲間割れでも起こさせるか、手足を操り自傷行為をやらせるか。仲間の背中を狙わせもしてみたい。問題は術のかかり具合を浅くする必要があるせいで、それらの操作を完全には行えない点である。
(どうしたものか)
 男は考えていた。
 ナルトから得られる五感情報で、状況は読めている。キバとシノが今も自分を捜索しているであろう一方、追跡班だったメンバーは、捕らえた四人の護送に移っている。その際、何人かのメンバーは切り離し、暁との合流ポイントを監視でもしているだろう。
 そして、ヒナタはナルトの腕を肩に担いで、どこか休める場所を目指して移動中というわけだった。
 今のところ、気づかれていない。
 ナルト自身はもちろん、日向一族であるヒナタにも、こちらのチャクラは見られていない。
(いい香りだ。髪の艶もいい)
 香りつきのシャンプーだろうか。
 ナルトの鼻孔に流れ込み、それをそのまま男も感じている。そういえば数年前のヒナタのことも、何度か見かける形で知っているが、今では髪を伸ばしている。その艶やかな髪がナルトの頬に何度か当たっているおかげで、手触りの良さも如実に想像できるのだった。
(そうだな。今しばらくは、女の感触でも楽しむか)
 男は方針を固めた。
 セクハラをやらせてみよう。
 ヒナタの胸を触ったり、尻を触ったりして一通り楽しみながら、その責任の全てをナルトに押しつけてやる。



 
 
 

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